テラーパラドクス
その本当の名前を知らない俺達には出来る事がない。行動に移せるのは飽くまで名前を知っている芽々子だけだ。彼女には最終手段として口にする方法もあるが……やりたがらないだろう。やり直せるならまだしも、もうその自爆戦法は使えない。人形である事がバレたらどうなるかは分からないが、都合が悪い事だけは一貫している。
「俺……あ、いや私達はどうする? 結果待ちか?」
「お前、外付けでも響希の人格なんだから少しは真似するのにも慣れたらどうだ?」
「簡単に言うんじゃねえ。人格ってのは複雑なんだぞ。私がこうして配慮してやらねえと終いにゃ混ざってどっちがどっちだか分からなくなる。私はいいが、本人はどうだ? 人格を侵食される気分を味わったら、心がぶっ壊れちまうぞ」
「……そうなのか?」
「あー頭の中で考え事してるだけなら誰も口出ししねえだろ。だが人格が曖昧になったら頭の中なのに口を出す奴がいる。私だな。こっちもしたくてしてるんじゃねえ、混ざってるから思考が同時に発生してんだよ。寝てようが起きてようが引きこもってようが頭の中に誰かいる……それでおかしくなったアイツが見てえのか?」
便宜上、この存在は響希であって響希ではないという理由だけで苗字でもある『雪乃』と呼んでいるが、それすら不適切だったのだろうか。だけど別の呼び方があるなら本人がそれを希望しているだろうし、そもそも人格が変わっても何だか根本的な優しさは変化していないような。
「勿論指示には従うさ。私、私。ほらちゃんとアイツっぽい。だけどあんま無理な注文付けないでくれ。こっちもギリギリなのさ」
「ようお前ら。なーに深刻そうに話してんだ?」
仁太が普段から会話に混ざってくる事はない。彼にも彼の交友があるから、いつ何時も俺に構うような男ではない。ただクラスの中で関わりが深いのも事実で、彼がやってきたのは話し相手がまた別の相手とついていけない話題で盛り上がってしまい居場所を失ったからだろう。
「んーまあ、色々察してくれよ。誰にでも悩みはある。バイトのシフトとか」
「おーそりゃ大変なこって。そういやお前、百歌と何かあったのか? 今日休みだろ、原因があるとすりゃお前となんか話したのが原因だと思ってんだけど」
そんな疑問が出るのも当然か。偽物百歌を拘束した後、俺は速攻で仁太と飯を食べて彼を追い返した。百歌が居なくなった件については適当に誤魔化しつつ、とにかく強引でも何でも話題を逸らしてその場を切り抜けた。時間がなかったから仕方ないと言えばそれまでだが。そのツケを払う時が来たようだ。
「まあ…………その色々」
「あ? 色々って何だよ。なんか不味いのか?」
「不味くはないけど……言いにくいな」
要約すると、丁度いい出鱈目が思いつかない。この話の厄介な所は百歌の扱いがまだ休みになっている事だ。決して引っ越したのではない。最強の免罪符ををそのまま利用できていればどんなに良かっただろう。それとなく雪乃に視線を振ると、彼女(彼?)はポンと仁太の肩に手を置いて頭を振った。
「仁太。その話題はやめましょう」
「へ?」
「アンタは女心ってもんが分かってない。察しなさいよ。女子が体調不良でこいつが言いにくいって言ってんの。本当に分からないの?」
「あ…………? いや、マジで分からん。誰にも言わないから教えてくれよ」
「ああもう! ぜえったいに言ったら駄目だからね。言ったらアンタも共犯だから」
「お、おう。おう…………?」
俺にも聞かせない形は如何なものか、しかし雪乃から耳打ちされた事で仁太は何やら気づいてしまった様子。今にも飛び上がる勢いで背筋を伸ばして、俺の事を一言では言い表せない複雑な表情で見つめていた。
「……………………………………………………………」
「……仁太?」
「………………………ま、マジか。そりゃ、言えん。言えない。え、俺。え、え。え。え。え。まさか、ヤバイ事聞いた?」
「共犯。バラしたらタダじゃ置かないから」
「………………ご、ごめん俺そんなつもりじゃ! ちょ、ちょっと受け止めきれん。と、トイレ行くわ。授業遅れたら、下痢とか何とか言っといてくれ!」
何処にも逃げ場などないが、それでも仁太は逃げるように教室を飛び出してしまった。野次馬根性むき出しだった彼が一瞬で戦意喪失したのは何故だ。しかもあんな目で―――俺が怪物になってしまったかのような目で見てきた。意味が分からない。
「お前、何言ったんだ?」
「本当の事なんて言えねえから嘘吐いた」
「その嘘の中身を聞いてるんだぞ」
「くく、お前が百歌を妊娠させちまったから、今日は休んでるんだって言ったんだよ」
「何やってんだお前ええええええええええええええ!」
「厄介事を増やさないでよ……」
「雪乃が悪い! 俺にどうしろって言うんだ!」
「アイツを一発で追い返すにはそれしかねえだろって」
何度も言うがやり直しはきかない。俺は勝手に百歌を妊娠させた事になったし、後でそう誤認しても仕方ないような辻褄合わせもしないといけない。だから嘘と言う奴は嫌いなんだ。徹底的にしないとすぐ破綻する癖に徹底的にする程微かな綻びが完璧な破綻になる。それでも吐いていかないといけないこの現実が苦しい。
昼休みに事情を知る三人で集まる時だけが安らぎの時間だ。
「これ本当にどうしよう……百歌に化けてた奴がこんな下らない嘘に付き合ってくれるとも思わないしな」
「そもそも対話が不可能だと思うけど。まあそれについては一先ず置いといて、反応のある人を見つけたわ。清二君よ。貴方とも交流があるわよね」
「あるって言っても、クラスの人数が少ないしな。バーベキューもそうだけど誰でもあるだろ。うっすら全員親戚みたいなもんだ」
「まあそうだけど…………彼、とても興味深い発言をしたの。今日、彼もバイトをするみたいでそれが集会所の修理なんだけど。あそこにはお化けが出るんですって。私は面白いものを最近見たかどうかって聞いたんだけど」
「それのどこが変なんだ? 肝試しが面白いって感覚なんだし不思議はないと思うけど」
「遊び半分で肝試しをする事はあっても面白い物がイコールで肝試しに繋がると思うの? 幾ら娯楽が少ないからってそれは考えにくいわね。お化け大好きでも、私がそうとは限らない。例えば魚がハート形になって打ち上げられてたという事があったなら、それも面白い事という括りになるでしょう」
「根拠が弱えな。きっかけにしちゃ十分だけどよ」
「怖がってたのよ」
「あ?」
何を言いたいのかさっぱりだったが、そこは雪乃が頷いて、先回りで疑問を投げてくれた。
「お前にとっては面白い物だろうという認識でその話をしたが本人は怖がってたって事か?」
「そういう事。噂のないこの島にとってお化けの存在は娯楽なの。彼は私をそういう人間だと思って話をした事になる。自分は怖がってるのに」
「……アイツ、あの勉強会にも参加してたんだっけ。してないんだっけ。畜生、覚えてないな。いや、参加してない奴は少ししか居なかったから多分参加してた筈。怖がる神経があるなら……あの時何が起きたかも覚えてたりするのか?」
「あの時は全員が気を失っていたから私達について知ってるとは思わないけど……大事なのは、怖がってる。つまり危険を承知で単発バイトを引き受けた事よ。どっちともつかないけど、これなら理由は弱くない。天宮君。介世島のバイト番長と呼ばれた貴方なら行っても怪しまれないわ」
「誰が呼んだんだよその名前……」
だけど適任なのは間違いない。バイト漬けだった日々が役に立つとは思わなかった。幸い午後からは晴天で雀子の協力が望めそうだ。きっと芽々子もそれを見越して俺を指名したのだろう。
夜は暗いから影もクソもないだろうと思われるかもしれないが、俺は知っている。バイトの―――特に集会所に関わるバイトは、必要があれば早退する事も認められるのだ。
そんなに怖がっているならまずこの特例を活用する。俺もついていこう。