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浸渉必罰の定め

『ねえ、聞こえてる? 屋敷ってこっちで合ってるわよね』


「…………響希じゃないならその喋り方やめてくれないか。なんか気持ち悪いぞ」


『んだよせっかく変えてやったのに。じゃあ改めて。こっちで合ってるか?』


「ええ。問題ないわ。カメラにもまだ反応はないけど、何か起きるとすればもうすぐだから急いで」

 芽々子(二号)はこの状況にも動じる事なく淡々と指示を下している。到着したらまた連絡するからな、と響希もとい雪乃は電話を切ってしまった。部屋に二人で取り残されると、渦巻いていた疑問がついに口をついて出た。

「全滅を避けられるってどういう意味なんだ?」

「浸渉について詳しい説明はまだだったかしら」

「怪異のマーキングみたいなもので、心が消耗してる時程症状が進むみたいな話は聞いたと思う」

「それで間違いないけど、特徴について説明していなかったわね。浸渉は一つの生命につき一つまで。だから一人の人間が幾つも浸渉に侵される事はないの」

 芽々子は俺の手を取ると、優しく握って接吻をした。

「……は、え」

「例えばだけど―――」

「いやいやいや! スルーするなって! 何、今のキ、キス! えっと。え? な、何だってんだよ!」

「嫌だった?」

「嫌っていうか―――」



「…………私だって、少しは恥ずかしいのよ。でも天宮君になら……こういう説明をしてもいいかなって」



 見間違い、だろうか。度々起こる事だが芽々子が赤面したように見える。目を擦って二度見するとただ顔を逸らしているだけだから幻覚だとは思うのだけど。普段人形と称して淡泊な対応ばかりするから、幻覚でもしおらしくなられるとドキドキしてしまう。

「……説明、続けていい?」

「あ、うん」

 果たして俺がまともに対応出来るのは彼女が人形だからだろうか。見間違いでも人間味を感じてしまうと拍動が際限なく上がっていってしまう。可愛いとかそんな些細な気持ち程度じゃなくて―――もっと、強烈な気持ちが。

「私のキスが浸渉とした場合、貴方は私にマーキングされた事になる。怪異とは言うなれば現実に付随する別のルールよ。誰かとキスをしたのにまた別の人にキスなんてしたら争いになるでしょう? 浸渉は完全に進行してしまうと手の打ちようもなくその人を殺してしまう呪いだけど、受けるのは飽くまで一人分。そして―――私が本来あるべきルールに則った解決ではなく破壊しているのも、そこに関わってくる」

 瓶の中の血液がぐるりと動いた。響希の人格があそこにあるらしい。ただの血液には喋る口もないから真実は分からないが。

「響希さんを侵した三つ顔の濡れ男は、私が被害者と怪異の一部を元に『黒夢』から作った有効武器で無理やり破壊した。 そのせいで一部残ってしまったけど、一部だろうとマーキングはマーキング。これから新しい怪異と相対してしまっても、侵されるには時間がかかるようになる。もっと言えば今の雪乃状態はその残滓による特殊能力と言い換えてもいいわ。彼女はまるで響希さんの脆さを補うように気が強く、暴力的で、自信家。何より三つ顔の濡れ男の残滓から発現した人格は善性の怪異と言っても差し支えない……今の彼女なら、侵される事は全くないでしょうね」

「でも人格が変わっただけで響希は響希なんじゃないのか?」

「他にも特徴があるのかもね。言った事をまとめると、要するに浸渉耐性の

話をした訳だけど―――そういえば天宮君もまた別の方法で耐性を得ていたわね」

 それについては、身体を見れば明らかだろう。俺の四肢は人形のそれになった。決して生きてはいないし、血も流れているように感じるだけだ。芽々子が影響を受けないのは体全てが人形だから。浸渉が生命に作用するなら俺の四肢に作用する事は出来ない。

「あれ、じゃあさっきのキス……見立てたはいいけど、実際効果はなかった、な」

「説明したかっただけだから、別にいいわ。その言い方だと、まるで私が説明にかこつけてキスしたかったみたいじゃない」

「…………っ!」

 てれて、る?

 芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。芽々子は人形。

 

 ―――落ち着いた。

「……まって天宮君。カメラの方に変化が」

「何処のカメラだ!?」




「三つ」

















 クラスメイトが個室で眠りについている。美弥、圭人、航。交友が比較的少なかろうと名前くらいは知っている。カメラが低い位置にあるせいで捕捉しにくいが、あまり眠れない様子。


「うう」

「ん………うーん」

「うるさい…………」


 指向性のマイクが音を拾えているだけで、周囲には身の毛もよだつ妙な声が蠢いていた。男とも女とも子供とも老人ともつかぬ声は囁くように小さく、だがミミズのように細くのたうち回って部屋中を動いている。


『なんだよもう! 誰だ! うるせえな!』

 

 圭人が布団を蹴って遂に怒鳴り散らした。部屋中からクスクスと笑う声がする。


『誰! やめて! もう寝るんですけど私! 寝不足になったら先生に言いつけるから!』


 美弥はこれが部屋でバカ騒ぎする誰かのせいだと思った。部屋中からおんおんと嘆く声がする。


 『…………うるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさいうるさい! うるるるるるるるるる』


 航は、異常な抗議をしたかと思うと立ち上がって、ドアノブに手を掛けた。騒音からは離れるに限る。当然の考え方だ。

 だが開かない。

「え?」

 電気を点けようとしても、点かない。ドアノブは鍵がかかっているのではなくそもそも回らない。彼にはその理由が分からないようだが俺には―――暗視カメラ越しに見ている俺達には、原因が分かった。 

 背中に、こぶが生えている。今にも何かが突き破ってきそうな大きなコブが、航の狂乱に応じて増えているのだ。それは決して突発性の病気じゃない。浸渉だ。三つ顔の濡れ男がふやけだったように、こっちはコブがその証。

「芽々子! これ、まずいぞ」

「…………そうね。死体が跡形もなく消えていたから気づかなかっただけで、こうも短時間に浸渉が深化するなんて。となるともうすぐ死体が消える。いや、食べられる」

「怪異にか?」




「いいえ、この部屋にある全ての無機物に」




『う、うがあああああああああ!』


 カメラから目を離した数瞬、航の狂乱は痛みに代わり冷静さと引き換えられた。回したドアノブが掌を削り取ったのだ。部屋の何処かからくちゅくちゅと咀嚼する音が聞こえる。

 痛みに怯んで座り込んだベッドが普段以上に沈み込むと、航は絡めとられるようにベッドの奥へ。ひとりでに動いた布団が覆いかぶさって全身にまとわりつく。


『もぐうう………… う、うぐううううううおおおおお!』


 布団を纏ったまま航がふらふらとベッドから立ち上がったが、足元もろくに見えず、恐らくは締め付けられている。そんな状態でまともに扉を探す事は難しく、箪笥の角に体をぶつけた―――その刹那。

「ぶぎゃあああああああああああああああああががががが!」

 布団の生地が赤く染まる。緩衝材の代わりにもならず、角にはべっとりと血肉がついていた。傷を追うごとに、航も死に物狂いになって抵抗を続けている。何とか手だけが脱出に成功し、何か布団を追い払う物はないかと手探りで虚空を漁る。クローゼットに手がかかり、扉を開けると―――手が入った瞬間を見計らったように、閉じた。勝手に。


『ギャギャギャ!』


 何度も何度も何度も。腕があるのもおかまいなしに扉が閉じようとする。腕は木製の歯に咀嚼され、肉がむき出し、血が噴き出し、骨の折れるような音が鳴ってもおかまいなしに動作を繰り返す。航も手を抜こうとしているが、そうしたら今度は扉が半開きになって離そうとしない。

「……」

 あんな小さな部屋の中で起きる惨劇に、俺は自分の感情を考えるべきではないと直感した。自分がこれまで使ってきた、意思のない存在として扱ってきた全ての道具に食料として扱われ、貪り食われるなんて。ちょっと想像したくもない。

「ゆ、雪乃」

 彼女からの電話はまだ来ない。急がないと、航が跡形もなく食べられてしまう。そうか、だからだ。だから家具の中に血肉が。全員食べられたから……

「雪乃! 早く!」

 薬も使わずに、なんて大見得切ったのに。間に合わないなんて馬鹿な話が分かるか!







「航が死んじゃう! 早く、頼む!」

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