第54話 言葉のある別れ
「アンジェル……ブライヴ……」
ガオは壊れた壁――というよりは壁を壊して入ってきたのであろう女性と男性の姿に釘付けになり、話に聞いていた少女と少年の名前を息をするかのように零した。
女性の身長は160を、男性は180を超えており、もう立派な成人にしか見えないが、ガオには二人に在りし日の面影を感じたのあろう。
壁の崩壊で砂埃が舞っていても、真っすぐに二人を見つめる瞳が僅かに潤んでいるような光を見せて、僕は長剣を引いてガオから数歩距離をとる。
壁を壊した二人の男女は頭を振って辺りを見回したのち、片割れの女性だけが砂埃の奥に僕たちの影を見つけたようで訝し気に視線を注ぐ。
女性は砂埃が晴れるより早く驚愕に目を見開き、敬愛する人の名前を零す。
「ガオさん……」
「えっ?」
女性の囁くような言葉に男性が反射して砂埃の奥にある影に目を見開く。
二人の思考が数秒ほど止まったとき、壊した壁から薄紫の髪をポニーテールに結った女性が息を荒げて姿を現した。
僕が三人の中で唯一名前に確信のあるポニーテールの女性――フランネルは先に入った男女の固まった様子に混乱し、眉尻を下げているが息も絶え絶えのため膝に手を置いて呼吸を整えていた。
そしてフランネルと長剣を手に佇む僕のことを気に留めず、女性は壁に背を預けて座り込むガオへと駆け出し、追従するように男性も駆け出した。
「ガオさん!!」
「ガオさん!!」
二人はガオの傍らまで駆け寄ると地面に膝をついてガオに視線を合わせた。
ガオは二人の凛々しく育った様子に一優しく目を細める。
「二人とも大きくなったな」
「ガオさん、そんなことより傷が……私、ポーション持って来てるんで」
アンジェルはガオの体に深く刻まれた斬り傷や焦げた内臓を見て腰下げ袋に手を伸ばすが、ガオに腕を掴まれて動きを止める。
「この傷じゃ、もう助からん……」
アンジェルはガオに向き直り瞳から大量の涙をボタボタと零し声を震わせつつ、ガオの手を優しく握り返す。
「そんな、やっと会えたのに……私、強くなったんですよ。今はDランクなんです。もう足手纏いのあの頃とは違います。誰かを守ることができるようになったんです。ブライヴなんてBランクになってるんですよ」
ブライヴは瞳に視界を覆いつくすほどの涙を溜めて震えた声と共に、空いているガオの手を優しく握る。
「そうなんです俺、兄さんやガオさんと同じくらい強くなったんですよ」
「そうなのか……二人とも日頃からたくさん頑張っていたものな。よかった」
ガオは記憶に焼き付けた二人の幼少期を想い起し、二人の手を力強く握り返す。
二人が逞しく成長することを信じていたガオでも一抹の不安が頭から消えたことはなく、暖かな二人の手を握り返すことで初めて心からの安堵を覚えた。
しかし、握り返した二人の手は震えており、ブライヴが鼻を啜って首を横に振る。
「よくないですよ。俺、もうすぐでAランクになりそうなんです。実力だけならAランクと遜色ないって言われてますし、いろんな国の王様とも面識あるし、融通も利くようになったんですよ」
ガオにとって人間の国、そして王様の存在がどれほど大きなモノなのかはわからないが、ブライヴは想像以上に死力を尽くしていたのだろうと、心から尊敬の念を抱き快活に笑ってみせた。
「はっはっは。それならもう俺やヴァラーを超えているのか。凄いじゃないか」
ブライヴはガオに認めてもらえたことが純粋に嬉しく、ニカっと白い歯を見せつつ凛々しい微笑みを見せる。
「はい、俺、超凄いんです! だから――」
しかし笑顔は綻び、溜めていた涙がボロボロと零れ落ち目を伏せる。
「――Aランクになってこのダンジョンに挑むつもりでした。それでガオさんを迎えに来て、兄さんたちに成しえなかったことを、ガオさんと一緒に堂々と町を歩くことが夢だったんです。そのために、俺とアンジェルは今まで頑張ってきたんですよ。なのに……あと少しだったのに……」
ブライヴの尻すぼみとなる言葉には今までの努力が水の泡になったかのようにやるせない想いがあり、アンジェルも同じ想いを抱き目を伏せて歯を食いしばる。
「よく顔を見せてくれ」
ガオは目を伏せる二人の顎に指先を添えて僅かに顔を持ち上げて視線をもう一度合わせた。
二人の止めどなく溢れる涙にガオは悪戯な笑みを浮かべて口を開く。
「立派な冒険者になっても、泣いてちゃ弱い奴だと思われてしまうぞ。それとアンジェルは早く泣き虫を直さないとな」
「ふ、普段は泣いたりしてません!」
ガオのからかうような口調に、アンジェルは過去の泣いてばかりだった自身を思い出し涙を拭い、恥ずかしさから頬を赤らめて怒った素振りを見せ、ブライヴもそっと涙を拭った。
そんなアンジェルの態度がヴァラーたちに置いていかれることに駄々を捏ねていた過去を想い起こし、ガオは暖かな笑い声を零す。
「はっはっは。それはすまなかったな。そうだよな、二人は小さいころから強かったからな」
それと同時にアンジェルとブライヴが小さな体に強く逞しい芯を持っていたことを、ガオは昨日のことのように思い浮かべた。
「そうですよ。ガオさん本人が私たちに太鼓判を押してくれたじゃないですか」
「もちろん、みんなとの日々を忘れたことなどないさ」
ガオが屈託のない笑みを見せて、人として生きることができた日常を想い起す中、ブライヴが血相を変えてガオの体に恐る恐る触れた。
「ガオさん、体が……」
ガオの体は少しずつ透明になってきており、体からは極小の淡く光る球体が空舞い消え始めた。
「どうやら、もう限界みたいだな」
ガオが死期を悟ったかのように自身の掌を細めた眼で見つめる。
ただアンジェルとブライヴには何が起こっているかわかっていないようで、焦燥に顔を歪ませてガオの体に起こった現象に頭を逡巡させる。
「気化? どうして、ガオさんはまだ死んでないじゃん」
魔物は本来、魔力子濃度の高い場所では死んだ後に気化するモノであり、生きたまま気化することなど前例がなくアンジェルは頭の整理が追いつかず目を回す。
ガオはアンジェルに向き直り、宥めるように優し気な口調で今起きている現象について語った。
「魔物は魔力子をエネルギー源として生きている。そして体を構成するエネルギーはほぼ全て魔力子でできている。逆を言えば、体を構成するエネルギーを削って生きるエネルギーに変換させ、僅かに寿命を延ばすこともできる。つまり、俺は既に死んでいたはずだったんだよ。死期をほんの数分伸ばしていただけだ。机上の空論ではあったが、まさかできてしまうとはな……」
ガオは長剣で深い斬り傷を負ったとき、既に虫の息となっていたのだ。
しかし命を絶つ前にアンジェルとブライヴの姿を目にして、ほんの僅かな時間でも言葉を交わしたい願望に従って、試したこともない荒業を成功させていた。
ただそれも限界を迎え始めている。
「そんな、ガオさん……」
アンジェルは少しずつ薄れていくガオの姿と体温が嘘であることを願うかのように、ガオの手を力強く握り締める。
しかし当の本人であるガオは、快晴の昼空の下で日向ぼっこでもしているかのように柔らかな微笑みを見せる。
「俺も、二人と一緒に旅をしてみたかった。それに、二人が今までにどんな経験をしたのか、たくさん辛い経験をして、たくさん意地を張って、そしてたくさん前を向いた。その全てを聞きたかった」
アンジェルとブライヴの話を聞きたかっただけというガオの小さな願いに、ブライヴは胸を張って空元気に笑顔を作ってみせる。
「ええ、そりゃあ、聞いてくれないと割にあいませんよ。俺たち血反吐く思いで頑張ってきたんですから」
プルプルと震わせるブライヴとアンジェルの瞳を見据えて、ガオは二人の頭を大きな掌でわしゃわしゃと優しく撫でる。
あの頃とは違う頭の大きさと冒険者として引き締まった体躯に成長した二人と、十五年前に撫でた小さな少女と少年を思い比べる。
「本当に、大きく、強くなったんだな……」
ガオは掌に収まる感覚が以前のモノと違うことで改めてアンジェルとブライヴが立派に成長したことを実感すると同時に、自身の消えかけている姿と掌の感覚に、アンジェルとブライヴにもう触れることはできず二人の今後を見守ることができないのだと後悔、悲しみ、無力、恐怖、絶望に心を抉られ、入り交じった感情に抑えが効かず目尻から涙を流した。
しかし目の前のアンジェルは燦爛とした笑顔で胸を張る。
「はい、大きくも強くもなりました」
アンジェルの力強い言葉にガオは安心、喜び、敬愛を心の奥底から湧き上がらせ――
「これで、安心して逝ける」
そして目の前のブライヴは悠然とした態度で胸を張る。
「はい、何も心配はいりません」
ブライヴの逞しい言葉にガオは誇り、感銘、希望に胸を打たれた。
ガオはもうほとんど力の入らない両腕で二人を抱き寄せ、声を震わせて目尻から一滴の涙を流す。
「最後に、二人と話せてよかった……」
ガオの肩に顔を乗せるようにして抱き寄せられたアンジェルとブライヴは、ガオの大きな体を離さぬよう力強く、そして太陽のように暖かく包み込む。
「はい、私もです」
「俺も、話せてよかったです」
アンジェルとブライヴは震えた声とともに鼻を啜って、一度拭った涙をボトボトと零れ落とす。
最後までガオは透過した力のない体でアンジェルとブライヴを抱き寄せて、少し離れたところに佇む長剣を持った男の瞳を見据える。
「みんなに出会えたことを、誇りに思う。ありがとう……さよならだ……」
ガオの体が完全に気化し、その場にコツンと音を立てて淡く光る石が転がり落ちた。
「ああ、ああ、あああ!」
「どうしてガオさんまで……」
ガオの残した魔力石に蹲るようにして涙を零すアンジェルの背中を、大粒の涙を拭ったブライヴが優しく擦る。
そしてアンジェルが泣き止み涙を拭うと、ブライヴに手を借りて立ち上がった。
二人は今の今まで気に掛ける余裕すらなかったものの、ガオがこうなった原因と思しき男。
二人が壁を壊して現れる直前までガオと相対していたであろう、長剣を持った男を見据える。
男は――僕はアンジェルとブライヴへ数歩分距離を詰めて口を開く。
「お二人がアンジェルさんとブライヴさんですか? ということは復讐ですよね? 受けて立ちますよ」
僕は剣先を地面に引きずるようにして長剣の柄を片手に持ち、もう片方の手に魔力を籠めてバチバチと電撃を散らして構えを取って、心に誓う。
ガオさんの意思は必ず汲み取ってみせます。
あの世で待っている、あなたのために……




