対怪異特殊分析機構
「…………う」
目が覚めたかどうか自分でも判断出来なかったのは視界全体が暗転してまともな景色を見られないからだ。だが意識はとてもハッキリしているし、自分が何処に居るかも把握している。暗いのは装置に繋がる導線を破壊したせいで部屋の照明系統にも影響が及んだからだろう。
『おはようございます。天宮泰斗君。私の事はまだ覚えていますか?』
「…………霖さん」
『はい。霖さんです。真っ暗闇で状況が把握できないと思いますが、まず貴方の両手足は生身に置き換えさせてもらいました。気分は如何ですか?』
「え…………」
確かめるべく、部屋を出る(部屋のロックはこことは無関係らしい)と、確かに両手足は人形の物ではなくきちんと肉の性質を持っていた。ただ何の痕跡も残さず綺麗につなげられた訳ではなく、人形だった部位の丁度繋ぎ目に縫合の痕が残っている。
「……外科手術したんですか? 俺が寝てる間に」
『得意ではないので、痕はどうしても残ってしまいます。すみません。ここにはまともな環境も手術道具もないので、不自由があれば私の不手際です』
「いや、全然大丈夫です! し、死体の手足じゃないですよね。綺麗だし。有難うございます」
何処から代替パーツを持ってきたかはこの際突っ込むべきじゃない。腐敗もしていなければ腕の大きさもぴったりだ。特に腕の大きさはたまたま一致する物でもないから、一番考えられる線は一から作り直した、とか。この研究所の科学力の限度を知らないから、真っ当な範囲なら有り得る方法だ。
「それで、俺は何処に行けばいいですか?」
『この研究所は全部で地下五階まで広がっていますが、同行者の殆どが再起不能に陥った今、何の装備もない貴方ではまだ立ち向かえません。地下三階に貴方も良く知る装備があります。、まずはそれを手に入れてください』
「あの部位の大群みたいな奴は、もう居ませんか!?」
あれに追いかけ回されて逃げ切れる自信はない。この研究所のマップも知らなければ純粋に速度も負けているのだ。地下というからにはと必死に階段を探しているがまだ見つかっていない。迷路を歩いている気分である。
『その部位群について話しましょうか。天宮泰斗君、あれらに知覚器官は存在すると思いますか? 目や鼻、耳などで貴方達を探知していると思いますか?』
そんなの、決まっている。だってそれらがないと俺達を追い回す事が出来……いや。
「多分、ないですね。思い出したんですけど、『みいつけた』って言葉の後に俺達は襲われたんです。何で最初に出てきたのが先生の服の中なのかは……良く分かんないですけど。あの部位群が自発的に襲ってるならあんなに話す時間はなかったと思うし、それなら真紀さんが不意打ちを食らう事もなかった」
『その通りだと思います。あれは貴方達を何らかの方法で見つけた誰かが遠隔操作した物です。この研究所で人を発見する方法は監視室から監視カメラを見るしかありません。あ、今の私が居る場所ではありませんよ。単にスピーカーを使うくらいなら他のいくつかの部屋からでも出来ますからね』
「えっと……つまり、監視室に居る人次第でまた襲ってくるって事ですか?」
『はい。あれらは部位群故、その気になれば一部を切り離して操作する事も可能です。ダクトや排水溝には十分気を付けて下さい。因みにこの放送は実行犯も聞いています。尤も私を見つけるのは現実的ではないので、貴方を狙うと思いますが』
それなら階段を探すのは悪手……いや、エレベーターが見つかったとして、そこは密室だ。降りた階で出待ちされるだけならまだいい方で、降下中のエレベーターに押し寄せられたが最後、耐荷重限界を超えて落下したら最早抗えない死が待っている。
落下の瞬間にジャンプすれば助かる? あまりそんな気はしないし、それが可能だったとしてどうやってタイミングを計るのか。息が切れ始めた頃、ようやく階段を見つけたので全力で降りる。三段飛ばしなんてケチな事は言わない。手すりを滑るように降りて時短を計る。
「地下三階って言っちゃって良かったんですか!? 出待ちされますよね!」
『出待ちされるならあの部屋で出待ちを食らっていたと思いませんか? 死体を操る何者かは勝手に自滅した貴方達よりも優先するべき目的があった。いや、目的はなくなったというべきですかね。研究員を無事に殺せた訳ですから。一刀斎真紀に追い打ちをかけなかった理由も同様。仮に出待ちを食らっていたならそれはそれでやり方はありました』
言われてみると、幸運に恵まれすぎていると思った。真紀さんは瀕死ながらギリギリ生きていたし、俺と雀子は更なる追撃を味わわずに済んだ。自発的に襲っていない証拠は最初から揃っていたのだ。相手が死ぬまで粘着するなら今頃真紀さんはあんなもんじゃ済んでいない。
「はあ!?」
このまま階段を降り続ければいいと思ったのに階段が続いていない。防犯上の目的? 安全上? 馬鹿馬鹿しい構造だ。次の階段を求めて走り出す。
―――今は何も考えるな。
反撃する事だけ考えろ。後は全部、それからの話。
『部位群の話を続けましょう。彼らには大きく分けて二つの性質があります。何か分かりますか?』
さっきからどうしてわざわざ問いかけてくるのかと疑問だったが、話していると段々その意図が分かるようになってきた。この放送は全体に聞こえているから向こうにも当然このやりとりは伝わっている。ただし、俺の返答は伝わっていないのだ。向こうには霖さんの発言だけが聞こえて、俺の返答は聞こえてこない。やり取りからある程度類推する事は出来るが、それより重要なのは問うという形で放送を続ける彼女の存在である。
全部知っているように聞こえるのだ。いや、ようにというかもう知っているのかもしれないけど。だから死体を操作する人間は霖さんを狙わざるを得ない。何処まで事情を知っているか分かりにくい真紀さんと先生が襲われたのと同じように。
放送で彼女は『私より貴方を狙う』と言っているが、それもある種ブラフ。傍から見て危険度が高いのは碌な武器もなければ頼れる仲間を全滅させた俺よりも環境の整わない中で外科手術を成功させたり、何処とも知れぬ場所からアナウンスをしたり、答え合わせをするように疑問を投げてくる霖さんだ。俺の事なんていつでも殺せる。
「え、えっと……………部位を持ち去るには条件がある、とかですかね!」
『ほう。どうしてそのように思ったのですか?』
「先生があらゆる部位を切断されて服と胴体くらいしか残ってなかったのに、真紀さんや響希は攻撃こそされてましたけど持ち去られた部位が一個もなかったから。なんか、無条件に持ち去るような事は出来ないのかなって。持ち去らない理由がないじゃないですか。選んでる訳でもなさそうだし」
『成程。他には?』
「え……? 他?」
思い当たる程あの部位群と戦っていない。次の階段を見つけたのでまた降りる。肉の波が押し寄せてくる音は聞こえない。俺を追う気がないのか……?
「他って…………他? 他ぁ? 全然、分からないな」
地下三階に着いたらどの部屋に行けばいいのか言わないのは奇襲を受けない配慮だろうか。相手には俺が何階に居るかも分からない筈だ。分かっているならやはり襲撃を受けているだろうから(霖さんから俺を警戒させる情報は一応出ている)。
『そこ。そこです。早く入ってください。その、機構保管室に入ってください』
「え! 何で!」
『いいから!』
俺の考察は秒で崩壊した。慌ててロックを指輪で解除して中に入ると、
真っ白に輝く鋼鉄の鞄が、最奥の台柱の上で俺を待つように佇んでいた。
「…………く、『黒夢』? いや、白いから『白夢』か?」
対怪異特殊分析機構。怪異の一部を鞄に取り込ませるとそれに対応した武器が生み出され、力押しでの撃破が可能になる。噂のない怪異に対する唯一にして絶対の対抗手段。仮想間で持ち越せる特殊な性質を持つ……芽々子の武器。
鞄を手に取った直後、外の方からダクトを突き破るような破裂音が聞こえる。当たり前だ。霖さんが俺の居場所を教えてしまったせいで、探す手間が省けている。
『電気を消してください』
何故と立ち止まる理性を捨てて、照明ボタンを反対側に切り替える。ここは密室、逃げ場はない。入り口はロックをかけ直し、窓らしき窓はなく。電気を消した今、視界は役に立たない。最初に目覚めた時と同じ。
「…………………もしかして。こういう事ですか?」
『―――はい。部位群が持つもう一つの性質。それは肉であるという事です。肉の集合体はその性質上、肉を持たない物質に特殊な干渉はかけられません。怪異は本来互いのルールを侵害しませんが、この世界に限ってその制約はありません。貴方は知っている筈です。肉を好物とする無機物の存在を』
持っていた小さな犬のぬいぐるみを鞄の中へ放り込む。『くらがりさん』に勝ち、また遊ぼうと約束した再会の証。
『黒夢は怪異の成分を基にその対抗成分によって武器を生成しますが、白夢は貴方が適当に名付けてしまったように対極の能力を有します。即ち―――』
『怪異の成分を基に、その特殊能力を獲得する!』