夏の君は残滓
疑うなら両手を縛ってくれても構わないと言って、三姫先輩の家までやってきた。芽々子とは違ってここが二人の拠点らしい。俺の部屋を起点に考えれば背中側に少し上った所にそれはあって、意外に近いなと思う反面、これくらい近かったら何処かでちらっと見ているのも頷けた。
「未来から来たってよお、そんな事信じられるのか? 俺はな? 俺はそういうロマンは大好きだけど自分のとこにそんな出来事は起きないって確信してるリアリストでもあるんだ。未来からやってきたっていうのは嘘だな!」
「そんな何十年も先の未来じゃなくて、テストが終わった後くらいからです」
「だったら偽物だ! 何故ならテストはまだ終わってないからな」
「ええ……」
話が通じない。どうして三姫先輩が居る時の方が変人っぽいのだろうか。偽物であるという結論ありきの人間をどうやって説得すればいいのだろう。こういう状態を聞く耳を持たないと最初に言いだした人間は天才だ。
三姫先輩は近くの椅子を向かい合うように持ってくると、俺の目の前で足を組んで座った。
「落ち着いて。そんなのは水掛け論だから。一年、アンタ……失礼。敵じゃないのは何となくわかるから呼び方変えるね。君が未来から来た証拠を見せてほしい。何かある?」
「えっと……」
正確には俺が未来から来たというよりもここが過去なのだが、この説明をしたって言葉遊びにしか捉えられまい。どっちみち証拠を用意するのは厳しいかもしれない。だってここは仮想世界、俺の頭の中だけで作られた何の影響も及ぼさない空間だ。情報は持ち帰れるが、例えば仮にここで岩戸先輩を殺した所で現実では生きたままである。
ピシッ!
「「「え」」」
突如、部屋の壁にガラスみたいな罅が入ったかと思うと、中から扉を押し開けるように白いワンピース姿の女性が平然と中に入ってきた。最初それが誰だか分らなかった―――と言うのは語弊があるものの、目深にかぶった麦わら帽まで見てようやく声が出る。
「り、霖さん!? え、貴方も仲間だったんですか!?」
「へ? 君の方の知り合いじゃないの?」
「なんだ、化け物か!?」
どうやら全員知らないらしい。短気というか体が先に動いたというか、金属バットを構えた岩戸先輩が彼女に突っ込んだが、手ごたえはなくすり抜けた。
「少しは落ち着くべきですね。まずは誰も知らない私について説明したいところですが、その前に一つ彼の話に補足しましょう。ここは確かに過去ですが、現実ではありません。あくまでそこの―――天宮泰斗によって構築された仮想世界です」
「証拠は?」
パチンッ。
霖さんが指を鳴らすと、部屋の電気が勝手についた。全員がそれに気を取られているほんの一瞬。それだけで彼女は俺の傍に近づくと、ポケットに手を突っ込ませて耳元で囁いた。
「ここは貴方が作った貴方の世界。夢の世界に近しいモノです。仮想性侵入藥による制限は非常に緩い。貴方が現実からきた証拠をイメージして、ポケットを探ってみてください」
「イメージ…………」
つまり未来から来た証拠だ。そんな物があったかどうか考える前に試した方が良い。ここが仮想世界か否かを証明する方法はないが、ここが過去である事なら証明出来る筈だ。
ポケットから写真を取り出すと、三姫先輩の目の色が変わった。
「…………これは」
「な、なんだ? なんだなんだ? 俺にも見せてみろって…………彼氏候補であるこの俺に……」
「……この写真見てまだそんな事が言えたら、凄いよホント」
三姫先輩が写真を岩戸先輩に渡すと、彼は音もなく腰を抜かして黙り込んだ。現実での腐り方と後はここでの言動もそうだが、三姫先輩の事は本当に好きらしい。両想いかと言われたら一方はうんざりしているっぽいが、だとしても好きな事には変わりない。
好きな女子があんな惨い状態で死んでいたら、俺も同じ反応をする。
「ずばり、三姫先輩。貴方、今、妊娠してますよね」
「どうしてそう思うの?」
「これは怪異に影響を受けた時に起きる恐怖に応じた症状だと思ってます。直接殺された訳じゃない。怪異と相互認識を果たした人間は多かれ少なかれ症状を受けます。こういう死に方をしたなら、既に孕んでるかなと」
「成程。正解。君は随分詳しそうね。ひょっとして少し前まで居た、潮の匂いがする怪異を倒したのも君? だとしたら納得。これを妊娠と言うかは微妙だけど、まあこの死に方なら妊娠みたい。腹部の底に異物が入ってる感覚はある」
「おい三姫! まぐれだって! し、信じる事なんかねえよ! お前が死んだなんて……!」
「うっさい、そっちは妊娠なんて気づいてなかった癖に。何しれっと俺は気づいてたぜ感出してるの。そう、私はテストまでに死んだの。お化けよりは人間に恐怖を感じるタイプだからそんな形で死ぬ事はないと思ってた…………」
「信じてくれますか?」
「未来から来たってのは信じる。ここが仮想世界である証拠は?」
その説明は俺に求めるものではなく、隣の霖さんが証明すべき物だ。彼女は帽子を上に挙げて、俺達に両目が見えるように顔を持ち上げた。
なかった。
鼻から上の、パーツが。
「ええええええええ!」
「私は霖という人物ではありません。ここは天宮泰斗の頭の中で構築された世界。私は貴方達とも彼ともゆかりのない存在です。よって、ここで本当の姿を出す事は出来ません。見た事もない人物を記憶の中に出せと言われても難しいでしょう。よってこれは代替の姿。特に気にしないでください。この顔が証拠にならないというなら…………まあ、こんな感じで」
「―――!?」
サクっと三姫先輩の額を鉛筆が貫く。だが血は出ず、当人もぎょっと目を見開いたまま自分に起きた状況を理解しようとしていた。ここが仮想である証拠なんて出せないと思っていたが―――現実世界には死が存在する。ここを現実だと思う二人に死がない事を証明してやるというのは盲点だった。
「お、おい三姫。お前……大丈夫なのか!?」
「だいじょう、ぶ。でも…………死なない、の。血も出ない、痛くない。本当に現実じゃないんだ」
「―――こ、これ。芽々子達にはどう見えてるんだろ。状況がややこしすぎて俺もどうしたらいいか分からないんだけど」
「二人には見えていませんよ。私がハッキングを仕掛けたので現在モニタリングは不可能になっている筈です」
「え!? え!? いやいや、仮想世界って言っても俺は生きてますから! そんなパソコンの中に侵入するみたいな事って。芽々子はそんな危険性は一言も」
「言っていないでしょうね。新世界構想の資料は失われ、仮想性侵入藥の仕様は使う事でしか判明しない。国津守芽々子にこの脆弱性を理解するのは難しいと思います」
霖さん(姿形はそうなので便宜上)は再び麦わら帽を目深に被ると、俺に向かって深々とお辞儀をした。
「初めまして。私は新世界構想の提唱者です」
ここが仮想世界である事と、俺が未来からやってきた事。二つを二人に信じさせる事が出来たら話はスムーズに進む。腕の拘束も意味はないという事で解いてもらった。ずっと縛られていたせいか、手首に違和感が残っている。
「二人はモニタリング出来ないのに俺を起こさないんですか?」
「起こす方法がないですね。私が介入している限りはずっと。どうしてこんな事をする必要があったのかはまた後で。今は本来の目的を進めてください」
「どうして死んだ私の所に来たかって事。丹葉は生きてるんでしょ。彼に協力を頼めばいい」
「それが……三姫先輩が死んだせいで心が折れたみたいで、話はしてくれたんですけど協力は出来なくて。俺を巻き込むなって言う感じというか、なんか……死にたくないって感情が先行してて。いや、それは当たり前なんですけどね!」
俺だって死にたくない。死にたくないけど、死にたくないからこそ戦っている。芽々子もそうだ。死にたくないから俺を頼ってきた。その気持ちだけは同じだと分かっているから丹葉先輩をやいやい責める気にはなれない。俺も芽々子と響希が死んだら………………まだ立ち上がれるだろうか。
「丹葉。言い分は?」
「あー……お前が死んだら確かにやる気なくなるかも。でも俺にしてはなんか、変だと思うな。話すのも嫌ってのはまあ……でも、うーん。もっと協力的になると思うんだよなあ、常日頃連携とは行かなくても、電話には出るくらいのさ」
「そ。事情は大体把握した。自分達と同じくらい知ってそうだから情報を手に入れたかったけど、私が死んでてこいつが腐ってるからこんな手段に出るしかなかったって訳。質問。仮想性侵入藥とやらの話は聞いたけど、現実を変えられる方の用法はどうして使わなかったの? それなら私も死ななかったかもしれない」
「この時、丁度俺達はテスト勉強で二年生の人に招待されて離れの屋敷で勉強してたんです。あ、俺達っていうかほとんどのクラスメイトですね。でも二年生は全員偽物で、俺達を全滅させる為の罠でした。だからそっちを使って二人に会いに行ってしまうと、代わりにクラスメイトが全滅すると言いますか……」
「そ。私も逆の立場ならそうするかな。協力するのは吝かじゃないよ、君の胆力というか行動力というか―――そういう所、結構好きだから。ただこの仮想世界は現実に何の影響も与えないんでしょ? 今回は情報提供出来るけど、今後はどうするつもり? まさか何度も同じように私達を探してまた事情を説明する?」
出来るかどうかで言えば可能かもしれないが、次も霖さんが介入してくれるとは限らない。彼女は新世界構想の開発者を自称しているが、モニターの方は通信障害が起きたように暗転しているそうだから芽々子も対策を講じてくる筈だ。俺は彼女に嘘を吐きたくないから、帰ったら事情を話すつもりである。そうなった時、果たしてもう一度侵入は可能なのか。
あくびを噛み殺している三姫先輩の顔は、どちらかというと霖さんの方へと向いていた。
「……では六無さん。ここが二人の拠点というなら、いつ何時、緊急時を除いて絶対に触る場所はありますか?」
「それなら、必ず鍵を閉めるから玄関のドアノブは触る」
「ではこういう方法で」
霖さんがドアノブの上に円錐のクリスタルを置くと、それは何の動力もなしにふわりと浮き上がって、家の天井へと吸い込まれていった。
「所謂チェックポイントです。ここまでの流れを記録した媒体をセットしました。ドアノブに触れる度に更新され、彼の存在の有無を問いません。これなら家に帰った瞬間にこの事を思い出し、スムーズに関係は構築されるでしょう」
「仮想性侵入藥って便利ね。私も使えたら、死ななかったのかな」
恐怖はなく、だが確かな悔いは窺える。芽々子と違って無表情ではない。三姫先輩は単に―――疲れているのだろう。
「おい。現実の俺に渡す事って出来ないのか? 腑抜けてるっていうけど、三姫の事なら絶対にやる気になるぞ!」
「三姫先輩が症状で殺されたとするなら、隣に居た貴方も影響は受けてる筈です。この薬は……影響を受けた人間が使うと危ないらしいです。俺はほら……」
袖をまくって、球体関節を見せつける。
「四肢が人形なので、多少はマシってだけで」
「ちっ。マジかよ……」
好きな人の目がなければその辺りに蹴りでも入れそうな様子を尻目に、三姫先輩は立ち上がって俺に手を伸ばした。
「じゃ、協力しましょ。私はもう死んでるみたいだし、それなら亡霊として後輩を助けるべきだと思った」
「すみません。体よく使ってるみたいで。幾ら現実を変えられても、ここまで複雑に人の生死が絡んでると無理な事ってどうしても」
「不可能ではないですよ」
握手をした直後、水を差すような霖さんの一言。二人して顔を見合わせ、振り返る。
「はい?」
「私が新世界構想を提唱したのは、幸せになってほしい人が居たからです。その構想から発展した仮想性侵入藥にも同じく不可能はない。要因を取り除く準備が出来たら、ですが」
今度は視線が交錯する。三姫先輩は今までの悲しそうな微笑みをやめて口元を引き締めると、俺を不意に―――抱きしめた。
「うええぐっ………むふ、ふ」
「うおおおい! 三姫! どした!? 急にどした抱き着いてどした!?」
「どうあがいても手遅れって諦めてたのに、生きる望みが湧いたんだからこれくらいいいでしょ。この一年は私の希望なの。アンタは黙ってて」
真紀さんと同じかそれ以上の渓谷に呼吸と視界を塞がれてどうする事も出来ない。こんな柔らかさを想定出来るなんて俺は何処で感触を覚えた。そんな、だれかれ構わず胸を触るような変態になった覚えはないし、そんな縁もないのに。
「―――気が変わった。協力してもいいけど、その前に私の死因を探って。やっぱりお化けを怖がって死んだとは思えない。」
誰にも聞こえないような声で、ぽつり。
「な、なんで」
「私がこれまで生き残ってこれたのはお化けに恐怖を抱けなかったから。それ以外は別に普通の人間だと思うけど、お化けだけは怖いと思えなくてね。対峙してもね。だから………調べて。玄関のスペアキーの場所は教えとくから、現実で、ね」