人生の旅路を楽しもう
「うう……ああああああ……!」
中学までの家とも、島での賃貸のベッドとも違う、広々とした船室のベッドで俺は大きく伸びをした。今まで住んでいた何処よりも広いし、柔らかいし、何より暖かい。
客船が無事だったのはこの島に残っていたからだろうか。一人一室を割り当てられても何の問題もない。人が多いと言っても数人だ。非常に気持ちのいい空間を独占しているようで、精神的にも気分が良い。
「もうここで暮らしてもいいな……」
真紀さんに連れられてきた時はもっと小さな船だった。船旅自体は快適だったが寝室は一つしかなくて、あの人はずっと甲板に立っていたっけ。思う存分にベッドをごろごろすると、段々眠気が襲ってきたような気がしなくもない。
―――どれくらいで本土に着くんだろうな。
連れられた時は眠ってしまったので時間間隔は良く分からない。でも、この波に揺られる心地よさに比べれば些細な話だ。何日経っても問題ない。島ではずっと戦い続けていて、疲れた。本当に疲れたのだ俺は。
コンコン。
「…………ん?」
来客だ。操縦しているのは真紀さんなので俺に用事がある人間はそういない。仕方なしにベッドから降りて鍵を開けに行くと、扉を半分開けた段階で正体を悟り、
完全に開放した。
「ちょっといい?」
「芽々子…………どうした?」
「話したくなったの。島ではほら……色々と……忙しなくて、普通に話せなかったでしょ。駄目?」
「駄目じゃ、ないけど」
芽々子を部屋に招き入れつつまたベッドに寝転がる。彼女が後ろ手に扉を閉めて鍵をかけたのを見て、いつになくドキドキしてしまうのは俺だけだろうか。この手の経験は島内でもあったが、その時は彼女の浸渉を受けて俺が惚れるように仕向けられていた。
今回は違う。単に俺がドキドキしているだけだ。
「随分リラックスしているのね」
「まあ、こんなベッドで寝た事ないしな。後はやる事も特にないから到着までごろごろしてるって感じだ。そういうお前は気に食わなかったのか?」
「…………いえ、休むには素晴らしい場所だと思うわ。ただ、一人だと少し寂しくてね。誰かと話したくて部屋を回っているのだけど、響希さんは眠っていたから」
芽々子はぽふっとベッドの上に座り込んで、流し目で俺を見つめる。
「両親と会うのは楽しみ?」
「会う気はあんまりないんだけどな……捜索、してるのかなあ。だったら島が今でも無人なのは変だけど。でも極秘計画だったしな。会う事になったら……いや、良く分かんないな。好きじゃないけど、顔も見たくない程じゃないんだ。また一緒に暮らしたいとは思わないかな。うん。お前と嘘でも島を沢山探検したよな。怪異とも戦った。そうでなくても一人暮らしを始めて暫くは働きづめで、勉強はお前に助けてもらってたのを覚えてる。何もかも一人で何とかした訳じゃないけど、でも俺が出来る限りの事はしてきたと思う」
「そうね。貴方は……沢山頑張ったわ。お陰様で私達は本土に行ける。ただ与えられた記憶通りに行動していただけの人形が、今は自分の意思で生きていられる。それは貴方のお陰よ。勿論私は人間じゃない。相変わらず排泄はしないし、食事も必要なければ老化も起きず、子供も作れない。何から何まで私は人間の模倣。国津守芽々子が死体となって湍津鬼に乗っ取られた今となっては、もうそんな人間は何処にも居ない。でも、それでも心はある。感謝してる」
冷たくも柔らかな感触が太腿の上に乗る。心なしか、距離が近いような。
「…………………貴方さえ良ければなんだけど。もしね、もしこの問題が解決して行く所がないんだったら二人で暮らさない?」
「…………ど、どうだろうな。お金、ある訳じゃないし」
「それは全員そうでしょ。生きてたら案外何とかなるとも言うけど、私は人形だから、特殊な条件下でもない限り普通には生きられない。事情を知ってる人が隣に居てほしいの」
「め、芽々子?」
気が付けば、押し倒されていた。解かれた髪が顔の周りにかかってくすぐったい。
「や、その。気持ちは嬉しいんだけどさ。まだ問題は解決してないんだ。今はその話を…………しない方が、いいんじゃないかな。え、円満に終わるとは限らないし」
「だからこそ、伝えた方が良いって思ったの―――」
長い、長い、永い。
永遠のような、刹那のような。
やり直しの効かない、たった一度の。
夢のような、誓い。
「…………………好きよ、天宮君。大好き」
波間に揺られ航路は続く。遺された客船の一室、二人は『奇跡』を祝い、約束を交わした。
「おや~天宮君。まだ航行から十時間も経ってないよ。君は頑張ったんだからまだ休んでいていいのに」
気持ちよさそうに眠ってしまった芽々子を置いて操舵室にやってきた。問題が起きたから逃げたのではない。気になる事があってやってきたのだ。客船の操縦なんて一人でどうにかなりそうもないと思っていたが、ここに居るのは真紀さんとアイコだけ。二人で何とかなる……ようだ。現実は少なくともそう言っている。
「真紀さんこそ何時間操舵してるんですか? 休んだ方が良いですよ」
「アイコが手伝ってくれるから大丈夫だよ~。そういう君こそ、何だか顔が赤いよ? 何かあったかい?」
「……ああ、まあ。まあ。ちょっとね。それにしてもちょっと意外ですね。ここが仲良く出来るなんて」
「元々私は真紀に対して友好的だ。奴をループに導いたのは私だからな」
「……そんな事言ってましたね」
「どうもそうらしいんだ。私は霊感少女……島に連れてこられた時に影響を受けたみたいだね。月宙社が私を連れてきたのは、怪異の収集や分析に使いたかったのかな。今となっては分からずじまいだが……にしても。助けてほしいなら夢にでも出てそれくらい言ってくれればいいんだ。ただ繰り返すだけじゃ分からないだろ!」
「ループを抜け出す為に試行錯誤するだろうと期待したのだ。結果は残念だったな」
軽い小競り合いのような口論は今に限らず何度も起きていそうだが、相対的にはあまり相性は悪くなさそうである。この口論を眺めているのも面白いが、聞きたい事を聞きそびれそうなのでやや強引に話に割り込む。
「あの、聞きたい事があるんです。俺は体が欠損してて、でも現実に戻ったら回復したじゃないですか。背もちょっと縮んでる気がします。それって島に来る前に戻ったからだと思うんですけど」
「ふんふん」
「真紀さんはどうして戻らないんですか? もうループから解放されて、しかもここは現実なのに」
「それは……」
「私が答える。結論から言うとループのせいだ。ループとは言うが、それは仮想と現実の入り混じるあの島において仮想のみを別の数値に置き換える行為に等しい。現実はそのままだ。お前は一つの仮想と現実でここまで至れたから戻った。真紀は私も数えきれない回数の仮想を体験したまま現実の延長に生きている。多少は戻っただろうが、精々お前と同じくらいだ」
「ゲーム的に言うと、セーブデータを沢山作ってたけど、プレイ時間は合算されてたから、みたいな?」
「その認識でいい」
真紀さんは俺の頭に手を置くと、表情を見られたくないのか床へ押し込むように撫でてくる。
「いいんだよ気にしないでも。私は私で、それなりに楽しかったさ~。お酒を飲めば嫌な事は忘れられたしね~。本土に帰ったところで、家族の誰にも会いたくはないし」
「…………許せませんか?」
「虐められた人間が、虐めを許す訳ないだろ? 未来永劫恨み続けるよ。それと理解は別の話。さあ、こんな暗い話はやめて甲板にでも行って来たらどうだい。みんなバーベキューの準備をしているよ」
その単語を聞くと、とても複雑な気分になる。
俺が初めて戦った怪異は『三つ顔の濡れ男』だ。あの時もバーベキューをしていた。初めて惨劇を目の当たりにしてどうすればいいか分からなかった。今も夜だが、もう怪異だの死体だの気にしなくていいんだと思うと、胸が高鳴る。素直に楽しんでいいんだって、心が若返ったみたいに。
「お言葉に甘えて、行ってきます! 真紀さんも来てくださいね!」
「自動操縦なんてないから、無理だけどね! アイコがやってくれたらいいんだけど!」
「ふん」
ついでに芽々子も起こしに行こう。素直に楽しめなかったのは彼女も同じだ。眠っている所を起こすのは悪い気もするが……思い出を作りたい。
お互いにようやく…………素直になれた事だし。