君の世界 僕の行く末
夢を見た。
蝶であるのか人であるのか、はたまたこの身は人形であるのか。
『貴方は選ばれたのです国津守芽々子。その身は正に器と呼ぶに相応しい。貴方の存在が科学を進歩させるでしょう」』
『ふざけるな…………私をこんな風にしたのは誰だよ。こんな体にしたのは誰だって言ってんだよ!』
生身の体が削られていく。不要とばかりに腕を、足を、その衣服を。人類の尊厳を悉く辱めるように目の前で処分していく。ゴミのように捨てられる自分の身体を見ている事しか出来ない。
『素晴らしいです。これが怪異の力なのですね。本来人間が生きていくに必要な条件を満たしていないにも拘らず貴方は生きている。奇跡と言うしかない』
―――――――――――――――――――――
『お母さん…………何処……?』
『私の家族を返してよ! 私の…………私の…………』
『引っ越してなんかない! みんな嘘つきだ!』
黒髪の少女が泣いていた。
変わり果てた姿となった家族に寄り添い、涙を流す。目の前の家族がそれだと信じたくない、だけど信じてしまうしかない。死んだ事実さえなくなって何事もなく訪れる日常を彼女は許せなかった。犠牲の上にある平和に一体どんな意味がある。誰が回しているかも分からないルーレットにどうして勝手に命がかかっている。
『私が……倒さなきゃ。全員…………じゃないとみんな死んじゃう……!』
さりとてここには手がかりがない。
噂がない。対処が伝わっていない。彼女に許される抵抗は選び直す事だけだった。一度しかできない選択を、片方しか出来ない選択を全て選ぶ。本来同時に選べない選択を選ぶ事で未知の結果が生まれると信じた。
『めーちゃん。だいじょぶ?』
『…………大丈夫。大丈夫よ。それよりまた死んだでしょ。食べさせて…………私が暴れても、無理やり呑み込ませるの。お願い」
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「近くにある一番暗い場所って…………こういう事だろ!」
探しやすいように扉を開けてくれたんじゃない。あれは『くらがりさん』の本質を突いたヒントだった。扉を閉めてもう一度密室を作ればいい。そうしたら光が遮られてそこが一番暗い場所になる。
手には、見覚えのない一粒の白い飴玉。俗にハッカ飴と呼ばれる癖の強い味だ。
俺はこんな物を手に入れた覚えはない。
だけど今持っているという事は、必要という事だ。飴を暗闇の中にひょいと投げ入れ、言われた通りに言葉を紡ぐ。
「もう暗いから、お家に帰ろう。…………また遊んであげるからさ」
「…………」
暗闇に手を伸ばす。そこに何かが居るとは思わないけど、いるならきっと答えが返ってくると信じて。指を握るような、小さな感触。
」ほんと?「
「うん、また」
ひんやりと手に乗った雪解けのような感触は人間のそれではない。目を凝らしても何も見えず、耳を澄ましても何も聞こえない。在るのはただ、そこにいるという確信と、ただ一つの証明となる触感だけ。
」あげる「
それだけ言って、手の中に重なっていた感触は音もたてずに消えてしまった。直後に屋敷全体の電気が点いたかと思うと―――いつの間にか剥がれていた扉が全て元に戻っていた。
――――――おわ、た………っ、のか?
実感が湧かない。だけど出入り口は全て封鎖を解除されていつでも抜け出せる状態になっている。あんなに暴れていた無機物もすっかり食欲を失って落ち着いている。電気が点いた事で食い荒らされたクラスメイトの死体がそこら中に転がっていると分かったが、上を見て歩けば辛くない。
「……………………」
外に出ると、響希が座り込んで気を失ったクラスメイトを心配そうに覗き込んでいる所に遭遇した。
「雪乃……あ、いや響希」
「…………………記憶がない」
「ん?」
「私はアイツに変わった気がするんだけど、気づいたら芽々子ちゃんの体の中に居たわ! なにこれ、どういう事? 訳が分からないのに身体だけが何となくやりたい事分かってて、私の身体と芽々子ちゃんが殺されそうだからとにかく必死で……もしかしてこれが、薬の力なの? アンタが未来を変えた?」
「俺だけの力じゃどうにもならなかったけどな…………うっかり黒夢を持ってこなかったから芽々子みたいに破壊は出来てないと思うけど、間違いなく解決はした筈だ」
これが証拠になるかは分からないけど、と掌に残っていた犬のぬいぐるみを差し出してみる。耳も頭も丸く手足の短い犬は、もしかすると熊か何かと勘違いする人だっているかもしれない。
響希は何かを思い出したようにクラスメイトを見遣る。特に女性に触る方が抵抗がないのだろう、直視は憚られたが、身体の何処にも浸渉の痕跡が残っていない事には気が付いた。
「これ……消えたの? 私みたいに体を隠す必要はないの?」
「その筈だと思う……まさかこうなるとは思ってなかったけど、理屈で考えたらそうなるのかな?」
実際問題、都合が良い。これでクラスメイト全員にそんな奇妙な痕が残ろうものなら全員まとめて検査する事になって俺と芽々子の立場が危うくなる。特に相手方の勢力は……正直名前をつけられないくらいあやふやなのでこういうしかないとして……芽々子を探しているから、彼女だけは捕まえさせたくない。
「…………そういえば芽々子は?」
「あー……それ聞いちゃう?」
響希は母屋の方を指さすと、頭を振って呟いた。
「生存者の確認をしてるとこ。私のこの浸渉? がね。こっちの屋敷にあった水をシャワーにして浄化槽に突っ込んで遠隔で中に居る二年生を皆殺しにしようとしたの」
「―――は!?」
「で、外に逃げてきた人も逃がさないようにさっきまでシャワーを上からかけて家に雨を降らせてたみたいになってたんだけど、全然動きがなくてね。それで様子を見に行ったみたい」
「いや、それよりも『くらがりさん』を使って逆襲しようなんて……」
確かに活性化はしていただろう。響希が介入しなかったら恐らく中の人間は全滅していた。だけどそれは……怪異に人殺しの責任を擦り付けているだけというか。効率が良くても道徳的には…………こんな事を言い出したらキリがないけど。
薬を使って過去と未来を勝手に変えるのはどうなのか、とか。
「様子を見に行ってくるよ。お前はみんなの容態を見ててくれ。大丈夫って聞いてたけど万が一はあるかもしれないからな」
向こうの屋敷が静まり返っているのは眠っているだけだと思っていた。話が違うというなら確認するべきだ。芽々子もそんな動機ならすぐに帰ってくるだろうし、そうじゃないなら何かまた巻き込まれたかも……
どんっ。
「うおっ」
「ん。天宮君」
丁度玄関をすれ違えないで体をぶつけてしまった。俺が閉じ込められている内に首は付け直したのだろうか。元に戻っている。顔を見ると、側頭部の辺りがズキンと痛んだ。
「中は…………全員死んでたのか?」
「死んでた…………ええ、そうね」
「最初から、全員偽物だったわ」