影に潜りて口へらし
「バイト番長、今日はよろしくね!」
「納得いかねえその名前……まずバイトしてる奴が少ないのにさ」
口頭の自己申告だけで早退が許されるとは大層雑だと俺だって思うが、ここには仕事の斡旋機関などはなく、ただ個人でのやり取りがあるのみだ。集会所を利用する老人達がこの島の権力者である事は疑いようもなく、その長老は世介中道会の関係者でもあった。教師達も関与しているならばたとえ嘘でも集会所の修理を理由とした早退を断れる筈がない。
あの世界でたまたま知ったように普段は関連がないように振舞っているくらいだから、今から聞いて確認する事も出来まい。タイムリミットがあるとすれば学校が終わってからだ。ぶっちゃけその時の事は何も考えていない。
何度も言うが、もうやり直しは出来ないのだ。これからはリスクを承知で立ち回る必要がある。
「尻尾、大丈夫そうだな。一体何をしたんだ?」
「なんか、影が濃くなってる所に噴霧してたよ。ボクは何にもしてない」
雀子の尻尾はスカートを飛び出さないよう真下に伸び(それでも太すぎて膨らむのは防げていないが)、影の中に潜って小さくまとまっている。歩いて飛び出すような事もなく、近距離で見る分にはやっぱり目立つが、今までと比べれば全然マシだ。そこでブレザーを腰に巻く事で外から見た時の異物感を減らす。完璧だ。
「いつでも出せるんだよな」
「うん。感覚としては泥の中に入ってる感覚かなあ。濡れたり汚れたりはしないけど、そんな感じがする。だから大丈夫。安心してボクに守らせてね!」
「……よし、じゃあお前は遠くから様子を見ててくれ。遠目に見てれば普通の学生だ。俺は清二に接触する。時機を見て呼ぶからとりあえず後輩っぽく振舞ってくれ」
「オ╱﹀ケ╲!」
本人が怖がっているならまず早退を活用すると睨んだが大正解だった。ただ同時に名乗り出ると彼に「そんな話は知らない」と言われそうなので、思い出した風を装って遅れて早退したのだ。バイト番長という誰がいつ付けたかも分からないあだ名は不本意だが、中々どうして無理のある申し出もすんなり通ったのは俺がバイト漬けである事をクラスの殆どが知っているからだ。一人暮らしを続ける為の生活軍資金。芽々子と協力するようになってからは名残くらいしか残らなくなったが、確かにバイトしていた意味はあった。
「よう、清二。バイトだろ」
バイト自体は経験がある。全く知識のない事をさせられるよりは自然に振る舞える筈だ。
「泰斗? お前何でここに居るんだ? 忘れ物を届けに来たとか?」
「や、実は俺もバイトなんだよ。まあ聞け、確かに今までは一人に任せる仕事だった。だけど親切な誰かが苦情を言ったんだろうな、人数を増やすべきだって。俺も丁度お金に困っててたまたま恩恵に与れたって訳よ」
「あー? そんな話は聞いてないんだけどな」
「そんな話は聞いてない? お前はバイトを受ける時一緒に誰が仕事するかを一々教えてもらうのか? 突然募集がかかったんだからしょうがないだろ。俺もお前と一緒なんて聞いてなかったよ。他に人がいるってのだけさ」
元々が嘘なので取り繕える範囲にも限界はある。だがバイト事情に関しては俺に一日の長がある。信用を削って無茶を言えば、少しくらい押し通せる。
清二はあまり納得はしていない様子だったが一歩も引かない俺の言葉を崩せる気がしなかったのだろう、諦めたように頷いた。
「……まあ考えてみたらお前の方がバイトは先輩だしな。もしかしたら俺が信用出来なくて先輩をよこしたって事なのかな? はーお前なんか先輩って誰が呼びたいんだよ。同級生なのにな」
「清二お前。もしかして、このバイト受けるの初めてなのか?」
「ど、どういう意味だよ」
「この仕事って要するに大工仕事だから女子が来る余地なんかないぞ!」
真紀さんは例外だけど、あの人がお金に困っている様子はない。それに勝手なイメージだけど直すより壊す方が得意そうだ。
「……ああ、そうなの。そりゃ残念だな。失敗したか?」
話の調子を合わせている。どうやら本当に初めてのようで、それを悟られたくなくて適当に流しているのだろう。驚く事はない。怖がっている仕事を引き受ける奴の方がおかしいだけだ。
問題はその怖がっている事象に一番近づくような仕事をどうして受けたのか。そこが気になる。名前の言えない奴を倒す事が真紀さんの協力の条件だ。恐怖を忘れやすいその身体が恐怖を忘れられないでいる理由がソイツなら……是非もない。
「早速仕事を始めるか。早く終わらせるに越した事はないんだ。暇になったら総合ストアにでも行こうぜ」
「お、た、確かに! やろうやろう。すぐやろう。今やろう」
少し警戒心が解けた今がチャンスだ。左足で地面を二回叩くと、何食わぬ顔で雀子が俺達の前に現れた。
「先輩達、私も混ぜてくださいな!」
「じょじょ、女子ぃ!?」
「…………知り合いか? 俺、見覚えもないんだけど」
まずい。オーバーリアクションだった。
「あ、ああ。知り合いだよ。中学校に通ってるんだ。ほら、高校と中学校って方向が正反対だろ。そりゃ見覚えなんかねえよ。彼女とはバイトで知り合ったんだ。名前は知らないけど」
「初めまして、雀千です! 先輩達、今日はよろしくお願いします!」
尻尾はブレザーに隠れて上手く見えていない。少なくともそこに尻尾があると確信していないと見えないくらいだ。清二はまじまじ雀子の顔を見ると、俺に耳打ちする。
「…………可愛くね?」
「元気いっぱいだからバイト先でも割と可愛がられてるぞ」
「マジか。俺めっちゃタイプなんだけど。え、そんな子がこんなバイト……え? 女子は来ない筈じゃ」
「俺も来るのは知らなかったんだ、前例もないし」
恐怖を忘れやすい性質自体は変わっていない。雀子に気を取られて一時的に仕事に対する怯えが消えている。やっぱり特定の状況に対して継続的な恐怖を抱いているとみて間違いなさそうだ。
両手を叩いて空気を一新する。このままうだうだと管を巻いていても時間の無駄だ。
「さあ、なんか三人になったけど余計に早く終わりそうだし集会所の修理を始めるぞ! 一応俺が経験者だし先導するな。清二、中から工具箱を取ってきてくれないか。雀千は外の物置から板材を」
「な、中か…………わ、分かった。大丈夫だよな。日もまだ明るいし……」
清二が集会所に立ち入ったのを確認してから側面に回り込むと、物置に行った雀子から肩をツンツンとつつかれた。勿論その、長い尻尾で。
「センパイ、なんか他人行儀じゃない?」
「雀子って言うとなんかもっと親しい間柄みたいだろ。バイト先で知り合った程度で押し通すならこれくらいに済ませないと」
「むー……後で沢山呼んでね」
「頼まれなくても勝手にそうなるよ」
さて、集会所はオンボロなので度々修理を重ねてもどこかしらに穴が生まれる。修理の準備をする為に側面へ回り込むのも間違いではないから、初動さえ怪しまれなければこうやって中を覗く事も可能だ。工具箱の位置は聞かれなかったから教えなかった。集会所内にある引き出しを片っ端から開けている清二の様子が窺いしれるものの、目的の物はそこにはない。
「………………え」
穴から見える景色の端にはたまたま鏡があり、ここからは死角になって見えない行動も鏡を通せば清二が何をしているのか断片的にも窺えるのだが、一瞬だけおかしな事が起きた。鏡を清二が横切ったのに、現実の方には誰も居ないのだ。
―――鏡の中に居るのか?
相手が怪異なら何が起こっても不思議じゃない。肉食性の家具なんて居たくらいだ。少し取り乱してしまったので息を整えるべく穴から目を離す。
「何してんだ?」
「うわああああ!」
清二は、もう戻ってきていた。手には工具箱を持っている。
「お、お前……よ、良く分かったな。場所、そういえば言わなかったかもって思ってたのに」
「ありそうな場所は見当つくだろ。工具箱ってでかいしな。流石にお前、俺を馬鹿にしすぎだぞ」
もう一度、穴を横目で見る。良く見えない。今から覗こうという気も湧いてこない。怪しまれるからというよりも……嫌な予感がして。