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スーサイド・レコード  作者: 日常の音ずれ
第4章 神大聖堂編
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第65話 三度狂えば

 赤い鮮血が迸り腹に大穴を空けた人影が、音を立てて背中を地に着ける。


「ノルベルさん!!」


 声を張り上げた行生(ゆきお)が、倒れたミルに覆いかぶさるようにして容態を確認する。

 しかしミルの腹は数センチの肉と皮で上半身と下半身を繋いでいるに過ぎず、切り刻まれた内臓がドロドロに溶けたチョコレートのように流れ出ている。

 脈は打っておらず、仮面の下からは大量の血が溢れ出ていた。

 誰の目から見ても即死であることは疑いようがない。

 それでも行生はミルの肩を小さく揺らして呼びかけ続けた。


「ノルベルさん! ノルベルさん!」


 行生は幸運なことに他者が目の前で死ぬ瞬間に立ち会ったことがなかったのである。

 日本にいたころはまだしも、転移したこの世界では死と隣り合わせの自覚があった。

 それでも行生は実践で負けたことはなく、手の届く範囲にいる兵たちを助けることもできていた。

 行生の目に映らない者たちを助けることまではできなかったため、国民の死体を目に焼き付けたことはある。

 しかし、それはどこか他人事のようにも感じていた。

 画面の向こうにいる人が死んだときのような、胸を締め付けられる感覚はあれど後ろ髪を引かれることはない感覚。

 だが実際に目の前で、自分のことを信用してくれた人が血を撒き散らして死んだ光景は、行生の頭から思考する能力を奪うには十分に衝撃的な惨劇であった。


 ただ呼びかけることしかできない行生に同情するように目を伏せてブリュヴェルナが歩を進める。


「結局、どこの誰とも分からんかったが悪い奴ではなかったのだろう。そいつの死を無駄にしないためにも、貴様には死んでもらうぞ」


 黒雲がバリバリと光を走らせ、暴風が砂を巻き上げ葉を吹き飛ばす。

 放心して固まった行生へ目掛けて死を連想させる風の錐が掘削機のように甲高い音を立てて突き進む。


「嫌です……」


 僅かに鼓膜を刺激する程度の声量が暴風に掻き消された刹那、暴風の錐は動きを止めて膨れ上がり、羽を運ぶようにふんわりと霧散する。

 ブリュヴェルナが瞳を細めて行生を注視しつつ、魔力を練り上げて風の感覚を確かめる。

 持っていたペンが手から滑り落ちたように、特段気にすることはないものの違和感が拭えず、眉間に小さく皺を寄せる。

 だがブリュヴェルナの困惑を尻目にするように、行生はゆっくりと立ち上がり力強くブリュヴェルナへ視線を注ぐ。


「あなたの言う通り、ノルベルさんの死を無駄にはできないので。それに――」


 行生の瞳に燃え盛る炎が灯ると同時、空を覆っていた黒雲は蜘蛛の子を散らすように霧散し、太陽の光が地上を燦爛と照らした。


「俺には帰りを待ってくれている仲間がいますから」


 瞼を閉じたくなるほどの陽光をその身に受けて行生は覚悟を決めた。

 ブリュヴェルナを倒す覚悟ではない、ブリュヴェルナを納得させるまであがき続ける覚悟だ。

 ブリュヴェルナ自身も好きで行生の命を奪いに来ている訳ではない、同族のために力を振るっているのだ。

 それならば悪いのは勘違いで行生に容疑をかけているブリュヴェルナではなく、元凶である盗賊団だ。

 しかし今の行生には身の潔白を証明できるモノが何もない。

 だからこそ行生は戦うのだ。


 覚悟を決めた行生に対してブリュヴェルナは魔力を練り上げてもう一度暴風を生み出す。

 暴風は錐を模り命を抉り取る連想をさせるが、錐は一瞬にして膨れ上がり何もなかったかのように霧散した。

 ブリュヴェルナは眉間の皴を深めて自身の掌へ視線を落とし、掌の上で小さな風を巻き起こす。

 手に収まるほどの小さな竜巻は数秒して錐と同じように霧散した。

 竜巻の持続時間は錐よりも長いものの、たったの数秒程度である。


 ブリュヴェルナは違和感の正体を見破ってみせ、冷たい視線を行生に戻した。


「貴様、天()を操ることができるのか……」

「天候を操るってことなら、あなたも同じではないのですか?」

「私のは魔力にモノを言わせた物量法だ。貴様の力は狂癲(きょうてん)だろう。王である以上、やはり狂癲は一つだけでなかったか……」


 ブリュヴェルナは数歩後退し、魔力を押し固めて作り上げた球体を掌から数個ほど宙に浮かせる。

 暴風や黒雲を用いた戦闘では分が悪いと察したのだろう、得意な魔力のゴリ押しへ戦闘方法を切り替えたのである。

 しかしその作戦は行生に筒抜けとなっており、行生は腰に差していた剣を構え、ブリュヴェルナの能力に予測を立てる。


「俺だけではないでしょう。あなたの魔力にモノを言わせた戦闘は『魔』の狂癲。魔力を無限に使用できる能力なんですよね?」


 行生の予測通り、いや予測というよりも事前に聞いていた知識からブリュヴェルナの狂癲は知っていた。

 なんせブリュヴェルナは屍王(タナト)炎王(カアス)と共に約三百年前から王として国を治める存在。

 エルフを纏めていた実績だけ見れば、それ以上前から同胞のために身を粉にしていたのである。

 狂癲の能力も実力者たちにとっては周知のことであった。

 しかし自身の狂癲が露見していようともブリュヴェルナの頬には冷や汗一つ流れていない。


「ああ、そうだ。だが私が魔力を無限に使えるからと知ったところで対策のしようはないはずだ。それに私は残り二つの狂癲を持っている。それの詳細は知らんのだろう?」


 行生は苦虫を嚙み潰したように苦悶の表情を浮かべるも、直ぐに白い歯を見せてニカっと笑顔を貼り付ける。


「俺も九極癲の一人です。みなさんと同じで狂癲を三つ持ってますよ。情報がないのはお互いさまです」


 ブリュヴェルナは眉を僅かに跳ね上げて驚嘆を零す。


「これは驚きだな。転移したときに一つ、杯で一つは狂癲を持っていると思っていたが、たったの一年で偉業を成し遂げ、更にもう一つ狂癲を手に入れていたのか……」


 狂癲とは先天的、もしくは後天的に自発的に発現するモノであるが、九つの国それぞれに国宝として厳重に保管してある特殊な杯には一人だけを対象にして強制的に狂癲を発現させる能力がある。

 加えて、その人物の力量以上の偉業を成し得た者の中には、稀に狂癲が発言する者も存在している。


 ブリュヴェルナの推測通り、行生は転移時と杯で一つずつ狂癲を手に入れており、とある偉業を成し遂げて更にもう一つの狂癲を手に入れていた。

 しかし行生が成し得た偉業とは、転移してすぐ自由落下地点にいた魔物を潰したことであった。

 行生に自覚がないだけで一国を救う偉業を転移初日に達成していたのである。

 まさに世界一()運な青年。

 行生の一つ目の狂癲、『幸』に恥じない運命力であった。


 だがいくら行生の幸運が良かろうと、ブリュヴェルナには関係のないことであった。

 ブリュヴェルナは表情を殺して冷たい瞳に殺意を籠めると、行生へ視線を注ぐ。


「しかし貴様の狂癲の一つ目は既に分かっている『幸』運、そして二つ目は察するに天『候』といったところか……」


 図星を突かれたことで行生は顔を顰めて表情を曇らせてごくりと喉を鳴らすも、ブリュヴェルナにはそれが覚悟を定めた戦士の表情のように見えて全身を強張らせる。


「面白い……運だけで成り上がったわけではなさそうだ。手心を加える余裕はないと見た」


 ブリュヴェルナが瞳を尖らせると同時、宙に浮いていた魔力を押し固めた球体が行生目掛けて勢いよく突進するも行生の剣に難なく弾かれる。

 しかし弾かれた球体が直撃した木は根元から折れて地に倒れる。

 行生が球体の威力に冷や汗をかくもブリュヴェルナはそれを尻目に次々と球体を放ち続けた。


 一つ、二つ、三つ、四つと球体が行生を襲い続け、勢いは徐々に増していく。

 球体の射出速度は指数関数的に上がり――


 ドンッドンッドンドンドッドッドッドッドッドドドドドドドドドドドドドドドドドド


 次第にマシンガンの如く暴力の雨を注ぎ続けた。


 一つ一つ丁寧に捌いていた行生にとっては視界を埋め尽くすほどの球体を捌ききれるだけの自力はなく、その場で身を屈め前方に強力な魔力障壁を出現させる。

 球体が障壁に衝突するたびにひび割れ弾け飛び、行生はその身を守る。

 しかし障壁にも次第にひびが入り長くは持たないことを示唆していた。

 行生はすぐさま障壁を修復し強度を増すも、やはり時間稼ぎにしかならない。

 傍から見ても優位な立場であるブリュヴェルナは警戒を弱めることなく、眉間に皺を寄せて猛攻を止めずに行生へと視線を注ぐ。


「貴様、もしや……その死体を守っているのか?」


 ブリュヴェルナの視線の先にいる行生、その先にあるのはミルの死体であった。


「正気か? 魔力が無限の私相手に持久戦、それも死体を守りながらだと? 勝ち目は無いに等しいと思うが?」


 ブリュヴェルナの疑念は傲りからくるものではなく、必然的な考え方であった。

 物資が無限に尽きない相手に対して補給路の断たれた籠城戦は、ただ死を待つばかりであり、何の打開策にも繋がらない。

 行生の実力を正しく理解できていないブリュヴェルナでも、この弾幕から行生が逃げおおせることぐらいはできるだろうと踏んでいた。

 もちろん逃がすつもりはなく、弾幕の雨を降り注ぎながら幾重にも次に繋がる策を巡らせていた。

 しかし今、張り巡らせた策の全てが無に帰そうとしていた、行生の自殺志願とも言える行いに……


 真意の不明な行生の行動にブリュヴェルナは一瞬頭が白くなくも、はたと意識を戻して不可解な事象への苛立ちを見せるかのように歯をギリと鳴らす。


「そいつとは先ほど会ったばかりだろ。命を、国をかけてまで守る必要はあるのか?」


 ブリュヴェルナの最もな見解に行生は口元を緩め、にへらっと笑みを零す。


「どうしてでしょうね。俺にもわかりませんが、凄く懐かしく感じるんですよ。俺はノルベルさんと友達になりたかった。そう思うんです」

「そうか……」


 行生の行動がやはり腑に落ちないブリュヴェルナは小さく息を吐き、球体の数を増やした。

 もう何も言うことはなく、ただ行生の死を待つだけだと言わんばかりに。

 そして行生の障壁はボロボロと欠け始め、壁としての役割を終える直前、行生の眼光はブリュヴェルナを貫いていた。


「それと俺は何もかけてませんよ」

「……?」

「さっきも言ったように、帰りを待ってくれている人たちがいるんで」


 行生が口を閉じると同時、障壁が猛攻に耐えきることができずに崩壊し、木を抉る速度で迫る球体の嵐をその身で受けた。


 肉を潰し、骨を砕く音を響かせ体を地に落とす。


 刹那、ブリュヴェルナは只ならぬ悪寒を感じて行生へ射出していた球体を消滅させた。

 しかし時既に遅く、いくつもの球体が行生の体へ鈍い衝撃音を伝え、血飛沫を上げると同時――

 ブリュヴェルナの体からも鈍い肉を潰し、骨を砕く音が鳴り響いた。


「があっ!」


 鈍い音と苦痛を上げる声はブリュヴェルナだけでなく、ブリュヴェルナの背後からも上がっていた。


「「「うああああああ!!!!」」」

「「「ぎゃあああああ!!!!」」」


 ブリュヴェルナは口から大量の血を吐き出し、後方から聞こえてくる叫び声に振り返る。

 するとそこにはブリュヴェルナの後方で待機していた魔王軍の面々がブリュヴェルナと同じように、いや行生と同じように骨を曲げ血を流して倒れていた。

 ブリュヴェルナは恐怖と憤怒と疑念の入り交じった瞳で行生を睨みつける。


「なに、を、した……」


 行生はうつ伏せに倒れた状態で血だらけの顔をブリュヴェルナへ向けて白い歯を見せる。


「三つ目の、狂癲、です、よ……」


 子ヤギのように足を奮わせて死に物狂いで立つブリュヴェルナは、苦虫を嚙み潰したように歯を軋ませる。

 油断したつもりはなかった。

 狂癲を扱う者として狂癲の恐ろしさは理解しているつもりであった。

 だからこそ行生への攻撃の手を緩めなかったのだ。

 しかしそれが仇となって返って来たのである。

 文字通り苦痛として。

 今思えば、まだ若いとは言え、たったの一年で一国の王になるほどの実力者である行生が、ただ防戦一方だったことがおかしかったのだ。

 それ自体に策があったと気が付くべきであった。


 ブリュヴェルナは数分ほど遅い後悔に顔を顰めて力尽きるように地に倒れる。

 そしてブリュヴェルナにとって代わるように、血に濡れた一人の影が立ち上がる。

 行生とブリュヴェルナ、そして魔王軍の全員が地に伏した今、立ち上がった人物がこの場を掌握することを意味していた。


 そして立ち上がった人物は昼寝から目覚めたかのように、気の抜けた声と共に伸びをする。


「ん……久しぶりだったから気失ってたっぽい」


 地に伏した瞳から視線を集めた人影は、白い仮面を被った男――

 ミル・ノルベルである。

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