剥落するカタチ
ビデオを見終わった。俺達は全員、沈黙せざるを得なかった。非日常、そう呼ぶのさえ今は懐かしい。馬鹿馬鹿しいとも言う。この島の住人が全員過去に死んだ人間……つまり、オリジナルはとっくに死んでいるのだ。死んでいないのは俺と真紀さんだけ。雀子については分からなかったが、浸渉を最初から受けている点から、やはり元々は死んでいる可能性が高い。
「…………」
喉の辺りに漂うこの重苦しさを何とするべきだろう。言い出す言葉が見つからない。雪乃の方を見ると、いつの間にか血液を飲み干しており元の人格に戻っていた。ビデオの途中か、或いは最初からか。どちらなのかは表情を見れば分かる。
―――俺達の全ては、嘘だった。
芽々子だけじゃない。この生活も、守りたいと願った日常も。何もかも虚構の上に成り立っていた茶番劇。死体を忘れるなんて当然じゃないか。死体がそこにあったらコマンドが成立しなくなる。だから忘れて、見なかった事にしてしまえばいい。それは余計な設置物をとりあえず見えない所に追いやるようなものだ。
或いは、真紀さんはこの事まで知っていたのかもしれない。映像の全てを真実とするなら、責任者であった国津守芽々子もタイムリープの事には触れなかった。そして今回に至るまで干渉しなかったのは、変数ではなかったからだ。制御部門の役割は正常に島民が機能するかの確認と、変数と呼ばれる―――文脈から察するに仮想性侵入藥を使用した際の制御出来ない部分の事―――異常の修正。タイムリープを把握しているなら何でもしていたであろう彼女は真っ先にロックされているが、その形跡は見られなかった。
そして数多くのタイムリープを繰り返し真紀さんは疲れて、ただ普通に生活するようになったという事だろうか。そのせいで彼らにとっては異常に見えず見過ごしていたとか。
「…………何それ。私、死んでるの?」
「…………」
「だから、島から出ないの? 出ようともしないの? いや、そう考えた事もなかった。それは何、このパソコンのせい? そう、変じゃない! 外から来た奴が居て、興味はあるのに出ようともしないの!? 調べようとも!? おかしいって分かってた。分かるべきだった! 疑問にすら…………思わなかった」
「……箱庭って事だよね。ここはゲームみたいなもので、引っ越したっていうのはゲーム外に排除されたって意味だから、それ以上言及しないし出来ないし、だから忘れてもらうっていう」
「ゲーム?」
「ボクは途中からだから詳しくないけど、話を聞いてるとこれまでも芽々子がヒントをくれてたんじゃないの?」
ああ、そうだ。行き詰った時はいつも芽々子が案を出していた。そしてやりたい事があれば保険と言う名目で薬を使った。アイツが居なかったら何処で詰まっていたか分からないなんて……当然だったのだ。適宜情報を渡され、その通りに導いていただけなのだから。
「私達の人生はゲームなんかじゃない! 生きてるんだって……! 私は……生きてるのよぉ…………」
頭の中に声が響くくらいの事でもあれば、自分が操られている事も自覚出来る。だが、現実はそう都合よくはない。響希の錯乱すらコマンドで記述されているのかも。俺は他人事で済むが、自分事として考えたらどうだ。
自分の行動は、発言は、意思は、そう入力されたから行ったのか。
それとも自分自身がそう願ったからそうしたのか。
今からパソコンを見ればはっきりする? だがコマンドの事なんて何一つ分からない。画面を見ても分からないのでは真実はハッキリしないだろう。
「雀子、お前は意外と冷静なんだな」
「ボク…………何でだろうね。多分だけど、こんな身体だからじゃないかな。ほら、そこの人も人格を交換したら途端に取り乱したでしょ」
「響希な。…………」
ここには恐れるべき敵も、頼る味方もいない。あるのは真実で、ここは島の中にあった【世界の外】。心を落ち着かせよう。その方がいい。行動をするのはそれからでも遅くない。天宮泰斗は本物の生きている人間。それはきっと間違いないのだが。
先輩達の意思。
芽々子の言葉。
それらが全て画面の上の記述でしかなかったのなら、これから何を背負って頑張ればいい。
俺は、何をしたいんだ。
一人暮らしをしたかったのは、両親の干渉を避けたかったからだ。鬱陶しいくらいに干渉してくる二人から離れたかった。自分だけが選び、決め、行動する。それがどんなに大変な事かと知った上で、認めてもらえるように頑張って、遂に勝ち取った。遠い遠い島の生活は大変だが充実していて、毎日がそんな風に流れると信じていた。
「………………」
もう何度も同じビデオを見ている。芽々子の顔を繰り返し繰り返し。意味なんてない。見たかっただけ。彼女の心が少しでも知りたかった。分からない事だらけだ。俺は生きているから、他の誰かと同じように操られている可能性はない。ないが、ここまでの行動全ての主導権は芽々子にあった。それは俺の望んでいた事か? 彼女には何か目的があって、その為に体よく俺を動かしていただけじゃないのか?
見えてこない、何も。俺に何をしてほしかったのか。身体を集めるのは方便だった。
【情報部門から怪異の情報を受け取ったら島内マップに情報を入力して出現させる。こうする事で彼らが生きる世界には怪異が現れ、彼らを怖がらせる。それは最高の餌として機能するでしょう。死人を再利用した怪異の調教。それが滞りなく行えるように世界を日々調節するのがこの部門の仕事です】
【島民は逃げる選択肢を取らないのですね】
【その質問、確かに来そう。結論から言うと取れない。彼らにつけられた属性は島民であり、島の外は知っていても属性による支配を受け、思考がそこに与えられた属性のためにのみ機能する……要するに、彼らの無意識では自分は島民だから島の外には出ない、という意思決定が行われるの。理由なんていらない。そういうものだから】
【異常事態による行動の変化についてのケアは?】
【ケア? 必要ないでしょ。神異風計画に必要なのは餌を与えられ従順になった怪異の偽物。飽くまでデータ上再現された彼らには恨みも憎しみもなく、ただ怪異という属性に基づいて人々を怖がらせ、餌として食らうのみ。大丈夫、餌が不足しない限りはね。ああでも、人が無限リポップするような状況にはないから、全滅したら一旦この世界をリセットしないとね。もしくは誰かを主人公として設定して怪異をちょっと懲らしめるとか】
【主人公とは、またゲームチックな】
【言葉の綾。要するにただ生きて貪られるだけの無抵抗な市民じゃなくて、疑似的なプレイヤーとして動いてもらうの。サポートは、ここの誰かがする予定。主人公が居れば一回の再現実験を長引かせて怪異の調教も早まるかも。 という訳でお偉方さん、支援よろしく。失敗なんてしたら、取り返しつきそうもないからね】
神異風計画とやらは順調には行かなかったのだろう。それはこの状況からも……外からの人間が居る時点でも明らかだ。ただそれでも芽々子は諦めず、俺を主人公にした上でこれまで予定通りに事を進めてきた。アイツの言う通り懲らしめてきたのだ。俺に【主人公】という属性は付与されていないが、それでも彼女は自分を怪異と見立て『浸渉』を起こす事で『天宮泰斗は国津守芽々子に惚れている』という状況を作り出し、良いように動かした。
芽々子にはやりたい事がある。
俺は、誰にも干渉されない人生を望んだ。
その願いは叶ったか? 秘密の関係から始まり、成り行きで仲間が増え、今は亡き先輩達の意思を継いでここまで頑張ってきた、頑張ろうとした筈だ。だがそれすら画面の中のコマンドでしかなかったのなら、それ以上の動機は?
俺は生きた人間だ。俺のしたいと思った事は間違いなく俺の意思である。真実を知り、干渉する存在が消え、今一度、考える。
何で俺は、ここに居る?