人間性の喜捨
島内全員の殺害は思ったよりも早く完了した。殆どは真紀さんの仕業だが、感慨もなく殺害したのは俺も同じ。感情を失っている状態は大問題と捉えているが、この瞬間ばかりは感謝するしかない。取り戻す方法も分からないし、感情がないと言ってもまともに考える頭があれば十分だ。
「……誰かを殺す事に何の感想もなくなった気分はどう?」
「気分も何も、やらないといけない事ですし」
『黒夢』に入りやすいよう、死体をバラバラに切り分けて入れていく。四次元空間にでも繋がっているのか明らかに容量を超えていても死体は無限に入っていく。
―――手が、臭いんだろうな。多分。
血塗れの手、臓腑のかかった服。まともに暮らすならどれもこれも嫌悪を抱かなければならない。でもこれは、今の俺の状態とは無関係に慣れた。悍ましい死体なんて何度も見てきたから。
「一つ聞いていい? 未来の事だし想像も出来ないから」
「なんですか?」
「この島に来てよかったと思ってる? それとも後悔してる?」
「そんな分かり切った事を聞かないで下さいよ。後悔してるなら戦うなんて言いません。大変な事ばっかりで、自分が段々人間かどうかも怪しくなってきて……芽々子は人形なんですけどね、アイツのが人間らしくなってきたかも。はは」
「―――声が笑ってないよ」
「笑い方、分からなくなったんですよね」
偶然だが、たった今入れたのは響希の死体か。さっき殺されたお返し? いいや、ここではまだ初対面だ。恨みもなければ感謝もない。そんな今にも泣きそうな顔をされたって、彼女は死んでいる。
「……私よりも先に人間性を喪わないでくれよ。私もいつか似たような末路を辿るかと思うと今から憂鬱だ。やめてくれ」
「俺のは二度と服用するなって言われた薬を使った結果なんで真紀さん程悲惨じゃないですよ。アブない薬を使って壊れちゃったらそいつの自業自得でしょ。これを誰かのせいにするのは、違う」
過去の『黒夢』がじっとこちらを見つめている。そういえば薬を使った時だけは会話出来たような気がするが―――今は無理そうだ。試しに声を掛けてみたが時間の無駄だった。
「…………私が言えた義理でもないけどさ、未来。問題が全部解決したら、何をやりたい? もうまともな状態じゃない筈だけど」
「…………何をやりたいって言う程の執着はないんですけどね。約束したし、先輩とデートくらいはしたいかな」
「学生らしさをアピールしなくてもいい。それが本当に出来るなんて思ってないんだろう」
「でも俺が一人暮らししたかったのは両親からの干渉を受けたくなかったからです。何でも自分で決めたい。その為なら体がこんな風になったって後悔はありません」
『黒夢』の調合が済むまでの間、今一度過去を語る。俺の昔話をしたのは三姫先輩と合わせてこれで二人目になるか。真紀さんになら、いい。動機はどうあれ恩人だ。それも多少の事では揺るぎないくらいの。
「両親は俺に対して過干渉だった。とにかく俺に頼らせたくて仕方なかった。そのせいで気づけば本物の無能になって、再起を図っても中々上手く行かない。真紀さんが連れ出す前の俺はそんな感じだったんですけど。両親はどうして俺に対してそこまで過干渉だったか分かりますか?」
「……単なる過保護、とか? もしくは子供の過小評価だ。或いは代理ミュンヒハウゼン症候群みたいな、心の病気」
「数撃ちゃ当たりますねそれ。違いますよ。妹に言われてたからなんです」
「…………妹?」
「そう。妹。芸能人でね。滅多に家に帰らないから傍から見たら一人っ子みたいな状態っちゃ状態だったんですけど、妹だけが俺を気にかけてくれててね。親にはいつも俺が何してるかを聞いてたみたいなんです。もう分かるでしょ。自由に放っておいた俺の行動を報告するより手綱をつけておいた方が報告が簡単だって」
そうはいったが、俺には妹という感覚がない。自分でも一人っ子のつもりだった。ああ、妹が生まれたのは俺が病弱で頻繁に入院していた時期の事だ。そして体がある程度丈夫になってからは既に妹とやらは芸能界に行ってしまったので出会っていない。
だから妹と言われたって―――この島になぞらえるなら、妹が居るというステータスを与えられたに等しい。
「それを知ったのは随分後の話なんですけどね。今、俺の行動は誰にも見られてないし縛られてないし、望んですらいない。俺が戦いたいから戦ってる。俺は俺一人の為だけに抗ってる。たとえ薬の後遺症で感情が消えたり、寿命が短くなってたり、血液が腐ってたり、視力を失ったんだとしても悔いはない」
望まれた行動より、選んだ決断を。
これだから俺は、黒幕って奴が嫌いなんだ。何でも思い通りに動くと思うその根性が気に入らない。調合も住んだらしく、真紀さんが鞄の中に手を入れて―――眉を顰めた。
遅れて俺も、気が付く。
「あ。そうだった。死体を入れちゃうと『仮想性侵入藥』が出来ちゃうんだった。俺も忘れてました」
「……予めレシピがそう設定されているの? そうか、困ったな。私はそれを知らなかった…………予定変更だ。この薬、貰っていくよ」
「はい?」
「これだけ大量にあるなら問題ない。私も君と同じ道を辿ろう。旅は道連れ世は情け、たった二人の生者として地獄の道にはとことんお供させてもらうよ。問題は君だ。瞬きをしてはいけないんだったよね? 元の世界に帰したかったら……そうだ。私は薬に詳しくないんだけど、この薬を今打ったらどうなるの?」
「……ん、っと」
うろ覚えだが、薬を使っている最中は薬を打っても効果がないみたいな話を聞いたような気がする。ただそれは、薬を打った段階でそこが現実世界である事を前提とした話だ。真実は御覧の通り、ここは仮想世界で行先も仮想世界だった。しかも薬の打ち方だって閉所に閉じ籠って視界を遮って使う方法であり、総じてその時の条件とは前提が変わりすぎている。
「じゃあ一本打ってみますか」
「判断が身軽だな。怖くないのかい?」
「怖いってなんですか?」
芽々子の拠点から空の注射器を取ってくると、鞄の中に満たされた液体に針を入れて容器を満たす。
「…………もう一線は超えたんで、もう何本打っても変わりませんよ。やり直しは出来ませんがやり尽くしてみましょう」
首筋に向けて注射器を刺すと、視界に放射状の線が入った。
「くっ……!?」
どくん、どくん、どくん。
体の中で血が沸騰している。じわあと視界に広がる線から血が広がってきたかと思うと、刹那。瞬く間に視界が塗り潰されて見えなくなる。左右を分けていた境界線が混ざり―――
「ぐぼが―――!」
「天宮君!」
右目の破裂した衝撃で体の支配権が戻り、瞬く間に溺れてしまう。芽々子はすぐに装置を作動させて液体を抜いてくれたが、もうあと数秒溺れているだけで意識は永遠に戻らなかっただろう。下から抜けていく液体に流されるように、俺もカプセルの中から倒れるように開放された。
「ぐあああああああああああああああああああああ! あがああああああああああああああああああああああああああああ!」
「待って、待って、応急処置だけでもするわ。落ち着いて、落ち着いて―――
「うがあああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああああ!」
蹴って殴って暴れて泣いて。芽々子の身体が人形でなかったら彼女もボコボコに負傷させていただろう。包帯で失った右目の出血を止める頃には連れてこられた部屋をすっかり荒らしてしまった。
「ぐぐうぐぐ、うううぐぐ…………ここは」
「集中治療室、みたいな物。最深階にあるから時間がかかっちゃった。タイムリミットの一時間まで残り五分だけど―――だ、大丈夫? やれる?」
体の支配権も、感覚も、全てが一致している。奇妙だ。慣れない。立ち上がろうとして、右足がまともに動くのに驚いて転んだ。芽々子に肩を借りても今度は彼女の方に寄りかかって押し潰してしまう。重力が重たい。
「一応言うけど、『黒夢』の方に変化はなかったわ。当てが外れた? 私達は失敗したの?」
「…………あの薬って、改竄は服用した人間の主観が優先されるんだったよな」
「……そうね。薬を使ったと言われない限りは認識すら出来ない理由がそれよ。それが何?」
「変えられるのは飽くまで薬を使った人間が現実じゃなくてもう一個の世界だけを見てるからだ。俺みたいに間に立って両方を見てた場合どうなる?」
「それは…………」
「残り時間は全部リハビリに充てる。手伝ってくれ、予定調和の決戦に、参加しないとな」
研究所の外に出て鳥居の前に立つと、洞窟の方から意思なき死体と化した住人が押し寄せてくるのが見える。退路はない。前へ前へと進みどちらかの陣営が死ぬ事でしかこの戦いは決着しない。
頼れる武器は白黒の鞄が二つ。直刃の刀が一振り。
「まさか一回の人生中に二度も皆殺しをしないといけないなんて、流石の私も初めての体験だよ!」
芽々子と合わせて俺を挟むように、真紀さんが隣に立った。
「やり直せるって便利だねえ、お二人さん。これなら不意打ちだって食らいようがないよ!」
「テンション高いですね」
「そりゃまあ、さっきまで死にかけてたんだ! 頼れる人が私しか居ないともなるとテンションだって上がるよ! いやあ、ごめんね二人共。情けない姿をずっと見せてきたけど……こと人間を殺すのにおいて私より上手い人間はいない。退路がないくらい丁度いいハンデだ。えっと、残り一時間を稼ぐんだっけ?」
「怪異の情報にアクセス出来れば『黒夢』が何か対処出来るらしいです。だから芽々子、お前は別に表に出る必要はないんだけど」
「何言ってるの。ついさっき失明した人間を放っておく事なんて出来ないわ。それに、その刀は件の怪異を殺害出来るんでしょう。アクセス出来た情報は違う用途に使うべきよ。神異風計画とやらを滅茶苦茶に出来るんだから」
「そりゃあいい! 私は台無しにするのが大好きだからね! あっはっははっははは!」