テイク-2【恋愛禁止って、どこまでの話?】
はぁ……と呆れを滲ませた吐息が、薄く弧を描く。
「真花、貴女ねぇ〜」
湿った音が混じったような、湿度のある目線。
魔法少女?衣装の襟に走る青の差し色が、そのまま目にもにじんでいた。奏の目は、いつだって制服通りに冷たくて湿ってる。
「で、でもさ〜 これで魔法少女引退でしょ? ヘンタイダーも、五年もかけてやっと全部倒せたんだから」
「けど私達には、アイドルという使命が……!」
指先が、まっすぐ真花に向かおうとした――
その瞬間だった。
控え室のドアが、ノックもなく開く。
「なになに〜? 喧嘩かな?」
掠れた飄々とした声。
50代の、それでも現役感を醸し出す艶。
濡羽色の髪は、完璧にオールバック。
彫りの深い整った顔。
鋭い目元、笑いを含ませた口元。
身長は180を超えるか――中肉中背の黒スーツ。
その縁を縫うのは金糸の刺繍。
紫のシャツが差し色で、足元の革靴は赤いソール。
香水はバニラにウッドが混ざった濃厚な残香。
そのすべてが、鼻に突き刺さるように自己主張していた。
右手には太い葉巻。左手には重そうな指輪。
タイピンまで金の意匠が施されていた。
――言い出したらきりがない。
この男は、|Magie♡Etoileの生みの親。
株式会社エトワルプロダクション。
文化庁魔法戦略室・顧問付プロデューサー。
皇 新陽。
「皇さん…… 真花がまた問題を起こそうとしています」
速攻でチクる。
黒髪ぱっつんのあいつ、どうせ昔は委員長やってたに違いない。
真花は、わざとらしい大きめのため息をひとつ。
近くの椅子に腰を落とし、悪びれるどころか余裕を浮かべて、
「別に〜 ヘンタイダーとか名乗ってる変態怪獣共を抹殺できたから、もう恋愛ぐらいはしていいのかなーって思っただけ〜」
だらしなくスマホを持ち上げ、画面を点ける。
カメラ起動。パシャ。角度変えて、パシャ。
皇が、ふいに低くつぶやく。
「……そんなに、男と恋愛がしたいか」
聞き取れるかどうかの、独り言。
パシャ☆ パシャ☆
ピース、ウインク、アヒル口――次の瞬間。
真花の手元からスマホが、もぎ取られた。
「なにすん――」
言いかけた口ごと、首を塞がれた。
大きな手が、細い喉に食い込んでくる。
「だったら魔法少女もアイドルもできなくなるようにしてやんよ♡」
耳元で、粘ついた声。
その言葉の気色悪さが、皮膚の裏まで入り込んできた。
「っぐ……ぅえぇ……っ……く、くそが……ッ」
呼吸が詰まる。
視界が、白く塗りつぶされていく。
――このままじゃ、殺される。
暴れる両手。すべる汗。
それでも、右耳のピアスに指先が届いた。
淡い桃色の光が、ぶわっと弾ける。
「っち! 変身しやがった!! お前らかかれ!」
怒声とともに、奏たちの身体が一斉に反応する。
(今のうちに逃げて――)
真花が動き出そうとしたその瞬間、
青色のブーツが、視界いっぱいに飛び込んできた。
――次の瞬間、顔面に衝撃。
視界が揺れる。頬に鈍痛。音のない火花が弾けた。
骨は折れてない。でも、しっかり痛い。
控え室の空気が、白い煙で満ちていく。
「いったた…… 本気でやりすぎでしょ奏〜」
「謝りなさい。謝れば許してもらえるわ」
「はぁ? なんでアタシが」
地に力を込めたまま、真花が立ち上がる。
「謝らないといけないのよ!!」
手にしていたステッキ。
白を基調に、先端のピンクのハートストーン。
その部分をぎゅっと握り――引き抜く。
刃が、出た。
内蔵された細身の剣が、風を切って奏の首元を狙う。
奏が反射的に身を逸らした。
その髪だけが、数本、空中で舞う。
「いまだ!! 抑えろ!」
スタッフの怒声とともに、男たちが一斉に襲いかかる。
十人、二十人――黒い塊が真花に覆い被さるように押し寄せた。
次の瞬間、ピンクの光が爆ぜた。
男たちの身体が、きらきらと光を散らしながら、粉々に崩れる。
まるで砂糖菓子を砕いたような――けれど明らかに肉体だった。
「化け物め……!」
奏の冷えた一言が飛ぶ
「化け物はお互いさまでしょ? アタシはイケメンと恋愛するのに忙しいの! 今日の仕事はパスね!」
笑いながら、くるりと振り返る。
手をひらひらさせながら、控え室を飛び出した。
その背を、皇が睨んでいた。
額に浮かぶ青筋。
腰から外したトランシーバをゆっくりと持ち上げ、口元に寄せる。
「桜庭真花を、Magie♡Etoileから追放する。一同、結束し真花を捕まえろ!!」
その言葉と同時に、耳を裂くようなサイレンが鳴り響いた。