無形の自由を求めて
「まさかあんな事をしてくるなんてびっくり╲▁。私の知らない鞄にそんな力があったなんて。でもこれでお終い」
俺の知る声、知らない言葉。記憶からは想像もつかないような人間性の変化。偽物とすり替わる事の恐ろしさはこれだ。正しく、その人間が特別な人間であった場合、能力にタダ乗りが出来てしまう。
「駄目でしょう、死体を残すなんて私に使ってくれと言っているようなものじゃない。それもこんな、便利な尻尾がある体を」
「天宮君!」
「貴方、役目が済んだ人形の癖に何故私に歯向かうの? 人の心配をしている暇があったら、命乞いでもしたら?」
視界は空を仰ぎ、耳は段々と遠くなっていく。意識が繋がっている理由はいよいよ自分でも分からない。ただ繋がっていても朦朧としており、それが今後役に立つかと言われたら微妙だ。
「これは……盲点だったな。私がやり直せても雀千ちゃんは死んでたんだね」
「彼を離しなさい、お化け。私は貴方の正体なんてさっぱり分からないけど、彼を殺す事は許さない」
「……貴方達は特にだけど、ただの死体。生者を装うデータに過ぎないの。それがまるで生きてるみたいに私に歯向かってくるなんてどういうつもり? ここで勝とうが負けようが貴方達に未来はない。私は用が済めばこの世界を破壊する。私に勝っても何にもない島で貴方達は人間の真似事をするだけ。そこに一体何の意味があるの?」
「私が死んでようと死んでまいと、私は彼の先輩です。後輩を助けるのにそれ以上の理由は要らない」
「おう。その通りだ。俺達の結末が変わらないってんなら、誰かが幸せになる方向に頑張る。それが人間だろうがよ。偽物とか知るか!」
体から尻尾を伝って血が抜けていくようではないか。この吸い込まれるような寒気は、成程。魂を引き抜かれるという表現はぴったりかもしれない。腹部に空いた風穴が、どこぞ大きな空白に呑み込まれていく。
「…………君なんだろ、『アイコ』。本物の芽々子ちゃんを殺して成り代わったのは。何度も殺し合った仲なんだ、それくらい教えてくれたっていいよね」
「私の名前を………………真紀。また殺されたいの? 確かに私は貴方に何度も殺されているけど、この体は別格。この尻尾が最後の勝敗を覆すわ。生者のデータを書き写されただけの平凡な肉体とは違う。貴方が動いたら、全員殺すから」
「どうして私達を作ってまで、貴方は殺しを続けるの?」
芽々子が声を荒げて注意を引くかのように近寄ろうとする。その音が聞こえた。
「適宜都合の良い記憶を渡して、誤魔化すのが無理となれば切り捨てて。目的は聞いてる。研究員の皆殺しなんて、道理に合わないわ。貴方には―――データ上に再現されただけの怪異には何の関係もない」
「データ上に再現されただけの怪異、じゃなかったとしたら? 例えばこの島には最初から怪異が居たって思わないの? 私はね、怪異の怒りよ。勝手な都合で私達を便利に使おうとする愚かで醜い生者達への怒り。移動先を全て潰されたのは想定外だったけど、生きてる研究員は榊馬が最後。向こうの世界には移動しようとしても上手く行かないけど、まあそれでもいいの。ここにいる全員が死ねば、榊馬は殺されに来るか、死ぬまで隠れているかの二択だから」
「…………私以外にも多くの私が居て、私は貴方の指示通り動いていたのでしょう。同じ国津守芽々子として、その指示は、記憶は、信じなければならないものだった」
芽々子の足音が、近づいてくる。
「どれだけ人間に似せて作られても私は人形。笑えもしなければ泣けもしない。壊れるだけで死にはしない。壊れたら作り直せばいいだけの消耗品。だけどね! 私には心があるわ。断片的な記憶の数々が心を与えてくれた。天宮君を助けたいって気持ちは、嘘じゃない。この指輪はね、絆なの。彼となら奇跡を起こせるって信頼の証なの」
「だから? 何?」
「―――名前を呼んだら殺しに来るんでしょう。アイコ。殺せるものなら殺してみなさい。ただ―――」
腹部を貫いていた尻尾が急速に動き、置き物となっていた俺を明後日の方向へと吹き飛ばす。受け止めたのは他でもない真紀さんだった。
「まだ生きてる?」
「………………ぃ」
「喋らなくていいよ。今ので十分だ。さあ、特効薬で治療を始めよう。それまで芽々子ちゃんが時間稼ぎをしてくれると信じてね」
…………と、っこう、やく?
眼前に差し出された大瓶には、衝撃でゆらゆらと揺らめく血液が満たされている。
「まだ、仲間は居るだろ?」
雀千三夜子の過去については一切のデータがない。私が渡された記憶にはかつて一緒に戦っていたという内容だけがあり、それ以外は一切不明。図らずもそれは『黒夢』対策となって、私達を現に苦しめている。
「………っ!」
蠍の尻尾と言うにはあまりに硬く、しなやかで、凶暴だ。薙ぎ払われるだけでも近づけない。鞄で苦し紛れの防御をするのが精いっぱいだ。あの尻尾は成分としては怪異に近い。破壊出来れば分析もできるが、あれを破壊するのは不可能に等しい。自分で調べただろう。
「ぐお! ぐおおおおおおお!」
「いづ! ぐぃぃぃぃあああああ!」
元より死人である事を自覚し、何らかのデータ改竄を受けた二人は如何なる攻撃を受けても死亡する事はない。ただそれでは雀千三夜子の持つ尻尾の猛攻は受けられない。私達は時間を稼がないといけないのに、これでは三人共バラバラに破壊されるだけだ。
「死人の身体っていうのは簡単に乗っ取れるから便利だわ︿╱▔︺。生者と違って魂がない。ほら、どうやってこれを突破するの? あんな死にかけの男を助けるんでしょ? それなら私を倒さないと」
「彼は……元々無関係の人間よ! 一刀斎真紀が連れてきただけの、被害者! 貴方が恨んだり憎むのは筋違いもいい所だわ」
「恨む? 憎む? 違う。私の復讐を邪魔しようとするから、鬱陶しいだけ。貴方共々黙って協力者としていてくれたら、別に殺すつもりなんてなかった。この世界が壊れるまで死人共と一緒に暮らしてたらそれで良かったのに、邪魔ばっかりして」
「神異風計画はもう破綻してるでしょう。貴方が滅茶苦茶にしたからプロジェクトは動きようがない」
「そう思うなら榊馬を出しなさい。そうしたら手を出すのはやめて、この世界が滅びるまで生きる事を許してあげる」
「何が生きる事を許してやる、だよ。馬鹿馬鹿しい」
『白夢』を手に、気づけば彼は立ち上がっていた。胴体に空いた大きな穴からは内臓も骨もまとめて剥き出しになって、にも拘らず一切の出血はない。外傷は幻であるかのように血液は循環する。
「アイコ、だっけ。自分の身体が何処に在るのか探してるだけの奴が偉そうな事言うなよ」
尻尾の先端が、彼へと狙いを定める。
「大分前から分かってた事だけどさ、お前と白無垢の怪異は同一の存在だよな。お前の目的は自分の本当の身体を探してるだけだ。研究員に所在を聞きたいから探してるだけだ。殺すのは単なる腹いせ。生きる事を許す? 違うだろ、人手を増やして身体を探させたいんだろ? なら、そんな偉そうに物申してないで頭下げろ。お願いですから一緒に身体を探してくださいってさあ」
直前の再現をするように、巨大な尻尾が瞬く間に彼の胴体を貫いた。しかし今度は……一滴の出血もなく。
『白夢』の形が切り替わる。
「そうやって黒幕ぶって、全部思い通りにしようとして――――――舐めてんじゃねえぞ!」
白き鋼鉄の砲身から放たれる一撃が、雀千三夜子の身体を覆い尽くした。