テイク-18【夜の逃避行】
遠くに浮かぶネオンの灯りは、まるで湯気みたいに空気を染めていたのに、足もとを撫でた風だけが冷たかった。
たぶん、もう日付は変わっている。
「ちょっと寒いわね」
黒の厚手のパーカー。下は部屋着の白いショートパンツ。デニムじゃない、もっと柔らかくて、眠るためだけに作られた薄い布のやつ。
その下から、真っ直ぐに伸びた脚が夜気に晒されている。
「ちゃんと厚着してこればよかったじゃん」
龍二の視線が、脚に吸い寄せられたまま戻らない。心配の声色と、何かを振り切るようなまばたき。
「いいのー」
ひと言だけで、真花は彼の腕にしがみつく。
「こうすれば暖かいでしょ?」
電柱のオレンジが、大きな瞳を縁取る。見上げた角度といい、計算し尽くされたあざとさといい……。
(ずるいな)
“推しの上目遣い”は、物理攻撃よりダメージがでかい。好きの正体が、首元から上ってくるのを止められない。
「結局歩いてコンビニ向かってるけど……二人乗りはいいのか?」
「ダメダメ! だからいま自転車探してるんじゃないのよ」
「自転車探すって……他人の勝手に使用したら犯罪だぜ?」
その言葉、彼女の耳には届いていない。
欲しいと思ったら、いま欲しい。それが桜庭真花という生き物なのだ。
「どこかに自転車は……あっ! あっちのアパートにある自転車置き場になら沢山ありそうね」
指さすだけで、もう歩き出している。勢いのまま、夜の街を横断していく。
「それは犯罪にな……」
追いかけて駐輪場に飛び込んだ瞬間、彼女は赤いママチャリのハンドルを握っていた。
「鍵かけてないなんて不用心よね。けどこの自転車借りてコンビニまで行きましょ」
「二人乗りは交通違反だし、それに窃盗も追加されるから、バレたらマズイんじゃ……」
「チッチッチッ〜」
指を振って笑う。
「こういうのはね、少しスリルあるほうが面白いの! ほらほら、龍二が運転なんだから、自転車にまたがりなさい」
ぐいっと差し出された自転車に、仕方なく跨がる龍二。サドルがぎし、と鳴った。
その背中に真花がひょいと飛び乗る。後ろの荷台部分、買い物袋を置くためのあの無骨な鉄に、腰を下ろして。
「れっつらごー!」
右腕を真上に掲げ、夜空に向かって叫んだ。
◇◆◇◆
街路樹の影から、緑の光がにじみ出す。右手には、よく見慣れたロゴ。
「ファミリアンマートだ……あそこでいい?」
「だーめ」
通りすぎた。
「もう、かれこれ5件以上はスルーしてるんだけど……コンビニに行きたかったんじゃないのかよ」
冷たい向かい風が、二人の身体を包み込む。だけど、自転車は止まらない。
「いいの〜。こうしてたいんだから、言うことききなさいよね」
真花の腕が、龍二の胴にしっかり巻きつく。頬も、背中にぴったりと押しつける。正面からじゃ息ができないから、顔を少し横に向けて。
彼の背中に、真花の体温がじんわりと染みていく。
前方から車のライトが差し込んでくる。白い光がふたりをなぞるたび、それがまるでステージのスポットライトみたいに見えた。
「龍二」
「んー?」
「龍二はどうしてあたしのこと、好きになったの?」
「どうして好きに……なったか」
真花を最初に見たのは、夜に見たニュースだった。巨大な瓦礫の山。その頂点に立つ、血と土で汚れた魔法少女。
腕は細く、身体は薄い、顔つきは子どもに近い。それでも画面越しに伝わる、“あたしが世界の中心”というオーラ。
この世に真花がいてくれてよかった。たったその事実だけが、生きる希望にすら感じられた。
歌ってる真花も、戦ってる真花も、1秒たりとも目を逸らしたくなかった。細胞に焼きつけるように。
「一言で表すと」
「わかった! 好きでしょ?」
「愛かな?」
「な、なにが愛よ……」
火が灯ったみたいに、頬が赤くなった。
見えないくせに、顔を龍二の背中へ埋める。ちょっとだけ、うつぶせみたいにして。
「どうか俺を盾代わりにしてほしい。それが、俺にできる真花への最大の恩返しだから」
「言われなくても……あたしの盾として、死ぬまでお供させるんだからね……」
言葉は、ちょっとぎこちなくて。けど、震えた分だけ本気だった。たぶん、これが真花にできるいちばんの“強がり”だ。




