世界で一番君の味方
恐る恐る部屋の外に出る彼を見ていると、芽々子に追い回された事が余程トラウマになっていると見える。道案内を頼んだ手前強く言えないが、凄く頼りないので先輩と示し合わせて少し緊張をほぐす事にした。
「榊馬さん。私に設定されたステータスって解除出来たりしないの?」
「な、何?」
「怪異みたいな存在に会うと心が落ち着いて、逆に人間と触れ合うと身体が震えてくるの。これ、頑張って生活してはみたけどやっぱり不便なんだよね。どうにかならない?」
「……む、無理だな。研究所が万全だったら直せたかもしれないが……」
「万全だったら俺達はこんな所に居ませんからね。先輩もいい加減諦めて下さい」
「……一々心配されたら猶更近くに寄られて、悪循環なんだよね。まあ私が現実に帰れる事はないっぽいから、いいんだけどさ」
「榊馬さん。先輩が現実に行ける事ってやっぱりないんですかね」
「後輩君」
「元が死体でもデータでも、やっぱり一緒に戦った人に消えてほしくなんかないです。それにさっき仮想と現実が混ざってるって言ってましたよね。望みがありそう」
「…………この状況のままなら不可能ではないと思うが、君達は解決したいんじゃないのか? それだと、難しいぞ。何より混ざってる現実の範囲は恐らくこの島の中だけだ。外には出られない」
少し恐怖は緩和出来ただろうか。案内を受けて研究所の更に奥へ。長い長い階段を下りてから地下の扉を開くと、先回りするように霖さんが俺達を待っていた。
「こんにちは」
帽子を目深に被って顔を隠すのは彼女なりの配慮だろう。顔がない人間なんて最初見たら誰だって驚く。
「だ、誰だ!」
「私は……そうですね。貴方達が求めてやまなかった新世界構想の提唱者です。そこの三姫さんに言われて、先回りさせてもらいました」
「て、提唱者…………? あり得ない。政府が探しても名前すら分からなかったのに」
「私の技術は私だけの物です。人類にはまだ早すぎるので、隠蔽させてもらいました。座標を調べるとの事ですが、本当にその仕様を理解していますか?」
部屋の中央には地球儀の形を取ったネットが浮かぶ菱形の装置がある。あれを使って調べるのだろう。霖さんはレバーの側面にある心音識別機に指先を当てると、ロックを解除して起動させる。
「し、指紋で解除……?」
「心音さえ登録していれば体の何処を当てても問題ないんですよこの施設は。意識座標を調べれば確かに帰れると思いますが、その原理は向こうの世界にあるこの機会に信号を当てて道を作る、というものです。榊馬さん、本当によろしいのですね」
「…………何が言いたい」
「こちらは何らかの事情で外の人間は全滅しています。しかし向こうも同じ状況とは限らない。繋いだ瞬間、芽々子は貴方を見つけてしまうかもしれませんよ」
技術的な話は分からないが、最初に言われた通り俺が帰ってからは霖さんが世界を支えているのだろう。全滅は文字通り全滅であり、空っぽだ。つまるところここは隔離地帯であり、そのせいで出られないが、だからこそ安全という訳である。
道という言葉は決して一方通行ではない。右からも左からも通れるから道なのだ。
「……どの道、私が生き残るには君達に協力するしかないんだ提唱者。貴方が居れば、こんな事にはならなかったかもしれないのにな」
「こんな技術を再現しようとするのがいけないんですよ。さて……」
全員の視線が外れた気はしないが、瞬きの刹那、霖さんは俺の前に現れると、指輪を手渡した。ユークレースの嵌め込まれた指輪には酷く見覚えがある。
「これをつけていれば全ての扉が開けられる筈です。向こうで活用してください」
「こっちでは使わないんですか?」
「向こうで私は直接的な手助けは出来ませんからね。それに、仮想世界毎に研究所の中身は少し違う筈……違いますか、榊馬さん?」
「た、確かにその通りだ。現実から出来るのは飽くまで状況設定くらいで。細かい出力や制御、記録は私達も中に入らないといけなかった」
「そう。だから入り口が隠れていた訳です。見つかってしまうと仮想世界に影響を及ぼしてしまいますからね。という訳で、これをどうぞ。役立ててください」
――――。
既に彼女の浸渉は影響力を失っているかもしれない。だが指輪を嵌めて脳裏に浮かぶのは、あの時の嬉しそうな無表情。それが気のせいだったとしても嬉しかった。ずっと、焼き付いて、離れない。
「こちらはこちらで勝手に調べておきます。さて、榊馬さん。少し手伝ってください。私はこの未熟な技術についてノウハウがありませんから」
受け取った指輪をその場にしゃがんで眺めていると、横から視界に割って入るように先輩が手を入れた。
「大丈夫?」
「え」
「寂しそうに見えたから」
「……三姫先輩にはかないませんね」
全てが筋書き通りだったとしよう。思い通りに動いて、これからもずっと思い通りなのだとしよう。それは嫌いだ。俺はこの世で一番、誰かに支配されて生きる事が我慢ならない人間である。
同時に、ただの寂しがり屋でもあった。全てが嘘だったとしても、家の厨房でご飯を作ってくれた事や添い寝してくれた事、学校で親切にしてくれた事は事実。本物の事なんてどうでもいい。あの人形の芽々子に……もう一度、会いたい。今度こそ、しがらみのない状態で友達になりたい。
「…………俺、芽々子の事、好きだったのかもしれません」
「うん」
「指輪……送ったんです。つける指で意味が違うからこれは恋愛的な意味じゃないみたいな事言って……勿論、俺がアイツを好きだったのは心理的に協力させやすいようにっていう策略だったのかもしれないけど。でもやっぱり、なんか違うと思うんです。この気持ちが嘘だって、思いたくない」
「それで、どうしたい?」
「………………………………………………………………」
どうしたい。
決まってる筈だ。答えなんて最初から。たとえ全てが偽りでも、口に出した約束は、破らない。
名称も良く分からない機械が作動し、暫く後、俺は恐らく元の世界に帰ってきた。当たり前だが研究所の中だ。しかし俺が連れていかれたのは外の鳥居の手前である。真紀さん達はまだあそこに居るのだろうか。指輪を頼りに扉を開き、駆け足で入り口まで急ぐ。
確か向こうの世界では霖さんが勝手に入り口を見つけてくれたのであの三人に見つけられる余地はない筈だ。俺の方から開けないと帰ってしまうかもしれない。
「開け!」
入り口に掌を当てると、扉の奥から機構の作動する音が聞こえる。エレベーターの待ち時間よりも永遠のような、僅かな待ち時間。待ちきれなくなって蹴とばす勢いで飛び出すと、雀子が尻尾で部屋を荒らしている所だった。
「え、センパイ!?」
「おや、消えたと思ったら妙な所から」
「アンタ、何処行ってたのよ! 心配したんだから!」
話を聞くと、やはり俺は唐突に消えたようだ。周辺を探し回ったが、後ろに仕掛けた香炉の匂いが何故か俺が消えた場所に残っていたらしい。それを知った真紀さんが先に進もうと言い出して今に至ると。俺の方では一時間くらい経過した気分だが、こちらは十分と経っていないらしい。
懐かしくもない再会を一々喜んでくれる雀子を受け止めつつ、話題を続ける。
「三人共、多分先生はこっちに逃げた筈だ。俺は……話すと長くなるんだけど、先にこの中を探索してた」
そして、簡潔に向こうで得た情報を共有する。
・神異風計画とは怪異を兵器運用して過去の戦争の結果を変える計画の事
・現実世界の職員はほぼ殺され、殺したのは芽々子。だから研究所は全て空である事。
そして、一刀斎真紀。伊刀真紀さんの事。
「…………話が壮大になってきたわね」
「兵器運用って、武器にするって意味だよね。ボクの尻尾もその一環だったのかな」
思い思いの感想を口にする中、真紀さんは近くの樽を椅子代わりに壁にもたれかかる。
「…………ああ。うん。合ってるよ。私がその伊刀真紀だ。ごめんね、嘘なんか吐いて。君は外の人間だから、ワンチャン私を知ってるかもと思って黙ったんだ」
「気にしてません。真紀さんにはずっと感謝してます。俺はただ、気になるんです。タイムリープだと思ってたのに、真紀さんはちゃんと年を取ってる。なのにずっと繰り返してる。仮想と現実が混ざってるって言っても、俺は薬もなしに現実から連れてこられたし。真紀さんは…………何か心当たりはありませんか?」
「……………………………私はどんな事があっても君の味方で居ると言ったと思うけど」
俯いて、顔を隠し、まるで懺悔でもするように。言葉がこんこんと漏れていく。
「それは優しさでも何でもない。私の、自暴自棄だよ」