ほんもの
特徴と言っても、あの時は必死だった。服装以外にいえる事があるとすれば不明瞭な髪の毛と金縛り……俺の身に起きた異常現象くらいなものだ。
「んー」
真紀さんは首を捻ってうんうんと頷いている。もう何も話すことがないから沈黙しているのに、相槌を打って……人はそれをテキトーな返事と言う。こんな状況でもなければ突っ込んでいた。
「ちょっと真面目に頭の中を探してみたけど、駄目だ。やっぱり遭った事ないと思うな」
「私達が知る由もないけど、そいつの名前はなんて言うのよ」
「分からない」
「またっ?」
「分からないのはそうだけど、あの時は聞き取れなかったんだ! 名前はあるんだけど、上からモザイクがかかったっていうのかな。雑音? ノイズ? とにかく、聞こえてたのに何も分からなかったんだよ」
「私達が悩んでる奴等、全員名前が分からない奴ばっかりで困るんですけど。どうなってんの」
「名前が聞こえない…………あーん? んー? いやあ、心当たりはないな。かなりまずそうだよ、そいつ」
真紀さんは歩みを止めると、腕を組んで壁にもたれかかる。
「他に何かない? 何でもいいよ」
「…………肉を食べたがってたかも。『われのにくはどこにある』みたいな事言ってたと思います。後、墓を穢すなみたいな事も言ってたかな……」
言ってて疑問に思ってしまったが、肉を食べたがっているのに肉は何処に在るのかと聞くのは、妙だ。それならあの時死体を差し出されていたし、それを食べれば良かった筈。ひょっとして肉を食べたかったのではなく『肉体は何処に在る』と聞いていたのだろうか。それなら筋が通ると思いたいが―――
そうだったとして、俺達が狙われる理由にはならないよな。
ほしいと言われたから襲撃された。それと怪異の肉体と一体どんな関係が? 三姫先輩か俺のどちらかが実は怪異だったとでも?
「本当は肉体を探してたって言う可能性も、一応あります」
「また本物の身体を探す奴なの? 被ってるじゃない。どうなってんのよ。似たような条件持ってる奴に追い回されるの?」
「ボクはその怪異にやられちゃったんだよね。その、文脈的には。センパイを守るつもりなんだけど、全然駄目だったんだ。確かに危険な感じがする」
「…………どんな攻撃をしてきた?」
「攻撃っていうか、金縛りの後急に喀血しちゃって。それで逃げたら突然お花畑に連れていかれました。その花を突っ切ろうとすると足が傷だらけになって……それくらい、ですかね。俺はもう全然おんぶにだっこって感じで、先輩が居なかったら逃げられてません」
「…………成程ね。どんなに聞いてもやっぱり遭った事はなさそうだけど、お姉さんいい対策を思いついたよ。だから約束してくれるかな? 私が逃げろと言ったら、一秒も躊躇わずに逃げる事。私の事は置いて行ってもいい。振り返っちゃ駄目。オーケー?」
「ボクも?」
「私を除けば貴重な戦闘員だろ。雀千ちゃんは大好きな先輩を守ってやりな。その蠍の尻尾も、ないよりはマシだよ」
カッ。
何の音かと思えば、真紀さんが手に持っていた杖の先端だ。野生動物でも威嚇するような勢いで力強く地面に突き刺し続けている。歩幅に合わせて、足跡のように。
カッ。カッ。カッ。カッ。
「目印は残しておこう。これもまあ言うなれば気休めだけど、何とかなる筈だ」
「気休めと言えば、芽々子ちゃんのいつも持ってるあの鞄くらいは私達も持ってきて良かったんじゃない?」
「『黒夢』単体はただの鋼鉄の鞄だ。分析出来るサンプルがないと防具くらいにしかならない。雀子の尻尾でないよりマシなんだろ? 鞄があっても変わらないよ」
芽々子が嘘を吐いていなければ、だが、あそこで嘘を吐く理由はない。それに、本体から都度情報が送られてきて、その情報に基づいたサポート、誘導をするというなら、やはり尻尾の硬度に出鱈目はあるまい。そこで嘘を吐いてどんな誘導が出来るというのか。
「はい三人共。悪いけどこの塩袋から適量取り出して盛り塩を等間隔で置いてくれる?」
「へ? も、盛り塩なんて意味あるの?」
「備えあれば憂いなし。死ぬのは嫌だろ? 私は死んでもまた別の世界で繰り返すだけ。三人は違う。死なないように生きるべきだ」
これも言う通りにする。俺達が道中に塩を撒いている間、真紀さんは懐から小さな香炉を取り出すとライターで火をつけて香を焚きだした。 甘い香りだ。桃に近い。目を瞑って嗅ぐと、すぐそこに瑞々しい果物がそこにあるみたいに強く、違和感がある。
「不思議な事に風は私達の背中から出口に向かって流れている。この香りを辿れば戻ってこられるだろう。三人共、よく覚えておくんだよ」
「ねえ、一刀斎真紀さん。さっきから従っては居るんだけど、何がしたいの? 泰斗と違って私らは何でもかんでも受け入れられないわよ」
「情報がないなりの考察だよ。特にお花畑に連れていかれたという部分。それは決して気のせいじゃない。そいつ専用のフィールドと言えば分かるかな? うーん、あー。そう。地獄は閻魔大王が仕切ってると言うでしょ? この場合、ルールは閻魔大王が取り持ってる。閻魔様の言った事が全てだ。そんな感じ。この例えで言うなら泰斗君は逃げる時に地獄に迷い込んじゃって苦労したんだよね。私はそれを避ける為に脱出ルートを予め作ってる」
真紀さんがここまで大真面目に取り組んでいるのは、やはりそれだけ警戒しているという事だろうか。幾千幾万のループの果てに、なお一度の出会いもない正体不明の怪異。殺されかけた経験よりも、誰も知らない事の方が俺も恐ろしいが。
あれも、研究所が把握している怪異…………なのだろうか。釈然としないような、そうでもないような。
ふわっと生温い風が頬を撫でる。
百段以上を優に超える石階段。白く色抜きされた鳥居を最初に、並び立つ鳥居は徐々に血染めされていく。最後に聳える大きな鳥居は、本島でもよく見るような真っ赤なモノに。ここを上った先に、あれがいた。
よく覚えている。
「この先に居るんだね」
「俺が見た時はそうでした。現実の方は分かりません。条件が違うので」
「まだ不穏な感じはしないわよ……ね。ていうか人の気配もしない」
「……」
雀子が、黙る。
『向こう』の出来事もあり、浸渉に関わる何かがあったのかとも思って駆け寄ると、彼女は唇をかみしめて涙を流していた。黙ったのではなく、喉が震えて声が出せなくなっていただけだ。
頼りにしなければならない後輩の泣き顔を見て、響希はそちらにぎょっとしてしまう。
「ちょ、ちょっと? 何を泣いてるの?」
「…………わ、分かんない。分かんないけど、ここに来たら悲しい気持ちになってきたの! ど、どういう事? 先輩、ボク分かんない! 分かんないよ! 何で泣いてるの!」
「俺に聞かれても! 真紀さん!」
おまえ の かお は おぼええ てて い る
「えっ―――」
会話の隙間、秒数にして一秒もないようなその刹那。世界が停止し、俺の意識は遥か彼方へと切り離される。自分の姿を鏡以外で見た事は? これは幽体離脱?
いいや違う。これは―――『仮想性侵入藥』の感覚に、よく似ている。
なんでと疑問を唱える暇もない。意識だけが暗闇に落ち、奈落の底へと広がっていく。
「助けて! 真紀さん!」
ああ、俺の口は動いていない。誰の身体も動かない。手を伸ばしたって、今の俺には手がないもんで。ただ引きずり込まれていく。
「我の…………肉は…………何処に……………在る」