鏡の中の現実
考えてみれば当たり前の結論。二年生は既に全員が偽物になっていたから狙われたのは俺達だった。偽物をそれ以上狙う必要はなく、ないから離れの屋敷に俺達を隔離した。いざという時に助けを求められないように。
『…………なあ、響希。眠れるか?』
『眠れないわよ。テストが近いからって言いたいけどね。あんな事があったんじゃ……どうしてもね』
何が起きるか分からないと言われたので、テストが終わるまで俺達は芽々子の拠点とする地下室に顔を出すようになった。特に響希は住居がハッキリしているのでいつ何が起きるか分かったものじゃない。俺の方は雀子が隠れているお陰で仮に襲撃者が来ても彼女が対処してくれると信じて現状籠城する気はなかった。しかし携帯が繋がっているという事は入り口付近で電波を拾っているのだろうか。
『せんぱ︺╲▁い? ボクを差し置いて誰と連絡してるの?」
「雀子。お前を追ってくる何かについては大丈夫か?」
うん、問題なさそう。何でここが大丈夫なのかは全く分からないけど……それよりどうかな? 今日のご飯、美味しかった?」
「ちょっと前まで働いて帰ってきたらすぐ寝てるみたいな生活だったし、雀子みたいに美味しい料理作れる人が居ると生活レベルが上がった感じはしてる。美味しかったよ」
「…………っ! へっへ▔︺ん! ボク、凄いんだ!」
どやあと偉そうに胸を張る程の事でもないが、尻尾を犬みたいに振るのは可愛いよりも先に危ないという感想が先に来てしまう。あんなに太くて長い尻尾はもう尻尾というよりは鞭だ。部屋中を暴れ回るだけでもう追い出される勢いでメチャメチャになる。確かに料理はおいしいし俺も物理的な側面から守ってもらっている手前強気に言えないが、いつもいつも足元を疎かにすると転びそうになるのだけは勘弁。配線が張り巡らされているのは芽々子の研究所も一緒だが、流石に大きさが違ってくる。
「せんぱい、眠れないの? やっぱりテスト?」
「いや、お前……頼ったんだから少しは分かってくれてると思ってたよ。なんか怪異と遭遇しちゃってさ。そんなつもりは全くなかったんだけど生き残るのに必死で……生き残ったけど、また問題が山積みでさ」
「ふ▁︹_ん」
「興味ないか?」
「ボクを頼らないって事は、どうしようもないんじゃないの。せんぱいの事は助けたいけど、迷惑をかけたくないからさ」
雀子は喋り方こそ何処か幼いが、気遣いという概念に大した理解があるようだ。別に首を突っ込んだからって迷惑な訳じゃない。全く迷惑をかけないというのは人間が生活を送る上で不可能だ。ありとあらゆる人間が少なくない回数迷惑をかけて生きている。
プルルルルル。
「お?」
「ん……?」
電話がかかってきた。雀子が自分の尻尾を避けてベッドまで近寄ってくると、四つん這いになって近づいてくる。電話をかけてきたのは芽々子だが……通信を傍受されたりしないのだろうか。
まあ、都合が悪いなら薬を使えばいいと思うけど。
『もしもし?』
『天宮君、ちょっといいかしら。グループ通話で伝えたい事があるの。響希さんは隣に居るわ』
『いいけど…………雀子、悪いけどカメラの外に出てくれないか? お前が映ってるとお前の事を話して本筋が逸れそうだ』
「え▔︺? ちょっと気になるのに。じゃあボクはここにいるねっ」
出来るだけ盗み聞きしたいという野次馬根性は伝わった。雀子は俺の足の間にちょこんと座って会話を今か今かと待つ姿勢。お風呂にも入る関係上着替えるのは仕方ないが、今は俺の服を着ており見事にサイズが合っていない。
服装が乱れているみたいで、イケない事をした気分だ。
『……んんっ。もう大丈夫だ。いいぞ』
形態の画面がテレビに代わって三人の顔が映りこむ。背景からして芽々子は入り口を開けて電波を拾い、響希は風の音から多分外で布か何かを被っているようだ。殺風景すぎて一瞬虚無に閉じ込められているかと思った。
『この、何なの? テスト勉強するまでは家に居て、寝る時だけ移動する感じ。私は自分の家で満足に眠れないんですけど』
『まあ一休みするならいいけどやっぱり寝るならベッドってのは分かるよ』
『ごめんなさい。ベッドを搬入する暇はなかったの。今度出来るだけクッションや毛布を買っておくからそれで我慢して』
『それだったら私が買うから! 文句みたいになっちゃってごめんなさい。それで、私はとんでもない事を聞かされてビクビクしながらテストを無事終わらせた訳なんだけど、その報告でしょ? 良い知らせが欲しいわ』
そう、テストは無事に終わった。
二年生の死はまるで告知されておらず、ある日突然二年生が登校しなくなったというだけ。担任は『テストでいい点数を取れれば別に何をしていても関係ない』として話を打ち切って、助かったクラスメイト達はそれで納得してしまった。
無事で済まなかったクラスメイトについては……今更言うまでもあるまい。柳木の時と同じだ。テストをすっぽかせるなんて、とみんな羨ましがっていた。それ自体もおかしな事だが、ともかくまずは芽々子の話を聞こう。
『……そうね。じゃあまずはどうして襲われた筈のみんなが何事もなかったような顔をしているのかを話しましょうか』
『一番気になる事ね。三つ顔の濡れ男? の時は皆を遠ざけてたんだからいいけど、今度はダイレクトに巻き込まれたわよね………………死んだ奴の事なんか気にも留めないで、何であんな反応をしたの?』
『すばり、記憶出来ないのよ』
…………。
『は?』
声を出したのは響希だが、気持ちは俺も同じだった。そんな痴呆か記憶障害みたいな事があり得るのだろうか。元々病気とか後遺症とかなら仕方ないと思うが、同時多発的に、そこまで都合よく?
『死んだ人達の死体を黒夢に取り込んで分析させたところ、彼らの体内には恐怖を著しく忘れやすいようにする処置が施されていた。医学的な話……ではないわよ。現代はね』
『なんじゃそりゃ。お前みたいに恐怖を感じないって事か?』
『恐怖を感じない訳ではない。怖いのが苦手な人も得意な人も、恐怖を感じる瞬間に直面して時間が経つとその事自体を思い出せなくなるのよ。勿論例外はある。浸渉を受ければ引き続き記憶されるわ。あれは恐怖のタトゥーみたいな物だから……理屈では納得してくれると思うけど』
『私は三つ顔の濡れ男に受けたから忘れないって訳ね。いいけど、なんか最悪。ひょっとして今まで誰が死んでもみんな気にしないでまた引っ越しかーって楽観的なのってそんな理由だったりする?』
『今までがそうだった、という蓄積込みでその可能性は高いわ。人は痛みを伴わなきゃ覚えない……失敗とか、後悔とかね。その伴う筈の痛みを簡単に忘れられるようになったら学ばないという事よ。周りがどんな不審な消え方をしても、何なら目の前で死んでも……それは気のせいだったと言われるだけでもう現実味がなくなってしまう』
『そんな……』
にわかには信じられる話ではない。しかしその信じられない話に何度俺達が苦しめられたか。何度死んだか。何度死ぬような思いをしたか。響希に至っては有難くもない能力まで受けている。芽々子の話を今更疑うのは俺達に不可能だった。
『そして二年生が全員偽物だった事から考えて、三年生も似たような状態の可能性も一気にあがったわ。『潜失』は消えたけど、油断は出来ない。私達は狙って全滅させられかけた。それが何を意味するか分かる? 意図して怪異をぶつけてる誰かが居る。そろそろ向き合う必要があるかもね』
『私達のクラスに潜む、スパイに』