乙女心はひみつごと
分からない。
考えれば考える程頭がこんがらがって終いには爆発してしまいそうだ。形恋という名前は合っている。だから認めたくないが天宙ユメは確かに俺の妹なのだろう。しかしそいつが、俺があの島へ行くよう導いた? それは何故?
顔を見せられてもピンと来ないくらいだ、分かると思うが面識は殆どない。妹についてたまに聞けるのは両親の会話からで、俺とは違って妹は有能だからお世話どころかもう親孝行をしているのだと。家にも殆ど帰ってこない、喋った事もなければ頼った事もなく、家族と呼んでいいのかさえ怪しい存在だ。
これについて薄情と言いたいなら好きにすればいいと思うが、それは天宙ユメの視点から見ても同じ事。兄と言われたって何の事やら、血が繋がっているだけという認識ではなかったのか?
「妹は何で俺を推薦したんですか?」
「さてな。それは本人に聞けばいいだろう。だが心当たりはある筈だ。お前達が居た島は外部からの干渉を受けない孤島だった。家族を探したいのは当然ではないかね」
「だから! その島に俺を推薦したのが妹なんでしょ!? その意味が分からないんですよ!」
「後輩君、落ち着いて。混乱する気持ちも分かるけど、最初から連絡が取れなくなる島だと分かっていたらきっと推薦していないでしょう? 進路の事、覚えてる? 一旦仮想がどうとかってややこしい話は置いといて、真っ当に高校を卒業しようとした場合、君の進路はどうなってた?」
「……いや、一年生なんで決まってないですよ」
「じゃなくて、将来はあの島の中で就職してたのかって事。特殊な事情がない場合、あの島はただの限界集落……一人暮らしにお金は何かと入用って事くらい死人でも分かるよ。その場合君は、帰らないといけなかったよね。妹さんが君を島に送り出したのはいつか帰ってくる見込みだったんじゃないのって話」
「消息を知る術が突然なくなったと考えるなら、慌てるのも筋が通るけど」
「……二人の話を否定したい訳じゃないけど、妹とはそもそもそんな関係すら築けてないんだ。血が繋がってるだけ? 戸籍上兄妹? 何でもいいけど、それくらい他人と変わらないんだよ。慌てる程の関係性じゃない。親から間接的に存在を知ってるだけの兄が愛おしくて仕方ないなんて、そんな事あるのか?」
だから正直、どういう気持ちにもならない。敵とか味方とか簡単に割り切れるようなら俺だってもっと方針を立てて考える。分からないのだ。妹が何をしたいのかが。
「―――社長は何か知っておられるのでは」
ここに来て無関係だからと静観していた榊馬さんが堂々巡りになりかけた議論の風向きを変えるように矛先を向ける。
「社長と天宙ユメは懇意の仲だ。彼女がまだアイドルとして間もない頃にその才能を見出したのは社長だからな。ただの社員でしかない私達より余程、会話をする機会はあった」
「申し訳ないがオレの口からは言い出しかねるな。大袈裟に捉える必要はない、これは機能不全に陥った家族間の問題だ。……警察が家族喧嘩に口を挟むのか? 話が飛躍したが、無関係の人間が口を挟む事が無粋なのは同じだ。どうせ聞くなら―――」
社長の言葉を遮るように電話の音が鳴り響いた。老人は「失礼」とこちらに断りを入れた後、受話器を取ってから沈黙。俺を手招きし、受話器を無造作に押し付けてきた。
………………。
『もしもし……』
『一人暮らしは楽しかった?』
初めて聞く妹の声。冷たく、感情の読めない平坦な抑揚がまだ俺を困らせる。
『…………俺は、奇跡が起きたんだと思った。一人暮らしを何故かあの両親が許してくれた事が奇跡だって。その理由なんてどうでもよくなるくらい嬉しかったよ。お前が、推薦したんだって?』
『その話、二人きりでしない? 一度も顔合わせた事なかったよね。せっかくだから顔を合わせたいな。私には何の思い出もないけど、いつものお家で待っててあげる。それじゃ、早く来てね、おにいちゃん』
電話が素早く切られてツーという音だけが耳に残る。受話器を社長に帰すと、彼の顔を見てそれとなく本音を探ってみる。
「…………どうした? オレの髭でも気になるかね?」
「……教えてくれない代わりに、十兵衛社長の意見を聞かせてください。天宙ユメは俺の敵だと思いますか? 味方だと思いますか?」
「意見か…………そうだな」
榊馬さんの社宅はとっくに別人が使っているらしく、住居の当てを失ったみんなはまた船に退散する事となった。進展があるとすれば社長の許可を得て滞在を認められている事くらいか。あそこは神異風計画が凍結してから使い道もなくて持て余しているらしい。
「本当に一人で行くのね?」
「ああ。危険な感じはしない……ちょっと怖いけど、もうここは仮想世界じゃないしな。まともな常識だってある世界だ。行ってみるよ」
「少なくとも社長に敵意はなかった。良かったな、天宮泰斗」
「社長さんって、話を聞いた限りもっと野心家で押せ押せな人だと思ってたんですけど、あんなに落ち着いてるんですね」
「……神異風計画は成功さえすればこの国の運命を文字通り変えられたかもしれない一大計画だ。湍津鬼との約束について話す事はなかったが、社長も薄々これ以上の進行は難しいと勘づいている。自分の夢を諦めたんだ。萎えるくらい許してやれ」
その湍津鬼―――アイコと岩戸先輩は何処へ行ったのだろう。途中で合流する事も待っている事もなかった。心配するような面子でもないが用事は気になっている。
だが、今は後だ。妹と話をしにいかないといけない。時刻は夜の八時。時間帯を決めて会おうとは一言も言われていないから、特に意味のある時間ではない。ただ暫く船を家にしないといけない人達も居るから、それで買い出しに行っていただけだ。社長がすんなりお金をくれたのは気前の良さというより、それも妹が関与している気がしてならない。
「じゃあ、行ってきますね」
「行っておいで。はぁ~久しぶりにお酒でも飲もうかね~」
「死人なら私も酒飲んでいいのかな」
「私ヤダ! お父さんのを悪戯感覚で飲んだらまず過ぎて吐きそうだったもの!」
思い思いの日常に向けて停泊する船の中へと戻っていく。その背中を見送って俺も足を進めようとした所で、手を引かれて動けなくなる。
「……何の話をするにせよ、絶対に帰ってきてね。約束よ」
振り返って、彼女の顔を見ようとする。ここは暗くてよく見えないが、見えなくたって構わないだろう。背中に手を回し、互いの存在を確かめ合うように抱きしめる。
尤もらしい理由はない。ただしたくなったからしただけだ。本当はキスとかもしたかったけど、芽々子はキスに限らず表立って何かするのを避ける傾向にあるからやめた。これだけでも俺には十分。妹の呼び出しに感じた不安が段々と薄れていく。
「妹に最初、なんて言うの?」
「特に考えてない。ていうか思い出もないんだから言う事もない気がしてさ。向こうが何の話をしたいかも見当がつかないけど、約束は守る」
いつまでもこうしていたい欲求とはオサラバだ。名残惜しく離れる彼女の指先をそれとなく遠ざけ、今度こそ背を向けて歩きだした。
機能不全の家族。
他人にそう言われるのは心外だ。普通の家族じゃない自覚はある。だけど俺に言わせれば、あれはあれで両親の愛情だったと思うのだ。ただ俺に致命的に合わなかっただけ。二人は俺を無能にしたがった。何かにつけて頼らせて、依存させようとした。一人じゃ何にも出来ない息子を仕立て上げて、それを嗤うのが二人の楽しみだったと言ってもいいくらい。
俺はその過干渉を嫌ったが、この環境を放任主義で育った人間が聞いたら羨ましがったりしないだろうか。何があっても構ってもらえる―――どうあっても構ってもらえない人間が聞いたら、それは本当に悪い環境か?
だから俺が言うならまだしも、家族関係について他人にあれこれ言われるのは苦手だ。俺の苦しみも、俺の悩みも、俺の怒りも、全ては俺の物。他人が怒りを発散する為の道具ではない。
「…………懐かしいな」
そう思うのは、あんな滅茶苦茶な世界に身を置いたからだ。まだ半年も経っていない。玄関の前にぼんやり立ち尽くした所で誰も扉を開けてくれる訳じゃない。分かってる。昔はそうだったから、つい。
部屋の電気が点いている事から、妹はもう来ているのだろうか。ドアノブを回し―――かつてはこうなったとしても決して言うまいとした言葉を、呟く。
「―――――ただいま」
「おかえり、おにいちゃん」
天宙ユメが、両手を広げ、光のない瞳を見開き、俺を歓迎した。