テイク-10【まさか感じてない? ちょい鈍くない?】
一息の無間。
先に空気を裂いたのは、唯だった。
浅く、鼻から吸う。視界の縁が研ぎ澄まされていく。
右拳、縦。ほとんど溜めのないまま突き出された。
――頬が、弾けた。
真花の顔が、身体ごと後ろへ仰け反る。
反射で踏ん張ろうとした脚の裏が空を蹴り、視界が裏返った。
頬の奥で骨が跳ね、奥歯の根元が軋んだ。
「っ……がは……!」
視界の端がちかちかと点滅する。息がこぼれた瞬間には、もう次の影が来ていた。
「叩き潰すッス!」
吠えながら、唯が地面を蹴って横へ抜けた。
仰け反った真花の脇腹、空いた空間に回り込む。
重心を殺さず、肩ごと沈みながら――
右拳を、すくい上げるように振り上げた。
けれど、
足を軸に、体をひねった。
頭が下、空中で一回転――
風を裂く音が背中をかすめた。ほんの数ミリ。
踵が砂埃を巻き上げ、指先が枝をなぞった。
――拾う。跳ねる。刺すように踏み込む。
前へ。
唯へ。
「しつこいッス!!」
踏み込みに反応し、唯の重心が前へ滑る。
左脚を引き、腰を固定。右膝が沈むと同時に――
真っ直ぐ、前蹴り。
「……あっ!」
見えたときにはもう、腹がへこんでいた。
空気を、肺を、意識をまるごと叩き出される。
声も力も振り飛ばされ、背中が――壁に。
ぶつかる寸前、板材が砕ける音が響いた。
ドッと崩れた。店内の壁。
木くずと破片が四方に舞う中で、真花の体はそのまま――外へ、投げ出された。
白昼。光の粒が視界にちらつく。
「いっ……たぁ……」
潰れるような音と一緒に、背中の下がぐしゃりと沈んだ。
ぬるっとした感触。柔らかい、嫌な匂い。
周囲に並んでいる、何袋ものゴミ袋。
ゴミ置き場だった。
「真花!!」
声が割れて聞こえた。
龍二の足音が近づいてくる。
「大丈夫か!」
「大丈夫大丈夫」
即答。口角を引く。
でも、左頬が強張って引きつった。
唇の端に血が滲んでいて、味が右奥に張り付いたまま。
右目の視界がにぶい。まぶたが重く、開ききらない。
触れなくてもわかる。痣ができていた。
「逃げよう!」
龍二が手を伸ばす。肩に腕を回そうとした――けど、止まった。
右手首。
何本ものガラス片が刺さっていた。
「こんなに破片が刺さってたら、危ないな」
「ほんとに……大丈夫だって……」
「細かい粒子が血管に入って、最悪の場合心臓に行くかもしれない……!
俺が抜いてやるから……失礼します!」
両手で手首を支える。指が震えていた。
破片のひとつに、空の明るさが反射している。
昼の光の中、龍二の影がそのまま顔ごと近づいてきた。
「ちょっと……♡ や、やめ♡ くすぐったい……」
皮膚の内側がほどけていく。
血が、溢れ出した。
歯の隙間をすり抜けるように、赤い液が喉奥に流れこむ。
生ぬるくて、鉄っぽくて、――でも、少しだけ甘い。
舌の根元に、味の膜が貼りつく感覚。
「ごほっ! ごほっ!」
龍二が激しく咳き込んだ。
「まさか破片ごと飲み込んじゃったの!?」
「うん……間違えて飲んじゃった……」
「バカじゃないのー!」
声は突っかかった。笑っているのか怒ってるのか、自分でもわからなかった。
けれど――空気が、切り替わる。
地面を踏む音。湿ったような靴音が、砂を蹴った。
「イチャイチャするなッス……
うちの魔法で二人とも2つに裂いてやるッスよ」
振り返るより先に、唯の声が突き刺さる。
手刀を構えた腕がゆらぎ、空間に淡い歪みが走った。
視界の端で、空気の層が歪んでいく。
「風よ、斬れウィンドカッター!!」
横一線。腕を振り抜くと同時に、緑色の半月が放たれる。
斬撃の形をした風が、うなり声のように響いて迫ってくる。
「くそ……!」
龍二が真花の前に立ちはだかった。
「なにやってんのよ! 死ぬわよ!!」
「君を放っておけない!」
震える手を前に差し出す。
なにもできない。
このままじゃ――死ぬ。かもしれない。
でも、でも、それでも。
「最後の最後くらいは推しのために死なせてくれぇぇぇぇ!」
叫びとともに、龍二の目が光った。
身体が淡く発光する。空気の粒が逆流した。
耳の奥で、風の音が止まる。
空気の密度が――変わった。
なにかが、始まりかけていた。




