介世島の秘密
少し状況を整理しよう。
岩戸丹葉という男はこの島に対するおかしな状況を把握していた。三年生という立場から或いは俺達の見えていない視点からも把握していて、バカとして振舞う程度には余裕もあるように見える。
だが致命的な事に、彼には対処する気そのものがないようだった。
態度を見ているとそう感じる。それにここまで知っていて行動しているなら芽々子がマークしていない筈がない。
「岩戸先輩。貴方はそこまで知っていて、何もしようとしないんですか?」
「ん?」
「人が消える前の共通の兆候とかこの島の奇妙な労働事情について知っているとか、俺達にとっては有難い事ばかりです。でもよく考えたら貴方にはそれに対処するつもりがないみたいに思える。だって響希のなんとなくで選ばれなかったら俺達は三年生もみんな全滅してるモンだと思ってましたから」
「おお、おお。だがその認識はあんまし間違ってないな。三年生になってみんな変わっちまったよ。進学と就職が忙しくなって顔つきが変わる……だったら良かったんだがな。なあ後輩諸君、共同体ってのは……クラスってのは、やっぱ繋がりがあるもんだと思わないか?」
「……何言ってんのこの人。アンタ分かる?」
「クラス全体で繋がりがあるかって事だろ。そりゃ勿論ありますとも。流石に人口が少なすぎる、実際は違ってもみんなほんのり親戚みたいな感じじゃないですか。三年生は違うんですか?」
「…………今は違うな」
化学室の机に突っ伏すと、岩戸先輩は顔を隠すように反対側を向いた。
「個人の集いさ。仲良しの友達が居たらそいつとは繋がるけど、他の奴はどうでもいいって感じだ。揃わない事も、消えていく事も、殆どの奴にとっては気にすべき事じゃなくなった。みんな最初からそんな奴はいなかったみたいに振舞う。おかしいだろって思うか? 俺だけはそう思ってるよ。でもなあ、言えねえよ」
嗚咽交じりの吐露に微塵も冗談は感じられず、おかしなテンションの乱高下は下がる一方になってきた。響希はやっぱりどうしていいか分からず困惑している。余程ご飯を食べに来た時の姿とは違っているようだ。
「言ったら次は俺だ。言わなくてもその内順番は回ってくるのに自ら死にに行くのか? …………俺にそんな度胸はない。出来るのは何も知らないフリをして出来るだけ被害を受けまいと一秒でも自分の人生を伸ばす事だけだ」
「どうせ死ぬなら、やるだけやってみようって考えは…………」
「同じ事を言った奴は死んだよ……………………どうせ死ぬなら楽に死にたい。苦しみたくない。あんな顔を見たら」
どうやら、と総括するまでもない。薄々感づいていた事だがこの人はすっかり心が折れている。何があったかなんて所詮は学年の違う俺達には知る由もないが、仮想性侵入藥なんて便利な物がないまま俺達と似た危機に直面したと考えたら想像しやすい。もし同じ立場で同じ状況だったら、もうとっくに俺達も全滅している。
芽々子が居てくれたから、良かっただけだ。
岩戸先輩のクラスには、芽々子が居なかった。ただそれだけの違い、か。
「だから! 俺は悩むのをやめた! 頼ってくれたからには勿論答えるが、俺自身は何もしたくない! 本来話すのも嫌だったが、割引してくれるって言うから話したんだ! だからほら、細心の注意を払ってるだろ。誰かに聞かれちゃ困る会話はこれくらい慎重であるべきだ。な?」
「………………岩戸先輩。貴方がそうなった理由の一番の原因は誰ですか?」
「そりゃ何たって彼女だな! アイツは正義感の強い奴だった、俺と違和感を覚えた時、なんとしても解決しようって躍起になったもんだ。勿論、潜伏する形でな。後輩諸君、聞くが信頼してた奴が一番惨い死に方をした時、その心はまだ平静を保ってられるか。志を継ごうなんて殊勝な事は言えるか?」
そう言って、彼は一枚の画像を俺達に見せてくれた。何が起こったかなんて知りたくもない。特に響希は―――殆ど条件反射で椅子から飛びのいてしまった。
学生服を着た女子が、変わり果てた姿で死亡している。
産褥死、という奴か。誰からもそう思える形でぬいぐるみの手足が身体から生まれている。大きく膨らんだお腹の中にはまだ異物が残っているのだろうか。口にくまのぬいぐるみが詰まっているが、直接的な死因には思えない。少なくとも死ぬ直前までこの女子は泣いていた。
「…………っ!」
惨さにも分類がある。俺は原型を留めない死体には見慣れていても、間際の感情が見える死体には耐性がなかった。科学室の水道に色々ぶちまけてしまう。さっきまで食べていた事が裏目に出ていた。
「…………! ……………ぉえ。もういい。もういいです! 夢に出そうだ!」
「何……………………………いま、の」
「な、言えないだろ! 俺もそういう事だよ! 頼りない先輩だと笑え。馬鹿にしてくれ。もう十分だこんなのは! もし俺に協力を求めたかったら少なくともテストまでに接触するべきだったな! 話は終わりだ、俺は帰るぞ。俺からの情報は有効活用してくれ。俺は酷い奴だ、お前らが死んだって何とも思わん。じゃあな!」
「泰斗。今更だけどどうすんの?」
「具体性がないけど、言いたい事は分かる。薬を使って戻ればあの人も仲間になってくれるんじゃって思ってるんだろ」
響希が進路相談室のファイル棚を漁っている間に俺は南京錠のロックを総当たりで解除している所だ。彼女の浸渉を使えばいいかもしれないが、ここには簡単に出血出来るモノも液体もない。昼休みは残り僅か。奇跡に賭けた方が期待値も高いのだ。
「芽々子に相談してみるけどそれ次第だ。これまで怪異と対決する時、あくまで以前の奴と戦ってた時には戻らないようにしてた。『仮想性侵入藥』で過去に戻るにしろ未来へ行くにしろ、死んだらそれまでなのにリスクは侵せない。怪異は時間に対して不可逆で一度倒したら薬を使っても出てこないなんて言われてないしな。普通に考えたらもう一度戦う羽目になる。テスト期間中は『くらがりさん』……じゃない『ひそみしつ』と戦ってた。俺が先輩を救うのはいいけど、そうしたら今度は」
「…………でもあんな死に方、あんまりじゃない」
「俺もそう思うけど、もう一度戦いたいなんて俺は思わないよ。それに……あれが直接殺されたならいいかもしれないが、浸渉だったらもっと話が複雑になる。お前にも無関係じゃないから話しておくか。実は昨日真紀さんと話してさ―――」
昨日あった事を全て響希に話すと、彼女は驚いたように手を止めて、わざわざこちらを見て首を傾げた。
「あの人、何なの?」
「俺も分からないけど悪い人じゃない。ただ事情があって、先輩みたいに意欲的じゃないんだ。お前もくれぐれも気を付けてくれ。丑三つ時云々、前はもっと早くからそうだったとか言ってるけど。あの時間帯は丑三つ時よりも遥か前だからお前も被害を被る可能性がある。普通の夜にも少なからず徘徊してるって事だからな」
「私の家が食事処やってるの知っててそんな事言ってる? お客さんとして入ってこないのを願うばかりなんですけど。ていうかそいつもぬいぐるみなの? まさか同じ怪異?」
「可能性は正直あると思うな。怖がり方なんて人それぞれだし、浸渉症状が全く同一の変化ばかりなんて考えにくいよ。直接殺したかどうかの違いかもしんないけどさ」
「しかもバーベキューしてた時って……見てたなら助けてほしかったんですけど。疑問ばっかり湧くわね、その発言。あれのせいじゃないけど、私、海で泳ぐのちょっと怖くなったのよ?」
あれのせいだろ。
そういいたいのをぐっと堪えるのが大人。
「今日、泳ぐか?」
「え?」
「芽々子とショッピング行くけど、夜に三人でさ。俺と芽々子なら肩のそれを気にする必要もない。俺も四肢を気にせず今度はきちんと水着着るよ」
「仕事は?」
「あれって朝までに終わってればいいからな。遊ぶ時間くらい全然作れるぞ」
お気楽な奴、と呆れられたが響希は満更でもなさそうに笑っている。直接口には出さないが、彼女のこういう笑顔が仕事のモチベーションになっている節があった。家でバイトしてる時は特に。
「ま、泳いでやらなくもないかな。暫く私の水着姿は、アンタと芽々子ちゃんにしか見せられないし。見惚れてくれちゃってもいいわよ?」
「お、おう……………………はい」
「ちょっと本気で照れないでよ!? 冗談めかしたつもりだったのにこっちまで恥ずかしくなるから!」