落花散に飛沫いて
「死なないって気分がいいわね。無茶をしても困らないっ」
正体を隠す必要性を失っても、二年生たちが異形に変化する事はない。だが偽物である事は岩戸先輩が先に殺害したその残骸からも明らかだ。もし仮に―――これはあり得ないが、二年生の中に生き残りが居るならこの異常な光景を見て止まる。そうでない人間は全員、偽物だ。
屋敷の中にあった包丁やらアイスピックやら鋸やら持ち出されても三姫先輩は止まらない。体に刃物が幾ら突き刺さろうと彼女は血一つ流すどころか継戦能力に一筋の陰りも見せる事なく暴れ回っている。見ている側は相手が偽物と分かっていても潰れ、凹み、歪む人間の顔が見えて非常に気分を悪くしているが、先輩の顔を見るに彼女は爽快感を感じているらしかった。
鉄パイプで頭蓋骨が砕けるような音を響かせる度に、彼女は顔を輝かせて弾みよく呼吸を整える。
「後輩に触る奴は、全員地獄行き!」
「偽物なんだからそこまで言わなくても……」
「え? 先輩も死んでるから同族嫌悪ですって!?」
「そんな事言ってません!」
頼りの綱とは言われているが、俺には戦闘能力らしきものが全く存在しない。不意打ちで殴るとかその程度なら出来るが、殆ど荒事は今回に限らず他の人に任せている。男としては情けないかもと思う反面、見た目に反して機敏な先輩を見ていたらこんな事は出来ないから任せた方がいいとも考え直す。
「私は地獄行きかもしれないけど、まだワンチャンスやり直せるかもしれないからね。その為の善行と思えば、天誅もやむなしよ。伏せてっ」
「うわ」
反射的にしゃがむと、いつの間にか背後から迫っていた二年生の飛び込みを見事透かす事に成功した。後はそれを迎え撃つように、先輩の鉄パイプが一閃。人間の重さを考えると鉄パイプが景気よく人間を飛ばせるなんてファンタジーだが、偽物は中身が殆ど存在しない。手応えに対して想像以上に吹っ飛び、偽物は明後日の方向へ消え去ってしまった。
「……今ので最後?」
「おう。ここが現実だったなら俺ら五回くらい死んでるな! まあ? まあまあまあ俺が守るからお前は死ななかっただろうけどな」
「その現実じゃアンタに殺されてるね。最悪」
とりあえず、二年生は現実通りに全員死亡が確認されたというべきだろうか。細かい状況は違うが概ね合わせてきている。この後は……そう。時系列が一々ややこしいが、とりあえず討伐後という事なら明日に供えようという事で家に帰ったのだったっけ。
「この後は、家に帰りました。無事倒したって事で、時間帯は、今とは違ってテストを迎えそうでしたからね」
「その頃にはもう私達死んでるけど……これどうすんの? あの人は?」
「居なくなりました」
「後輩は暫くこっちに居るんだろ? 時間切れがないならいっそ明日を迎えてみようぜ。どうせ嘘の明日なんだからいいだろ」
「雀子、居るのかな……」
「居ますよ、貴方の仮想世界ですからね」
三人で森を抜けて見慣れた住宅地に帰ってくると、霖さんがワンピースを潮風にはためかせながら俺達を待っていたように首を鳴らした。
「ここに居ないのは国津守芽々子と雪乃響希の二人だけ。どちらも形而上の存在……とは少し違いますが、いるけど居ない状態だと思っていただければ。何も不思議な事はありません。等価交換です。貴方達二人とね」
「俺は死んでないだろ!」
「心が死んでいます」
「次はどうすればいいの? テスト期間が過ぎるのを待つ?」
「そう言いたい所ですが元々倒した時系列が一致していないので、準備期間となります。国津守芽々子と雪乃響希が居ない事で起こらないイベントは多数存在し、そこにはまた条件として岩戸丹葉の精神崩壊、六無三姫の死亡が含まれています。これらが成立していない事でイベントはどうしても変わってしまう。これでは現実と一致させられないのはその通りですが、何も細部まで忠実である必要はありません。終わりよければ全てよしとも言うでしょう。天宮泰斗君、そもそもどうして岩戸丹葉に接触する事になったかは覚えていますか?」
それは二年生が偽物だったという事実に際し、芽々子が三年生も似たような状況であると危惧を示したからだ。同級生にスパイが居るかもしれないという話もあったが話はもつれにもつれて今はそれどころじゃなくなった。
そうして危惧を受けた響希が岩戸先輩に接触して……以降、現実の流れ。
「はい、覚えてますけど。でも肝心の二人が居ないと」
「はい。肝心の二人が居ません。しかし三年生の事情を知る二人ならそこに居ます。登場人物が切り替われば知るべき情報も変わる。当然の帰結です。次にすべきは三年生の……貴方達が本来知りたかった事情を知り、問題に対処する事です」
「あー。つまりこの町に徘徊してるアイツをどうにかしろって事ね。了解。準備期間って話なら期限はテスト終了までかな。君さ、アイツの事は何処まで知ってる?」
「ほ、殆ど何も知りません。先輩を頼りに行った理由と言うか……ていうかね、もう事件ばっかりで岩戸先輩がまともだったとしても手詰まり気味なんですよ! 港から怪異は運ばれてくるし、街中を徘徊してる奴は既にこっちを認識してるし! 芽々子が居ないから言いますけど、もうぜんっぜん勝ち目なんて見えない! 手詰まりで手詰まりで、どうにか打開する策が欲しくて先輩を頼りに来たんです! それがどうしてか色々裏目っちゃって……」
そんな、岩戸先輩の事なんて構っている暇もないくらい、構っていたとして問題は解決しないくらい状況は徐々に逼迫している。気づいた時には全てが手遅れと言わんばかりに、遠くから囲まれているみたいに。
「俺は裏切るより先に殺されるだろうし、殺されたくないから頑張りますけど! 現実問題どうしようもないから、どうしようもなくなっちゃったから助けが欲しかったんですっ!」
泣きたいのは全く、こっち側だ。俺達は別にプロフェッショナルでも何でもない、素人の学生なのに、こんな一方的なルールを押し付ける怪物とどうして対峙しなきゃいけない。
「…………君の気持ちは良く分かった。私も可能な限り協力するわ。そこまで頼ろうとしてくれたなら、期待に応えたい」
「現実の俺は酷いらしいが、こっちの俺は理想の男よ! 任せとけって後輩! 俺達に!」
「せっかく現実の私と丹葉が遺してくれた情報もあるし、まずは明日にでも学校を探索してみましょうか…………家まで送るね」
「じゃ、また明日。」
「お、おやすみなさい。先輩………すみません。部活とか入ってないんで、上下関係の立ち振る舞いはちょっと怪しいかも」
「別に、気にしないって。私の方は気楽に構えられてるから全然いいよ。仮初めの明日だけど、おやすみなさい。願わくは本当の明日って奴を、いつか一緒に迎えられたらいいな」
「三姫、俺は?」
先輩は腕を胸の下に組んだまま答えずに行ってしまった。霖さんは階段の上に座り込んで、俺の顔色を窺っている。
「次に次にと薬を使えば、覚悟の腐る事もあるでしょう。ここは仮想世界。私の方で夜の時間を長引かせておきますから、雀千三夜子さんとの時間を大切にしてください」
「雀子は……関係ないん、ですよね」
「尻尾はそのままですが、浸渉が進むような事は一切ないので安心してください。全ては夢幻―――胡蝶の夢。現実の貴方が死に瀕している事は全く変わりませんが、だからと言ってここでも死にそうになる必要はありません。気楽に過ごしてください」
「霖さん―――提唱者さんは全てを知る立場から一体何をしたいんですか?」
「全てを知るなんて大袈裟ですね。私が知るのは飽くまで仮想世界の出来事だけ。現実の事はてんで把握出来ていません。根本的に物事を解決出来るのは当事者である貴方達で、解決策は交差する仮想の果てに見つけるしかないのです。私が助けられるなら当然一人でちゃっちゃか処理してしまいますよ」
「…………」
「新世界構想は不幸でしかなかった大切な人を助ける為に生み出した構想です。綺麗に処分したつもりが、思わぬ被害が生まれていた。私が指先一つでどうにか出来るならとっくにどうにかしていますよ。雪がぬ恥は一生の傷ですから」
外からの風が強まる。ワンピースの裾の前を強く抑えると、提唱者は朗らかに笑って、恥ずかしそうに帽子を被り直した。
「……さ、私の下着を見たいという事でなければ早く入ってください。風が強くなりますよ」