全能の破損
時計なんて見たくない。もう何時間経ったかも分からない。ただじっと部屋の隅で答えのない問いを考えている。この思考は俺のものなのに、これから考える事全てが誰かの描いたシナリオではないかと思うと、動けない。
情けないと思うのは自由だ。そんなくだらない理由で動けないのかと。だがそれは、俺にしてみれば願いの否定だ。一人で決断したかった。干渉されたくなかった。しょうもない逆張りと言われたっていい、芽々子の言葉すら嘘だったなら、そもそも俺に立ち上がる理由なんてなかったのだから。
「センパイ、少し話せる?」
「……お前は元気なんだな。あんな事が分かっても」
「失礼な。ボクだって色々考えたよ。考えたけど、へへ、でも確かな事が一つあるからなんでもないの。センパイ達には積み重ねがあって参ってるのかもしれないけど、私はセンパイの部屋でじっとしてただけだし。何にも知らないから特に悩むような事もないの」
……確かに、雀子は俺の部屋に隠れて家事をしてくれていただけだ。そして何もなかった。勝手に関連性があるかもと疑うような事はあったが、彼女が引っ張り出されるような事件はなかった。
「センパイはどうしてそんなに困っているの?」
「……俺は動機があって戦ってきたんじゃない。元々は芽々子に四肢をバラバラにされて、半ば強引に協力を取り付けられたんだ。
その時、俺は芽々子に惑わされて惚れるように仕掛けられてた。後は全部成り行きだ。どうしてそんなに困るか、じゃない。どうにかする理由がなくなった」
「そんな事はないでしょ? ビデオを見た感じ、何もかも計画通りには行ってない。ボク達がここに来れてるのがその証拠じゃん。何か問題が起きて、その対処で芽々子ちゃんはセンパイを頼ったんでしょ? 他の部門に行けば何が起きたのかわかるかもしれない。やれる事はあるよ」
「だからその……支配が嫌なんだよ俺は。人を尊重してない感じがする。じゃあ俺が芽々子の言う通りにして問題が解決したとしよう。それでこの島はどうなる? 通常通り運営されるだけじゃないのか? 俺は死ぬ? それとも日常に帰る? ……みんなが死人とわかってて、変なコマンドで制御されてると知って今まで通りに暮らせるか! 頑張っても……無理だよ」
自分だけが本物の人間と知って今まで通りに暮らせるかと言われたら自信がない。綺麗事を言えば頷きたいが、俺はそこまで出来た人間じゃない。
「……ボクの行動の全てが操作されていたものだったとして」
雀子は尻尾の切先を俺に向けて、ちょんと額を触った。
「センパイがボクを助けてくれた事には、誰の意思も介入してない筈だよ」
「……え」
「ボクはあの時までセンパイの事なんてちっとも知らなかった。それでも家に向かったのはもしかすると操られていたのかもしれない。でもボクの行動は交渉までだ。センパイは外の人間だから干渉出来ない。ボクを受け入れてくれたのは間違いなく貴方の選択なんだよ」
雀子は俺の手を握って、甘えるようにふにふにと手の甲を親指で圧した。
「ここにボクが居るのはセンパイのお陰。ボク、センパイの為ならなんでも頑張るよっ。誰かに操られてるかどうかなんて今はまだ判断出来ないんじゃない?」
「いや全くその通りだよ〜。流石に言うことが違うねえ。あはは」
「……!」
いつのまに降りてきたのだろう。梯子を降りる音は聞こえなかったが、真紀さんはひょっこりと顔を出して俺達のやりとりに割って入った。
「真紀さん!」
「やっぱりここに居たね。まあ姿を消したらここかなと思ってたんだ」
「や、やっぱり知ってたんですか、この施設の事」
「うん知ってたよ。そりゃ何回も繰り返してれば当たりを引く事もある。ただ、知ってたとしてもこの繰り返しはどうにもならなかった。それは間違いなく、真実だよ」
「しかし随分辛気臭いなあ。みんな自分が死んでる事がそんなにショックだったかい? ふむ。それじゃあ少し整理してみようか」
真紀さんは壁によりかかると、塞ぎ込んで一言も話さなくなった響希と併せて俺に問いかけた。
「君達にとって行動の指針は善意だった。だが今はそれすら茶番になってどうしていいか分からない。一つ聞こうかな。この状況は、神異風計画にとって想定内だと思う?」
「……違うと思う。雀子も言ってたけど、ここは所謂世界の裏側だ。もし舞台だとするなら舞台裏で、いずれにしても入れる場所じゃない。ビデオには多くの職員が映ってたけど、今はもぬけの殻。想定通りには程遠いと思う」
ただ、芽々子に意図があって俺達をサポートしていたのも確かだ。だから本物は人形の芽々子に逐次情報を渡してサポートが出来るようにしていた。俺達が手詰まりにならないように。
「じゃあその想定外の中でなぜ芽々子ちゃんは君達を途中まで導いたんだろうね?」
そう、問題はそこにある。そこにしかない。本物の生者である俺も知らない内に導かれて都合の良い行動をさせられている。そう考えた時の拒絶がそのまま虚脱に切り替わっていた。
そこが分かれば、まだ自他の境界線を見分けられるかもしれない。
「…………あの薬を独占して俺に使わせた事もそうだけど、芽々子は想定外を嫌う性格だ。薬を使わないで動くなんてリスクが高いって話を何度かしてる。仮説だけど、トラブルが起きた時の対応マニュアルみたいなのがあって、それを遂行する為に俺達を使ったとか……」
「……成程。ああいや、私もここの正解は知らないよ。ただね、対峙する怪異は違えど彼女の行動は同じだった。誰か協力者を見つけてその人に行動させる。死人を資源と捉えるなら、如何様にも利用していると捉えられるだろうね。ただ誤算があった筈だ。そうでなきゃこんな事にはならない。人形を捨てるなんてね」
「ボクとセンパイを一緒に行動させたとか? 集会所の二階はボクじゃないと破れなかったよね」
「そもそも尻尾を隠す方法も芽々子がやっただろ。だから……多分そっちじゃない」
答えはもっと素直なんじゃ。
「真紀さんがループしてる事を知ったからとか……」
「今まで一度も教えてないからね。まあ教えててもリセットされるから関係ないけど。そして私は条件付きで協力を快諾した。個人的にはこの辺りが決め手だと思ってる」
「何故ですか?」
「私のループは誰も感知出来ない。だから芽々子ちゃんでも私が何処まで知っていて知らないのかを一切把握出来ない。それって情報を秘匿する側としては最悪でしょ? しかも条件は名前を知ると殺しにくる怪異に対処する事。難しそうに見えてこれは芽々子ちゃんからすれば非常に簡単だ」
真紀さんは持っていた包丁で壁に傷をつけると、丁寧に地図を広げて指揮棒のようにビシッと切先を突き立てた。
「介世研究所には制御部門、情報部門、交渉部門、調査部門がある。中でも情報部門にはこれまで手に入れた怪異の情報があるから、そこに行けば容易に解決する。ま、私が知ってる筈もない、そもそも繰り返す度に区画の場所が違ってるから探しようがないんだ。今まで一度たりとも入口が同じだった試しはない」
「そこ、探しましょ」
ずっとダンマリを決め込んでいた響希が立ち上がって、死人のような顔を露わにした。お世辞にも立ち直ったとは言えない。
「いいじゃない。全員死人だって言うなら自由に調べましょ。ここまで来たら明らかにしないと……やってられない!」
「か、簡単に言うなあ。大体どうやってさが」
これまでも響希の情緒不安定なところは見てきたが今度はまた一段と飛び抜けている。不意に動き出したかと思えば、『管理者』に区分されたパソコンに向かって飛び蹴りをかました。
「え!」
「えええ╲/╲︿_/︺!?」
「うっは。やるねえ」