I DOLL
どんな現実が待っていても、受け入れる覚悟で居た。あんなとんでもない、一言で説明するには色々置きすぎた騒動を経験した俺に、今更驚けるような事など何もないだろう、なんて。考えが全く甘かった。現実はいつも俺の想像以上だ。
「これは…………どういう事だ」
「榊馬さん。ここって……日本、ですよね」
背後からそんな疑問を投げかける自分もどうかしていると思う。榊馬さんはただ首を傾げて、言葉の通り現実を受け入れられずに居た。
通りがかる車、何の変哲もない電柱、交番前の指名手配犯を示す掲示板、ストリートアート、主婦のマイバッグ、飛行船、洋服屋で売られている全ての洋服。
目に映る全ての景色に、俺の顔写真が張られているではないか。
「……まずいな。おい、後ろに引っ込むぞ」
「え、え、え、え」
強引に倉庫の方へ押し込まれて暗闇の中へ。芽々子も状況を理解出来ずに困惑しているようだ。俺も、分からないし、何だか怖い。たまらず彼女を抱き寄せて安心感を手繰り寄せる。
「ひ、響希達は?」
「事務所の方だ。港には勝手に着いたがな、どうもここは最近殆ど使われていないようだ。人も居ないから調べものをしているだろう。本土ではどれくらいの時間が経ったのかとか。私は考えるのが好きでな。心の準備のために幾らでもおかしな想定をする事はあった。だがこれは……想定外だ。天宮泰斗。君はそこまで有名人だったのか?」
「い、いや、別に…………そんな有名だったら真紀さんだって俺の事を連れていけないでしょ。後、アンタ達の方も知ってる筈だ」
「両親が貴方を探している……にしてはどうも、過激ね。やりすぎなんて言葉じゃ語り切れない。響希さん達と合流を待ちましょう。こんな事になるなら、嘘なんてつくべきではなかったわね」
「誰もこんな事態は予想してないだろ。仕方ないって」
じっと待つ事五分ばかり。榊馬さんに連れられ響希がライトで俺達を照らした。
「泰斗。丁度良かった! 先に降りたって聞いてたから焦ったんだけど、無事で何よりよ!」
「響希。何か分かったか?」
「んーと、結論から言うと、ここは多分アンタが島に来てから三年が経過してるわ。それで三年の間に月宙社は随分大きくなったみたいね。今やこの国を支えてるとんでもない大企業って事で、いろんな物に手を出してるっぽいかな。車のメーカーは殆ど月宙社の傘下になったし、さっきから飛んでる飛行船も月宙社。公共事業も請け負ってるみたいよ」
なんだそれは、
どんな大企業だって力の入れ先は無差別じゃない。自分達の会社がどんな風に成長していくかの展望があって、その通りに動いていくのが経済ではなかったか。車? 飛行船? 公共事業? 色々な事に手を出すのも別に悪い話ではないと思うが、何だか『何でもできるから何でもしているだけ』という空気も感じる。
「月宙社ってのは始まりは宇宙事業、新世界構想が見つかってからはそっちに舵を切ったんじゃないのか? でも新世界構想に関しては極秘計画だから表向きには出来ないとしても……それでどうしたら大きくなるんだ?」
神異風計画は一体の怪異の怒りを買った事で既に失敗している。秘密裏に成功していてその技術で以て国に繁栄をもたらしたのであるならこの状況も納得は行くが、それはそれでアイコが本物の芽々子を乗っ取っている事の説明がつかなくなる。
「ネットの情報だからあんまり信じたくないんだけど、どうもイメージキャラクターの子が大成して、それに引っ張られるように成功したみたいよ」
「イメージ…………天宙ユメか?」
「あれ、知ってたの? そのユメって子が元々大人気だったんだけど丁度三年前からちょっと尋常じゃないような熱狂を得るようになってね。天宙ユメのファンに非ずんば人に非ずな感じで……ネットの何処を見てもそんな感じ。SNSのフォロワーも当然だけど全ての芸能人の中で一位なの。で、これを見て?」
天宙ユメのアカウントのアイコンは俺の顔であり、ヘッダーは『探しています』であり、プロフィールには『見つけてくれた人には何でもお願いを聞いてあげる♪』と書かれている。逆に言えばそれ以外は何もない。アイドル商売をやっている人間とは思えない淡白さだ。
「月宙社が俺を探してる? 何で? 島に行った事くらい把握済みだろ」
「間違いなく把握はしているよ」
遅れて真紀さんが倉庫に入ってくる。隣にはアイコも居るが、世俗に慣れていないのか俺とか無関係に顏を顰めていた。
「私はアイツらが見繕った相手を自分の手で連れてくると約束させたんだ。島に行った事を把握してない訳がない。じゃなきゃ私は誘拐犯だよ」
「…………これは仮説だけど、介世島は仮想と現実が入り混じっていたわ。伊刀真紀の年齢だけが進んでいたように、必ずしも時空が隔離されていた訳じゃない。私達はまだ数か月しか過ごしてないのに実際は三年も経っているから、その間に何かあったんじゃないの?」
「人形の言う通りだ。マキ。お前のループは仮想世界の変数を変え続けた。それが何か、こちらに悪い影響を与えたかもしれない」
「……私が悪いって言うつもりなら幾らでも謝るけどさ。一先ずこれからどうしようか。彼を引き渡す?」
「まさか。アマミヤタイトと私は約束した。引き渡さない。だが行く当てもない。どうする」
「―――そもそも何で俺を探してるのか知りたいんですけど、ネットには何も書いてなかったんですか?」
返事をしてくれるなら誰でも良かったが、答えは誰の口からも得られなかった。これはこれで新たな災難だ。目的も分からなければ過程も不明。ただただ多くの天宙ユメのファンと月宙社が総力を挙げて俺を探している。モテ期? そんな前向きに考えられたらどんなに良かっただろう。ただただ無尽の怖気が背中に奔り、寒気がしている所だ。
「三姫ちゃん達が今、車を探してる筈さ。タクシーね。それでまずは本社に乗り込んでみよう。勿論君の顔は隠した方が良い。どんな目的にせよ大事になるのは火を見るより明らかだ」
「これとかどう?」
芽々子が倉庫から天宙ユメのお面を拾い上げる。確かにお面なら顔は隠せるしユメのファン―――ナイトとして見られるから問題は起きないと思うが。
「俺、別にファンじゃないんだよな。もう居ないけど、小学生の頃に居た波園ってアイド―――」
「実際ファンかどうかを問題にしている場合なの? こんな血眼になってまで探されて、ちょっと只事じゃないの。分かったら被って」
ここまで現実が変質しているとお金もまともに使えるかどうか不安になってしまうが、流石にそれは杞憂だった。俺も島の住人も一銭も持っていないから当てに出来る持ち金は榊馬さんの引き出しにあったお金とアイコが死体から集めたお金で、累計七万円程。タクシーだけに使うなら十分だがこれからを思うと色々苦しい金額だ。
社内ではラジオが鳴っていたが、そこでも俺に捜索願が出されているようだ。ただ、名前は決して出されない。ラジオでSNSの宣伝をし、そこに映ってる人を探してほしいというばかりだ。
天宙ユメが、ではない。彼女のファン―――ナイトらしき芸能人が、だ。男も女もなく、ただ天宙ユメがそれを望んでいるというだけで壊れた機械のように俺の発見を求め続ける。どうかしていた。それ以外の特集は全て天宙ユメの芸能活動に関する事ばかりで、それもそれで面白くない。
「タクシー久しぶりに乗ったけど、流石に人多くないかな?」
「仕方ないよ。向こうに榊馬が居ないと誰もお金を払えないからね」
こちらの車には俺、芽々子、真紀さんの三人が。向こうには三姫先輩、響希、榊馬さんが乗っている。岩戸先輩はアイコに連れられて後々合流するらしい。身体を乗っ取っているだけでアイコは怪異だ。追いつくのくらいは訳ないのだろうと思う。
『お客さん、それ特殊メイクって奴かい? いやあ凄いね、人形にしか見えないよ』
「……はい。そうなんです。結構大変なんですよね」
『向かう先は月宙社の本社だったね。あの会社、また何かイベントをするのかな。ははは、楽しみだ。私ではなく娘がねえ、ユメちゃんのファンなんだよ』
「……こんなに成長してると金申市からはとっくに本社移転してるもんだと思ったけど、何か思い出とかあるのかな」
『さあねえ。でもお陰様でこんな寂れた町でも月宙社の本社があるってだけで大盛り上がりだ。嬉しい事だよホント』
運転手との何気ない会話も挟みつつ、タクシーは目的地に到着した。後ろで真紀さんが会計を済ませている内に俺達は先に降り、ビルを見上げる。
「…………島にはこんな建物なかったよな」
「当然。景観を損なうでしょ」
「……本当にそんな理由なのか?」
「記憶がないから、当てずっぽう」
もう一台のタクシーも到着して合流する事となる。本社とだけあってその近くは人の往来が激しい。少し外れた所で停めてもらったのは大正解だった。
「後輩君。とりあえず来てみたけど、何か感想は? ここまで探してもらう心当たりとか見つかった?」
「いや、全く」
「そんな事よりも中に入ろう。私のカードキーがまだ通用すれば事は簡単に済むんだが…………」
「……済まなかったら?」
誰がいつ、持ってきた。彼がタクシーから俺の前に置いたのは『白夢』だった。
「強行突破するしかない。状況を手っ取り早く把握したいんだろう。中に相応しい能力があるなら、使え」