第45話 アンジェル
「はあ、はあ、はあ」
人の胴体ほどある太さの木の根、飴玉サイズからボウリングの球ほどまで大きさのまばらな石が乱雑に散らばり、草木が生い茂る整備のされていない山道。
この何の変哲もない獣道を、天使のように白い肌を持つ齢六歳ほどの少女が、息を荒げ泥まみれになって走っていた。
この山は魔力子の濃度が高く、他の山と比べて危険な魔物が出没するため近隣の村では立ち入りを禁ずる掟があった。
「あっ――」
少女は木の根に足を取られて走った勢いを殺すことなく転倒した。
両手で顔を護るように受け身を取ったため腕に深い擦り傷を、脚には小枝が突き刺さっていた。
少女から数十メートルほど離れた後方、ボロボロの無地の羽織に湾曲した剣、口元をスカーフで隠した格好の盗賊、男二人組が片手をメガホン代わりに少女に呼びかける。
「お嬢ちゃーん。隠れてないで、出ておいで~」
「おじさんたちは怖くないよ~。ちょぉっと、君の持っている鍵が欲しいだけなんだ。お嬢ちゃんには何もしない、ほんとだよ~」
少女は二人の男から逃げるために立ち上がるも、下手に動いたことで脚に刺さった小枝が深く肉の内側へ侵入し痛みに声を上げてしまう。
「痛っ!」
少女は咄嗟に自身の口を両手で塞ぐが、盗賊たちは狙いを付けたかのように少女の声が聞こえた方向を見やる。
「お嬢ちゃーん。大丈夫かーい? 怪我をしたのなら、おじさんたちが手当してあげるよ~。ほら、出ておいで~」
徐々に近づいてくる足音に、少女はネックレスのように首に掛けていた鍵を一度握りしめ祈るように呟く。
「おかあさん、おとうさん……」
少女は意を決したかのようにハンカチを口に加えて歯を食いしばり、脚に刺さっている小枝を勢いよく抜いた。
「う、うぅぅ……」
少女は激痛に声を荒げることなく、小枝を抜いて血が流れる傷口に加えていたハンカチを簡単に結びつける。
自分自身に"よく声を出さなかった! 偉いぞ"と自画自賛したくなるほどの痛みに耐えた少女は立ち上がり、険しい山の中を苦痛と疲労によって溢れ出る汗を滝のように流しながら走り始めた。
しかし、すでに少女の背中を盗賊たちは視界に捉えていた。
直ぐに視界から少女の姿は消えたが脚を怪我した少女と大人の男二人組、当然少女が逃げ切れるわけもなくあっさりと追いつかれてしまい、盗賊は少女の腕を捕まえる。
「そんなに逃げなくてもいいだろ? 何もしないって」
「やだ! 放して!」
少女は掴まれた腕から男の手を解こうと必死に抵抗するも、もう一人の盗賊から腹部に蹴りを受けて膝をつく。
「うるせぇぞ。黙って言うことだけ聞いてろ」
「おいおい、相手はガキだぜ?」
「おめぇも村で散々やってたろ。そんなことより、早く鍵取って帰るぞ」
盗賊たちは蹲る少女を乱暴に起こして首に掛けてある鍵を握りしめ、勢いよくチェーンを引き千切る。
「おら、歩け! ガキ!」
少女は盗賊に力強く腕を引っ張られ血の滴る脚で無理矢理歩かされた。
「ガキは邪魔だろ、置いていけ」
「そう言うなって、こいつ結構整った顔してるだろ? どっかの変態に高く売りつけられそうじゃねぇか。あっ傷者にすんなよ?」
「ガキに興味ねぇよ」
盗賊たちが踵を返し来た道を戻ろうとしたとき、後方から低い声が聞こえた。
「子供一人に、大人が二人がかりか……」
盗賊が振り返ると同時に声の主は少女の腕を掴んでいた盗賊の顔を陥没させるほどの強力な殴打を繰り出す。
盗賊は原型がわからないほどに顔面を崩壊させて心臓を止め、少女の腕から手を放して地面に背中を打つように倒れた。
仲間が一撃で殺され、滂沱の如く汗を流すもう一人の盗賊は、恐る恐る声の主の顔に視線を向ける。
「オ、オーガ……」
そこには、背丈が二メートル強、内に秘める力強さが肌を突き刺すように猛猛しい圧を放ち、ゴツゴツとしていながら引き締まった体躯を持つオーガの姿があった。
オーガは首をゴキッと鳴らして盗賊を無表情に盗賊を見下ろす。
盗賊は咄嗟に腰にぶら下げていた曲刀を抜刀しようとするが、オーガの蹴りを腹部に受けて地べたに蹲る。
「先ほどお前がそこの少女にしていたことだが、ずいぶん痛そうだな」
オーガは、蹲りながらも必至に酸素を取り込もうする盗賊を表情の無い顔で見下ろして、聞いた者を震え上がらせてしまいそうなほどに冷たい声を投げかけた。
盗賊は腹部を蹴られ呼吸を整えることで精一杯であり言葉を返す余裕すらなく、命乞いでもするかのように小刻みに震わせた目を頭上のオーガに向ける。
しかしオーガは眉一つ動かすことなく足を上げて盗賊の頭部を踏み砕いた。
オーガは返り血の付いた自身の足を気にすることなく踵を返して――
「あ、ありがとうございました!」
少女の声に足を止めた。
オーガは少女の方へと振り返り、ゆっくりと少女に歩み寄る。
「俺は魔物だぞ? なぜ礼を言う?」
オーガの言葉に少女は首を傾げて、さも自身の行為が疑いようもない正しい振る舞いだと言いたげに、目を和らげて微笑みを浮かべる。
「だって悪い人たちから私を助けてくれたじゃないですか! 魔物さんとおしゃべりするのは初めてで緊張しますが、良い人だってことぐらいわかりますよ!」
「…………」
しばしの間オーガは少女の目を見つめ、やがて少女に背を向けてその場に屈み麓の方を顎でしゃくる。
「この山は危険だ。安全なところまでおぶってやる」
「ありがとうございます!」
少女は倒れ込むようにオーガの背に身を預け、オーガは少女がしっかり摑まっていることを確認し立ち上がる。
チラッと少女に視線をやると、少女は俯き目尻に涙を浮かべていた。
だがオーガは声をかけることなく、ただ表情を変えることなく山を下りた。
▽
険しい山道を抜けて遠目に小さく村が見えたとき、二人の男と一人の女が武器を構え道を阻む。
真ん中に立つ男がオーガに鋭い眼光を向けて、声を張り上げた。
「そこのオーガ、止まれ! これ以上先には行かせないぞ!」
男の声に背中の少女が飛び跳ねるように反応してオーガの肩から顔を覗かせる。
「待ってください!」
男女の集団は少女の顔を見るや否や焦りと困惑で表情を歪め、お互いに目配せをしオーガの目を睨みつける。
「女の子!? どういうことだ?」
しかしオーガは表情を変えることなくその場にしゃがみ込み少女をそっと下ろし、自身の目を弱弱しい瞳で見つめてくる少女の頭を一度だけ撫でた。
「もう、山には入るなよ」
「魔物が喋った!?」
見たことも聞いたこともない魔物が言葉を発するという現象に男女の集団はさらに困惑の色を濃ゆくする。
踵を返して山へと歩を進めるオーガに、少女が手を伸ばすがその手はオーガに触れることなく空を切る。
「待ってください!」
しかし少女は諦めずに傷ついた脚で駆け出しオーガの許まで駆け寄ろうとするも、先ほど声を張り上げていた男に素早く横抱きに持ち上げられ、残りの二人がオーガに武器の矛先を向けて脇を護るように隣に立つ。
「君、危険だよ」
「危険じゃないです。あの人は私を助けてくれたんです。だから危ない物を向けないでください!」
「えっ?」
男女の集団は先ほどより一層強い困惑に駆られ、眉間に深い皴を作りお互いに見合う。
少女を抱える男の手の力が緩み少女は腕から飛び出して血の滴る脚でオーガの許まで駆け寄り、腰に抱き着く。
「助けてもらったお礼ができてません。よかったら家まで……家……に何が残ってるかわかりませんが、お礼を、させてください……」
言葉を紡ぐ度に少女は目元に涙を浮かべ、ぐすっぐすっと鼻を鳴らす。
状況を整理できていないようだったが少女を抱えていた男は柔らかな笑みを浮かべてオーガの許まで歩み寄る。
「事情はわかりませんが、子供が怪我を堪えてまであなたのことを庇うんです。俺はあなたのこと信じてみようと思います。先ほどはすみませんでした。俺はヴァラーって言います」
ヴァラーは名乗りを上げるとオーガに対して手を差し出して握手を求めるが、オーガはヴァラーの手を見下ろしたまま静観する。
オーガに動きがないことを不思議に思いヴァラーは考えを巡らせると、合点がいったかのように顔を明るくしてオーガの手を取り自身の手を握らせる。
「これは握手と言いまして、挨拶とか友好の印、あとは……なんか場をイイ感じにする行為です。良ければ覚えてみてください」
オーガがヴァラーにされるがままでいると、残りの男女二人が武器を収める。
女はオーガを睨んだまま、男はケラケラと表情を崩してオーガの許まで歩み寄った。
「私は反対なんだけどー」
「いいじゃねぇか! 俺は面白れぇと思うぜ! あっ、俺の名前はフレンド、こっちのムスッとしてるのはグリートだ。よろしく!」
「何勝手に私の名前教えてんのよ!」
フレンドはグリートに尻を蹴られ、痛みに耐えるように尻を押さえてその場で飛び跳ねる。
「いっって!」
二人のやり取りは日常の出来事となんら変わらないのだろう、ヴァラーは二人を特に気にすることなく膝を曲げてオーガの腰にしがみついて離れない少女に目線を合わせる。
「こんにちは、君の名前を教えてくれるかな?」
少女は一度唾を飲み込みオーガの顔をチラッと見てからヴァラーに視線を戻す。
「アンジェル」
ヴァラーはにこやかな笑みを浮かべて小さく頷いた。
「いい名前だね」
アンジェルは自分の名前が褒められたことに対して頬を僅かに赤く染めオーガにしがみつく力を強める。
ヴァラーはアンジェルとのわだかまりが解消されたとことを嬉しく思うと同時に、凄惨な事実を告げなければいけないことに心を痛め、笑顔を消して真剣な面持ちでアンジェルの目を見つめる。
「アンジェル、君に伝えなくちゃ、いや、観てもらわくちゃいけないことがある。君が住んでいたであろう、村についてだ」
刹那、アンジェルがヒッと音を立てて息を止めるも直ぐに唇を噛みしめる。
「お願いします」
アンジェルはきっと自分を待っている何かに思い当たる節があるのだろう、そして心に決めたのだ。
その小さな身体で、全てを受け入れる覚悟を――
▽
脚の怪我で満足に歩けないため村までオーガに背負ってもらっていたアンジェルは、村が自分の知るこじんまりとしつつも活気溢れるモノとかけ離れた情景に様変わりしていることに涙を浮かべた。
これ以上見たくないと思い何度もオーガの大きな背に顔を埋めたくなっても、視線を逸らしては両親に顔向けができなくなると、思い留まる。
大人の背丈ほどしかない小さな木製の門、いや門だった物の近くまで来ると、アンジェルはオーガの背からゆっくりと地面に降りた。
アンジェルの目の前には村にある全ての建造物が瓦解し、その破片であろう木の板や元々は綺麗な直方体に模られていたのだろう砕けた石が散乱し、大量の血痕と動くことのない村人が何十人も倒れていた。
アンジェルはチェーンの千切れた鍵を両手で祈るように握りしめ、周囲をゆっくりと見回しつつ歩を進めた。
アンジェルの足は迷いなく進んでいるため目的地があるのだろう。
ヴァラーたちは口を閉じたままアンジェルの後を追い、その後ろをオーガが歩む。
とある建物だった物の近くまで行くとアンジェルは足を止めて周辺を見回す。
そこには、ボロボロの無地の羽織に湾曲した剣、口元をスカーフで隠した格好の盗賊三十人弱が血を垂れ流し地に伏していた。
アンジェルは倒れている盗賊たちが自分を追いかけていた盗賊たちの仲間であると知っている。
何故なら、元々アンジェルはこの建物からあの山まで逃げていたのだ。
だが何故盗賊たちが倒れているのかはわからなった、そこへヴァラーがアンジェルの知りたい答えを口にする。
「こいつらは俺たちが殺した」
ヴァラーの冷たいとも取れる最低限の情報共有に、アンジェルはなぜか救われた気持ちになった。
ヴァラーは暗に示してくれたのだろう、盗賊と戦ったこと以外は何も知らないと……
きっと今から観るモノは自分の想像通りで、今まで以上に耐えられないモノであることをアンジェルは悟ったのだ。
アンジェルは止めていた足をゆっくりと踏み出して建物だった物の中へ、そして地下に繋がる階段をゆっくりと降りる。
階段には血が垂れ流れており、いくつもの死体が無造作に転がっていた。
死体の何人かは顔見知りの者もいた。
アンジェルは、血生臭く凄惨な現場を観て感じ胃の中の物が食道を通って逆流する感覚を覚え口を手で押さえるも、耐え切れずその場に嘔吐する。
「おぇぇ」
グリートはそっとアンジェルに寄り添い背中を優しくさすり、息を整えるアンジェルの口元をハンカチで軽く拭う。
アンジェルはグリートに礼を告げようとするが声が喉を通らず口をパクパクと開閉させるだけになってしまい、無言でお辞儀をして再度階段を下り始めた。
何度も吐きそうになる衝動を堪えて階段を下りきり、床に広がる赤黒い水溜まりに足をつける。
地下の最深部であるそこには、扉の前に座り込む男女の死体があった。
アンジェルは息をのみ男女の死体に歩み寄り、言葉を零す。
「おかあさん、おとうさん……」
アンジェルは両親を抱きしめて温もりのない体に触れることで、堪えていた涙を滂沱の如く流して泣き叫んだ。
張り詰めていた心の糸が、途切れたように……




