二人の隠ぬ間に
「おはよ~天宮。今日はバイト無い感ジ?」
「まあ、そんな感じ。お前は今日部活ないんだな?」
「もっちのろん! だってテスト期間中だし!」
教室は二人が消えた所で変わらない。そう、まるで俺だけが二人を認識出来ないようかのようだ。クラスメイトは確かに響希と話しているし受け答えもしているのに、そこには誰も見えない。芽々子も同様だ。仁太は一体誰に粉をかけようとしているのだ。見えもしなければ触れもしない。だが確かに二人は……俺以外の現実で存在してる。
先輩達は休み時間や授業中に接触出来ないので、消去法で席の近い百歌と話す事が増えたか。彼女はこれまで無関係だったお陰でこういう時にも変化が見られないのはいい事だ。仁太達も事情は同じだが、男子の中では一番絡むだけに俺の行動と密接に絡んでいる可能性がある。その点彼女は絡むと言っても本当に予定が無い時以外はそれすらなかったから…………今なら気持ちが分かる。滅茶苦茶に現実を切り替えても何も変わらないでくれる人の存在がどれだけ尊いか。そこには仲が良いかどうかなんて関係なくて、ただ当たり前を知らせてくれるだけで良くて。
「テストどう? いけそ?」
「行けるよ、もう何回もやってるからな」
「え? ああ、そうだよネ~。こっち来る前も学校通ってたし? え、そういう事だよね?」
テスト問題と俺達が向き合う問題は無関係だ。何回やってもテストで出る問題も範囲も変わらない。もう、テストという言葉も不適切だ。学力ではなく記憶力。もうどんな点数を取ろうと何の感慨も湧いてくる気がしない。
「…………良かったら俺が勉強教えるか?」
「ええ? それは嬉しイけど、天宮ってそんな頭良くないでしょ~! 一緒に勉強しようならまだしも、教えるなんてっ」
百歌はまるで本気にしないが、これでいい。真面目に取り合ってくれる方がどうかしていると思う。どうせ仮想世界なら何を言っても関係ない。影響も出ないなら好きに振舞う。隠し事をし続けるのは、凄く疲れるのだ。
「んーそうだな。百歌の点数を当ててみようか」
「まだテスト始まってもなイけど?」
「一番高い点数は化学で、七七点だな」
「うわ、ガチで当てに来てる感じ〰ちょい待って。メモするから」
百歌は嬉しそうにシャーペンを握ると、フリーハンドで四角を描いて成績表のような区分けを作る。後で返却された際に答え合わせをしたいようだ。付箋まで貼って、忘れないように念入りである。
「それで?」
「国語が六五点」
「ふんふん。数学は?」
「七〇点」
「世界史は?」
「世界史は―――」
推理でもないしあてずっぽうでもない。知識をひけらかすように滔々と点数を述べられるのは返却の日に彼女が一人で騒いでいたからだ。悩む必要もない。答えが違うかもと思う余地もない。ただ正解を伝えているだけで、面白みがあるとすれば点数を聞いて先に一喜一憂する彼女の反応くらいだ。
「―――おけ! じゃあこの点数からどうすル? ニアピンあり? ピタリのみ?」
「ピタリのみでいいよ。まず外さないから」
「へえ~! 天宮、大きく出たねえ。言っとくけどそれって危ないの分かってる? 私が勉強やめて悪い点とったらそれだけで失敗するんダよ?」
「そんな事はしないだろ。こんな遊びの賭けにマジになる事と両親に怒られるのを天秤にかけるお前じゃない」
「た、確かに~!?」
ここで何をしたって現実の百歌には何の変化もないと知っていると突飛な行動の一つもしたくなる。本当に彼女を焚きつけて勉強を放棄させるなんて面白そうではないか。
俺が一人暮らしを始めたのは自由を求めたからだ。求めた自由とはこの、選んでもいいし選ばなくてもいいという、責任が伴った自由。ところが現実は自由とは程遠い命がけの戦いに巻き込まれてしまった。仮想世界の中でしか楽しく暮らせないなんて、生まれる時代を突然間違えたみたいだ。
「ねえ天宮。芽々子ちゃんの事はどう思ってル訳?」
「……芽々子の事?」
「今日は私と話すなんて珍しいなと思って。ま、私も基本ハ友達と話してるんだけどさ」
「…………どう思ってるってのは、あれか? 芽々子を女の子として好きかどうかって話をしたいのか?」
「勿論それでもいいし、そうじゃなくてもいイ! 何となく気になっただけだからね~休み時間が終わるまでの暇つぶしって感じ」
「好きかどうかで言うなら好きになるけど……なんだろうな。前はとにかくアイツの役に立ちたかったっていうか、振り向いてほしかったっていうか、注目してほしかったっていうか。とにかく芽々子の視線しか気にならなかったんだけど、今はそうでもないから。分からない」
「わあ、それどうして? 喧嘩した?」
「喧嘩は……しようがないかも。理由が分かったら苦労しないよ。正直自分でもこの気持ちに対してどう折り合いをつけたらいいか分からないんだ……迷惑って程じゃないのは分かるけど。それくらいかな……」
俺と示し合わせたようにチャイムが鳴ってくれて話が強制的に打ち切られる。授業が終わって放課後になれば先輩達との時間だ。この世界で頼れる仲間と言えばあの二人になる。ここは仮想世界だが、俺の歩んだ過去でもある。テストが終わる頃が二人の―――いや、三姫先輩の寿命だというならそれまでは仲良くしておきたい。特に何の意味もないかもしれないけど、俺がそうしたいから。
会いに行くべきかの逡巡は間もなく否定によって打ち砕かされる。二人が生存して、且つ俺と協力しているという非現実的な状況だからこそ対処出来る問題に向き合う。その必要がある時、大人達に俺と三年生の繋がりを見せるのは危険だ。世介中道会には、少なくとも教師陣は加入していると考えられるから。
「天宮、消しゴム知らない?」
「何で俺が知ってると思った?」
次の授業も内容は全て知っているし聞いていたら思い出せる。受ける意味がない。これじゃまるで不良だが、昼寝をしようか。これはもう終わった過去、何がどうあっても現実には無関係の事象ばかりだ。俺の青春を返してくれ。日常を返してくれ。
ただ、平和を愛したかっただけなんだ。
放課後に俺はようやく目を覚ました。授業を殆ど全てすっぽかしたがテストの点数どころか現実には何の影響も及ぼさないだろう。これはロールプレイをしているようなものだ。もしも不良だったら、とか。
人が変わったようと言われても、現実の俺は死にかけていると知っている状況でどうして現実のように振舞わないといけない。先輩達との交流以外はどうでもいい。
「…………」
既にほとんどのクラスメイトが出払ったか…………なんてぼんやりした瞳を持ち上げると、教壇の前に霖さんが立っていた。学校では白いワンピース姿がとてもよく目立つ異物だ。
「り、霖さん!? 何してるんですか?」
「いえ、こういう処理になるのかと思いまして。クラスメイトは昨夜殆ど殺害された筈ですが、貴方の記憶を参照した結果食い違いを生まないように再生成されましたね。仮想世界に死は記録として存在はしても現象として存在しないので当然ですが……私が驚いているのは貴方が動揺していない事です」
誰も居ない教室だからやりたい放題だ。彼女は教卓の上に座って、目の前で足を組んだ。
「…………ここでの貴方の振る舞いがどうあれ影響はありませんが、その精神状態は色濃く反映されます。回復に努めるつもりならくれぐれもお忘れなきよう」
「俺はいつ目覚めるんですか?」
「ここで三年生と共に問題の対処に成功したら、でしょうか。これでも気を遣っているつもりですよ。一度目が覚めたら貴方はもう二度とこの薬を使う事が出来ない。それで早々に詰ませてしまうのは薄情ですからね」
「…………どうにもならないんですね、本当に」
「ここまで連続使用をする方が悪いと思いますよ。みんな笑ってハッピーエンド、それが一番素晴らしい事ですがこの程度の小細工で簡単に到達出来るなら国津守芽々子は失敗していません」
「それじゃ、せめて後悔のないようにしないとねっ」
廊下の方から、三姫先輩達が現れた。扉を抑え込んで片足立ちになり、少しだけ格好つけてるっぽい。
なんで?
「二度と使えないって事は、私とも二度と会えないって事よね。そっちの私が生き返るまで出会えないんだとするなら、やれるだけやらないと。悔いが残ったら化けて出るわ」
「俺は現状聞いてて既に色々悔いしかないんだが……まあそれはそうとこっちの俺は大正義だからな! 心配するな、早速だが今回は学校に頑張って居残らなきゃならねえ! ここには丁度関係者しかいないみてえだし、ずばり童心に帰った気持ちで考えようぜ!」
岩戸先輩はチョークを豪快に動かすと、躍動感たっぷりのひらがなを全員に見せつけた。
「かくれんぼ! みつからないために!」