生きる理由
戦争の悲惨さを知る世代ではないが、その言葉を口に出してからようやく、自分が何を言っているのかを理解した。
「え、マジで?」
「いや、後輩君がそれを言うの!? ちょっと見せて、一体どんなデータを見たらそんな結論に達す…………」
後ろから三姫先輩が画面を覗き込むが、言葉に詰まってから俺を一瞥。視線が交錯する。答えを見た癖に何をと思うが誰かに聞きたい。これは一体何なんだ? こんな、怪異を兵器運用? 俺は何を言ってる?
「三姫までそんな反応をするなら間違ってないんだな……マジか。それ」
「馬鹿げていると思いますか? ですが幾ら馬鹿げていてもその証拠があるなら事実なのです。怪異を捕獲する技術さえあれば……尤も、この研究所はその技術すら半端なまま計画を進めてしまったようですが」
「…………霖さんはいつから気づいてたんですか」
「制御部門での映像を見た時から、ですね。確信には至りませんでしたが私の技術を使ってまでやりたい事があるとするならそれくらいではないかと。ここは怪異の育て場所という事です。怪異には好きなだけ人を与えるから飢える事がなく。人は無限に用意出来るから試し切りとしても使える。死人は非常に便利な資源ですね。このように仮想空間で囲ってしまえば公にもならない……尤も、話はそう単純でなくなってしまったのは、職員が一人も見当たらない事からも明らかですが」
確かにこの目で見たデータだが、『仮想性侵入藥』なんかより遥かに馬鹿げた発想にはとてもじゃないがついていけない。先輩と一緒に閲覧出来る限りのデータを見たが、それらは全て評価の掘り下げでしかなかった。ずばり、何処まで殺せるか、どの範囲までいけるか、状態(怪異が怒ってるかどうか)が変わるとどうなるのか、それらが機械的に、且つ実験結果を元に記載されている。
調べれば調べる程頭が痛くなったのは初めてだ。訳が分からないなんて事はない。ただ、本当にここの人間達は怪異を兵器運用しようとしていたのだと確認させられているだけ。
三姫先輩は口をあんぐり開けて、自分の見た情報を信じられないようだった。
「…………やっぱり馬鹿げてる。何でこんな事を? こんな研究に予算がついたのって本当? それこそ仮想であってほしいわ」
「既知なる後世を介……すれば、神風吹……いて、戦は終わる」
「何それ?」
「俺が巻き込まれた最初の……いや、今となっては最初かどうかも良く分かんないけど、柳木って同級生の親が二階で死んでた事があったんです。最初の俺は悲鳴を出しちゃって話がややこしくなったって感じなんですけど……薬を使って今度は安全に調べようって芽々子が言い出したんです。そしたら死体の中に変な小判みたいなのがあって……小判っていうか、材質は金じゃないんですけど。そこに書いてあったんですよ」
「小判…………?」
「未来の結果を変えたければ過去の選択を変えろ。過去の選択を変えたければ未来の結果を変えろ。過去と現在と未来は全て繋がっており相互に作用している。コップが落ちたから割れるのか、コップが割れるから落ちたのか。話を煙に巻いているかのようなこの仮説こそこの島で展開された技術の根本です。私がもしその言葉を翻訳するなら―――『既に分かった未来から介入すれば、当時存在しなかった技術により、戦争の結末は変わる』となりますね」
「戦争……」
「世界大戦の事ですよ。支援の是非はともかく、国が関わるスケールには相応しいですよね。その小判とやらは恐らくかつての日本国軍が使っていたドッグタグでしょうし」
霖さんの表情は何処か、物憂げだ。自分の技術がまさか後出しじゃんけんによる歴史改竄……それもここまで大きな目的に使われるとは思っていなかったのかもしれない。
「……なんか、俺らじゃ到底どうしようもない話になってきてないか? まあ何かトラブルはあったのかもしれねえが、だとしても、これ自体をどうにかするってのはよお」
「いえ、そういう訳でもありません。天宮泰斗君、貴方は『仮想性侵入藥』の過剰摂取により、現在存在が不安定になっています。その薬は無数の現実に飛ばしてしまうという致命的な副作用を抱えていますが、貴方の居る世界とこの世界、どちらも仮想なこの世界においてその副作用は意味を為していない」
「……使えるって事ですか!?」
「この仮初めの箱庭において薬は単なる行き来の手段でしかありません。モニタリングされながら服用すれば新たに構築された仮想世界のプレビューを、閉所で使用すれば仮想間の移動を。『仮想性侵入藥』の副作用は本物だからこそ現実で使わせる訳にはいかなかった。誰にも」
霖さんはするりと鉄格子の中に入ると、怪異の破片を掴み、持っていた小袋に押し込んだ。一つだけじゃない、次々押し込んでいく。回収して、処分する? 眺めている内に、俺も当初の目的を思い出した。
この装置になら乗っている筈だ。あの怪異の……真紀さんを困らせている奴について分かる筈だ。名前はこの際どうでもいい。対処法は本物の身体を見せる事だ。何処にある? どのエリアにそれがある。
「…………ない。ない! あれがない! 真紀さんを困らせてる奴は誰なんだ?」
「誰を探してるの?」
「死体で本物を装って殺して回る危ない奴がいる筈なんです! 名前を呼んだらすぐ殺しに来るからって名前は教わらなかったんですけど」
「…………確かに居ない。ねえ、もしかしてそいつのせいで何もかもおかしくなったんじゃないの? 今、職員が居なくて、怪異についてまとめてるデータにもないんでしょ。やっぱ紛れ込んだんだって」
紛れ込んだ…………?
何か釈然としないが、駄目だ。これ以上は真紀さん本人の協力が必要になる。白無垢の怪異に移動させられたから戻る手段は正直見当もつかない。幸いこの情報部門はまだ未探索だ。何か移動出来る手段があれば……いいけど。
情報部門は想像以上に広く、手分けして探しても探しきれない。先客が居た可能性も含めて俺達は二手に分かれる事になった。俺と三姫先輩、霖さんと岩戸先輩。この組み合わせになったのには彼の直情的な性格が何処かで災いするだろうと危惧しての事だ。
「結局先客はいなかったね」
「扉が開けっぱなしなのは、慌ててたんでしょうかね」
残る部屋を調べていきたいが、殆ど開かない扉ばかりだ。それは後々合流した際に霖さんに何とかしてもらう必要があるかもしれない。
―――頭が、痛い。
「後輩君、私思うんだけどさ、ここまでスケールの大きな話になると、戦う理由はやっぱり必要なのかもね」
「大丈夫です、先輩との約束は忘れてません」
「や、そうじゃないんだ。ていうか私もここまで壮大な話だとは思ってなかったから忘れてもらってもいいんだけど……まだやる?」
この個室は……物置なようだ。中には多少埃こそ被っているがまだまだ使えそうな物が沢山残っている。業務に関わらない書類などはここにゴミ袋をまとめて後々捨てているのだろう。袋を開けると当時の職員の私的なやり取りが見つかった。有益な情報はない。
「まだやるって、どういう意味ですか?」
「元々私達が生きてる世界は君が作ってくれたんだよね。だったらどうにかして薬を手に入れて、三人で平和な仮想世界に逃げちゃうとかさ。思ったりしないの? 話を聞いてるとさ、君が真相を追えば追う程、それは誰かの思う壺だって気がしてる。それよりも私は、自由を尊重したいなって思うから」
芽々子の言い分でもう一度仮想世界に潜ったら、あのドッグタグの発言が見つかり、それは後々神異風計画に対する仮説を立てる際に役立ってしまった。たったそれだけでも何やら大きな作為を感じる。芽々子はもういないが、それは導く必要がなくなっただけなのではないか。所謂仕込みは既に済んでいて、後は俺が回収するのを待っているのだとか。
「…………ここまで来たら、やりますよ。俺に何を期待してるのかなんてさっぱりだけど、そうやって黒幕面して何でも思い通りにしようとする奴って嫌いなんで。途中まで思い通りかと思いきや全然違う結論に達してたくらいの事はしてやりたいです。真紀さんと霖さんの存在が想定通りとはとても思えない。あ、ここに真紀さんは居ませんけどね。俺はね、先輩。どうせ出来ないって嗤われるのがこの世で一番嫌いなんですよ。両親の好きな言葉です」
「……親御さんに、過小評価されてたの?」
ゴミ袋を開けていると気になるメモを見つけた。自分の行動を逐一行動表に記したノートだ。その刻み方は分、時には後から秒で刻まれている。懐かしい気持ちになった。俺も昔は、これをしていたっけ。
「…………両親は過干渉だったんですよね。やる事なす事いちゃもんをつけてくる。それだけじゃない。どうせ俺には出来ないって嗤いながら、自分達を頼らせるのが二人の一番好きだった事なんです」
「……何それ」
「家の扉は殆ど外開きでした。両親が外から鍵を閉められるようにね。夜中にトイレに行く時なんか何とか起こして鍵を開けてもらわないといけなかったり。勉強は逐一見てきて、解き方が違えば馬鹿にされる。食事はずっと食べさせてくるし、服を買おうとすれば、いや買ったらセンスを疑われて捨てられる。友達が出来た時は、気に食わない相手だったら俺の悪い噂を流してまで距離を置かせる。ほら、過干渉でしょ?」
「それは過干渉じゃなくて虐待って言うのよ! 何それ、え? 何一つ自分ではさせてもらえなかったって事?」
「そうですね。だから途中までは本当に俺も何も出来なかった。心の中では出来るって思いながら、気づけば本物の無能に。それから徐々に一人暮らししたい、干渉されたくないって思うようになってきて、妨害を乗り越えて色々頑張ったんですよ。その頑張りの成果が今です」
憎んでなんかいない。実際、子供の頃は本当に無能だったから、突然それをやめられるだけで死んでいただろう。怪異と戦う羽目になって両親に助けを求めたい気持ちになった事もあるが、それでも―――俺は、やっぱりこの生活を愛している。干渉されない事がどれだけ幸せか。保護者代わりの真紀さんが放任主義でどれだけ救われたのか。
「今となっては何で両親が突然一人暮らしを認めてくれたのかも、真紀さんがわざわざ俺を選んだのかも謎です。でもそんな事はどうでもいい。俺は芽々子の協力者としてここまで近づけた。ならそこまでが意図的だったとしても俺は自分の意思でこの事件を解決したい。後の事はそれから……」
ゴミ箱の中に、新聞紙を見つけた。島から出る事を許されない人間には数少ない情報源だ。ある事は珍しくないが、目に付いたのは見出しである。発刊日は…………俺がこの島に来る、三年前。
『大人気霊感少女 伊刀真紀 消息を絶つ』
見た目こそ幼いが、その顔は間違いなく、真紀さんの物だった。