死人が見せる希望の種
住めば都という程長期間監禁されている訳ではないが、先輩と雑談に耽っていると自分達がどんな状況に置かれているかという事も忘れられる。窓の外さえ見なければいつもの学校だ。三姫先輩は自分が死んでいるのを良い事にやりたい放題で、技術準備室に置いてあったペンキを廊下にぶちまけて落書きをし始める。
「どうせ誰も居ないし、君もやらない?」
「これ、後で誰が掃除するんです?」
「後なんかないわよ! 君が帰ったらこんな世界消滅するし」
「た、確かに…………じゃあ窓に青空描きますか。実際の景色なんて見なかった事にして」
「ペンキでそれは無理がない?」
突破口なんて考えてもすぐに答えが出ないのは分かり切っている。だからもういっそ、徹底的に息抜きする。現実との差異が脳みそに負担をかけるというのが霖さんの方便で助かった。あれが事実だったら俺達がふざける前にこの事態のせいで修復不可能になっている。
「三姫先輩。胸の所、赤いペンキついてますよ」
「そうなるでしょ。ただペンキぶちまけてたらさ。君も細かい事気にしないで遊びなよ。何でもいいよ」
「…………じゃあ」
トイレから洗剤を持ってくると、先輩がぶちまけたペンキめがけて中身の半分ほどをぶちまけ、同じくトイレから持ってきたデッキブラシで塗料を擦る。一度こういう大規模な掃除はやってみたかった。塗料をぶちまけるような状況が引っ越す前にも存在しなかったので、もしやりたい事リストなんて作っていたらこれで一つ解消である。
「俺は掃除するんで、先輩は好きに暴れちゃってください」
「へえ、綺麗にするのが好きって訳? プール掃除が好きなタイプね」
「あっちは暑いのであんまり……足が焼けるし」
「そう?」
掃除が楽しくないのはやらされるからであり、その方法すら制限されるからだと個人的には考えている。方法は無制限で、自分からやる掃除は結構楽しい。バケツ一杯に注いだ水を廊下にぶちまけると、勢いづいた水が床を滑って奥の奥まで瞬く間に広がる。先輩の足が水を踏みしめながら活気づいたように動きが早くなった。
「上履きがそこはかとなく気持ち悪い…………」
単に嫌がっていただけだった。
「ペンキを落とすのなんか結構楽しいかもしれません。窓も消して良いですか?」
「まだ完成してないんだから消さないでっ。死んでからようやく開眼した私の絵心が今爆発してるの」
「…………何してんだお前ら」
最早学校という敷地を使って単純に遊んでいるだけの行為は危機感がないと咎められても仕方のない事だ。岩戸先輩は遠くからやってこようとしたが、俺がぶちまけた水で足が滑って転んでいた。
「っ! 俺が不死身で良かったな! 頭打って死んでたぞ!」
「す、すみません! ちょっと遊んでて」
「三姫! 知的なお前らしくもない事を! 子供みたいに遊ぶ所なんて初めて見たぞ!」
「って言ってもそれは私に出来る事があったからで、今は手詰まりでしょ。ほら見て丹葉、私の絵心を」
胸の下で腕を組み、三姫先輩が得意げに鼻を鳴らして一歩引く。爆発した絵心とやらは俺には良く分からなかったし、恋は盲目と言っても岩戸先輩も首を傾げていた。それくらい前衛的で、どう表現したらいいか分からない。
「…………お、おお。凄い………………………凄く……………な」
誤魔化す語彙力もなかったらしい。感想を求められるのは困るので俺はまた地面に視線を向けて掃除を再開した。やっぱり彼の事は馬鹿には出来ない。逆の立場なら俺も発言に窮する。
「アンタもなんかして遊ぶ?」
「遊ぶつってもな……ああでも、試したい事はあるか。ちょっと後ろの教室借りるぞ」
「試したい事ですか」
「お前達が学校で好き放題遊んでるのを見てたらちょっと試したくなった」
岩戸先輩は教室に入って窓を開けると、手近な机を持ち上げて自分ごと投げ飛ばす勢いで外に飛ばした。
「えええええええ!」
「破壊衝動?」
「や、違う。机がどうなるかを見てみたい」
彼岸花を押し潰すように校庭に飛ばされた机は裏返ったまま何も起きない。浸食される事もなければ、押しのけられて動くような事象も確認出来なかった。
「ほお、新しく物が影響を受けるって事はなさそうか?」
「って事は理屈上、机を飛ばしながら移動すれば危ない街中も移動出来るって事ですか?」
「そういう事だが、現実的じゃ無さすぎるな。俺も高い所から低い所に飛ばしただけで、この位置から好きな場所に物を飛ばせるくらいの怪力じゃない。つーかそいつはあれだ。出来たら投石器か何かだろ」
不死身の二人なら時間を掛ければ彼岸花地帯の走破は可能だろう。しかし少し滞在していただけの先輩が体内に異常を来したように、死ななくても死なないだけになる可能性がある。だから先輩達のいずれかが俺を抱えて走るという方法はそもそもリスクが高いのだが……先に休憩地点を造ればどうにかなるかもしれない。
「これ、調べるべきですよね」
「希望が見えたわね」
三姫先輩が刷毛を手に腕を組んだまま、睨みつけるように机を見下ろしている。さっきまで遊んでいた雰囲気は何処へ、またいつもの剣呑な雰囲気(人間が怖いらしいので仕方ないか)に戻っている。
「丹葉。とりあえず検証するわ。アンタが花に貫かれながら机を運んでって、私はペンキで道を作るから。遠目からでもルートが確認しやすいように色は青がいいかな」
「お、おう! 後輩を無事に帰らせるのな。おい天宮! お前絶対無事で帰れよ。俺の償いは……多分それが一番いいからな!」
「は、はい。なんか……現実を知ってるとギャップで戸惑います。岩戸先輩ってそんな悪い人じゃないんですね」
「お前に抵抗がないなら向こうの俺はぶっ殺してくれると助かるけど、それが無理なら関わらないでくれ! その俺は俺じゃない。同じ顔してるだけの屑だ。本当に………………すまなかった!」
俺が後輩と知った上で土下座をする事の意味は何となく伝わってくる。謝れない人間だってこの世にいるくらい、謝罪というのは難しい。素直が時に長所と言われるのも、すぐに謝れるからだ。非を認めるのは年を取るとどんどん難しくなりがちで、俺も……自分が責められなさそうな点があるなら抗議したいくらいにはみみっちいプライドがある。
岩戸先輩の人となりに詳しくはないが、三姫先輩にゾッコンでカッコイイ所を見せたいように振舞っているのは分かる。そんな彼が、目の前で土下座をした。全面的に自分を悪いと認めた。決して矛盾はしない。現実の状態を否定し、あの俺は俺じゃないと怒るのと、現実の自分が迷惑をかけた事を詫びる事が矛盾であってはならない。
俺を気遣っての、事なのだから。
「俺が死んで代わりに三姫が生き返るならこんな簡単な話はないが、そうはならない。だからせめて無事に送り届ける事が俺の贖罪だ。許す必要もないが、三姫だけは絶対に生き返らせてやってくれ」
「……はいっ。必ず」
空気に耐え兼ねたもう一人の先輩がわざとらしく咳を払って割り込んだ。
「そんな安請け合いしちゃって。あの人は不可能じゃないって言っただけでしょ。君も丹葉も本当に……単純。そんな重く受け止めなくても、君が生き残ってくれたら私はそれでいいよ。生き返らなくても、それは元々そうだった話。自分を犠牲にしてまで生き返らされても全然嬉しくないんだから」
「―――いや、俺は絶対やります。それで約束通り、先輩と遊びたいですからね」
三姫先輩は指で髪をくるくる回しながらそっぽを向いて窓に足をかける。
「…………本当にそれが出来たら、幾らでもデートしてあげるわ。今はそれよりも、丹葉。もういいでしょ。行こ」
「おう!」
「脱出計画は順調に進んでいるようですね」
する事もないので二人の検証作業を黙って見下ろしていると、霖さんが背中から声をかけ、すり抜けるように隣へ並んだ。振り返る動作に合わせてやってきたから一瞬幽霊が話しかけたかと悩んだ。横に突然現れたようにしか見えない。
「いつまでもこんな場所に居ようとは思いませんからね。ま、さっきそのつもりで遊んでましたけど」
「こればかりは私も想定外の出来事ですが、誰も予想しない所に思わぬヒントがある物です。職員室でこんなものを見つけたので貴方に差し上げます。やり直せない代わりには程遠いかもしれませんが」
タイトルは、『ひとひとの見分け方』。誰かに読ませる為に作ってあったというより自分が読む為に書いたのだろう、
改行もなく非常に見辛いが、『ひとひと』とやらは本島山間部で目撃例のあるとされる怪異らしい。突然人に声を掛けてきたかと思うと道を尋ねてくる、いつどこに行っても遠目にその姿が見える、街中で知人かと思って声を掛けたら見間違えようのない別人になるなど、性質はバラバラだが共通しているのは振り返らない事だった。
道を尋ねた後にもう一度、遠目に見えた姿が気になる所で背中から、別人だと気づき立ち去ろうとしたら―――必ず『ひとひと』は声を掛けてくる。振り返ってはいけないらしい。
どうなるのかは書かれていない。
「た、倒し方は? 噂があるなら倒し方もある筈じゃ」
「怪異を倒すなんて発想は野蛮で、殆どの場合は愚かですよ。『くらがりさん』を撃退したように、ただ生き延びる方法があるだけです。教えても構いませんが、 先にお伝えします。対処を知った人間の元に『ひとひと』は二度と現れません。つまり接敵のチャンスは一度だけです」
「…………?」
「ピンと来ていない様子ですね。それなら、貴方や仲間の所には二度と来ないし目撃する事も出来ないが他の全員には来る可能性があると言いましょう。絶対に捕まえられない犯人の完成です」
「ええ!? それはでも……こ。困りますよね。確か芽々子はこの人形―――いや、アイツが負けたのは港の方。あれ? これはどっちなんですか? 港の方? それとも真紀さん曰く俺達がバーベキューしてた時に出会ったって方?」
「さあ……と言いたいところですが、答えは語るに落ちていますね。一刀斎真紀は相互認識を果たしたタイミングを知りながら倒そうとしていない。つまり、『ひとひと』はこの町の闇に潜む方であり国津守芽々子とはまた別件。ただし……現実で六無三姫の間接的な死因になった方ではありますね。あの死因は浸渉ですから」
「――――――じゃあ、倒さないと、ですね」
たまたま先輩がこちらを見上げてきて優しく手を振ってくれる。振り返すと、彼女は遠目からでも嬉しそうに口元を緩ませてまた作業に戻った。体が人間判定をしない人間……つまり俺と知り合えた事が余程嬉しいような、その程度の何でもない普通の人間だった先輩を殺した怪異。
多少調子に乗りやすい気は合っても頼れる先輩としての行動力を示してくれる岩戸先輩をあらゆる意味合いでのゾンビにしてくれた怪異。
「もし生き返らなくても、弔う為に」
「国津守芽々子の為ではなく?」