雨天濁りて地這う空
「という訳なんだけど……どうにか出来ないかな、芽々子」
「何がという訳なの。事情を説明した風な口ぶりで、突然やってきて。天宮君、貴方は私を困ったら何でも開発出来るロボットとでも勘違いしているの?」
「出来ない……かな」
「ふぁあ…………久しぶりに外出たらまた閉鎖的な場所に来ちゃった。ボク何だか眠くなってきたよ。先輩、早く学校に行こうよ」
雀子が俺達の調査に参加してくれるという事なら最初に解決すべきはこの尻尾をどう隠すかだろう。制服は案外どうとでもなる……スカートが捲れ上がるせいで背中から見た時に目のやり場に困るというのは、単にこの尻尾がでかすぎる事に比べれば些細な問題だ。
芽々子は雑に頼られた事に悪い気はしていないようだ(幻覚は微笑んでいる)が、それでも無茶ぶりには変わりなく、難色を示していた。
「確かに私は彼女の下着を選んだわ。寸分の狂いもなかったでしょう。本人しか出来ない筈の事が出来た。自分でも凄い事だって自覚してる。だけどね、何事にも例外があるならやはり不可能だってあるのよ。ちょっと台の上に尻尾を乗せて。説明するから」
「うん。うん? ボクの下着って君が選んだんだ? 確かに先輩が知ってるのって変だし、あれ? それならなんで君は知って―――」
「雀子。その話はまたいつかするから今は言う通りに」
かつては薬を打つ為に俺が寝転んでいた場所。太すぎる尻尾が横断するように乗せられる。芽々子に体を引っ張られて向かった先はパソコンの前。何やら数字が羅列している。
「尻尾をどうにかしようという事なら真っ先に思い浮かぶのは切除、ないしは破壊。だけどこの数値を見て。これは私が独自に設定した物体の強度よ。この島に存在する全ての物質に対して設定をしたつもりで、例えばこの灰色のブロックがコンクリートに対する評価よ」
「…………硬さを調べるのに何でこんな沢山数字が出るんだ? ゲームとかで防御力計るようなもんだと思ってたよ」
「切断に対する強度と衝撃に対する強度は違うのよ。耐熱ガラスがついでに銃弾を防いでくれると思う? コンクリートの総合強度は五〇……上限は一〇〇ね。もっと厳密な評価が本当はあるけど、ざっくり五〇を超えたら滅茶苦茶固いと思ってくれて大丈夫。それで、彼女の尻尾を見て」
「…………おお、絵にかいたようなカンストだな」
総合強度とやらがどれだけ信じられるかは不明だが、何度計算しても雀子の尻尾の総合強度は上限を叩いてしまう。切断、衝撃、熱、電気、酸……更に区分を細かく、例えば衝撃とは銃弾の事であると設定しても結論は変わらない。熱源の温度を細かく設定してもやっぱり数字は動かない。壊れたのかとも思って極端に太陽と設定してようやく数値が-を示してくれた。
暫くキーボードを借りて色々打ち込んでみたがどうやら仮定とする物質や状況に対して-が出る場合はそれで破壊可能となるらしい事が分かった。だから太陽が近くにあれば雀子の尻尾は溶ける……他はまだ、俺の頭では見つけられない。最上級の切断とは、最上級の衝撃とは、そう考ると頭がまっさらになって、辛うじて思いつくのは子供みたいな幻想の話だ。何でも切れる聖剣とか、地球が割れるハンマーみたいな。勿論そんな物はないし、俺の戯言がデータ上に存在する訳でもない。数値が出ないのでこれでは確かめようもないだろう。電気の最上級は雷が限界だったが、雷では尻尾は破壊不可能な数値が出てしまった。耐酸も同じだ。濃硫酸が駄目なら俺が思いつく酸性の物質はもうない。
「極端な真似をしないと破壊出来ない。そう、破壊も切除も不可能なの。本人の身体を切り離せば別だけど、そういう訳にも行かないでしょう。数値上、君が打ち込んだ限り破壊出来たのは太陽のみだけど、太陽が近くにあったらこの島どころか地球が危ないわよ。雀千さんが血塗れになる事を厭わない限り、この線はない」
「他の手段は?」
「違和感のないような恰好を考えるのが一番手っ取り早いけど、こんな大きな尻尾を持つ存在なんてどんな格好をしていても目立つわ。怪異とは無関係に悪目立ちする。真夜中にだけ行動するならまだ誤魔化せない事もないけど、もっと本格的に干渉したいのよね」
「雀子ってちっちゃいし、尻尾さえ何とかなれば制服着て行動できると思うんだよ…………やっぱり無理かな。お前の科学力じゃ」
「は? 聞き捨てならない事を言わないでよ」
煽ったつもりはない。単なる言い間違いだった。芽々子の科学力があってもどうにもならないかーと頼った自分の勘を自虐するつもりだったのに。それがどうも、逆鱗だった。
「私の科学は所詮借り物。『新世界構想』の事なんて微塵も理解出来てないし、この研究所も乗っ取っただけで私の物じゃない。だけどね、私がどれだけここに居ると思っているの? 解決は無理でも、一時的な対処なら可能よ」
「本当か!? 雀子、良かったな! 尻尾がどうにかなるって!」
「え▁︹_/﹀! ホント_︿︹? じゃあボクは先輩の傍に居ていいんだ、やったね!」
「ただし条件がある。私がやるやらないじゃなくて、この場合の条件って言うのは守らないと尻尾が露出するかもという意味ね。それが守れたらいいけど……」
芽々子は遠隔で地下室の入り口を開け直すと、空を見上げてため息を吐いた。
「……今日の天気は曇り。条件はどうやっても満たせないわ。テレビの天気予報によると午後からは晴れるから、それまではここで待機していなさい」
「晴れ? 曇り? 天気が関係ある条件なのか?」
「ええ」
「絶対に晴天が必要ね。隠す必要もないから言うけど、求められるのは濃い影。つまり強い光源が周囲を照らしていないといけないの。どんな大きな物体も影の中に入れられたらラクチン、でしょ?」
幸先悪く雀子の問題は保留となり、代わりに芽々子を連れて学校にやってきた。早めに来たのは三人で話す時間を作る為だ。バイトがなければ早く来れるのだという言い訳も用意してある。
生者と死者を確実に区別出来ていない状況を俺達の間でも作るのは危険だという事で、登校時は手を繋いだ。これで突発的に片方が殺されてももう片方がそれを認識出来るという訳だが……芽々子はともかく俺は首を落とされたら死ぬので、対策というよりは単なる気休めだったり。
学校では予め連絡を受けていた響希が教室で待機しており、早速本物の証明をするべく彼女は血を流して主人格を排出した。『雪乃』は出たり引っ込んだりを絶え間なく繰り返す現状にうんざりしているようで、伏し目になって俺達を睨んだ。心なしか瓶詰めの人格も抗議するようにゆらゆらと揺れている。
「おいおい、俺の出番が随分と多いじゃねえの」
「怪異はこれ以上怪異になれないから……響希さんが本物かどうか確認したいなら貴方と入れ替わるのが早いの。本人にはいい迷惑でしょうけど」
「合言葉とかって、駄目なのか?」
「それは見た目をコピーする偽物だったら有効でしょうね。残念だけどあれは身体を入れ替える私みたいなやり口の存在だから……今の響希さんのポジションをそのまま取られたら見分けられないわ。だから確実に見分けるには有無を言わさず人格を外に出してもらうしかないの。拒否したその時点で偽物という扱いでね」
「俺様はんな都合のいい便利証明書類じゃねえんだぞ。つーかこいつにだけ負担を押し付けてお前らは何もしないのか? 随分お互いを信じてるんだなあ?」
「私に入れ替わってもこれは単なる人形の身体で本体ではないから、別の身体を動かして対処するだけ」
「俺は……今は確かに何にも対処法はないけど、家に匿ってる子が協力してくれるって言うんだ。四六時中一緒に居れば俺の存在も保証される」
「つええのか? そいつは」
「強い、と思う」
尻尾の全力速度についてはちっとも把握出来ていないものの、本人は『ボクが本気で殺そうと思ったら多分誰も尻尾の切っ先は見えない』と言っていたので、相当な速さだ。研究所で調べる時間はなかったから、今はまだ未知数のまま。
「私達は各々のやり方で乗っ取りの有無を調べられる。問題は他の住民達。百歌さんに化けていた怪異を発見したようにまた響希さんを体内に送り込めばいいと思いたかったけど、本物の身体を自由に入れ替える性質だから、間違った判断をする可能性が非常に高まるわ。何か別の手段を考えないと」
「こりゃ、暫く俺のままだな。可哀想な雪乃響希、本人が出張ると疑うしかなくなるなんて。別によお、んな回りくどい事しなくてもいいんじゃねえか。名前を口にしたら殺しに来るんだろ? 来てもらえよ。そしたら悩む必要はねえ」
「いや、もうやり直せないんだ。そんな危ない橋は渡る必要がない。でも、そう悪い案でもないかもな。芽々子、お前はそいつの名前を知ってるんだろ。だったらそれとなくクラスメイトに聞いて回って、名前を知ってそうな奴を刺激するってのはどうだ?」
「…………貴方がクラスメイトを犠牲にするなんて」
窓の外に、一瞬で滅びた無残な島の夢を視る。
「―――変か? でも気づいたんだよな。確かクラスメイトの身体を分析したら、恐怖を忘れやすいようになってるって話だったよな。それにこの島には噂がない。噂がないのに名前なんて知ってたら世介中道会の関係者な気がする、もしくはそいつに目をつけられてるか。いずれにしても無関係の奴ならこの話題に食いついても恐れる訳がないと思ってる。最初の、『三つ顔の濡れ男』の時みたいにさ。噂とか肝試しとかでキャッキャしてただろ。何人か死んだけど、それを引きずる様子もないし……どうかな」