花嫁の餞
俺達は現実の中で出会った事もない、お互いの名前すら知らない。だがその声を知っている。性格を知っている。人となりを知っている。純粋に俺を助けようとしてくれたその良心を、俺が戻ってしまう事に、口には出さぬまでも寂しさを隠せないでいたそのいじらしさも。全部分かる。最後に関しては同じ気持ちだったからだ。帰らなきゃいけない事も分かった上で、あの人とはもっと色々話したかった気持ちがあった。
「…………芽々子。悪いけど何か持ってないか探してみてくれないか。もしかしたら抱え落ちしてた証拠か何かを持ってるかもしれない」
「…………結局貴方は何処の仮想世界に居たの?」
「先輩二人がまだまともだった時だよ。そこで伝言を受けたから頼むんじゃないぞ。未来の事なんて誰にも分かりっこないんだ」
丁度岩戸先輩が自分の未来について信じられないとばかりに喚き、挙句そいつは俺じゃないと否定したように。未来で何が起こるかなんて誰にも分からない。昔持っていなかっただけで死ぬ直前には持っていたかもしれない物もあるだろう。
「………何もなさそうね。この死体は単純に隠されてるだけみたいだけど」
「隠されてるだけならそれでもいいんだ。死体を運ぼう。岩戸先輩は頭がおかしいなりにまだ理性を持ってて、きちんと自分の立場を弁えた行動を取ってくる。だけど先輩の死体がなくなったらそれも失われるだろうな。辛うじて成立してる健常者の装いはこの人の死体があってこそだ。失われたらどんな行動をするか分からないけど、それが学校に突入するよりはマシになりそうなのは断言出来る」
見張りをしていた響希も呼んで三姫先輩の死体を回収。闇雲に探しても絶対に見つからないように、死体は芽々子に埋葬してもらう事にした。何処に処分するかは任せる。
学校に突入するのはまだ時期が早いという事なら、こういう干渉の仕方もある訳だ。あそこに居た怪異が何故怒り出したのかは不明ではあるが、少なくとも突入しなければあんな事にはならない。他の要因で度々あんな事が起きるなら芽々子が知っているだろう。
「…………酷い死に方ね。この後はどうするの?」
「こっちはこっちで十分だよ。後は先輩がどんな動きを見せてくれるか次第だ。それよりも俺達が本当に対処するべきは正体も対処も判明してない怪異の方だ。違うか?」
曰く、芽々子が敗北した方の人形怪異と、古くからこの町の夜に巣食うぬいぐるみみたいな浸渉症状を残す方(三姫先輩を殺したのはこっちの症状)。
前者は時間を行ったり来たりしているせいでこんがらがるが、まだ一日も経過していないから情報が足りない。後者は俺達がバーベキュー……三つ顔の濡れ男と戦おうかどうかという時にいつの間にか相互認識を果たしたとの事で、問題はこっちだ。いつ爆発するか分からない時限爆弾を、そうと知って放置してはいられない。真紀さんが本体を見つけられない以上は手詰まりなように思われたが、これも仮想世界という―――あり得ない条件ばかり付けくわえられた世界に居たからこそ、こんな提案が出来る。
「俺もただ死にかけてた訳じゃない。先輩をこんな残酷に殺してくれた怪異は俺達がバーベキューをしてた時にもう相互認識を何故か果たしてる。そんな覚えがないのにだ。何でこれを真紀さんが知ってるかも気になるけど、今は重要じゃない。大事なのは、見つけ方が分かったって事だ」
「えっ、嘘。もしかして特徴的な要素があったの? なんか目が人っぽくないとか、手がポリゴンみたいな?」
芽々子の方を見遣る。気づかせてくれたのは他ならぬ彼女のお陰だ。薬を打ちまくったせいで今の悪状況があると言えなくもないが、その前提が無かったら気づけなかった。
「お前さ、自分が怪異って言ってたよな?」
「……私は動力で動いてる訳じゃない。頭を壊されても心臓を貫かれても、動きは止まるけどそれは動けなくなったというだけで死んではいないわ。ひょっとして、人形怪異の正体は私とでも言いたいの?」
「そうじゃない。俺が薬を打ってた時、まあ最初は殆ど死ぬんだ。それを後々やり直そうってつもりでな。芽々子、お前は『三つ顔の濡れ男』の時も『潜失』の時もちゃんと殺されてた。影響を受けてな」
「どういう事?」
「濡れ男と潜失の対処は違ってただろ。怪異には特別ルールが設けられてるんだ。俺はてっきり、特別ルール同士は勝手に不可侵条約を結んで独立してると思ってたけど、芽々子にきっちり通用してる。俺と違って生身の部分なんてないのにだ」
芽々子が怪異という部分に俺も異論はない。人間に対して害意がないというだけで、忘れるな。俺の四肢がバラされたのは浸渉症状の進行を抑える為だ。体に無機物の割合が生まれる事で浸渉を遅らせた。注射器に入れていたらしい緩和剤の影響もあるだろうが、俺がここまで頑張ってこられたのはそんな事情があるからだ。
「現実に戻ってくる直前、怪異が誰に成りすましているのか、その答えを見た。だけどそれが目撃できた条件はここじゃ再現不可能だ。だから罠を仕掛けるんだ。もしそれに引っかかればあっさりと見つけ出す事が出来る。力押しで倒せるとも思っちゃいないが、身体のパーツを壊して『黒夢』に入れたら濡れ男の時みたいに専用の装備が出来るんじゃないか?」
出来るけど、と微妙に乗り気ではなさそうな芽々子を尻目に、響希が前のめりになって俺に尋ねてくる。
「誰なの? なりすましは」
「それを確かめる為だって言う話を聞いてなかったのか? 響希、俺が見た人間がこっちでも成りすましてるなんて分かりっこないんだ。前提条件が違えば未来も変わる。向こうでは正解でもこっちでは間違いだったかもしれない。もう薬は使えないんだし、一か八かはやめよう」
「それで、見分ける方法はどうするつもり? 有効活用できそうな怪異なんて何処にもないけど」
「確かにない。だけど大事なのはきちんと見分けがつくようになってるって事だ。俺が見た死体は…………中身が電線みたいになってた。響希。お前の血をクラス全員に飲ませれば見分けがつく筈だ。そうして狙いを定めたら、そいつを捕まえよう」
彼女のそれは三つ顔の濡れ男が残したギフト―――薬を使えない今となっては貴重な攻略手段だ。やり直しが効かないならその他の手段を最大限生かす努力をする。『黒夢』だってそう。そして彼女に頼みたいと思ったからこそ、些細な事で攻めるべきではないと思った。
響希は渋面を浮かべて首を捻っているが、それは計画の効力を疑っているからではないだろう。自分の血を飲ませる事に抵抗があるのだ。他人の血液なんて穢れそのもの。それは信仰心とか関係なしに、科学的にも細菌の関係で汚いとされていて全く隙が無い。好んで血を飲ませようなんて人間は余程の特殊な人間で、濁穢をふりまこうなんて奴はそもそも俺達の味方にはならない。
「……まあ、アンタがそこまで言うならやってもいいけど! その場合どうやって血を回収するの? 私の人格は食べられっぱなし? 戻せないじゃない」
「強制的に出るって出来ないのか? 胃から逆流してさ」
「そこまで自由には動けないわよ。あ、でも……」
「でも?」
「明日ってプールあるわよね。プールの中に口が入ってたら……出られるかも。呼び水みたいな感じでさ」
俺たちの戦いは、ようやく新たな一歩を踏み出す。真紀さんの秘密を聞いてから数えて二日目。何度も何度も時を遡っては失敗し、失敗しては遡り、紆余曲折あったとしか言いようのないほど絡まった一日は、ようやく一本の線となり、三日目へ。
大丈夫。俺なら出来る。




