浸渉幽鬼の噂に口なし
ゴミ袋に入り口の隠された地下室に趣はないが言うなれば秘密基地であり、少年心の分かる者にとってはそれが胸躍る代物だと理解出来るのではないだろうか。芽々子の調査結果も流石に出ているだろう。殆ど早朝に回収して今は放課後。時間は十分作った。芽々子が複数体いるからこその荒業だ。
―――地下室に全員居たりしないのかな。
「二人共、来たのね」
「行くっつったでしょ? で、芽々子ちゃん。それ……」
このラボは非常に狭く、スペースがない。だから梯子を下りた時点で床は配線塗れで、続く扉は休憩室と恐らく物置の二つだけだ。見た目よりずっと狭いのはパソコンも含めて何やら物々しい機械が唸り声をあげて作動しているからである。電気は何処から引っ張っているのだろう。
そんな疑問さえどうでもよくなるのは、折り畳み式の台の上に広げられた無数の工具と残骸。気分よく風を受けていた落差で響希は二の足を踏む。一足先に俺が近づいた。
「…………上が髪の毛で肌色っぽいのが皮膚? 赤いのが多分肉で……」
「こら! 私の前で音読するとか嫌がらせか!」
「見たくないならお前にも状況を理解してもらう必要があるだろ! いいか? 簡単な問題だ。髪の毛、皮膚、ちょっとの肉。これを組み立てたとしたら、人間が出来ると思うか?」
「何それ? とんち?」
「その状態で人が歩けたり喋れたりするか!?」
「……私、人体には詳しくないけど。ちょっと待って。骨が足りなくない? 骨がなかったらそれ以前の問題じゃないの」
そう、この絵里の残骸には骨がない。そもそも肉だって圧倒的に足りない。歯は何処だ? 福笑いの要領で雑に組み立てたところでこれが元の人間に戻る事はないだろう。
「天宮君の言う通り、このクラスメイトだった人体には本来求められるパーツが少なすぎる。皮以外はまるで足りない。中身が空気だったみたいにね」
響希が指の隙間から残骸を見る。中身が足りないなら言う程グロテスクさもないと思うが、やっぱり目を隠してしまった。
「だけど絵里はそんなふわふわしてなかったよな。うんっと……殺害した時も見たんだ。自重があったと思う。じゃなきゃ挙動がおかしい……おい、そろそろお前も見るべきだろ。いつまでも目を覆ってたって始まらないんだから」
次にトラブルが起きない保障が何処にある。響希の手を引っ張って台の近くに持っていく、彼女は「ぎゃー!」と叫び声をあげたが、思わず見てしまった残骸に、眉を顰めた。
「…………これ、本当に絵里なの? なんか全然違くない?」
「パーツが足りないからそう思うのでしょう。ここで気にするべき問題は…………中途半端に肉が残っているという事。でもほんの少しだけ。グラムで言うなら二〇〇グラムって所かしら。これだけじゃ人体を構成する肉には遠く及ばないわね」
「しかもなんか、雑だよな。これが頭の肉とか体の肉とか部分的ならまだ納得も行くけど……俺みたいにさ」
「これ、私達最初の一人を見逃してるから誰かあと一人も同じ状態って事よね? なんかやなんだけど……これ、明確に偽物じゃないの」
「他にデータは?」
芽々子は頭を振って成果のなさを伝える。呼吸はしていた。瞬きもしていた。話していた。歩いていた。殺すその直前まで絵里は絵里だった筈だ。その事はこの場に居る誰もが分かっているのに。分かっていたのに。
死んだら、別人?
「なんだこれ、どうなってる?」
「……一つ仮説があるの。見てくれる?」
パソコンに手招きされ、三人で画面の中を注視する。映し出されていたのは昨夜俺達が見た、一人目の部屋だ。何かが起きたのは間違いないので便宜上は犯行現場とするが、今見ても納得のいく状況は一つとして存在しない。ベッドのシミが、恐らく遺体があった痕跡か何かだとは思う。
「このシミについて実はサンプルを採ってみて成分を調べたの。そうしたらこれが、血だと判明した」
「まあ、血だろうな。他にめぼしいものはない。血だけあっても遺体がないんじゃな」
「また誰かが掃除したって事は考えられない? ほら、柳木だって……他の人も、引っ越しなんて言い分を信じるんだからきっと」
「それは……私に睡眠の必要性があったら可能性も検討するけど、人形は眠らないから。誰か人が入る余地があったのなら見逃していないし、そもそも部屋にも痕跡が残るでしょう。何か起きたとするなら密室の中で始まり密室の中で終わった。そう考えるべきね」
「相手が怪異なら別に不可能犯罪でも何でもないけどな。で、仮説っていうのは」
どうやらこの映像は夜に見たそのままの映像ではなく、改めて撮影した動画の継ぎ接ぎらしい。アングルが変わると、冷蔵庫の中を改めて映されている。少量の血肉が冷えているだけだ。
またアングルが変わる。クローゼット映し出される。机。床のカーペット。順番に見て回って、芽々子は俺達に視線を投げた。
「貴方達は声を聴いた。私には聞こえないから、恐怖心がないと聞こえないタイプとしましょう」
「そう、だな。沢山、別々の声を聴いたよ。なんて形容するべきか分からないけど…………かなり人が居たみたいだった」
またカメラが切り替わる。今度はリアルタイムの通信だ。芽々子が掌に『私』と書いてカメラに向かって手を振っている。狙っている訳ではないのだろうけど、このズレたフォローの仕方がちょっと面白い。
「これは島火さんの部屋ね。今朝確認した通り、同じような現場が広がってる」
「だな」
「変化ないね」
「―――仮説の検証はすぐ終わるわ」
三号がカメラに近づけたのは、ノコギリだ。学校の技術室にあるような、もしくは俺がバイトの際に支給してもらうような一般的な工具。武器っぽくもあり、だが振り回すと危ないから目的もなしに持つなと子供の頃に教えられる。
そんなありふれた工具で何をするかと思えば、なんとクローゼットの扉に手を当ててギコギコと切り出した。ノコギリとしては普通の使い方だがそうじゃない。脈絡もなく家具を破壊しようとすることがおかしいのだ。
「何してるんだ!?」
「下で皆が勉強をしている限りは気づかれない。とにかく、見てて」
ギコギコギコギコギコギコ。
時間がかかる。それもそうだ。ノコギリで切るのにはコツがある。ちゃんと力が伝わっていないと時間がかかる。引いて切るのが重要で、引く事に力を込める。要領が分かっていないと上手くいかない。
「―――これ、何分かかる?」
「きちんと仕上げられた家具だし、この様子じゃ十五分かかっても切れないと思うな」
「……頑張るわね」
少しずつ、だが扉の切り込みは深くなっていく。あまりに時間がかかるので響希は休憩室に行ってシャワーを浴びに行ってしまったが、それでもまだ作業は終わらなかった。入れ替わって俺もついでにシャワーを借りた所で結果は変わらない。ただし、切断まであと少しという所までやってきた。
「腕が疲れないのは強みだな。時間がかかっても休憩なしで出来るなら総合的にはそこまで遅くないのかも」
「いや、遅いでしょ」
がこっ。
クローゼットの扉が外れる。三号は携帯のライトを起動すると、断面を照らしてカメラに映した。
そこに広がっていたのは木材のギザギザとした断面ではなく、赤い、血肉。
おがくずの方も照らしてもらうと、木材に交じって肉のカスみたいな物体がところどころに交じっている。また、半分ほどはおがくずも赤黒く染まっており、白い破片のような物は……骨?
「………………」
少し気楽に思われた雰囲気に緊張の糸が張り詰める。その糸に締め付けられた喉からは、掠れた声を出すのが精一杯。
「これ…………………………え? えっ…………」
理解が追い付かない。三つ顔の濡れ男と対峙して異常な死体や殺し方には少し慣れたつもりだった。考えが甘かったと言わざるを得ない。切った家具の中に血肉が詰まっている? この家具は人体が素材? いやいやあり得ない。順序が逆だ。仮にそうだったとしても絵里には何の関係もないだろう。家具は何処も一緒なのだから。
「私の仮説は、無事立証されてしまったようね」
「な、何? 芽々子ちゃん。何、何なの!?」
今日も今日とてテスト勉強。後四日もすれば本番だが、正直乗り気になれない。俺はいいが、響希に似たような真似をさせるのだけは辛かった。仮想性侵入藥を使う? それは難しい。芽々子曰く、『こういう状況だと材料が足りない』そうだ。だから犠牲者を出すしかない。そう、この次はないという保障は誰もしてくれない。三つ顔の濡れ男でさえ、一歩間違えば全滅していた。
だから使えない。
「…………お茶、居る?」
「響希。その。見たくなかったら見なくていいからな。今すぐ布団に潜って、全部忘れるべきだ」
お気遣いなく、という声に覇気が感じられない。彼女は俺の肩に身を寄せると、毛布を足にかけて、内側で俺の手を握った。
「………………アンタは、もうやった事あるんでしょ」
「…………仕方なくな。あの時は何も分からなかったから」
「…………………………そ」
三号の働きにより、この階の全員の個室にカメラが仕掛けられた。
これ以上誰も死なせない為に。
今日、誰かが死ぬ。