過去に駆け落ち、未来を贖う
「やらかすってのは……」
「ああ、私が生まれたのはこの島だからって話。人が怖くて逆にお化けが怖くない人間なんて異常でしょ。関わりたくないとは言ったけど、私もその人間だからね。寂しいは……寂しい」
ここまでくると無意識か癖になっているようだ。胸の下で腕を組んで、親指から衣を擦る音が聞こえる。
あの事について話してもないのに強姦に思い当たる理由が良く分かった。
逆算した訳だ、自分が岩戸丹葉に何をされたら怖いのか。人間が怖い彼女なりに信用したクラスメイトから裏切られた時の気持ちは察するに余りある。それも対人恐怖症のように本人の精神状態からくる物ではなく、この様子だと身体だけが拒否反応を示している。本人が仲良くしたいと思ってもそれに反して身体は拒絶し、理由を説明すれば人は遠ざかっていくという仕組みか。
「いっそ死んでよかったのかもね。これからも生きづらいのは間違いなかったし」
「やめてください三姫先輩。死んでいい人間なんて居ませんよ。一人もかどうかは分かりませんけど、貴方は違う筈です。俺は約束を守って必ず生き返らせます。どうやるかはまだ見当もつかないけど」
俺は雀子に抱きしめてもらうと人肌の温もりからか心が落ち着くけど、この人には著しく逆効果だろう。どんなに震えていても触らない方が良い。そんなのは有難迷惑だし、どうしてもやりたいと思うならそんなのは俺がやりたいだけで、相手の事なんか気遣ってもない。
「―――話を戻すんですけど! 外から来た人間が少ない理由は俺、真紀さんって人から聞いてますよ。『田舎は田舎でも都会にすら行く事も難しい孤島なんか行く物好きは少ない』って。嘘吐いてるかもしれないですけど」
「理由は尤もだけど、それなら人はもっと少なくない? 出る人数に対して入る人数が少なすぎる。まさか、他の大人が年がら年中子作りしてる訳でもないし。ていうかそもそもこの島、中学生以下の子が居ないからそっちの仮説もあり得ないんだけどね」
「え? あ、そういえば……」
中学校自体はあるが、高校とは正反対の方向にあるので中々様子を見に行く機会がない。知り合いの中学生くらいというと雀子だが、彼女は何処かから逃げ出したっぽいので勘定には入らない。脳内で商店街をぶらついてもみたが、確かに子供が居なかった。全然、何処にも。
「え、じゃあ何で人数が減ってない…………え? え?」
「外から定期的に人を入れてるなら納得出来るのに、それは違う。私、ここが奴らの急所になると思ってるの。奴らとは言いつつ勢力について把握してないけどね。ただ名前は知ってる。『世介中道会』。これ、死因を解き明かしてくれた前金みたいな物ね?」
世介中道会…………
芽々子はこの映像を見ている筈だ。これはかなり大きな収穫である。今までぼんやりとしか捉えられなかった勢力の形を、名前だけとは言ってもハッキリ掴めた。これは大きい。
「表情に出てる。嬉しそうね」
「え。すみません」
「可愛い所あるじゃん、一年。役に立てたなら良かったよ」
三姫先輩は口元をほんの少しだけ緩ませると、またすぐに表情を引き締めた。
「ていうかアイツ遅すぎ。まさか逃げたんじゃない?」
「未来の自分を予想しろって言うのも大概無茶苦茶な話なんで仕方ないと思いますよ。二人にとっては過去でも仮想でもなくて、現在の現実じゃないですか。逃げようったって、俺が出てきてまた入ったら二人は当時と同じ行動を取るんですよ。逃げるなんて無理です。貴方が死んでる限りは」
「…………ここが仮想だって知った上で、紅茶でも飲む? 今だけ先輩が淹れてあげましょう」
それから岩戸先輩が戻ってきたのは実に三十分以上過ぎてからの事だった。
本当に暇で仕方なかったので紅茶は三杯程飲んだし、先輩の趣味でもある手芸についていろいろと聞けてしまったくらいだ。もし生き返ったら俺の為に何か作ってくれるとの事。死人のままじゃ手は動かないからなんて死人ジョークを自分から言い出す程度には彼女が立ち直れて良かった。
「滅茶苦茶遅い。何してんの?」
「いやあだってよくわかんねえもん想定が! 俺が三姫の死体を隠すとするなら何処かってのがさあ。マジで意味わかんねえって! なんだよ未来の俺、何してんだよほんと! カス野郎! クズ!」
「これはどういう状況なんですかね」
「で、そのカス野郎さんが死体を何処に隠すのかは分かったの」
「多分だけど…………学校の化学室だと思うなあ。ほら、化学準備室って誰も入らないし、薬品触り放題だし、死体、保存すると思うんだよな俺なら」
「は? でも準備室って先生は入るじゃないですか。気づかれたらどうするんですか?」
「だからあ! 全部今の俺で考えたら色々反してるんだよ。まあまあ。落ち着けよ。待てと。俺だって悩んだけどさあ、多分だけど。やるんだよ。そんな俺なら。その、嫌われちまったからもうぶっちゃけるけど、三姫が死んだら遺体を引き取りたいとは思ってたし」
「は?」
「ごめんなさい。何でもないです」
「そこの喧嘩は後でお願いします。先生についてはどう掻い潜るんですか?」
「掻い潜らねえ! 多分未来の俺は、あっち側の仲間だ! 多分!」
「……………………」
「ねえ、嘘よね」
「……………………」
「二人とも何か言いなさいよ!」
「……世介中道会という名前が判明したのはいいけど、最悪なパターンを引いたわね。まだ確定はしてないけど。これは十分回避するに値するリスクよ」
「俺達はマークされてるって事でいいのか?」
「私お家に帰る! お父さんとお母さんが心配になってきた」
ガン、と扉にぶつかる音。休憩室の扉すらロックがかかるようだ。芽々子が何処のボタンを押したかは定かじゃない。
「開けてよ芽々子ちゃん!」
「多分、手遅れよ。天宮君の家は雀千さんが居るからどうにかなるとは思うけど、待ち伏せか、もしくは手遅れか。彼の言ってる事が本当ならね」
「死ぬ事くらい何でもないでしょ。何度も死んでるんだから!」
「薬は残り五つ。死ぬ事は構わないけど、貴方がここを出た瞬間に拠点の位置がバレるわよ。或いは既にバレているかもしれないけど……ここを制圧される事だけは認めない。薬の製造はここでしか出来ないし、彼らの側にこの薬が渡ったらお終いだから」
「やだ! そんなの知らない! 早く開けてよ! お父さん達が危ない!」
「さっき死ぬ事は何でもないって言ったじゃない」
「芽々子、やめろ。逆撫でするなって! 簡単な話だ、俺がもう一回薬を使って岩戸先輩との会話をなかった事にすればいい。そうしたら大丈夫だろ」
「…………こんな短時間に何度も摂取させたくないのだけど」
「やって!」
「響希さん。貴方、天宮君の事が大切じゃないの?」
「大切だけど、家族の方がもっと大切よ! 芽々子ちゃんには分からないでしょうね、家族なんてもういないもんね!?」
「――――――あ」
感情に身を任せて、踏み越えてはいけない一線を越えたという自覚の声。だが、一度吐いた言葉は取り消せない。それこそ薬でも使わないと、なかった事には出来ない。
「…………………ごめん」
「いいえ、貴方の発言は正しいから気にしないで。私には何も分からない。人形だから感情もない。人間でもない。それでも、私は彼が協力してくれるから生きていられるの。彼の身に危険が迫るような真似は看過出来ない。私が薬を打てるなら絶対に打たせないくらいにはね」
「も、もういいだろ二人共。薬の影響なんて今更だ。死ぬよりはずっとマシだよ。ほら、速く打ってくれ。使い方違うから何処か密室と……『黒夢』が必要か?」
「それなら浴室が空いてるわ。湯船は殆ど水受けくらいにしか使ってないけど、カーテンを引けば十分でしょ」
芽々子はソファの下から鋼鉄の鞄を蹴り出すと、俺を送り出すように手渡し、頷いた。
「一応、やるべき事を/
整理するわね。まずは二人が私に黙って行った岩戸丹/
葉との接触回避。次に彼が裏切っていたかどうかの証明。これは簡単。三/
姫さ/
んの死体が見つかればいい。恐らく先生たちは世介中道会の人間だから彼らが気づける場所に死体があれば裏切りの証明にな
/るでしょう」
「わ、分かった。分かったからもう大丈夫だ。喋らないで大丈夫…………お、お前こそ無理しないでくれ。頼む」
「…………」
薬の副作用が出ているようだ。単語単位で視界が切り替わって人形でない芽々子の顔が浮かび上がっている。目の前に座っている。星屑のような涙を流して嗚咽を漏らす彼女の顔なんて、見たくない。そう思った時にはまた元の芽々子が現れて、頭がおかしくなりそうだ」
―――次は、どうなるんだ。
頭がガンガンする。意識はハッキリしているのに眩暈を覚えているように不安定だ。でもやらないといけない。響希の両親を助ける為だ。俺は幾ら犠牲になってもいい。というか、俺しか犠牲になる事が出来ない。
浴室に入って薬を打つ準備をしていると、脱衣所の扉越しに芽々子が声を掛けてきた。
「……これ以上、壊れる貴方を見たくない。見たくないのに、私は貴方を頼らないといけない。本当にごめんなさい」
「やめろよ。俺は大丈夫だって」
「何度も同じ景色を見て、同じ人物と会話して、同じ死を見て、同じ時間を経験して壊れなかった人間はいないわ。新世界構想の資料は少ないけど、これが一体どんな目的で唱えられた構想なのか理解したくもないくらい、人間には有害な技術……ごめんなさい、向こうへ行く邪魔をして。でもお願いだから、たまには嫌だって言って頂戴。貴方が嫌って言ってくれないと、私も響希さんも頼ってしまう。ほんと、情けない話だけど……………………幸運を祈ってる」