永遠とは拒む事
研究所の入り口を前にして話すのもなんだから、と俺達は中に入って入り口周辺の適当な椅子に座った。雀子は俺の膝に座ろうとしたが、尻尾が邪魔で話が入ってこなさそうなので横にずらす。俺の逆走ルートを除けば向こうの世界同様、殆どの扉はロックされている。後は雀子の尻尾で入り口を塞いでおけば一先ず安全は担保されるだろう。
「……こんな事を言ってはなんだけど、幽霊は本当に居るんだよ。君達にとってはデータ上の存在、でも私にとっては、生きる事を邪魔してくる嫌な存在だった」
「勝手に取り憑かれるでしたっけ」
「分かりやすく言うなら突然誰かが頭の中に入ってきたり、勝手に体を動かしたりする……自分の中に自分以外が居る感覚。ごめん、分かりやすくは無理だね。そのままの表現だ。お母さんも最初は心配してくれたけど番組に取り上げられてからは、それこそお金に取り憑かれちゃってね。私の心配よりもどれだけ笑われ者になって稼げるかばっかり気にするようになった。多分……限界だったと思うんだ。自分の娘が異常者なんて、認めたくなかったんだろう。気持ちは……分かるんだ。後々同じような選択をした訳だからね」
今は私が強すぎるから誰も来てくれないよ、と自嘲気味。嬉しいやら悲しいやら、きっと他人が一言で語れるような感情ではない。真紀さん自身もそれを分かっているからか、表情は人形のように動かなかった。
「けど当時の私には辛かった。学校にも行けなかったよ、生きていける場所なんて何処にもないかのようだった。みんなが後ろ指をさして笑うんだ。あれはそんな時だったな。私の体質を研究してくれると言ってくれた人が居たんだ。研究が進めば治療も出来るからって言われて、私はすぐに頷いた。家族の許可は取らなくていいって言ったんだ。絶対に止められる。こんなチャンスはないと思ってたから」
「…………私、死人かもだけどさ。なんか生きてても碌な事がないなら死人でもいいかなって思い始めてきたわ」
「それはちょっと影響が早すぎないか?」
「気持ちは分かるのよ! 同じ状況だったら……私はどうしてたかなって。違う選択をしたとは思えないのよね……」
「島に来たら、すぐに部屋に連れていかれた。研究所の外に建てられたちっぽけな家さ。暫くそこで生活する事になると言われて……その時はそのまま寝たんだ。それが くなかったんだろう。良く分からない声に起こされて目が覚めたら、もう仮想世界の中さ。当時は別にそうとは認識してなかった、夢と思ってたよ。だけど何日も訳も分からないまま生活する事になってようやく夢じゃないと考え直した」
「本物の芽々子には会ってないんですか?」
「ああ。私がずっと会っていたのは人形の方の芽々子ちゃんだね。あのまま平和に暮らせればよかったのに、研究所が怪異を出力しているせいで私まで巻き添えだ。何度も死んだよ。死ぬ度、それが悪い夢だったようにまた目覚めるんだ」
既にループが始まっているという事は……真紀さんの異変は島に来た時点で始まっていたという事だろうか。しかしその一方で芽々子との面識はなかった。実証実験の後は誰も船を出せなかったというから、真紀さんが来たのは研究所が崩壊する前か。
「最初は夢だと思い込もうとしたけど、殺された時の感覚がハッキリ残っていてね。当時の私はそりゃもう錯乱して、自分がループしてる事を手当たり次第にぶちまけたりもしたよ。ただそれで、状況が良くなる事はなかったね」
「芽々子は対処しなかったんですか?」
「してくれる時もあった。研究所に連れていかれて、まあ色々と……ただ、全部駄目だったよ。私が死んだら全てなかった事になる。何回ぶちまけたって結果は変わらなかった。私が抗おうと抗うまいと、繰り返す時間は止められない。足搔いたさ。ありとあらゆる方法を試した。全て時間の無駄だった」
言葉は簡潔に。切り捨てるように短く。何の変哲もない一言も、真紀さんの諦観の笑顔を見ればかつての重さが浮かぶようだ。
「島を出た事もあった。だが本土に到着前に死ぬばっかりで一度も成功しなかった。仮想世界の中の研究所を見つけ出して暴れ回った事もあった。勝とうが負けようが終わらなかった。自殺してみた事もあった。皆殺しにしてみた事もあった。体を売ってみた事も、怪異に取りつかれてみた事も、結婚してみた事も。何もかも試した。やってみた。駄目だった。全部、駄目だった」
そしてそれだけ好きにやっているにも拘らず、最終的にはリセットされるせいで誰の目にも留まらない。過程を知る者は誰一人としておらず、ただ結果のゼロのみが知覚される。
「抗えないなら、いっそ全てを忘れてしまえるような邪悪になろうと思った。繰り返すと言ってもね。何がそうさせているのか多少状況は違ったりもしたんだ。だからこそ止められなかった。微細な変化もいつかは大きな変化になる事を夢見て」
真紀さんの虚ろな瞳が、俺の方を向いた。
「…………それが、君との出会いだ」
「お、俺ですか?」
「経験値は十分だった。私は研究所に訪問して脅迫したんだよ。お前たちのやってる事を全部台無しにしてやるとね。そうしてほしくないならもう一人私と同じように実験対象を連れてこいと。見つけたら私が直接連れて行くという条件を出した。それでようやく久しぶりに本土を見れたよ。その時にはもう、君の知るお姉さんさ。繰り返してるのに自分の時間だけは経過してる。それも変化として前向きに捉えてた。そして、そんな私の悪あがきに引っかかってしまったのが君だ」
あれは本当に、俺にとって都合が良すぎる出来事だった。一人暮らしを認めさせたくて我武者羅に頑張ってて、両親は全くと言っていいほど認めなかった。相変わらず縛って、頼らせるように仕向けて、そんな俺をバカにする。それこそ無限ループかと思えるような変化のなさに苦心していたある日、今までの攻防が嘘だったように一人暮らしを認めてくれた。しかも特に条件などはつけずに、だ。高校を卒業するまでとか、毎日オンラインで顔を突き合わせるとか、そういったモノは一切なし。あまりにあっさりとしていたから当時は俺も夢を疑ったっけ。
「でもそれだと真紀さんが俺を島に連れて行って親切にしてくれたのは……」
「当時の私は、きっと外からやってきた人間が私だけだったからこんな事になった。じゃあもう一人連れてくれば、そいつにループが押し付けられて私は助かると考えてたんだ……結果はもう分かってるだろ。君にループを押し付けるどころか、ただ私のループに君という変数が加わっただけだった。繰り返す度に違う行動を取る存在が増えただけで私の問題は解決しない。私の目線ではただ犠牲者を増やしただけだ。それまでのループに君は居なかったのに、以降必ず現れるようになってしまって……」
「親切ってよりは、罪の償いって感じだったのね」
「でもボクも同じような事すると思うな。何しても気づかれないなら結局自己満足に帰結するんだろうけど、なんか、冷静になるっていうのかな。なりそうだよねっ」
「そう。雀千ちゃんの言う通り。冷静になってみれば私はただのクズだった。無関係の人間を引っ張りこんだだけの、自分勝手な女さ。だから心に誓ったんだよ。せめて、何があっても味方で居るように、とね」
真紀さんはわざと髪を解くと、片目を隠すように垂らして手を広げてみせる。新聞に載っていた顔は正しくそんな、陰のある姿だった。
「話はこれで終わり。何か収穫はあったかな?」
「……はい。実は結構ありました。それを言う前に―――少し確認したい事があるんです。俺の推測の裏取りというか、そんな大した事じゃないんですけどね。この先をちょっと進んだところに、この研究所で管理してる怪異についてまとめられてる装置があるんです」
「さっき聞いた、怪異を兵器として評価してる場所の事ね。アンタが違う世界で見たんならもう一度見る必要はないと思うけど?」
「それが、見る必要が生まれたから行くんだよ。大事な事なんだ。俺は真紀さんのせいでこんな事に巻き込まれちゃったかもしれないけど、『そもそも誰からこの異変は始まったのか』それがハッキリするんだから」