無転変異のアサナシア
「お前ら、テストの答案を返していくぞー。先生も暇じゃないんで一斉に返すからなー! 先にいっとくぞ、お前らよくやった! 凄いぞ!」
「せんせー。二年生の人は結局何処行ったんですか?」
「暫く戻ってこないぞー。お前らは凄いが二年生はもっと凄いからな! 学年も違えば話も入ってこないか、クラス全員まるっと留学中だ」
所詮は数日前の出来事だ、よく覚えている。この返答も、この出来事も、俺の点数も、その反応も。
「…………お、マジか!」
「うっほお! 泰斗、お前すげえな!」
「あの万年赤のお前が……俺っちは嬉しくて……!」
「いや、そんな酷くはなかったけど」
まだ俺が薬を打った回数なんて三〇も行かないからマシだが、何度も何度も何度も何度も何度も何度も同じ過去を繰り返したら頭がおかしくなるのは目に見えている。テストの点数にワクワクもしなければ、反応まで分かり切っているのだ。これから何が起きるか分かっていても楽しめる事はあるだろうが、日常というくくりにおいてそれはないと悟った。
平穏な、多くの人間が求める日常なんてのは一度しか来ないからこそ尊くて、過ぎたものを懐かしめるのは繰り返さないからだ。響希の両親の生死が関わっているから……つまらない? そんな事はない、と思う。つまらないか面白いかというよりは、緊張感の問題ではないか。
「エアコンがなくても勉強出来んだなあ」
「普段からないだろエアコンは。逆にお前らはあそことおさらばで暑いんじゃないのか?」
「そうなんだよ! この島くっそあちい! アイスでも食おうぜ。終わったらよ」
「川に足でもつけながら食べてりゃ涼しくなるぞ」
「おう! あ、そういや集会所で美味しいモン配ってるらしいぞ。何かは知らんけど、行ってみよーぜ!」
流れに身を任せて本来の過去を辿るように繰り返す。何もしなければ俺達の現実へと合流するから、想定外の改変を起こさない為には自我を出さない事が重要だ。返答が少し違うだけで変わってしまうかもしれないと思うと、ただあるがままを受け入れる。
昇降口を抜けて、停めていた自転車に足をかける。
「置いてくぞーお前ら」
「自転車なんかいつ買ったんだ?」
「響希に貰ったんだよ。まあバイト入ってた恩恵かな」
「あーバイトな。お前バイト好きだなあ。テスト終わったしまたバイト地獄なんだろ? お前たまには休めよなあ! あまりにも哀れすぎてこの仁太様がバイトを変わってやってもいいかという気にもなってくるぞ」
「……それ単にバイトを掠め取っただけじゃないか? 実家暮らしのお前達とは違って俺は一人暮らしなんだ。家賃水道光熱費諸々舐めるな。追い出されたら俺は外で暮らさなきゃいけないんだぞ」
―――えーと。
この後はどういう話の流れだったかな。思い出せるような出せないような。確か俺が喋ったような気がしなくもないが、喋ったのは向こうだったかもしれない。
「あー。そうそう。集会所な。修繕作業が辛いんだよな。誰が壊すんだよって感じでー…………壊れたらまた俺に頼みに来るのかな」
「単発バイトって奴だな。金はいいのか?」
「いや、そこまでだな。普通に雑用だからお前もやってみりゃ分かる……あー、倉庫整理とかあったらそっち優先するくらいかな」
多分、これで合っている筈だ。集会所の前には机が出されており、白い饅頭が山のように積まれている。これを食べる事に不都合はないと思うし、過去を辿るなら食べるべきなのだがやっぱり躊躇いは残っている。
『くらがりさん』は既にいないが、体内に摂取させる事で相互認識及び浸渉症状を深化させるという手口は最初から警戒していなければ確実に相手を即死させる事が出来る悪辣極まる方法だ。それこそ俺達の対処法はやり直すくらいしかない……ことあるごとにこれから怖がる事になるのだろうな、とも思った。
「どうした?」
「イヤ―――なんでもないよ」
もしそんな事するなら老人会は紛れもなく敵だが、世介中道会とやらについてはその名前が判明しただけで具体的に誰が所属しているかは分かっていない。それはやり直す中で直接確認するか、もしくは所属を示す何か物的証拠を見つける必要がある。恐らく老人会の人間は加入しているのではないかと思われるが、それも恐らくだ。推定無罪ではないが、確証もないのにあれこれ難癖をつけるのはあまり効果的とは言えない。
「……何が入ってるんだ?」
「んなもん食えば分かるだろー。去年はドロップ飴で、俺はそっちのが良かったかなー。まあまあ、美味えのは間違いないけどな!」
「分かる。俺もあれはちょ~う好きだった!」
流れは正しい。この後は饅頭の中身について軽く触れていたと思うが。
「これチョコ饅だな」
「何処で食べたら一番涼しいかな」
「涼むだけなら色々あるけど、響希のお店なんてどうだ? 扇風機はあるぞ」
「いやー扇風機つってもよお、空気が暑すぎて風が温いんだよなあ。それよりは砂浜とか川とかもっと水に近い場所にいた方が涼しいだろ」
「でもほら潮風がさ……それにチョコが沢山詰まってて、ちょっと口が甘味でしつこくなるって思わないか? 俺が居たらバイト特権で無料でお茶くらい貰えるぞ」
「おお、俺は賛成すっぞ!」
清二が味方してくれた事により、仁太はやや否定しづらい状況に。多数決で決めるルールはないが暗黙の了解はあるので目的地は本来と違って彼女のお店へと決まった。これで、後はどうなるかだ。翌日にはもう接触が終わって響希は岩戸先輩を呼んでしまうから、ここで接触してくれないと問題しかない。
放課後―――普段は夕方から夜にかけてをそう呼ぶが、テストが返ってくるその日だけは返却だけで一日が終わってしまう。だから時間帯は今回に限り真昼間だ。それがどう影響するか……想像もつかない。テスト期間の話だけなら学年に拘らず日程が食い違うような仕組みにはなっていないと思うが、真っ当に考えたら進路や大会、この島基準で考えるならポツポツと人が死んでいる状況。
「いらっしゃいませー……って、え?」
この来訪は予期していなかった、薬とは無関係に単純に客入りが少ないとみていた響希は目を丸く見開いて硬直していた。
「響希。三名様で」
「―――あー端っこの席でいい?」
トレイをお腹で抑えながらやや恥ずかしそうに案内をしてくれる。別に同級生は利用禁止じゃないが、気持ちは非常に良く分かる。言葉にするのもどうかと思われるような繊細な領域で、気まずいのだ。俺もバイトをしている時に遭遇したら似たような気持ちを味わう。特に後ろめたくも何ともないけど、ただいつもと違う自分を見られるのがなんとなく。
「お茶貰えるか? 出来ればほうじ茶とかあると助かるんだけど」
「ねえ、一応ここってお店なのよね。堂々と外から食べ物持ってきて食べてんじゃないわよ。いつからここはご自由に飲食可能になったの?」
「まあそう言わないでくれ。あー業務の邪魔だって言うなら俺が変わりに取ってくるよ。あんまり冷蔵庫勝手に開けたくないから、出来ればやりたくない」
「…………ちょいこっちに来なさい。お客さんじゃないなら接客したくないけど、私の目の前でアンタが冷蔵庫開ける分には勝手だから。監督責任みたいな? そのくらいはサービスしたげる」
よしっと座った丸椅子から早速立ち上がって厨房の方へと回っていく。二人は饅頭だけでなく、店内に入ったからには何か頼もうという気になってメニュー表を眺めていた。どうかこのままおかしな事はしないでほしい。それは後々響くかもしれないから。
「で、何で来たの?」
「…………それは、ごめんなさい」
冷蔵庫からほうじ茶を取ると、響希はわざわざ頭を下げて未来の自分の非を認めた。
「良かれと思ってやろうとしてたし、やり直せなきゃこんな事になるなんて思わなかったって二人に当たってたわね。なんとなく想像出来る。やり直せるからってアンタに早く薬使えって言う様子は」
「俺は全く想像出来なかったけど。意外だな」
「私の中に人がいるとね、どうしても客観視みたいな概念は培われてくるのよ。アレとは普段話せる訳じゃないんだけど、でもなんか、いるのは分かるから。話しかけないのはいいけど、そうしたらどうなるの? アンタには関係ない事だろうけど、そこ変えちゃったら凄い変な事起きない? 未来じゃなくて、過去なんでしょ」
「―――そうだけど、ここを変えないとお前が怒ったままだ。絶交は困る。学校に居る内に考えてみたけどあんまり有効な方法は思いつかなかった。芽々子が何かしてくれるらしいけど……もしそれも失敗しそうならこっちでやってみるよ。頼むからお前は、何もしないでほしい。現実に帰ったらもう薬を打てないみたいだからな」
「分かった。何も出来ないのは歯がゆいけど、迷惑かけたらしいしね。ほら行って。良く分かんないけど任せる」
お茶を片手に厨房から舞い戻る。手前の席に見覚えのある顔が二つ―――
岩戸先輩と、真紀さんだった。
「おいおい! こんな場所で話せってのか! 一番安全な場所で話すべきだ、いい場所がある。そこに行こうってだけの事がどうして分からない!」
「世界で一番安全な場所は私の隣だけど~、何が不満なのかな~? いいからこっちが聞いた事にだけ答えとかないと、良くない事が起こっちゃうよー? 三年生なんだからさ、立場は大事にしなよ~。おいたはだーめっとね?」
言葉は緩く、声音はほんわかと明るいが。
紛れもなく、脅迫している。