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白き瑞夢

 ざざぁん。 ざざざぁ。

 波の音が聞こえる。懐かしい潮の香りが鼻を擽り、穏やかな眠りから意識を引き上げようとしてくる。ここは粗末な客室の一角、航行中の船を揺り籠に眠っていたようだ。

「…………」

 くたびれた布団をどかして起き上がる。船は至って問題なく進んでいるようだ。だが少し揺られすぎたかもしれない。気分が悪い。寝ている内に船酔いをしたのだろうか。

 蝶番の軋む音はいつ聞いても不愉快だ。錆びた扉を開けて甲板の方に向かうと、白いワンピースに大きな麦わら帽を被った女性が風に服を靡かせ佇んでいた。遮るもの一つない大海の下、燦燦と照り付ける太陽に照らされ今度はしっかりと顔が見える。凛々しさの際立つ顔立ちはクールな印象を与えてくるが、それに反して目元は穏やかに緩んでいて、微笑まれるとささくれだった心が鎮められていくようだ。

「…………霖さん?」

「はい。お久しぶりです。いいえ、あの時は目を合わせていなかったので初めましてでしょうか」

「え? …………もしかして、姿を象ってるとか何とか言ってたけど、やっぱり提唱者さんって貴方なんですか?」

「いいえ、それは違います。私と彼女では声の冷たさが違うでしょう。後は、テンションとか。私は彼女の良き理解者……というだけです。この船は現在、貴方も良く知るあの島へと向かっています」

 霖さんに手を引かれ、甲板に並べられたラウンドテーブルの一つに向かい合って座る。少しドキドキするのは何故だ。受けてしまう影響も、そのきっかけも、思い出すらもないのに。

「介世島……」

「世界大戦の結果をひっくり返すという滅茶苦茶な目的から始まった研究。『新世界構想』に含まれた技術によって構築された仮想世界で起きた事件。多くの人間の意思が介入し、また人間でない者の意思も介入し、遂には外から様々なステータスを渡された死人の意思までも関わる始末。その中には勿論、貴方は居ません」

 霖さんは俺の手を机の上に引っ張り出した。指にはまだ、あの時貰った指輪が嵌められている。これが夢なのか現実なのか……考えようとすると頭がぼんやりして判断出来ない。

「これは、どういう状況……ですか? 現実ですか? 夢……ここも、仮想?」

「さあ、どうでしょうね」

 霖さんは煙に巻くように微笑んで、話を続ける。

「そんなのは、どうでもいいじゃないですか」

「…………え?」

「貴方を連れてきたのは伊刀真紀であり、その意味とは繰り返す人生に絶望し身代わりを立てようと思ったという身勝手なモノ。天宮泰斗君、貴方はこの場所に居ても居なくても変わらない存在なんです。貴方が居なくても国津守芽々子は代わりの協力者を探したでしょう。雪乃響希は貴方の有無に拘らず変数次第で同じように巻き込まれたでしょう。伊刀真紀が貴方の味方なのは、自分の身勝手を思い直したが故。贖罪の為です。貴方はこれに巻き込まれるべきではなかった」

「…………無関係なんて、そんな」

「国津守芽々子の目的は彼ら研究員の皆殺し。それが達成されればこの仮想世界も抹消されるでしょう。私は貴方を助けたいと思い、今ここに呼ばせていただきました」

 しなやかな指先が力を入れた様子もなく指輪を抜き取り机の上に。ユークレースの青みが淡く陽射しに反射して淡く輝いている。

「この指輪を海に捨てて下されば、私はこの船の進路を変え、現実へと貴方をお送りします。一人暮らしを認められたという事実はなくなり、迎えの船もないでしょうが、それでも貴方はこの騒動から抜ける事が出来る」

「………………それで、皆は助かるんですか。霖さんが、助けてくれるとか」

「私ではどうにもなりませんよ。彼女は言わなかったのですか? 自分一人で解決出来るなら何とかしているって」

「…………じゃあ皆は。真紀さんは。響希は。芽々子は。先輩達は」

「伊刀真紀はまた繰り返す日々に戻るだけです。解決するかどうかはその時の変数次第でしょう。いずれにしろ気にする事ではありません。テレビで報道されず、ネットでも話題にならない、どこかの誰かの不幸など知るべきではない。人間一人に出来る事には限界があります。神話の神様の様にあまねく不幸を遠ざけるなど到底不可能なんですから」

「…………」

「国津守芽々子が勝とうと、彼女達が勝とうと、貴方の日常には何の変化もない。だから知る必要はありません。知る権利すら放棄して、それでも助かりたいと思うのならこの指輪を捨ててほしいのです」

「何で、俺だけ」

「貴方が現実の人間だから助けられる。伊刀真紀もそれに該当しますが、彼女に同じ問いをした所で権利を貴方に譲ると答えるでしょう」


 今なら、逃げられる。


 この指輪を捨てるだけで、全てが終わる。

 逃げたいと願っていた。逃げられなかった。

 生きて帰りたいと約束した。約束は守れなかった。

 

 俺だけでは到底どうする事でも出来なかった、口だけの願い。全てが叶う。ただ一つ。指輪を捨てるだけで。

「…………霖さん。提唱者さんの友達なら聞かせてください。『新世界構想』は……人をおかしくしてしまうその技術は、一体何の目的で生まれたんですか?」

 霖さんは困ったように眉を顰めると、不意に顏を逸らし海に答えるように言った。

「…………彼女はどれくらい語ったのやら。『新世界構想』は覆せない結果を覆そうと足搔いた結果にすぎません。大切な人を……人生全てを失っても取り戻したかった人の為に、それは生まれました。それさえ実現すれば彼女の目的だけではない。全ての人類から不幸は失われ、新たな世界の中で必ず幸せを掴める……もう、分かるでしょう。人には過ぎた技術だった。そして彼女にとっても必要なくなってしまった。願いは…………違う形で叶ったから」

「………………そんな事で、諦めたんですか」

「足るを知る、とても大切な意識です。人一人が出来る事には限界がある。まだ足りないまだ足りないと欲していれば、いつか底に穴が開いたとしても気づかない。気づいた時には全て、消えています」

 指輪を握りしめ、介世島に目を向ける。少し手を伸ばすだけ。もしくは投げるだけでいい。それで俺の…………俺の役目は…………



「…………何で、俺に選ばせるんですか?」



 ふと、疑問が過る。

 助けたいと思うなら強引にでも助けるのが、助けるという行為だ。助けてほしいかどうかを尋ねるなんて、妙としか言えない。

「助かりたいって分かってるなら、選ばせる必要なんてないじゃないですか」

「…………」

「関係ないって思うんなら。俺が居ても居なくても変わらないって思うなら、どうして尋ねるんですか?」

「―――()()()()()()()()()()()()()()()

「えっ」

「国津守芽々子にとってはその場の流れで選ばれただけの協力者。伊刀真紀にとっては勝手に巻き込んでしまった無辜の被害者。居ても居なくても変わらない、そこに違いはありません。ですが、貴方にとっては? 貴方にとっての天宮泰斗はどうですか? 貴方から同じ指輪を貰った、操り人形でしかなかった国津守芽々子にとってはどうですか? 居ても居なくても変わらない、どうでもいい存在ですか?」

「…………」

「たとえ貴方だけが生きていようと、彼女達が後からステータスを付与されただけの死人でその過去が全て紛い物であったとしても、時と場所が違えども。貴方達が築いた時間は本物です。ほんの僅かなボタンの掛け違い、結末から逆算すれば誤差でしかない変数もかけがえのない時間だった筈です。日常からかけ離れた日々が続いていたのだとしても、貴方にとってはそれが得難い安息だった。違いますか?」

「………………………………………」


 思い浮かぶのは、日常とは言い難い騒動の数々。その中でどうにか日常を楽しもうとした日々。バイトをしたり、テスト勉強を友達の家でしてみたり、海で泳ごうとしたり。自転車で二人乗りをしながらかっとばした事もあったっけ。

 手料理を作ってくれたり、一緒のベッドで眠ったり、秘密の共有をしてみたり。


 指輪を握りしめる手が、痛いくらいに固くなる。


「私ではこの騒動を解決できない。出来るのは今ここで貴方を逃がす事だけ。もしも貴方がそれを拒むなら―――逃げずに、この島に生きる者として戦うというのなら、手助けを。そのくらいはしましょう」

「…………俺に、出来ると、思っています、か?」

「出来るか、出来ないか。自分の身の程を弁えたとても素晴らしい心構えです。しかし私は、貴方がやるのかやらないのか、その意思を尋ねています。選んでください。そして後悔のない選択を、してください」


「………………………………………………………そんなの」

















「そんなの、決まってるだろ!」

















 持っていた指輪をもう一度嵌めて、力の限り机に拳を打ち付ける。答えなんて自分でも分かっていた。俺の本当の望みは。俺のしたい事は。

「俺は皆を助けたいよ! 芽々子も、響希も、雀子も、先輩達も、真紀さんも! みんな、みんなみんな助けたい! 生きて! 笑って! また会いたいよ! でも俺には出来ない。何も出来なかった!」

 だから逃げたかった。自分の未熟を認めたくなかった。一人暮らしは何事にも責任が伴うというのに、その責任から逃れようとした。その責任から逃げられる機会を得た。

「もう駄目なんだって何度も思った! だから何も見ないフリをした! でも……でも本当は、やっぱり諦めたくない! 仮想とか死人とか、そんなの関係ない! ここは俺の居場所だ! 親に干渉されない初めての居場所なんだ! やる、やるよ。俺は、誰の為でもなく、俺一人の為だけにみんなを助ける! 芽々子の思惑なんてどうでもいい! やります、霖さん! だから、俺に力を貸してください!」

「…………分かりました」

 船は進む。時空の乱れた島を目指し一直線。本日、天気は晴朗なり。心は凪のように澄んでいる。











「では、そろそろ反撃と行きましょう。生者が死人に負ける筈ないのですから」

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