第61話 九極癲
行生が扉を開け放ち部屋に入ると同時、部屋にある他八つの扉も開きそれぞれから人影が歩を進める。
行生を含めて七つの人影の後方からは数歩遅れて一つずつの人影が追従する。
行生の後ろに着くのはムシクであり幸王国の王直属近衛騎士である。
そして追従する他の六つの人影もまた、それぞれの国の王直属近衛騎士である。
王たちの会談と言っても、護衛は必要というわけだ。
ただ二人だけ近衛騎士を着けていないことに行生は疑問を抱くが、緊張を悟られないよう素知らぬ顔で席へ歩を進める。
部屋には長机が一つあり、長辺両側に四つずつの椅子と、短辺片側に一つの椅子が準備してあった。
椅子にはそれぞれI~IX番号が振られており、順位ごとに対応する椅子に座る。
遠目で確認したところ、短辺にある椅子に"Ⅰ"の文字が刻まれていた。
その椅子に座る人物が九つの国を治める九人王たち――九極癲の中で最も実力の高い人物となる。
行生を含めた八つの影が該当する椅子へ歩を進め、それに七つの影が追従する。
銀の長髪を煌びやかに靡かせ冷たく温もりのない瞳を持った麗人が九位の席に着き、後方には頭のてっぺんから爪先までを鎧で被った銀騎士が佇む。
緑の髪に鋭い眼光をギラつかせ背丈の高い細見の男が八位の席に着き、後方には自身と同じ大きさの十字架を背負った男が佇む。
黒髪黒目で背筋を伸ばし落ち着いた様子を顔に張り付けた優形の青年が七位の席に着き、後方にはパーマのかかった茶髪の男が佇む。
金髪碧眼の女が厳かな面持ちで金のマントを煌めかせ六位の席に着き、後方には白の手袋を着けた執事服の男が佇む。
赤黒い髪を無造作に逆立たせ半開きの瞳に怒気を籠らせた男が五位の席に着き、後方には白髭と白髪を綺麗に整えた初老の男が佇む。
褐色の肌に耳を尖らせたエルフの女が興味なさげに瞳を伏せて四位の席に着き、後方には襟を正した眼鏡の女が佇む。
肉食獣特融の鋭利な瞳に黄金の鬣を持つ筋骨隆々な獣人の男が三位の席に着き、頭部には赤茶色を基調としたロングコートのチワワが前後の足を放り投げて乗っかっている。
白い顎鬚を胸元まで伸ばした皺の深い老爺が二位の席に着き、後方にはニヤニヤと笑みを浮かべる青年が佇む。
八つの影が席に着き、追従する七つの影が壁を背にそれぞれの後方で背筋を伸ばして直立の姿勢を取る。
その内の一組である行生は"Ⅶ"の文字が刻まれた椅子に腰かけ、後方にムシクが控える。
近衛騎士は王の背後で会談を見守ることに徹するようだ。
行生がムシクを尻目に、唯一席の空いている一位の椅子へと目を向けようとしたとき――
「ワン!」
耳に響く高い犬の鳴き声が聞こえ、その音の発生源に視線を移す。
行生は意識せずに目から背けていた。
なんせあまりにも場違いな存在であり、見間違いだろうと思い込んでしまっていたから。
鳴き声の正体は、三位の席に座る獣人の頭の上で脱力しているチワワであった。
チワワは獣人の毛を噛み遊んでいる。
各国の王が集い、張り詰めた場の雰囲気を壊しているにも関わらず、誰もそれを咎めようとしない。
行生は声にもならない驚愕を表情に出さないように、心で押し殺す。
なんせ他の王たちが何も反応を示さないのだ。
行生は初めて会談に参加するから知らないだけで、あのチワワが鳴くことは普段通りであることを疑う余地はない。
行生は心の中で深呼吸をして一旦チワワのことを忘れるように心がけ、再度一位の席へ視線を移すが未だ空いたままである。
行生は不思議に思い開いたはずの九つの扉全てを見回す。
すると一つの扉の前で佇んでいる男がいた。
男は三位の席に座った獣人同様に、近衛騎士を連れていない。
男は腰に長剣と短剣を一本ずつ差しており、長い黒髪を無造作に流し、カクカクと頭を上下に揺らしていた。
信じられないことだが、男は立ちながら眠っていたのである。
ただ立ちながら眠っているだけなら余程疲れて眠たいのだろう、で済ませることはできる。
しかし今は王たちによる会談の場である。
肝が据わっているだとか、心臓に毛が生えているという次元の話ではない。
傍から見れば頭のネジが全て零れ落ちているのではないかと疑ってしまうほどの奇行だ。
行生だけでなく席に着いた他七人の王たちも、立ったまま眠っている男へ視線を向ける。
男はみなの視線を一身に集め、はたと瞼を開き翠眼を曝す。
男は気だるげに部屋全体に目を巡らせた。
天井には、部屋全体を薄明かりで照らす装飾性の高いガラスでできた照明器具が吊るされている。
壁には花の文様が刻まれた額縁が九つ、それぞれの王が座る椅子の後方に掛けられていた。
Ⅰから順に、
スターチス、タンポポ、カスミソウ、トリカブト、アスター、キク、カキツバタ、スイセン、ユリ。
それぞれが国章として掲げられている。
部屋全体は暗い色を基調としており、穏やかな雰囲気とはかけ離れていた。
気だるげな男がゆったゆったと歩を進め一位の席に着くと、五位の席に座る王の後方で待機していた初老が、一位の席とは真逆の椅子の設けられていない机の短辺へと歩を進める。
初老は脚を止め、一つ咳払いをした。
「ゴホンッ。各国を統治されております王様方々、本日はお集りいただき、誠に感謝いたします。九極癲会談の司会進行を務めます。炎王様が近衛騎士、"跡炎 フーバー・マエスト"と申します。以後、お見知りおきを」
フーバーは深々と頭を下げ、それに難色を示す者がいないことを確認すると言葉を続けた。
「本日皆様にお集りいただきましたのは、三つの議題についてお話する場を設けさせていただくためでございます。まず一つ目は、新しく九極癲になられました幸王様の顔合わせとなります。幸王様、お一言お願いいたします」
フーバーは行生へ柔らかな視線を送ると恭しく頭を下げた。
フーバーの視線につられるように一人を除き全ての視線が行生に注がれる。
行生は事前に自己紹介の練習を行っていたが、こうも身分の高い人物たちの視線を浴びる経験などなく、部屋に入る前の緊張が再び押し寄せてくる。
しかし唯一、行生に視線を送らなかった人物は一位の席に座る男だけであり、男は机に突っ伏して眠りこけている。
相変わらずの場違いな態度の一位を見て、行生は少しだけ肩の荷が下りた気がした。
一位とは言え、だらしない態度で挑んでも許されているのだ、新参者であっても多少のミスは見逃してもらえるかもしれない。
行生は一つ息を吸って力強く目を見開いた。
「初めまして、各国を代表する王様方。俺は幸王国の王の座に着いた、比良 行生と申します。民の幸せを願い、皆様とより良い関係を築けることを心より願っております。以上です」
行生のあまりにも端的な自己紹介に怪訝な表情を作る者が一人、八位の席に座る男が睨みつけていた。
行生としては全く面識のない人物からの圧に屈してしまいそうであったが、あえて自己紹介を短くしたのだ、何もやましいことはないと負けじと背筋を伸ばす。
自己紹介を端的にした理由は二つ。
一つ目は自身の情報を安易に渡さないことである。
大きな戦争が起こることはないとはいえ、いざという時のために情報は隠しておくに限る。
二つ目は遜って下に観られないようにするためである。
他の八人は既に顔見知りのようであり行生は新参者である、だからと言って他の王を立てるような立ち居振る舞いをしてしまえば舐められ、国の情勢が傾きかねない。
王としての威厳を見せるべく、あくまで対等であると主張するためだ。
これはムシクの提案であったが行生もマイクスタフも賛同したことである。
行生たちの意図を知ってか知らずか、それでも八位の男の鋭い眼光は途切れない。
行生は精一杯気丈に振舞って見せているが、根はただの平凡な大学生である。
死と隣り合わせの世界で生きてきた大人の眼光に耐え続けられるはずもなく、次第に心が疲弊していく。
限界を迎え姿勢が崩れそうになったとき、
パチ、パチ、パチ。
と手を叩く音が聞こえた。
みなが音の鳴る方へ視線を向けると一位の男が机に顔を突っ伏したまま、ゆったりと拍手をしていた。
どうやら眠っていたわけではなく、しっかり聞いていたようだ。
男の拍手が続く中、次第に他の王たちも手を叩き始め、渋々と言った表情で八位の男も手を叩く。
行生は顔に出さないように独り胸を撫でおろし、背もたれに軽く体重をかける。
取り合えず最大の難所は超えたと思ってよいだろう。
議題と言えば固く聞こえるが所詮はただの自己紹介である。
あとは流れに逆らわず、流れに流されず、ただ堂々としていれば良いのだ。
行生が自己紹介を難なく終えることができたことは、一位の男のおかげであり、心の中で感謝を抱く。
行生の運が良いのか、はたまた一位の男が平和主義者と言われる所以なのか、男は突っ伏したまま口を開いた。
「自己紹介ありがとなぁ。俺は屍王のタナト・ノウエスってんだ。君とは仲良くできそうでよかったよ。よろしくぅ~」
話をする態度としては叱責されてもおかしくないが友好的なタナトの自己紹介に、行生は独り胸を撫でおろす。
少なくとも一位の平和主義者と睨み合うことはなさそうだ。
安堵を顔に出さない行生へ、二位の席に座る老爺が目を和らげて視線を向ける。
「わしは法王国で王をしておる、オーダ・テルールじゃ。秩序を慮る世界を創ることを目標にしておる。よろしくの」
続いて三位の席に座る獣人の頭に乗っているチワワが一声鳴いてみせる。
「ワン!」
チワワの鳴き声を疎ましく思う者はおらず、チワワを頭に乗せた獣人が口を開いた。
「私の頭におりますは、我らが獣王国の王、ノワワ・レドフェルド様でございます。王は幸王殿といつか遊んでみたいとおっしゃっております。ぜひご一考ください。僭越ながら私、獣王が近衛騎士、"魍獣クリストマン・セコンド―"が通訳を任されております。以後、お見知りおきを」
クリストマンは行生へ視線だけを向けて目を伏せてみせる。
王様は椅子に座っているクリストマンではなく、その頭の上に乗っているノワワの方である。
ノワワは人語が話せないため、クリストマンがノワワの口となっているのだ。
行生はノワワへ視線を向けるも、それ以外に反応を示すことはなかった。
行生の反応を尻目に、四位の席に座るエルフの女が興味なさげに机へ視線を落として軽く口を開く。
「私は魔王、ブリュヴェルナ・ディアルヴ……」
ブリュヴェルナは最低限の自己紹介を終わらせると、何事もなかったかのように口を閉じた。
ブリュヴェルナの口数が少ないことは今に始まったことではないのだろう、五位の席に座る赤黒い髪を逆立てた男が瞳を細めて行生を品定めするかのようにゆっくりと動かす。
「俺は炎王カアス・イラフォ―ゴってんだ。お前に一つアドバイスやるよ。憤怒は人を駆り立て、怠惰は人を堕落させる。気ぃつけな」
カアスからの唐突なアドバイスに行生は面を食らって一瞬頭が真っ白になるが、幸い表情に出ることはなかった。
続いて六位の席に座る金髪碧眼の女がカアスを一瞥し、胸を張り、荒げることなく力強い声で自己紹介を始める。
「我が名は覇王サラディナ・ディグニティ! 何か困ったことがあれば頼るといい。無償とはいかぬが、手を取り合って生きて行こうぞ!」
カアスとは真逆で目を見開くサラディナは行生の瞳を見つめて一度大きく頷いた。
この世界は死と隣り合わせの過酷な環境である。
当然、国々を纏める王たちは冷酷な者であると偏見を持っていた行生は屍王、法王、獣王、覇王の殺伐とはかけ離れた暖かい言動に心が温まる感覚を覚えた。
しかし、八位の席に座る緑髪の男の鋭い眼光に息を呑む。
「俺様は華王国の王、グレン・フェクレスだ。お前、転移者なんだってな? たった一年で王、それも七位か……有望じゃねぇの」
グレンは今にも食って掛かりそうな険悪な表情で行生へ視線を送る。
理由は定かではないが、ぽっと出の行生に順位を抜かれたことが悔しいのだろう。
行生は息が詰まりそうになりながらも、素知らぬ顔を造ってみせてグレンへ視線を返す。
「チッ」
グレンは動じぬ行生から視線を外すと、僅かに響く音に不快感を載せて舌を打つ。
各国の王が集う場であからさまな悪態をついてよいとは思えないが、グレンを責める者はいない。
グレンを尻目に九位の席に座る銀髪の麗人が冷たい目を行生に向ける。
「私は麗王カリステア・ブレイダル。私に恋するのは勝手だけど、下卑た目で見ないでくれるかしら。私、男に興味ないから」
カリステアは他者が自身に恋心を抱くことに疑心を持たず、淡々と言葉を綴った。
カリステアはくっきりしていながらも柔らかな顔立ちをしており、絶世の美女と言われても納得せざるを得ない。
それでも初対面の相手に恋心を抱くほど行生は単純ではなく、カリステアの自負に対して一種の恐怖を覚える。
王様というのはやはり怖い人たちなのかもしれない、気を緩めずにこの会談を乗り切らなくては……
行生は心の中で大きく深呼吸をして、震える膝をがっちりと両の手で押さえて強い意志を心に秘める。
帰りてぇ……
そして胸を締め付けられるような緊張に苛まれる行生を尻目に、
エルフを被害の中心とする人攫いの議題が始まった。




