万寿無疆のパンタレイ
俺と関係性があるからつい混同しそうになるが、真紀さん自体は学校と何の関係もないし誰の保護者でもない。せっかく来たし何か頼むかなんて話題になる清二と仁太の行動を傍目に、俺の耳は背後の席の会話の為だけに存在していた。
「あ、貴方は一体何なんだ!?」
「私の事なんてどうでもいいと思わな~い? そんなにお姉さんについて知りたかったら、電話してみてもいいぞ~。私は何を聞かれても、誰に知られてもなーんにも痛くないからね~」
「…………物の怪が貴方を許さないぞ」
「んー? それは何? 私ってこう見えて暴力は嫌いじゃないんだよね~。そんな脅すような真似しないでもっと直接言ってごらん? 言う気がないんだったら質問に答えるだけでもいいんだけどなー? 例えばー、貴方が一緒に過ごしてた女の子はどうしたのとかー」
「……み、三姫の知り合いなのか? 俺は。俺はアイツの彼氏だ!」
「んーこんな人の少ない島で知り合いかどうかを問うのもおかしいねー。あの子とちょっと話したい事があってさ。隠してないで教えなー? だいじょぶだいじょうぶ、秘密にしたげるからさー」
「天宮、お前何にする?」
「俺は―――なんか適当に頼んどいてくれ。なんなら頼まなくてもいい」
「貴方はどっちの人間だ? まずはそれをハッキリさせたい?」
「どっちって何さ~。まるで対抗勢力が居るような言い方じゃないの~。そういう言い方されちゃうと気になるなー。誰と誰が一体別れてるの~?」
「…………事情を知らない末端か。対抗勢力の方は死んだ。三姫は……俺の彼女はな、正にその対抗勢力の筆頭だったんだ。俺もそれを知らなかった。もしかして、貴方もその疑いをかける気だったのか?」
―――おい!
仮想性侵入藥で時系列がぐちゃぐちゃになっているから筋違いの怒りなのは分かっている。それでも言いたい。お前はあの人の仲間だった筈だと。わざわざぼかすような言い方を繰り返す真紀さんの真意が図れないのは分かるが、だからって仲間を売るような真似は最低だ。
「んー。じゃあ貴方は違うんだね~」
「ああ。きっちり俺がケジメをつけたつもりだ……これで満足か? 落ち着け、まあ、落ち着け。俺の言葉を信じられないのも無理はない。所詮何も知らない部外者だからな。きっと連絡の行き違いがあったんだろう。学校のプールにある女子更衣室の一角に証拠がある。近い内に移動させるつもりだ。観に行ってくれ」
「ほー。うん。まあ信じてあげようかなー。私は勢力とかさっぱりだけど、それが聞けたら十分。そいじゃ、私の仕事はおしまーい。じゃあね~」
真紀さんは頼りない足取りで店を後にする。こちらの机では二人がついでにカップアイスを頼んだ所で、それは別に不自然ではない。この時系列ではまだ知り合ってもないので岩戸先輩が俺達に目を向ける事もない。
ただ彼がとっくに寝返っている事はこれで確定的となった。保身の為か知らないが、好きな人の彼氏を自称していて、それでこの物言いか。過去に出会った時と比べて随分性格も最低になり果てた男だ。正直、先輩としても尊敬出来る場所が一ミリも存在しない。敬称すら躊躇われる、まるで相応しくない。
「ふぃーやっぱアイスだよなー。涼しいぜ」
「雪乃ん家だからアイスが美味い! だって名前に雪があるし」
「お前アホすぎ。アイスって雪じゃねえから」
「え!? マジ?」
同級生二人の中身のない会話には心底救われている。隠れ蓑として使いたくなかったが、彼らの話題に合わせてそれとなく相槌を打つ事で俺も隠れられている。響希であれならこれ以上誰かを巻き込みたくない、特にこういう、ちゃんと平和を満喫している同級生は。
「ま、テストの点数が良い俺からすると、アイスは味付けした雪だな」
「だろ!?」
「おいこいつカンニングしたって! こんなバカが点数取れる訳ねえ!」
響希の両親に関してはこれで無事に助けられただろうが、同時に俺以外が先輩達の情報を知る術がなくなった。現実に戻った時どのような変化が訪れるかは未知数だ。薬の性質から察するに、向こうでは『天宮泰斗は饅頭を貰った後に川で涼んだしお店で響希と岩戸丹葉の接触を回避した』という事になる。だから諸々の事情は……知らない事になって、それが結果的に両親の死を遠ざける。そうなる事を願う。
真紀さんの事も気になるが、これ以上この過去で大きく食い違った分岐を進んでしまうと収拾がつかなくなる。芽々子からも言われたばかりだ、薬をすぐに服用するなとも。この後は出来るだけ過去の行動と一致させたまま研究所に戻ってそれから帰ろう。
もし。
もし想定している方向に行かなかったらどうしよう。もう薬は使えない。自分でも嫌という程その代償を味わった。次はあれより酷くなる。そしてそれは断言してもいい、確実に死ぬと。それを思えば余計に行動するべきかどうかという気持ちにもなってくるが、これ以上やるべき事はない。不安だからって手を出しまくって後からどうにもならなくなったら悲しむのは俺じゃなくてアイツだ。
帰ろう。俺達の現実に。
現実に戻ると、空の湯船の中で芽々子に何か叫ばれていた。だが妙な事に聞こえない。叫んでいる事は分かるが、音が聞こえないのだ。その体に触れても体温を感じない。ぼんやりとした視界だけがまだ辛うじて機能している。
「―――ッ! ――――――ッ!」
芽々子が外から響希を呼んで俺の身体を運ぼうとしている。体は崩れていないものの、間もなくこれが現実における薬の副作用なのだと気づいた。今度は感覚の殆どが麻痺している。今度は響希が何か叫んでいるし、何なら頬を沢山叩かれているが反応出来ない。声は出せていると思うが、なにぶん自分の声も聞こえないから自信がない。視界の端で、何やら芽々子が『黒夢』の中身を探っている。
ワカラナイ。
作業台の上で仰向けに縛られていると、芽々子がボールペンで殴り書きしたようなメモを顔の前に近づけてきた。
『今から貴方を集中治療しないといけないから、暫く向こうに行ってて』
今から貴方を集中…………暫く…………向こうって……どこ?
「…………っ?」
また薬を打たれる! 駄目だ、薬を打つなって芽々子に言われたのにまた薬を! 違う、やめさせないと!
「………………! っっ!」
身体は動かないし、声は曖昧だし、次第に倦怠感を体が包むように満ちてきた。薬は駄目だ。約束を守らないと。なのに……どうでもいいと思う自分を、止められない。
目が、閉じていく……閉じては、駄目なのに。
「そう、目を閉じてはいけない。失礼。訂正します。最早目を閉じる必要すらなくなりつつある、が正しいですね」
女性の言葉を証明するように、俺はまだ目を閉じてはいなかった。正にその寸前で声が聞こえて―――瞬間、目が覚めたように視界が広がる。次第に薄まっていく二人の友人の姿を上書きするように、霖さんのワンピースが色濃く鮮明に映る。現実を否定し、仮想が幻の果てから浮き上がってくる。
「目を……閉じなくていい? あ、声が……」
「貴方はその薬を使いすぎました。体が仮想と現実の区別がつかなくなっている。どちらの現実にも貴方の身体は存在しようとし、消えようとしています。最早情報の制限など必要なくなるほどに、身体は時空の最果てへと飛ばされかけている。非常に由々しき事態です」
「ど、どうすればいいんですか?」
「それこそ彼女に助けを求めてみましょう。こちらの方では国津守芽々子が肉体を繋ぎとめる治療をするみたいですが、一つの現実でどうにかしようと思ってもままなりません。仮想世界の方でも、その手助けをしないと」
体はぐっと軽くなり、仮想世界故、作業台からすんなりと動けてしまう。妙な感覚だ。いつもこの使い方をする時は別の場所で目が覚めるのに、これは薬を打たれた場所からそのまま始まっている。
すっかり二人が消えた場所には、クロメアだけが残っていた。そういえば芽々子が何か漁っていたなと思い改めて中身を検めると、録音テープが入っている。雪呑で録られた音声だ、真紀さんから受け取ったのだろうか。
「貴方が死ぬ事を六無三姫は望まないでしょう。きっと力を貸してくれます。勿論、私も」
「り、霖さんも?」
「ガワを借りてるので何とも否定しがたいですね。ですが、はい。その通りです。私は元々その為に居ますからね。仮想世界の中では国津守芽々子の力は借りられませんので……こちらでは、サポートしましょう」