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スーサイド・レコード  作者: 日常の音ずれ
第3章 百鬼迷宮編

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第50話 『勇』

 右へ左へと考えも纏まらないままに慌ただしく動き、必要最低限の荷物だけをカバンに詰め込もうとする少女がいた。

 しかし少女には何が必要で何が不必要なのかわからなかった。

 以前の少女なら先祖代々言い伝えられていた秘宝の剣を守るために、秘宝の眠る地下室の鍵だけを持って逃げることに躊躇いがなかっただろう。

 しかし今その秘宝は信頼できる人が持っており鍵はもう持っておらず、何をカバンに詰め込めばいいのかわからなかったのである。

 少女の大切なモノは今、魔物の大群に対処するための援軍を要請しに隣町へ向かったガオたちだけであり、少女――アンジェルに取っては彼らが全てであった。


 ドンドンドン

 少し乱雑なノックが聞こえたと思いアンジェルは扉に目を向けると、ブライヴが返事を待たずに扉を開け放った。


「入るぞ。って、まだ準備できてないのか!? 急げ、早く逃げないと死ぬぞ」


 ブライヴは中に何も入っていない口の開いたアンジェルのカバンを見て、顔に暗い影を射し酷く焦った様子でアンジェルに歩み寄る。


「父さんと母さんは準備できてる。俺もだ。早くしろ」


 ブライヴは背負っているリュックを強調するように軽々背負い直して音を立てる。

 アンジェルは焦燥に目を泳がせつつ眉根を寄せてブライヴの背負っているリュックに視線を向ける。


「ごめん。何持っていけばいいかわからなくて……」

「はぁ!? そんなの大切な物だけでいいだろ。何持っていきたいんだ、手伝うから教えてくれ」


 ブライヴは、普段アンジェルが大切に扱っている――といっても直ぐには思い浮かばないが、それらしき物がないかアンジェルの部屋を見回す。


「ここにはないの……」

「は? ないってことないだろ……」


 ブライヴはアンジェルの発言の意図が掴めず眉間に皺を寄せて困り顔でアンジェルに向き直る。


「私の大切なモノはガオさんたちだから……」


 アンジェルは自分が今直ぐに解決できない内容を口にしていることに自覚がありブライヴの目を見ることができず目を伏せる。

 しかし伏せた目に映ったモノは小さな肉刺が残る自分の手を取る、痛々しい肉刺だらけのブライヴの手だった。


「なら大丈夫だな。ほら行くぞ」


 ブライヴは先ほどの焦燥に満ちた表情とは打って変わって、白い歯を見せてニカっと笑顔を浮かべる。

 そんなブライヴの笑顔に照らされて、アンジェルは目を和らげて小さく首を縦に振る。


「うん」


 ブライヴはアンジェルの手を取り、階段を下って両親の待つ居間へ入ると母の姿が見当たらず部屋を一周見回して、防具を着込んで武具の手入れをしている父に向き直る。


「父さん、母さんは?」

「おお、準備できたか。よかった。母さんは避難誘導があるからもう出た。俺も門衛として行かなきゃならん。ブライヴ、アンジェルちゃんを連れて避難できるか?」


 ブライヴは肩に置かれた、力強くも少し震えた父の手に事態の重さを改めて理解した。

 父も母も命がけでこの村を守ろうとしている。


 "みんなで一緒に逃げようよ"まだ幼いブライヴにとって村よりも家族の安全を優先したい気持ちはあった。

 しかし自分の尊敬するヴァラーたちなら他者を見捨てたりはしない、そしてヴァラーたちと同じ志を持ち立派に職務を全うしようとしている父と母の足を引っ張るわけにはいかない。

 その気持ちで心に蓋をして大きく頷く。


「うん。任せて」

「うし、お前は俺の自慢の息子だ! あとで母さんに美味いもんたくさん作ってもらおうな。じゃあ、行ってくる!」


 ブライヴは父の大きな掌で頭をくしゃくしゃと撫でられたあと、門戸を開け放ち遠ざかる父の背中を目に焼き付けた。


「いってらっしゃい!!」


 アンジェルは微かに涙ぐむブライヴの瞳に自責の念を覚えてやるせない気持ちになり、ブライヴと繋ぐ手に無意識に力を籠めてしまう。

 自分の準備が遅れたからブライヴは両親と満足に言葉を交わすことなく、避難することになったのだ、と。

 ブライヴはアンジェルの手に力が入っていることに気が付くもアンジェルが怖がっていると勘違いをし、腰に差す木剣の柄に空いた手で軽く触れてアンジェルに優しく微笑みかけた。


「大丈夫。俺を信じて」

「ありがとう……」


 ブライヴの言葉はどこか自分自身に言い聞かせているようにも聞こえて、アンジェルはブライヴの固まった意思を揺さぶらないように笑顔を作って見せた。


 家の敷地を出ると村の住民が、避難所へ行く者と村の守りに就く者とで装いも行先も真逆の光景が行きかっていた。

 ブライヴは防具に身を固めた男衆の向かう先ではなく、軽装で女、子供たちが向かう先へ視線を向ける。


「行こう」


 カーン、カーン、カーン。

 ブライヴが歩を進めようとしたとき、村中に甲高い警鐘の音が鳴り響いた。


「えっ?」


 ブライヴは呆気に取られて思わず足を止め、つられてアンジェルも足を止めるとカーン、カーン、カーンと再度警鐘が鳴り響いた。

 それから漠然と空を見上げていると、カーン、カーン、カーンと警鐘が何度も一定の感覚で鳴り響いた。


「急ごう!」


 ブライヴはアンジェルの手を少々強引に引っ張り、急ぎ足で避難所へ向かう。

 何度も鳴り響く警鐘に加えて顔が強張り頬に脂汗をじっとりと滲ませるブライヴの表情で、アンジェルは芳しくない状況なのだろうと察して、ブライヴに質問を投げかける。


「もしかして、もう魔物が来てるの?」

「そうだと思う。でも、聞いてた話と違う。兄さんたちが村を出てまだ一時間も経っていないのに……これじゃ応援は間に合わない……」


 ブライヴは足を止めることなく、寧ろいっそう速めてアンジェルの質問に答えつつ自分の頭の中で状況を整理し始める。


 商人のおじさんは六時間後って言ってたのに、いくらなんでも早すぎる。

 おじさんが嘘を付いたとか?

 いや、おじさんにメリットがあるとは思えない、嘘を付くくらいなら何も知らせない方がいいはず……

 ってなると、おじさんが間違った情報を持って帰ってきてしまったとか?

 うん、こっちの方がしっくりくるな。

 とりあえず避難所へ行こう、俺だけで考えても何もわからないんだし……

 ……

 本当にそれでいいのかな……

 魔物の数も種類もわからない、村の大人たちだけでどうにかできるのか?

 避難所は本当に安全なのか?

 今からでも町へ向かった方がいいんじゃないか?

 俺とアンジェルなら町まで休まず走り切れると思う……

 もしかしたら、もう応援がこっちに向かって来てくれていて、向かってる途中に助けてくれるかもしれない……

 でも他のみんなは?

 運よく町に辿り着いたり応援部隊と出くわす可能性があるのは、日頃から鍛えてる俺たちみたいな人だけ、俺たちだけ助かっても意味ないんじゃないのか?

 でも、誰も助からないよりはマシ、だよね……


「ブライヴ? 止まってどうしたの?」

「っ――」


 ブライヴはアンジェルの言葉が鼓膜を刺激したことによって、初めて足を止めていたことに気が付く。

 その後も先ほどまでの思考が靄のように頭を覆い、ただ息を飲むことしかできなかった。

 傍から見てもわかるほどに滂沱の如く冷や汗を流すブライヴの手をアンジェルはそっと握りしめて、ブライヴの顔を覗き込むように見る。


「心配なの? 大丈夫だよ。ガオさんたちなら必ず帰って来てくれるし、それまではアジェントさんたちが護ってくれるよ」

「そ、そうだよね……」

「うん」


 アンジェルはブライヴの絞り出すような言葉に力強く頷き返して、優しく手を引き歩を進める。


 自分だけ助かろうなんて最低だ……

 みんな、村を護るために戦ってくれてるのに……

 もう余計なことを考えるのはやめよう……

 父さんたちなら、兄さんたちならなんとかしてくれる……


 アンジェルは気が付かない振りをした、手を引かれて後ろを歩くブライヴが唇を噛みしめて薄く血を流していることに。


 ▽


 避難所では二百人弱の村人が身を寄せ合って不安を少しでも和らげようとお互いに手を取り合っていた。

 アンジェルとブライヴも大講堂の隅でお互いに肩を預け合って吉報を待っていた。

 二人が避難所へ来てから十分が経っただろうか、というタイミングでアンジェルは地面が僅かに揺れた気がして隣のブライヴに確認を取るために視線を向ける。


「ねぇ、ブライヴ、今――」


 しかしアンジェルが言い終える前に揺れは気のせいでないことを確信させるモノとなり、地鳴りが講堂に響き渡り、等間隔に立てられていた燭台が次々と転倒し始めた。

 幸いにも燭台の火は予め消していたため火事にはいたらなかったが、揺れの大きさから事態が深刻な方へ向かっていることは明々白々であった。

 揺れと地鳴りが続く中、講堂のどこかからか幼子の泣き声が響き、伝播するようにみなの顔に暗い影が差し込み不安で空気が重たくなる。


 そして数分間続いた揺れと地鳴りが止み、みながそれぞれ顔を見合わせる。

 聞こえてくる声のほとんどが地震が収まったことから推測される事態が収束した可能性であった。

 つまり、魔物の大群をどうにかできたのではないか?

 ということだ。


 それはあまりにも楽観的な発想なのではないだろうか?


 ブライヴは口に出して言うことはなかったが、安堵に胸を撫でおろし息を吐く数人の者たちに視線を向けて現状について頭の中で整理しようとして――考えることを放棄した。

 それはブライヴが先ほどみなを信用せず、みなの頑張りを蔑ろにして自分だけ助かろうという発想にいたったことを思い出したからである。

 自分は何も考えてはダメだったのだと、自身に言い聞かせるようにして目を虚ろにする。

 しかし、心に蓋をしたブライヴの虚ろな瞳には、講堂の外から聞こえる村人の野太い悲鳴によって不安と焦燥が映る。


「うわああああ!!」


 ブライヴを含め、講堂にいる全ての者が悲鳴の聞こえてきた方角へ視線を移す。

 その表情には先ほどの安堵感はなく、みな恐怖に顔を歪ませていた。

 一人の女が立ち上がって窓から講堂の外を覗きこむ。


「っ――」


 女は声の出ない悲鳴とともに腰を抜かして尻もちをつき、ずりずりと尻を床につけながら後ずさる。

 腰を抜かした女に顔見知りなのだろうか、別の女が駆け寄り肩を抱く。

 腰を抜かした女は窓を指さし、静まり返った講堂で微かに聞こえる声で一言零した。


「ま、魔物……」


 その言葉の影響力はとても大きく、講堂内にいるほぼ全ての人々が取り乱すほどのモノであった。

 それもそうだろう、講堂は村の中央に位置しており、そこから見て聞こえる位置に魔物がいるのだ。

 つまり、村の護りは瓦解してあちらこちらに魔物が闊歩していることになる。

 加えて今、講堂の中には戦える者はいない。

 外には講堂を護る衛兵がいたはずだが彼らが今も生きているのか否か、外から悲鳴が聞こえない今、講堂を護る衛兵は殺されてしまったのかもしれない。

 魔物が侵入してきてしまえば、ここにいる者たちは成すすべなく殺されてしまうのだ。


 それを理解しているのか、はたまたただの考えなしか、一人の女が子供の手を引き講堂の裏口の方へ歩を進めた。

 裏口へ行く女に一人の老婆が声を震わせて呼び止める。


「あなた、何をしているの? 危ないわよ……」


 呼び止められた女が老婆に振り返ると同時に、講堂にいるみなの視線が二人の女に注がれて沈黙が流れる。

 呼び止められた女が口を開こうとしたその時、


 ダンッ


 と講堂の壁から何かが勢いよくぶつかったような大きな物音が聞こえ、みなの視線は音のした壁に移る。

 そして再び沈黙が流れ、


 ダンッ、ダンッ、ダンッ


 壁から聞こえる物音は次第に大きくなり、壁がミシミシと悲鳴を上げ始めた。

 それを見て先ほど呼び止められた女は子供の手を引き駆け足で裏口へと向かった。

 再度女を呼び止めようと老婆が力なく手を伸ばすも、


 ドゴオォン


 壁が砕け、講堂を形どっていた石材や木材がガラガラと崩れ落ち、そこには鼻先に一本、頭に二本の鋭く尖った円錐状の角、目に映る全てが肉を容易に食いちぎることができそうなほどに鋭い歯を持つ鹿の魔物が三体、喉を鳴らして講堂にいる人々を舐めまわすように目を動かしていた。


「「「「キャー!!」」」」


 みなが魔物から逃れるため、一斉に講堂の裏口へ駆け込む。

 しかし二百人弱も一度に通れるほど講堂の裏口が大きいわけもなく、洪水時の詰まった排水溝に流れる水のように人が裏口から出ても出ても終えることのない流れを生み出しているかのようであった。

 その人の流れに運よく乗り込むことができたブライヴとアンジェルはすぐさま講堂から出ることができたが、辺り一帯の状況に息を飲む。

 そこには衛兵の死体があちらこちらに転がっており、傍らには講堂を壊した魔物と同じ鹿の魔物が何かを咀嚼していた。

 衛兵の死体は腹に穴を空けられて止めどなく血を垂れ流す者、鎧ごと肉を食いちぎられ体の一部を失っている者など様々であった。


 魔物とはこれほどまでに残虐だったのか、とブライヴが恐怖に足を止めると後方から叫び声とともに背中を強く押された。

 ブライヴはアンジェルと離れないように握る手を引っ張りつつ、倒れないように袖に避けた。

 先ほどまで自分たちがいたところを見るとブライヴだけじゃなくほとんどの村人が裏口付近で足を止めていた、そして裏口を塞いでしまっていたため講堂に残る人たちから怒声とともに押しのけられたのだろう。

 裏口を塞いでしまっていたことにブライヴが申し訳なく思っていると――


「ギャー!!」


 講堂の方から悲鳴が聞こえてきた。

 目で見なくてもわかる、それは逃げ遅れた人の叫び声だろう。

 そしてその叫び声は声の主を変えて次々と空に消えていった。

 講堂の中は最早魔物の狩場となっているのだろう、そして我先にと出てきた者たちは周囲に点在する魔物に絶望し足を止める。

 もう自分たちは助からないのだと……


 しかし、ただ足を止めていれば生きながらえることができるわけではない、周囲にいた魔物たちが講堂から聞こえる叫び声につられて瞳をぐるりと回してこちらを見据え、走り出した。


「「「キャー!!」」」


 魔物が走り出すとともに村人は蜘蛛の子を散らすように四方八方に駆け出した。

 魔物たちは走り出した村人たちを追いかけるように四つの足で急ブレーキをかけるとともに方向転換をして大地を蹴り上げる。

 魔物の動きはただの鹿とは比べ物にならず、次々と村人を頭の角で突き刺し殺し、口の牙で噛み殺す。

 走れば魔物に追いかけられて殺される、止まっていても村人の数が減り狙われて殺される、講堂に戻ったら残っている魔物に殺される。

 ブライヴは膝を震わせて滝のような汗を流しながら、どうしようもない現状の打開策に思考を巡らせる。

 しかし、目の前に広がる残酷な光景に当てられて息が絶え絶えになり、頭に靄がかかったように上手く考えがまとまらない。

 そんなブライヴの手を小さな手が力強く握る。


「ブライヴ、走ろう!」


 アンジェルはブライヴの返事を待たずにブライヴの手を引いて駆け出した。

 ブライヴはアンジェルに引かれるがままに魔物たちの隙を縫うようにその場から逃げ切る。

 ブライヴは力強く大地を踏みしめて自身の手を引いてくれる少女に困惑を覚え、つい口から疑問を零してしまう。


「な、なんで、怖くないの?」


 アンジェルは目尻に涙を溜めつつも儚く優しい気な瞳で振り返る。


「わたし、逃げるの得意だから」


 ブライヴはアンジェルの瞳を見て、ヴァラーたちから聞いた少女の過去、村が盗賊に襲われた話を思い出す。

 アンジェルは一人で盗賊から逃げるだけでなく、両親を含む村人の死体を見て触れてきたのだと。

 ブライヴはアンジェルのことをまだ幼く泣き虫な子だと思っていた、しかしそれは思い違いでアンジェルは心に揺るぎない一本の芯を持っているのだと気づかされ顔を伏せる。


 ガオさんの言っていた"強い人"はアンジェルのような人のことを言うんだろうな……

 俺には不釣り合いな言葉だ……


 ブライヴは己の未熟さに心を痛めた、日々のトレーニングで筋力を付けて満足し酔っていた自分に……

 そんなブライヴの心境など露知らず、アンジェルが場違いなほどに安堵の籠った口調で口を開く。


「見て、出口!」


 アンジェルが前方の門指さすも、目の前に一体の魔物が物陰から飛び出してきた。

 あと少しで村から脱出できたことを歯がゆく思い、アンジェルは足を止めて唇を噛みしめる。

 しかし、ブライヴは足を止めることをなく前を向いた。


 俺の心が弱いなら、今ここで強くなればいい。

 兄さんたちのように人のために剣を振るう覚悟を、

 アンジェルのように逆境でも折れない意思を、

 俺の心が弱いなら、今までに鍛え上げてきた体で立ち向かえばいい。


 ブライヴは独り、心を奮わせて勇気を振り絞る。


 アンジェルと繋いでいた手を解き、腰に携えている木剣の柄に手をかける。


「ブライヴ!」


 アンジェルは解かれた手を伸ばしてブライヴを止めようとするも、その手は空を切りブライヴに届くことはなかった。

 ブライヴと魔物がお互いに向かって猛進する。


 魔物は自慢の角をブライヴの腹部に狙いを定めて大地を蹴り上げ一息でブライヴへ飛び掛かる。

 しかしブライヴは上体を捻り角を躱し、捻りの勢いに乗せて木剣で魔物の顎を打ち上げる。

 鈍い音を立てて下顎の骨を砕かれた魔物は白目を剥き、力なくその場に倒れる。


 魔物を一撃で仕留めてしまい、ただ見届けることしかできなかったアンジェルはもちろん、当の本人であるブライヴも洗練された身のこなしに驚愕し目を見開く。

 ブライヴは自分の動きを不思議に思い手を開閉して体の感覚を確かめたあと、力強い握りこぶしを作りアンジェルへ向き直る。

 

「アンジェル……俺がこの村を護る」

「な、何言ってるの、逃げようよ……だって、もう……」


 アンジェルは後方を振り返り、目に映る全ての建物が瓦解し、元の原型を留めていない村を瞳に映す。


「うん、アンジェルはこのまま逃げて」

「なんでブライヴは逃げないの!? もしかして、ガオさんたちの期待を裏切るとか思ってる!? そんなわけないよ。誰も責めたりしない! 寧ろよく生きてたって褒めてくれるよ! もう、仕方ないじゃん! 私たちにできることなんてないよ!」


 アンジェルは言葉にしなかったが以前盗賊に村を襲われたときの経験から、この村の現状で生き残りはほとんどいないだろうと察していた。

 ブライヴが死に物狂いで頑張っても結果はいい方向にはいかないだろうと……

 しかし、ブライヴの意思が揺るぐ様子はなかった。


「一人でも生き残りがいるなら、俺は戦うよ」

「誰も生き残ってなんかないよ! はっ――」


 アンジェルは言わずとしていた言葉を感情に流されて零してしまい息を止める。

 それでもブライヴは柄を握る手に力を籠めて村の中央へと歩を進めた。


「俺の憧れた兄さんなら、ここで退かない」


 アンジェルはすれ違い様にブライヴの強い意思の籠った瞳を見て、唇を噛みしめて説得を諦める。


「死なないでね……」

「大丈夫。俺を信じて」


 アンジェルは振り返ることなく町の方角へと走り出し、ブライヴは大地を踏みしめて村に蔓延る魔物を目掛けて駆け出した。


 ブライヴは手に持つ木剣の柄を力強く握り締めて、魔物の頬骨を砕いて命を奪い、頭蓋を砕いて命を奪い、頚椎を砕いて命を奪い、数十体もの魔物を一撃の下に葬っていた。

 それはブライヴの体躯からは想像もできないほどに大きな膂力によるモノだった。

 それはブライヴの経験からは想像もできないほどに流麗な体捌(たいさばき)によるモノだった。


 そして魔物を殺すたびにそれ以上の数の村人の死体が目に入り、ブライヴは最初の威勢を徐々に弱めていた。

 それでもブライヴは魔物を殺す手を止めることなく、誰か生き残っていないか声を張り上げる。


「誰か! 誰かいませんか! 助けに来ました!」


 しかしブライヴの声に返事をする村人はおらず、魔物が続々と声に反応して集まっていた。

 ブライヴは木剣を振り払い、魔物の牙をへし折り、角を打ち砕く。

 絶えず魔物の命を奪い、とうとう自分たちが先ほどまで避難していた講堂まで戻ってくることができた。

 講堂はブライヴたちがいたとき以上に瓦解しており、もう講堂としての原型を留めていなかった。

 そして瓦礫に潰されたのか、魔物に殺されたのかもわからない村人の死体が軟体動物のように体を捻じ曲げて潰れていた。

 ブライヴは無意識に手を伸ばし、なんとなく瓦礫をどかし、理由もなく死体の顔を見て目を見開く。

 死体の顔はブライヴの母のモノであったのだ。

 ブライヴが講堂に避難していたとき母の姿はなかった、きっと避難誘導係として町中を奔走していたのだろう。

 そしてブライヴの母は避難所である講堂が瓦解していることに気が付き危険を顧みず生存者の有無を確認し、そこで息絶えたのだろう。


 ブライヴは覚悟していた、アンジェルの言葉には重みがあり、誰も生きている人はいないのだと。

 しかし、いざ自分の母の死体を目の当たりにして、足の力が抜けてしまい瓦礫の上に膝を着く。

 ブライヴは目の前の現状を受け入れるために母の死体から目を逸らすことなく、行き場のない感情を木剣を握る手の力へと変換させて堪える。


 するとブライヴの持つ木剣の柄がバキャッと音を立てて粉々に砕けた。

 ブライヴは音を立てた原因である自分の手に視線を移して、木片が痛々しく掌に刺さっていることに気が付く。

 しかし痛みを感じることはなく、無表情で木片を取り除く。

 ブライヴはどうにか立ち上がり、瓦礫の山を越えて真っすぐに進み始めた。


 周囲には相も変わらず魔物が闊歩しており、ブライヴを見つけて襲い掛かって来る。

 ブライヴは力いっぱいに握り拳を作り、魔物の鼻尖に見舞う。

 魔物が顔を陥没させて息絶えたことを確認して、ブライヴは再び歩を進めた。


 襲い掛かってくる魔物の全てを素手で滅多打ちにし百を優に超える魔物の死体を積み上げて、とうとう魔物たちが来た方角の門まで辿り着いた。


 村の端から端まで魔物を倒しながら進んできたが、誰一人生き残りはおらずブライヴは壊れた門から外に出た。

 そこには門衛として全霊を尽くしたのだろう、門の脇に父の死体が転がっていた。

 父は腹に角で刺されたのだろう穴を空けており、体中に魔物の蹄の跡がくっきり浮き上がっていた。


 この瞬間、ブライヴは村人を誰一人救えなかった現実に胸を締め付けられるような息苦しさを覚え、泣きじゃくりたくなる気持ちを抑えようとできるだけ深い呼吸を意識した。


「はぁっはぁっはぁっはぁっはぁっ」


 しかし呼吸は荒く、唾が口の中に溜まる。

 体の中を何かが逆流しそうになりえづくが歯を食いしばり必死に耐え抜く。


「誰も助けられなかったけど……俺は父さんの、自慢の息子、だよね……?」


 ブライヴは生涯忘れまいと父の顔を目に焼き付け、来た道を振り返り村を離れて町を目指した。

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