開かずの間
「…………壁なの?」
「壁だよ。しかも断面をよく見ろ。木製かと思ってたら間に鉄が入ってる。壊されないように工夫したんだろうな。お前の尻尾が固すぎて無駄だったけどさ」
「えへんっ」
「あー、問題は綺麗にぶち抜きすぎてこっちも綺麗に修繕しないとバレるって事だな。板をこの穴の通りに切り抜いて嵌め込むんだろ? 無理だな、そんな工具もないし技術もないし、多分時間もない」
だからと言って雑に板を貼るだけなのも、誰かがここに入りましたと言っているようなものだ。ここが雀子の力技で穴が出来るまでただの壁だったというなら集会所を利用している人間すらこの惨状を知らない可能性が高い。だって考えても見てほしい、隠す意味は? 集会所を利用するのは世介中道会の人間だけだ。誰かがうっかり立ち入るような危険性はまずない。その動機がないのだ。
俺達若者にとってこんなみすぼらしい集会所はたまに老人がイベントで何かくれるだけのしょうもない建物であり、肝試しなどの目的も生まれようがない。ここで漫画が好きなだけ読めるとか、ゲームが出来るとか、そういう楽しさがあれば話は変わっているのだが、さっき捜索した時に何もなかったようにここは本当に集会所でそれ以外の目的はない。先輩達が存在したように俺達以外にも真相を追う人間は居るかもしれないが、居たとしても最初にここに突っ込むだろうか。答えは否。
何故ならやり直せないから。
やり直せないのにそこまで大きなリスクを負う必要が何処にある。例えばこの集会所が、集会所とは名ばかりの研究所だったりしたら、どうにかして入れば、それだけで核心に迫れるという気はしてくるだろう。だがそうじゃない。ただの、集会所だ。何度でも言うが。
「…………うん、まあ、これが俺の限界かな」
「全然穴がありましたって感じしちゃうね」
「これが限界だ。ずらかろう。早退したから時間に余裕はあるけど、まあ出るに越した事はない」
前までは早退した事実をどうやって隠蔽するか、他人に押し付けるかを考えただろうが、状況が変わった。こちらで埋葬した死体を除けば死体がなかったのは俺と真紀さんと雀子だけ。それが今は最大の疑問だ。
―――真紀さんに聞けば何か分かるかな。
あの人なら教えてくれると思っているが、何だか約束を違えていそうだ。彼女の頼みを聞く為という建前であれこれ情報を聞き出すのは誠実じゃない。やはり悩みの種であるそいつをどうにかするべきだ。清二は世介中道会に何やら吹き込まれたが、しかし内情までは知らなかった。俊介のお化けというのは結局何だったのか。
「………うっ」
「先輩?」
「……いや、目の奥が、もしくは頭痛がしただけだ。気にするな」
あの死体が最初は怪異の材料になっていると思っていた。これだけ多くの住人が生きているにも拘らず、生死の判定とか以前に二人目が存在する。そんな状態の怪異を見分ける方法はないから、最初はそう思っていた。いや、怪異のメカニズムなんて知らないから、別にあの状態でも利用は出来るのかもしれない。壁はすり抜けないなんて、別にそう断言された事もないし。
ただ、芽々子だけは様子が違う。あの死体は恐らく利用されていない。磔刑に処された身体は念入りに拘束されており抜け出すのは至難の業だ。体を傷つけずにというのは不可能に近く、そして体には傷一つなかった。
「疑問だけが増殖して、何も分からずじまいか。困ったな」
「本当にそうかな? ボク状況は良く分かんないけど、その俊介って人の死体はあそこにあったの?」
「…………なかったな。なかった? 待てよ、きっかけは清二がお化けを見た事……だったよな。アイツは俊介が死んだ事を知ってた割にはこの死体部屋について何も知らなかった。だから世介中道会から何か言われてるにしても、詳しい事は知らない……引っ越し……死んでる……」
集会所から逃げるように外へ出ると、一目につかないような道を選んで一先ず休める場所を探す。
引っ越しの真実を知っているのにこの部屋については知らない。つまり俊介が死んだ事は知っていてもその死体がどう利用されているかまでは把握出来ていない。怪異の事なんて把握しようもないだろうが、始めにお化けを見たという所から考慮すると今は『 』は俊介の身体で動いているという事になりそうだ。
―――何でだ?
引っ越した奴がここに居るのは変だ。船が出ている訳でもない。死んでいるかどうかに拘らずそれは違和感に繋がる。
「…………雀子。お前ってこの島の生まれか?」
「うーん。ボクも良く分からないんだよね。船に乗ってたような気もするんだけど、でも長い間暗い場所に幽閉されてた気もするっていうか…………思い出そうとすると頭が痛くなって、ごちゃごちゃして、考えたくないんだ」
「そうか……」
船はない。最初から。俺が真紀さんに連れられてきたあの日から、外から来る船も外に出る船も。漁船はあるが、それだけだ。もう一つ情報があれば真相に辿り着ける気がする。この島の、閉塞的な真実とやらは案外近い所にあるのかもしれない。
「とりあえず、芽々子に報告するか。多分死体部屋の事は知らない。色々聞いてみようじゃないか」
「…………………………それは」
「どういうこった?」
学校が終わってきっかり一時間。それとなく自宅に芽々子と響希(人格交代中)を呼びつけて情報を共有した。呼びつけた側であるのに一番最後にやってきた事は咎められつつ、簡潔に情報を伝えると二人は難しい顔をしていた。
「何も知らないのか?」
「私は知らん。同じ顔の死体があるってのも変だな。一応言うが、ちゃんとこの体は人間だぜ? 間違っても人形じゃない。信用出来ないってんなら仕方ないが」
「…………そう難しい話として考える必要はないわ。以前の話を覚えているかしら。死体を黒夢に取り込んで分析させたところ、恐怖を記憶出来ないという話。それは普通の人間にはあり得ない事よ。と、人形の私が言っても説得力はないけど、外から来た天宮君や絶え間ないタイムリープで精神構造が歪んだ一刀斎真紀を除けば誰しもそうなっている筈。浸渉がなければね」
「その話、そういえば深堀してなかったな。どうやってそんな事が分かったんだ? なんかこう、いい感じに未知の物質が見つかったのか?」
「当時はその情報があってもなくても変わらなかったから確かに言っていないわね」
芽々子は予め持ってきていた『黒夢』を取り出すと、鞄の口を開けて中から試験管サイズの物体を取り出して机の上に置いた。それはとても形容しがたいが、大小様々な導線が巻き付いている様にも見える程張り巡らされた棒、と言った感じだ。既に配線は切れているが、これがかつては繋がっていた事くらいは分かる。
「こういうのが体内にあってね。この装置は感情を抑制する機能がある。丁度私の身体にも埋め込まれていてね。まあ私の身体はこれがあってもなくても感情表現は出来ないんだけど」
「じゃあ何のために?」
「私が望んでこの身体になったと思う? 理由なんて分からないわ。この装置が脳みそと直結する形で繋がっていてね。強い恐怖を感じると作動して、鎮静されてしまうのよ」
「そりゃ、恐怖限定なのか?」
「待って、それボク知ってる」
一部面識がないからと大人しくしていた雀子が声を上げた。尻尾で器用に装置を巻き上げると、目を伏せながら過去を辿るように呟いた。
「恐怖は栄養……なんだって。閉じ込められてる時、聞いた事ある。盗み聞きだけど」