第63話 王の連行
「貴様を、人攫い盗賊団 神進代の首謀者として連行する」
ブリュヴェルナの放った言葉に行生は口から呆けた息を零し、カンガルーが逆立ちをした瞬間を目の前で見たかの如く瞳をぱちくりと見開く。
「え、は……え?」
頭の中が真っ白になり言葉の出てこない行生と同様に一瞬呆けた顔で固まっていた行生の近衛騎士――ムシクは、はたと意識を戻して行生を庇うように正面に立ち、困惑と恐怖の籠った瞳でブリュヴェルナを見据える。
「魔王様、どのような理由があるか存じ上げませんが、我が王に濡れ衣を着せるような発言は看過できません。事によっては戦争にもなりえます」
ムシクは近衛騎士として命を賭して行生を守り抜く覚悟がある。
しかし、目の前には九極癲第四位の魔王とその近衛騎士である襟を正した眼鏡の女――シンカが傍らで目を光らせている。
加えて魔王軍と思しき数十人の武装集団がブリュヴェルナの背後で隊列を組んでいた。
ムシクは一人で魔王と近衛騎士、加えて部隊一つ分を相手どって行生を逃がしきる自信がなかったのだ。
本来、九極癲会談には王と近衛騎士のみが参列する暗黙の了解があり、部隊一つ分ほどの人員を侍らせることはない。
会談は王が一同に集まり暗殺における絶好の機会であるため護衛の数は多いに越したことはない。
しかし弱肉強食の世界において部下を連れて歩くことは自身の実力不足を謳っているようなもの。
三傑驥のおかげで世界の平穏は保たれているが、それもまた強者による支配によってなされた仮初の平穏なのだ。
闘争の必要のない会談に武装集団を連れてくるということ、それは平穏世界の摂理に反している。
言い換えれば、他の八国から潰されることがあっても三傑驥は介入してこないということだ。
そして今は会談を終えたばかり、ブリュヴェルナが部隊を引き連れていたことを他国の王たちへ報告すれば形成は逆転する。
ムシクの実力なら行生が他国の王たちの許まで逃げる時間ぐらいは稼げるだろう。
だが今回の状況は摂理に反したことではない。
ブリュヴェルナは犯罪者を連行しに来ているのだ。
十分な証拠が提示されていない状況では立場上五分であっても、周りから向けられる視線というのは疑われた時点で擁護を期待できない。
行生だけ逃がしたところで他の王たちが取り合ってくれるか定かではない。
ブリュヴェルナが行生の命を狙っているならまだしも、「連行する」の口ぶりからして犯人である確証はなく行生のことはまだ容疑者として扱い、尋問に留めるつもりなのだろう。
一国の王を尋問するのであれば確たる証拠が欲しいところだが、確たる証拠があれば有無を言わさず殺しにきていたはず。
これはブリュヴェルナなりの優しさなのかもしれない。
この状況で戦う意思を見せれば犯行を肯定しているとも取られかねない。
今は状況整理に勤しみ、妥協点を見つけるしかあるまい。
それこそ他国の王を交えてもう一度会談を開いてもらうことが最善であり、連行されることは避けたい。
ムシクは脳みそがひき肉ジュースになるほどに思考を巡らせ、頭が割けて血が噴き上がりそうなほどに脳を働かせた。
しかし奥底に憤りの火を灯し冷えた瞳にはムシクが入っておらず、ただ行生だけを捉えていた。
「私も礼節は持ち合わせているつもりだ、無理矢理に事を進めるつもりはない。幸王、貴様の足で私たちの許へ来い」
ブリュヴェルナの言葉は淡々としていながらも怒りを宿していた。
行生が犯人だと確信がいっているように。
そしてブリュヴェルナの命令にも近い物言いに、行生はただブリュヴェルナを物怖じせず見つめ返し場を和ませるように――
「いいですよ」
一言、たったの一言でこの場にいた全員が鳩が豆鉄砲を食ったように目を見開き、息を止めた。
そこには冷たい眼光を注いでいたブリュヴェルナも該当し、場に沈黙が流れる。
それもそのはず、この状況で潔く連行されるということは罪を認めているようなモノ。
定石では敵対の意思を見せずに逃げる算段を整えるはず、それが難しいからムシクが死に物狂いで思案していたのだ。
戦闘の可能性を考慮していた魔王軍の兵たちは、あまりにも拍子に抜け、というよりも柔らかな行生の言葉に戦意を喪失し気を緩める。
中には肩を落とし胸を独りでに撫でる者もいた。
しかし、ただ一人、幸王軍 近衛騎士 音幸 ムシク・ロディだけは滝のように冷や汗を流し主である幸王 比良 行生へと詰め寄る。
「ど、どういうことですか!? なぜ承諾されるのです!! 我々は人攫いなどしていないではないですか!! 付いて行かれることなどありますまい」
まるで人生を捧げてまで手に入れた宝を強奪されるかの如く、ムシクは息を荒げ、眉尻を下げていた。
だがムシクの表情とは裏腹に行生の顔には陽の光のような優しい微笑みだけが映っていた。
「大丈夫ですよ。俺たちは何も悪いことはしてないんですから、少し話をするだけです」
「ですが――」
それでも食い下がるムシクに行生は、太陽のように眩しくニカっと口角を上げてみせる。
「運だけは良いんで、任せてください!」
行生はムシクに背中を見せると迷いなく一歩一歩とブリュヴェルナの許へと歩を進めた。
近衛騎士であるならば王の命令を無視してでも行生を助けに行かなければならないし、ムシクにはその覚悟があった。
だが不思議と行生の笑顔を見ていると、行生は必ず帰って来てくれる気がした。
太陽が西へ降りて東から昇ることが必然であるように……
ムシクは背筋を伸ばし、力強く応えて見せた。
「行生様のお帰り、お待ちしております!」
行生は背を向けたまま軽く手を振ると、ブリュヴェルナに連れられて魔王軍の馬車で連行された。
▽
カラカラカラカラ――
魔術による防護幕のおかげで車内では車輪の回る小さな音だけが響いていた。
車内にいるのはただ一人、世界一幸運な青年だけである。
本来は容疑者を連行する際、監視役がいてもよさそうだが、快く同行することに承諾した行生に礼節を持って一人にしてくれている。
といっても馬車を囲うよう、四方にそれぞれ馬車を走らせており脱出は不可能といえる。
いや、ただ囲まれているだけなら行生にとって脱出は容易であるが、四方の馬車のどこかにブリュヴェルナがいるのだ、見逃されることはないだろう。
だが行生にとってはそのようなことはどうでもよかった。
なぜならば――
「ヤバイヤバイヤバイ。どうしてこうなったんだよ。マジでヤバイって俺もう死ぬのかな、この世界に来て散々怖い目に合ってきたけど、魔王さんの目が一番怖かったって、マジで死ぬ。怒らせたくないから付いて来たけど、なんかもう、怖すぎておしっこ漏れそうだし」
現在進行形でビビり散らかして後悔の念に押し潰されそうになっていたからである。
まさに蛇に睨まれたカエルが如く、無力で矮小な一般人へと成り下がっていたのだ。
行生はブリュヴェルナに呼び止められてから今の今まで、一瞬の間も置くことなく胃の中の全てを吐き出したい欲求に駆られていた。
腹を抉られ続けているかのように緊張し、首を締め付けられ続けているかのように息苦しかった。
それでも行生はやってもない罪で慌てふためき惨めったらしい姿を、自身を慕ってくれるムシクに見せたくなかった。
その一心で滝のように背中を流れる冷や汗を隠し、やせ我慢を貫いて見せたのだ。
本人が鏡を見ていれば目は泳ぎ、口が引き攣った不格好な表情だと落胆していただろうが、周りの者たちには優し気な笑みと柔らかな瞳のように映っていた。
角度やタイミングで正反対に見えていた表情も、一人となった今ではどこからどう見ても恐れに怖気づき命を懇願する債務者のような顔をしている。
「いやもうマジで無理だって、絶対この後殺されるって。何を言っても台パンされて納得いく言葉を俺が言うまで誘導尋問し続けるつもりに決まってるじゃん。いやここ日本じゃないし、尋問ってか、拷問……とか、されるのかな……いやいや、さすがにそれはね……だって俺、一応王様だし、ね……」
冷や汗だけでなく涙と鼻水までダラダラと流し始め、行生は顔を両手で覆う。
「無理かもーー! そんな拷問の常識とか知らないし、王様って言っても他国のだし、拷問とかされる可能性はなくはないじゃん。無理ってマジで、痛いのとか無理。って痛いで済んだらいい方か……最悪意味の分からん魔術をかけられて人体実験されたりとか……いや、痛いのも無理ー! なんでムシクさんは俺のこと信用するんだよ。無理矢理にでも逃がしてくれよ。俺にも立場とかあるからカッコつけちゃったけど、この世界に来て一年ぽっちのガキに何もできるわけないじゃん。てかなんで俺が王様やってんだよ。意味わかねぇよ。他の王様も俺みたいな感じの人いるのかなぁって少し期待してたけど、みんな怖いし。優しそうな人もちらほらいたけど、圧が違うっていうか、覚悟があるっていうか。ライオンとかトラとか猛獣がいる崖際で一匹取り残されてるチワワの気分だったわ!……いや、俺じゃなくてチワワは実際いたけど……てかあの人(?)も何? ほんとにチワワ? ドス黒い炎を一噛みで砕いてたし、ヤバイって、マジこの世界怖すぎだろ。もう日本に帰れる気がしねぇよ……というか、魔王さんのとこから生きて帰れる気がしねぇよぉぉぉ。ああ、お願いです神様、俺なんも悪いことしてないですよ。命はいらないんで、せめて幸せにしてから殺してください。お願いします! 死ぬときに後悔ない人生でお願いします!」
日本でも異世界でも無宗教である行生が無様で適当で都合の良い贅沢な祈りを捧げると、車輪の回る音が止まり、一人の兵の荒げる声が聞こえた。
「貴様何者だ!! 名を名乗れ!!」
予想だにしていなかったことが窺えるほどに狼狽し未知の存在に警戒を余儀なくされた声が気になり、行生が窓から外を覗き込むと、そこには――
頭頂部から背中までを覆う白の布、しっかり閉じているが僅かに上げた口角、視界を確保できるように目元だけ開けた穴、人の顔のように立体的でかつ作り物と一目でわかるような真っ白の仮面を被った人影が立っていた。
そして人影は仮面で隠れた口を僅かに開いて淡々と応えた。
「ミル・ノルベルです」




