例えばここで目覚めたなら
焼却炉に鍵がかかっているのは薬を使う前からそうだが、最初は疑問に思う余地がなかった。しかし無機物に食欲を与える力を知った今ではわざわざ行動に制限をかけるような施錠がある事に疑問しかなかった。
それとなく芽々子に屋敷全体を見てもらってから焼却炉に行かせると、なんとこの屋敷には焼却炉以外に鍵がかかっている場所がなかった。
「これ、ますます怪しくない? これ見よがしって程でもないけど鍵がかかってるの不自然よね」
「それより不自然なのは、本来排ガスを出す筈の煙突が見当たらない事ね。まさか部屋の中に接続されてる訳でもないし……『潜失の性質を考慮すると屋敷全体に食料が生き渡るような場所―――つまりこの屋敷における口の役割を渡すと考えられないかしら」
「じゃあ鍵を開ける?」
「鍵なんてないけど」
「俺の未来にも鍵はなかったよ……探そうともしてなかったけど、この家が意思を持ってるって考えると見つけられないと思う。三並先輩が同級生を招いてる母屋の方は……分からないけど」
鍵を壊す技術があったとして、果たして素直に壊れてくれるだろうか。俺が三並先輩の話を出すと、流れは自然とそちらに傾いてくる。
「三並先輩ね…………まあ怪しくても不思議じゃない人だと思うわよ」
「知ってるのか?」
「まあ、イケメンって有名だから。女子にだけ異様に優しいって話もあるけど、多分年下には興味ないんじゃないかしら。粉かけられたって聞かないし」
「…………それで怪しいって?」
「……昔は疑問に思わなかったけど、三並先輩の屋敷に呼び出された人は近日中に絶対引っ越すのよ。私があ、アンタ呼んだみたいに、マンツーマンの状況は特にね」
幾らなんでも疑い方が可哀想だと思ったが、それなら納得だ。引っ越す事は誰も不審に思わないだけで、最初から唯一あまりにも露骨な異変である。芽々子が俺に話を信じさせる時も、柳木が引っ越し扱いになった所から始まっている。
「芽々子は何か知らないのか?」
「私は特に。でも女子にだけ優しい人が新原君の頼みを引き受けて屋敷を貸してくれるなんてやっぱりおかしいわね。これだけなら無理筋の疑問だけど、天宮君の未来を前提に考えたら筋も通ってしまう。私達は代理の食糧か何かにされたのではないかとね」
「何それ。滅茶ムカつくんだけど。その屋敷にカチコミかけましょうよカチコミ! 黙って食べられるくらいならぶっ飛ばした方が話が早いわ!」
響希は拳を掌に突くとボキボキ音を鳴らして唸る拳を今にも炸裂させようとしている。その気概は立派だけど、ぶっ飛ばすだけだと事態が悪化するだけだ。やるなら殺すまで行かないと……勿論、俺や彼女にそんな勇気はないのだが。漫画の文脈で殴り飛ばした所で事態は好転しない。反省したかと怒鳴り散らした所で目を付けられるだけ。
「待ってくれ。母屋の方は何にも情報がないし、そんな危ない思想があるかもしれないなら猶更考えなしに突っ込めない。焼却炉が口かどうかは実際開けてみて考えればいい。響希、お前ならそれが出来るだろ」
「え?」
「人格の交換だよ。出来るんだろ」
雪乃という名前は便宜上なのでここでその名前は使えない。だが言わんとしている事は分かる筈だ。彼女は顔を真っ赤にして自分の体を抱きしめると、ベッドの隅っこまで逃げてしまった。
「な、何でその事知ってんの!? 変態! 見たの!?」
「いや、未来で見たから」
「やっぱり見た! 変態すぎ!」
「どういう意味だよ! お前が見せてくれたからだろ! 一定量の血を流したらだろ? しかも体に水を被るだけで勝手に血が出るようになってる」
「未来の私って痴女なの!? な、何で教えるのよホント…………ていうか、知ってるなら役に立たない事くらい知ってるでしょ? 代わっても鍵を開ける技術なんか生まれないし」
「だって人格変わったらお前の人格は血液の方に移動するんだろ。意思ある器物、つまり人格を持った無機物は『ひそみしつ』の影響を受けないんだ。鍵をお前に浸すかお前を鍵穴の中に入れたら勝手に開けないかな?」
「さ、さいってい。アンタがそんな奴なんて思わなかった……」
「雪乃。そういうのいいから早く頼む」
芽々子の手引きを受けて離れの屋敷にやってきた。母屋と離れている最大の利点、それは三並先輩が仮に悪者だったとしても今度ばかりは関与する余地がないという事だ。勿論離れているから助けも来ないが、未来では邪魔も来なかった。屋敷の中で生活するクラスメイトさえ欺ければ侵入は容易だ。
「私は未来じゃそういう風に呼ばれてんのか。別に呼び方なんて何でもいいけどな。それより血を鍵穴にってこんな感じでいいのか。
瓶の蓋を開けて鍵穴を上に、そこから流し込むスタイルは正しいのだろうか。どれくらい流し込むべきかは正直判断がつかないし、回収する方法も特に思いついていない。ただ、雪乃がその方法は大丈夫と言っていたから信じた。
「まさか交代した私じゃなくて体を失ったコイツが活躍するなんて思わねえよ。ちっと退屈だけど、私は暴力専門だしな。こういうのは別に任せてもいい」
「血液に追いやられた人格がどういう動きをするのか素直に興味があるけど、そもそも自発的に動かせるのかしら。後で協力してもらおうかな」
暫く、待つ。血液となった響希から返事が返ってくる事はない(血液に口なんてないだろう)ので気長に待ってみないと結果が分からない。ふとした思い付きで言ってみたが、これが駄目なら駄目でもっと確実なプランだって用意している。雀子の尻尾で破壊してもらうのだ。あんなに鋭利で太い尻尾なら鍵の一つくらい壊せるだろう。
暫く風の鳴く音に耳を澄ませているとカチャンとナンバー式の錠前が外れてその場に落ちる。中から血が噴き出してきたので雪乃が拾い上げて、瓶に全てを戻した。
「ピッキングをするよりもずっと確実に開錠出来るわね。お手柄よ響希さん。とりあえず中を見てみましょう。何か有効策になる物があれば…………」
「―――どうした?」
芽々子の沈黙が気になって、上から雪乃が顔を覗かせる。そちらはそちらでまた黙ったので、二人の顔の間から俺も中を覗き込んだ。
食道だ。
食道。食物が胃に送り込まれるときに通過する管状のアレ。焼却炉に偽装されたその内装は疑いようもなく肉で出来ているし、触ると粘膜という奴だろうベタベタした感触がする。
……食道。
これは、何とも言葉にしがたい衝撃と、形容しがたい恐怖と、どう驚けばいいのか分からない困惑が一度に襲ってきて反応に困る。
「マジ、か…………食道、だよな? うん。建物に食道って訳分かんないけど、どうみても肉だし」
「とりあえずそこらにあるごみ袋突っ込んでみるか? それで満腹になったら助かるぜ」
「ここに根付いているという事……? 相互認識を果たした覚えはないけど、怪異の認識は時空の影響を受けないからそのせいかしら。この食道が屋敷全体の胃袋に繋がっていると仮定すると、中に入る勇気さえ持てば有効な手掛かりは見つかるかもしれない。もしくは中に何か入れてみる?」
有効なアイテムはない。爆薬でもあったら入れてみたかったけど、爆薬が都合よくポンポン手に入る島は嫌すぎる。だけど大きな情報を手に入れた。食道が存在するという事は、奥には胃が? そしてやがて排泄されるとか? そうしたらこの屋敷は建物ではなく人間みたいだ。
「提案。天宮様ガワタシヲ連レテ侵入スル事。コレダケノ情報ガ採取出来レバ有効ナ道具ヲ作製スル事が可能トナリマス」
「食道を通って無事な保証はないから、その案は賛成出来ないわ。かといってこの状態だと『黒夢』を起動出来るのは彼だけだから響希さんを代わりにする事も出来ない」
じゃあどうする。
やるな、するな。否定するのは簡単だ。代案を出す事が非常に難しい。時間はまだあるが、犠牲者を出さずに攻略するならこの日に決めないといけない。だからと言って俺も無理に行きたくないのが正直な話だ。自分から食べられたくないし、戻ってこられる保証もない。薬を使っても死に保険が利いていないから迂闊な真似は文字通り自殺行為であり、その意味は薬を使う前から変わっていない。
「……なあ、ここが口なら中で人間様を食べる行為はなんだ? 皮膚吸収か?」
「焼却炉……なら煙突がある筈だけど、代わりに上部の筒は壁に繋がっているから、口が無数にあると考えてもいいかもね。無機物が食べた物は壁を通してやがてここに落ちてくる……そう考えるべき」
「そもそも『ひそみしつ』ってやつは本当にここにいるのか? 確か水を飲んでるせいで目をつけられてるんだよな」
「浸渉が最大まで進行してしまう、ね」
「だろ。つまり普通に暮らしてたらこうはならないって事だ。有識者様に聞きたいのは、そういうイカサマがなかった場合にどれだけ時間がかかるかって事だな。一週間以上かかるなら逃げ切り確定だ」
「一概に言えないのは分かってるが、柳木はあの感じだと数年かかってるよな」
「私も気になってる事がある。普段から貸し出してる訳でもない、でも放置されてる訳でもないんだよな? 放置して無害なら放置するに越した事はないはずだ。それが下級生を生贄にするような真似したなら、何かしら、向こうもリスクを背負ってるんじゃないかと思う。おい、三並とやらの屋敷に行ってみっぞ」
焼却炉の扉を静かに閉める。目的地は相談するまでもなく決まっていた。
「人様を食い物にする奴にどんな地獄が待ってるか、分からせてやろうじゃねえか」