欺瞞と信頼の袂
「………………まじ、か」
何故それが彼女と分かったか。とても単純な話だ。死体は一切腐敗していない。特に防腐など施されていないように見えるのに。じゃあ死んでいないのではないかと言われたらそっちも間違いだ。確かに死んでいる。触ると冷たいし、そもそも肌も青白い。
「これ、え? っていうか芽々子……え? って事は何? 芽々子も偽物って事か?」
「いや、そもそも……全員、腐敗してない。これは、なんだ?」
人間の死体は有機物だ。時間が経てば腐敗する。その一般常識は果たして間違いだったのかと思わせる程に、どいつもこいつも綺麗なまま死んでいる。中には俊介の顔もあり、それも確かに死んでいる。ただの一人も死因は見て判断出来そうもない。眠るように死んだ奴らが集まったと言えば的確な表現になる。
「おいおい! ていうかこれ島中の人間の死体がないか……? 全員、死んでる? お化けって事か?」
「全員? 俺の顔はないぞ。それに雀千も……お前の顔もこっちにはない。言い切れないぞ」
「つっても生きてる奴が一割も居ないって事じゃねえのか!? こ、ここまでとは思ってなかった! ど、どうすっか。そうだ、島の外! 天宮、逃げるぞ! 船を操縦して外に行くんだ! お、俺は死にたくない!」
「落ち着け」
「ここに居る奴しか信じられない! ど、どうすればいいんだ!?」
「落ち着けって!」
本当の身体を見せてやるのが勝利条件。その条件を避けるべく多くの死体があるのは分かる。何故芽々子の死体がそのまま存在している。あれが嘘だったとして、嘘を吐く必要があるなら。俺の知る芽々子は必ず自分の死体を回収する筈だ。ここにある理由が分からない。だって死体を見たら話が違うって、俺でなくてもそうなる。
―――簡単にはいかなそうだな。
「………………なあ清二。お前はどうして俊介が死んだって知ってるんだ?」
「は?」
「自殺なんてする筈がない。殺されたんだ。隠蔽されてる。それは死んでる事を知らないと言えない。死んだ瞬間をその目で見てないとそうは言えない。お化けを見たってなんだ? それは引っ越しという言葉が殺された事だって知らないと言えないんじゃないのか?」
俺からの疑念に慌てふためいていた様子を見せていた清二だが、今は落ち着いている。まるで、そんな感情は最初からなかったみたいに。芽々子の発言が今となっては何処まで本当かなんて分からないけど、恐怖を忘れやすい性質があってもなくても同じだ。ある日見かけた友人を見てお化けと感じるには、そいつが死んだ事を知らないといけない。
「もしくは…………世介中道会に聞かされたか」
清二が、近づいてくる。会話を忘れたような無機質な表情で、一歩ずつ。出口側に居るのは清二で、逃げ道は存在しない。二階に窓がないとさっき確認したばかりだ。
「―――天宮。お前だよな、俊介を殺したの」
「自殺だぞ。追い詰められてな」
「そうか。じゃあやっぱりお前なんだな。聞かされた通りだ。長老達の言ってた事は正しい。ならお前を殺せれば最近起きてる妙な事件は全部解決するってのも本当そうだ。悪く思うなよ」
いつの間にくすねたのだろう、清二の手には工具箱に入っていたネイルハンマーが握られている。発言の違和感にはいつ突っ込もうかと悩んでいたが、向こうに警戒されない為に俺は武器を持たなかった。ここでの負け筋は武器を持って警戒した結果、それとなく逃げられて俺の正体を報告される事だ。
「お前は逃げて、報告するって手もあると思わないか?」
「駄目だ! どうせその間に逃げるに決まってる。お前は外の人間だからな、脱出手段くらい用意出来るだろ。俺がここで殺す! 誰にも邪魔させない!」
頭を振って、その意思が折れない事を確認する。やり直したい。やり直せない。頭の中に響く痛みが、それをときどき思い出させてくれる。
「…………最後に一つだけ聞かせてくれ。お前は芽々子が死んでる事も知ってるのか?」
「今初めて知ったよ。白々しいなほんと。お前が全部殺したんだ。お化けはみんなお前が用意した、お前が、お前が、お前が! お前が全部悪いんだ!」
ズヂュッ。
「が…………?」
突然口が血を噴き出したのを見て、清二は状況を呑み込めまい。無力な後輩少女だと思っていた、凶器を持った人間には到底近づけないと思い込んでいた人間から、尻尾で攻撃されたなんて。
「センパイを殺そうとするのはダメっ」
「ぐ、ごぶ……げえ!」
会話する余地はない。身体を大きく貫かれた事で大半の臓器が傷つき、こみあげてくる血が喉を塞いでいるからだ。殆ど間を置かずして清二は死亡した。きっと最期まで誰が自分を殺したかを知る事はない。
「あ、ごめんなさい。センパイ」
「…………いいよ。死ぬよりはマシだ」
背中から胴体を貫いた(というより尻尾が太すぎてほぼ吹き飛ばした)事で清二だった血液の何割かをまとめて体に被ってしまう。不衛生なんて語るのも野暮だ、最早そんな問題じゃない。綺麗だった死体の山もすっかり汚れて、最早来訪した事は隠せない。
「…………他の奴に擦り付けたいって言いたいけど、まあなんだ。酷いなこの複雑さは」
「どういう事?」
改めて死体の山を一つ一つ観察する。島民全員の顔をしっかり覚えている訳ではないが、全員の死体は存在しなかった。見つけられなかったのは俺と、真紀さんと、雀子。後は埋葬した死体組。
ただ、それ以外は全員死んでいる。ここには確かに死体がある。それも疑問だが、こうなると俺達は薬があってもなくても事実上詰んでいるのだ。
「俺は最初から目立ってる。雀子はまあ、もしかすると存在を認識されてないだけかもしれないけど、死体のない人間が殆ど居ない。世介中道会にとって都合の悪い事が起きた時、真っ先に疑われるのはどう考えても俺達だ。この状況だとな」
「どうして? 隠れて何かするのと死体の有無は別の話でしょ?」
「……警察が犯罪を捜査していて前科者が浮上したら、その前科がたとえ件の犯罪と無関係でも調べる優先度は上がるだろ。俺達は要素として目立ってる。幾らやり直しが出来ても最初からこうなってたんならおかしい。どうして芽々子も響希も死体があるんだ? 響希が最初から死んでる? あり得ない、直接助けたんだ。芽々子も加入させる予定じゃないって言ってた。そもそも経緯は俺が死体に驚いて発狂したのが原因なんだ」
「敢えて見過ごされてるって事?」
「見過ごす理由が分からない。俺達の存在は目障りな筈だ。芽々子は薬の技術を独占してる。言い換えると前は敵側の技術だったって事だ。見過ごす理由なんてないように思える……んだけど、分からないな。芽々子は隠し事をしすぎだ」
誠実さで言うなら死人の三姫先輩の方が圧倒的に上だ。死んだから隠し事をする必要がないという理屈は分かるが、それにしても芽々子は欺瞞をしすぎる。どうしてこう、次から次へと嘘が張り巡らされているんだ。嘘の迷路に迷い込んでそのまま出られなくなっている。俺ってなんだ。何の為に俺はこの島に来た?
そこに答えがあるような気もするが、真紀さんが教えてくれなかったので、当人は知らないのだろう。少なくとも彼女のタイムリープには無関係という事だ。
「……気休めかもしれないけど扉を修理しよう。雀子、板材を持ってきてくれ。扉の構造なんてさっぱり分からないけど、まあ穴を塞いでやれるだけやってみよう」
「は︹▁︿い!」
扉に近づいて軽く掌を当ててみる。酷い破損状況だ。見た目を取り繕う事すら難しいかもしれないが…………努力はしよう。
―――ん?
この扉、施錠する能力がない。扉というか、ドアノブがついてそれっぽい見た目をしただけの、ただの壁だ。