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スーサイド・レコード  作者: 日常の音ずれ
第3章 百鬼迷宮編

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第40話 最後の願い

※以降、過激な流血、負傷および、精神的に強い衝撃を伴う描写が含まれます。

苦手な方はご注意ください。

 リイシャに誓いを立てたあと、リイシャは僕の肩に頭を預けて小さな寝息をかいて眠りこけていた。


 きっと全てとはいかないまでも、ある程度の不安が払拭され張っていた緊張の糸が切れたのだろう。

 この状況に似つかわしくない幸せそうな寝顔は、まるで赤子が母の腕に抱かれて眠っているかのようだった。

 そんなリイシャを見ていると次第に僕も眠くなり、意識が朦朧とするままに瞼を閉じる。


 夢を見た。


 ▽


「おぎゃー、おぎゃー」


 一人の赤ちゃんが、何かを訴えかけるように泣いている。

 腰より少し高い柵で回りを囲っている木組みの小さなベッドで、赤ちゃんは仰向けの状態で必至に手足を動かしている。


 赤ちゃんの泣き声を聞きつけ、一人の女性が扉を開けて部屋に入って来た。

 女性は泣き続ける赤ちゃんに視線を落とすと、前傾姿勢になって片手を優しく赤ちゃんの頭の下に差し入れて頭と首を支えつつ、空いた手で背中とお尻も支えてゆっくりと抱きかかえた。


 女性は赤ちゃんを抱きかかえたまま近くのソファに腰かけて、赤ちゃんと自身の体を密着せるようにして片手で抱きかかえ、空いた手でクッションを膝元に置く。

 そのまま空いた手でゆったりとしたワンピースの胸元のボタンを開け、下着をずらして少しだけ胸をはだけさせる。


 今度は両手でしっかりと赤ちゃんを抱きかかえて、胸元に体ごと抱きよせる。

 少しだけ赤ちゃんの背を丸めてあげると、安心したかのように泣き止み乳を飲み始めた。

 女性は赤ちゃんを揺するでもなく、ただじっと暖かな眼差しで腕に抱く子に視線を注いでいた。


 しばらくその光景を眺めていると、赤ちゃんはお腹いっぱいになったのだろうか、乳から口を離して体を少しだけひねらせ(くう)を指す。


 女性が不思議そうに小首をかしげて赤ちゃんの指し示す方に視線を移すと、そこには一人の男性が立っていた。

 女性は男性を見るや否や紺色のミディアムショートの髪を揺らし、宝石を彷彿とさせる紫紺の瞳で、冷え切った体に差す木漏れ日のような暖かな微笑みを向ける。


「おかえりなさい。あなた」


  男性は整えられた藤紫色の髪で、金色にも茶色にも見える黄色の瞳を輝かせて笑顔を浮かべる。


「ただいま」


 ▽


 目を覚ますと目尻から頬を伝う一つの滴が流れ落ちるのを感じた。

 雫を袖で拭ってふと横に視線を移すと、僕の肩で眠っているリイシャが眠気眼を擦りながらゆったりと起き上がった。


 僕は声を潜めて眉尻を下げる。


「ごめん。起こしちゃった?」

「いいや、大丈夫。てか、私の方こそ寝ちゃってごめん」

「不注意で申し訳ないけど、僕も寝てたから気にしないで。それに、良い夢を見れたから良かったよ」


 僕が手を組み伸びをして答えると、リイシャが興味深げに瞳を丸めて顔を覗き込んできた。


「どんな夢だったの?」


 どんな夢だったか……

 僕は今しがた見たばかりの夢に想いを馳せる。

 いや、見終わったばかりの夢に対して、想いを馳せると表現することは言葉のニュアンスが違うのだろうが、どうしてもこの言葉がしっくりくる。

 遠い何かを見ていたような、遠い何かが心を温めてくれたような感覚が、僕に言葉を選ばせる。

 しかし、その何かを見ていた夢の内容が思い出せない。

 ただ悲しいモノではなく、寧ろ幸せを過ごす時のような感覚であったことは心に残っている。


 同時に、起きて直ぐ、その何か大切なモノが零れ落ちてしまった感覚もあった。


 夢の内容も思い出せず、なんと表現してよいかわからない感覚に、僕は蓋をするように眉尻を下げる。


「うーん……忘れちゃった」

「まっ、夢なんてそんなもんだしね。うーーんっ」


 リイシャは丸めていた瞳に涙を浮かべ、僕と同様に伸びをして特に気にすることもなく立ち上がり僕へ手を伸ばす。


「じゃ、行こっか」

「うん、そうだね」


 僕はその手を取り立ち上がる。


「その前に」


 リイシャは僕が歩き出す直前に一言呟き、手を自身の正面に突き出して瞼を閉じ、魔術を唱える。


「『ウィンド』、『タクタイル』」


 リイシャの周りに微風が吹き、髪がふんわりと揺らめく。


 数秒ほど経ってリイシャが瞼を開くと、訝し気な表情を作る。

 僕はその表情が気になり、魔術によって得た情報の詳細を問いかける。


「どうだった?」


 リイシャは脇道へ視線をやり、眉間に皺を寄せる。


「まだオーガは壁の前にいるみたい」


 どれだけの時間を僕たちが眠っていたのか定かではないが、オーガの執着は強いようだ。

 今も僅かに壁をガリガリと引っ掻く音が聞こえる。


「じゃあ、ここで待つってのは、やっぱり無理だね。前の方は?」

「ずっと一本道で、魔物はいないかな」


 僕はここで、やっとリイシャが訝し気な表情であった理由に気が付く。

 リイシャの探査能力は最低でも五百メートル程度はある。

 一本道である前方の道からオーガが来れば、逃げ道はないということだ。

 言い方を変えれば、五百メートルは安全に進むことができるということだが、袋小路になりかねない今の状況は不安に天秤が傾くモノだ。


 しかし、ここで如実に心の不安を顔に出して言い訳がなく、僕はリイシャに微笑みかける。


「魔物がいないならラッキーじゃん! 行こっ!」

「そうだね」


 きっとリイシャは僕の作り笑いに気が付いていただろう、だが素知らぬ顔で一緒に微笑みかけてくれた。


 ▽


 コツン

 コツン


 僕とリイシャの足音が薄暗いダンジョン内に響き渡るも他に物音はしない。


 時折足を止めてリイシャに『ウィンド』と『タクタイル』で周囲の安全を確認してもらいつつ、一歩、一歩少しづつ進む。

 魔物に遭遇することなく、一本道をただ進み続けていた。

 何度目かわからないリイシャの魔術による探査で、これまでと違う情報を一つだけ把握することが出来た。


 リイシャは緊張の糸を張り詰めたように、強張った表情で僕に告げる。


「ここから二百メートル先に、どこまで続いてるかわからないぐらい、おっきな空間がある」

「魔物はいる?」

「わからない……けど……」

「けど?」

「空気が揺れてる……」


 この閉鎖的な空間であるダンジョン内で風が吹いているとなれば僕でもわかりそうだが、僕の肌では空気の揺れを感じ取ることはできなかった。

 つまり『タクタイル』で触覚を強化し、普段から風の流れに意識を向けているリイシャだからこそ気が付けたことである。


 この状況は隠しエリアを見つけたときと、どこか似ている気がする。

 またギミック付きの壁でもあるのかもしれない、調べるには十分な情報だ。

 しかしリイシャは乗り気ではなさそうで、頬にすっと冷や汗を掻いていた。

 だが何も口にする言葉がないということは、その不安は何も確証がなく勘からくるものであり、勘で不安だからと言って目の前の微かな希望を蔑ろにできないと思っているのだろう。


 僕とリイシャの持っている情報は同じである。

 しかし、より見えすぎてしまうリイシャには言葉にできない不安が付きまとう。

 ならば僕が手を引いて、少しでもリイシャの不安を払拭しなければ。


「それなら、ここに来たときみたいな抜け道があるかもね」


 僕はリイシャに微笑みかけて前を歩く。

 リイシャの魔術でも奥行がわからないほど大きな空間に何もないということはないだろう。

 今はそう思い込んで進むしかないのだ。


 一歩、一歩と歩を進め、とうとう件の大きな空間の入り口手前まで辿り着いた。

 暗がりな視界では奥がどうなっているのかはわからず、視覚から得られる情報には限度があり、僕はリイシャに向き直る。


「リイシャ、もう一回この空間をを調べてくれる?」

「わかった」


 リイシャは首を小さく縦に振ると、『ウィンド』と『タクタイル』で空間の探査を始める。

 微風で髪が(なび)き数秒経ってリイシャの目が大きく見開かれる、まるで信じられないモノでも見たかのように。

 リイシャは隣にいる僕が微かに聞き取れるほどの声量で一言告げる。


「戻ろ……」


 リイシャは頬に冷や汗を一滴流して踵を返した。

 僕はワンテンポ遅れて踵を返し、リイシャの傍まで駆け寄る。

 隣を並んで歩く僕の目には、リイシャの顔により一層暗い影が落ちているように見えた。


「何かあったの?」


 リイシャは乾いた口を開けて、少しかすれ気味の声で知り得たことを口にする。


「数えきれないぐらいのオーガがいた。しかも奥には枝分かれした道が四つあって、そこからまだまだ出てきてた。その内、二百は超えそうなぐらい」

「……」


 五十を超える数のオーガですら逃げ惑うことしかできなかった僕たちには、あまりにも絶望的な数の報せに、僕は言葉が喉につっかえて出てこなかった。


 あのまま進んでいたら二百体のオーガを倒さなければならないことになっていた。

 ほんの少しずつ休憩は挟んでいたが、魔力が底をつきかけている僕には到底成しえない所業である。

 リイシャが魔力切れを起こすことなど想像できなかったが、それほどの数を相手にするなら流石のリイシャでも一筋縄ではいかないだろう。

 リイシャだけでなく、僕の頬からもすぅっと冷や汗が流れる。


 リイシャが戻る判断を下した理由を僕は自身の頭の中で完結させ、確認するように言葉を零す。


「難しいけど、戻って壁のオーガたちを倒す方が現実的ってことね……」


 しかしリイシャは僕の解に丸を付けることなく、苦虫を嚙み潰したような表情を作る。


「それが一番の理由だけど、もう一つ引き返す理由があって……」


 リイシャは一度呼吸を挟み、理由を一つ付け加える。


「あの空間はただ広いだけで、外に繋がるようなギミックはないと思う。もしあったら強硬突破も視野に入れてたけど……」

「なんでないと思ったの?」

「風の向きからして下層へは繋がってるかもしれないけど、壁のギミックに気が付いたときとは全く別。あの大群を押し切って下層へ潜りに行くのは、割に合わない」


 僕からすればたとえ出口があったとしても、二百を超えるオーガと対峙することは避けるべきだと思う。

 しかしリイシャにはやってのける自信があるようだ。

 加えて不思議と強がってる素振りもない、こんなに頼もしいパートナーはそうそういないだろう。


 リイシャの素晴らしさを改めて実感すると同時に、僕はこれから戻って戦うオーガたちの対策へ意識を切り替える。


「じゃあ取り合えずは、壁のとこにいるオーガの倒し方だけど、脇道から――」

「止まって」


 僕の提案と脚は、リイシャの言葉によって動きを止めた。

 そして止まったと同時に、進行方向から何か物音が聞こえることに気が付く。


 微かではあるが重量感があり不揃いな音、小さくはあるが小刻みに揺れる地面。

 何かの群れがこちらに迫って来ている……

 いや、何かなど曖昧なモノではない、オーガの群れだ。


 僕は唾を呑み、乾いた口で言葉を零す。


「なんで、あいつらは脇道(あそこ)を通れなかったはずじゃん……」


 他に道はない、それはリイシャの探査とここまで歩いてきたときに目視でも確認していた。

 ならば、あの脇道を壊して追ってきたとでもいうのだろうか?


 オーガが迫ってきている謎を明確にするために頭を回すが、実際にその場を見ているわけではないので真実はわからない。

 ただ途方に暮れる僕の前をリイシャが駆け出し、それに並ぶように僕も駆け出した。


「リイシャ、何か手はあるの?」

「ない……けど戻って挟み撃ちにあうぐらいなら、進むしかないでしょ」


 五十体ものオーガを倒すつもりで引き返してはいたが、最初から面と向かって戦うつもりなどなかった。

 脇道は僕たちしか通れない、僕とリイシャの魔術でできるだけ数を減らしてあとは持久戦。

 僕がリイシャに提案しようとしていた作戦である。


 しかし目の前までオーガの群れが迫って来ているのであれば持久戦など言っている場合ではない。

 後方のオーガに気づかれても逃げられるように早期決着が望ましい。

 加えて、短時間で五十を超えるオーガを倒しきるなど不可能に近い。


 僕は脚を止めることなく、一つの提案を出す。


「リイシャ、全部倒すよりも逃げ続ける作戦でいこう。走り続けることになるけど、また休める場所がどこかにあるかもしれない」

「どうするの?」

「僕が『エレクトリックサンダー』で道を開けるから、リイシャには『ウィンド』で僕とリイシャを浮かせてほしい。僕がリイシャを抱えて『オーバードライブ』でオーガの群れを飛び越える」


 リイシャは僕の案に心苦しそうに顔を顰める。


「私『ウィンド』で浮くと、まだ吐いちゃうぐらい気分が悪くなるから……」

「大丈夫、走れるようになるまでは僕が抱えて走る。でも魔力が途中で枯渇すると思うし、出来るだけ早めに元気になってほしいかな」


 リイシャは覚悟を決めたように僕の瞳を見て頷く。


「わかった……」


 リイシャが『ウィンド』で浮く際に気分が悪くなるのは数分程度である。

 オーガとの距離を稼げたら『オーバードライブ』を使い続ける必要はないので、その間ぐらいなら魔力はもつだろう。


 僕はリイシャの返事を受け、手に魔力を籠めて前を走る。


 耳を澄ませた。


 オーガの数はどの程度か、数によっては群れの厚みが変わってくる。

 初手で放つ『エレクトリックサンダー』に無駄に魔力を籠めると、そのあと逃げ切るための魔力がなくなってしまう。

 かといって魔力を温存しすぎるとオーガの群れに阻まれてしまう。

 ちょうどよい塩梅を探るため、徐々に大きくなる不揃いな足音に注力する。


 本来なら一度立ち止まって、リイシャに『ウィンド』と『タクタイル』で索敵をしてもらった方がオーガの数はもちろん、その群れの厚みに確実性を持てる。

 しかし今は僕の魔力よりもリイシャの魔力の方が断然重要であり、後方のオーガの大群に攻めてこられる確率を少しでも下げるべく足を止めるわけにはいかない。


 不確かな勝機への方程式にリイシャも気が付いているだろうが口を出すことはない。

 僕に対して絶対的な信頼を寄せているのだろう、だから敢えて不安を煽るようなことは言わない。


 その信頼に応えるべく僕は目から入る情報を極力認識しないようにして、聴覚に全ての神経を注いだ。

 目に映る暗い闇は不必要な情報、必要な情報は聞こえてくる足音の数だけ……


 走った。

 ただ走った。

 走って、走って――

 その足音が耳の直ぐ傍で聞こえているのではないかと錯覚するほどまで近づく。

 目にすらその情報の片鱗が映ってなお、耳から聞こえる音だけに意識を注ぐ。


 次の瞬間、僕は走る脚を止めることなく、前方に人一人分ほどの幅を持つ雷撃を疾らせた。

 雷はただ一直線に目の前にいる重なったオーガたちだけを貫き、抉り焦がす。


 僕たちの走る道さえ開けば他のオーガをわざわざ倒す必要はない。

 必要最低限の幅と火力、貫通力を持った雷撃は、五十程度のオーガの群れを最後尾まで貫いた。


 僕は素早くリイシャの手を取り肩に担ぐように抱きかかえ、『オーバードライブ』で空いた道を飛び越える。

 その体は異様に軽く、まるで羽矢が空を切るがごとく、オーガの焼けた臭いが充満する群れの頭上を疾り切った。


 リイシャが『ウィンド』を使用したタイミングは僕が大地を力強く踏みしめた直後であり、早すぎず遅すぎない完璧なタイミングで僕たちを包み込んでくれた。

 早ければ僕の踏み込みが浅くなり、遅ければ飛距離が最大まで伸びない絶妙な瞬間に成し得た、まさに神業である。

 本来はその絶技に感嘆してリイシャに抱き着いて愛の一言でも伝えたいモノだが、生憎と今は走る以外の選択肢はない。


 僕は後ろを振り返らず走り続けた、ただがむしゃらに……

 しかし肩に担がれているリイシャが「うぷっ」とえずき口を両手で抑える仕草に、憂いを含んだ眼差しを向ける。


「大丈夫?」

「大丈夫、ちょっと出そうになっただけ」


 "ちょっと出そうになっただけ"それを大丈夫と捉えてよいのだろうか……

 『ウィンド』と『オーバードライブ』の併用は初めてであった。

 想像以上にリイシャへの負担が大きかったのかもしれない……

 考えるのは止そう、リイシャ本人が大丈夫だと言っているのだ、心配を口にしても逆に不安を煽るだけだろう。


 しかし何も言わずにこのまま走り続けては心の持ちようも変わってくるだろうと思い、魔術の使用だけは言葉にすることにした。


「もう少しだけ、『オーバードライブ』使うね」


 リイシャのえずく声を無視して、僕は走ることだけに意識を切り替える。


 走って走って、

 走って走って、

 走って走って走って走って走って走って走って走って走って、

 走った先に見えたモノは、僕の足を止めるには十分な絶望だった。


「なんで、なんで、ここにもいるんだよ……」


 目の前にはオーガの群れがもう一組、道幅を埋めるように佇み待ち伏せされていたのである。


 目を細めれば、僕たちが通ってきたであろう脇道が大きく瓦解しており、オーガたちはあそこから出てきたことが明白であった。

 しかし今はそんなこと、どうでもよい。

 目の前のオーガたちをどうにかしなければ、徐々に後方のオーガたちの足音は近づいて来ている。


  僕の肩に担がれているリイシャには前方のオーガの群れは見えておらず僕が足を止めたことを不思議に思い、覗き込むようにして首を曲げオーガの群れをその目に絶望を映す。


「なん、で……」

 

 僕は息が切れ呼吸もままならない口で、リイシャに小声で語り掛ける。


「リイシャ、ごめんけど、もう、一回、さっきの、やるから……」

「うん……」


 僕は手に魔力を籠める。

 目の前のオーガの群れは先ほどと同じぐらいか。


 肩を大きく揺らして呼吸を整える暇さえなく、掌から雷撃を繰り出す。

 同時に大地を強く踏みしめ、『オーバードライブ』で駆け出した。


 が、空を跳ぶ直前、まさかもう一度聞くことになるとは思ってもいなかった音が鼓膜を刺激する。

 それはまるで風船を針で割ったときのような破裂音で……


 パアァンッ


 空を賭けながらチラと下に目をやれば、身に覚えのある装飾を首から下げているオーガが佇んでいた。

 魔術を無効にする金色のネックレスを着けて――


 気が付いたときには、すでに遅かった。

 僕の片足はオーガの手に捉えられ野球ボールでも投げるかのように、『オーバードライブ』を使用した位置よりも奥へ放り投げて戻された。


 咄嗟にリイシャの頭を庇うが、僕は地面に激突し頭部を強打する。

 満身創痍の体に打ち付けられた衝撃は重く、直ぐには立ち上がることはできなかった。

 しかし僕の横で、ふらつく足に鞭を打つかのようにリイシャが立ち上がる。


「ミルは少し休んでて、私がこいつら、全部倒すから……」


 リイシャの容態はまだ回復していないようだが、背負う長剣の柄に手を添えて抜き構える。


 万全の状態のリイシャであればオーガの大群を討伐することは可能かもしれない。

 それほどの天賦の才を何度も目の当たりにしてきた。


 しかし相手には魔術を無効にするオーガがいる。

 あの一体だけでも魔術が最強の矛となるリイシャや僕にとっては異常なほどの脅威であり、今のリイシャに一人で戦わせることは無謀と言える。


 僕はどうにか立ち上がろうとするも体に上手く力が入らない。

 せめて周りのオーガだけでも魔術で一掃しようと手に魔力を籠めようとしたとき、僕は初めて自身の容態を正確に把握した。


 頭を強打したから体が動かないだけでない、魔力が枯渇している。

 この状態になれば数分間は動けない、援護するどころかただのお荷物だ。


 頭に最悪の未来が過り、僕は力の入らない腹に精一杯の想いを籠めて声を上げる。


「リイシャ! 逃げて! 魔力がもうない! 僕は動けないから、早く!」


 僕の言葉はリイシャに届いたはずだ、いや届いたからこその反応だったのだろう。

 リイシャは横たわる僕をチラと見ると、太陽のように輝くにこやかな笑みとともに、白く並びの良い歯を見せて一言、力強く言い放つ。


「大丈夫!」


 次の瞬間、リイシャは駆け出し見えざる風の刃を放つとともに、無数のオーガに斬りかかった。


 あの笑顔の意味を証明してくれるかのように、オーガは次々と血飛沫を迸らせて息絶えていく。


 たったの数秒でオーガの死体を十ほど積み上げた。

 リイシャは休まることなく風の刃を放ち、続々とオーガの数が減っていく。

 オーガの金棒を長剣で受け止め、風の力で踏ん張りを利かせる。

 そして間隙で遅いかかる風の刃にオーガたちは成すすべなく息の根を止める。


 その姿はまるで一騎当千。


 時代や環境が違えば、リイシャは歴史に大きく名を遺す英雄となっていただろう。


 しかし、その勢いが続くことはなかった。


 ネックレスを着けたオーガの金棒が、リイシャの体を強打する。

 この一撃でリイシャの猛撃は止まり、オーガの猛撃が火を噴く。


 何度も斬っては何度も殴られ、みるみる内にリイシャの体は血で染まる。


 目も当てられない状況に、僕は喉が裂け口から血が吐き出るほどに声を荒げる。


「逃げて! もう無理だよ! リイシャだけならまだ逃げれる! 逃げて!!」


 だが返ってくるモノは流れるように斬りかかる長剣と血飛沫をまき散らす風の刃、それと優し気なリイシャの微笑みだけであった。

 この場を離れる気など毛頭ないのである。


 最愛の人が傷つきながらも眉間に皺を寄せ、雄たけびを上げて孤軍奮闘する姿だけが、僕の瞳には絶えず映り続けていた。


 しかしリイシャの頑張りを嘲笑うかのように、後方から一度追い抜いたオーガの群れが追いついてしまった。

 オーガの群れは倒れて動けない僕に気が付くと、金棒を振り上げて走り出す。


 後方のオーガの群れに気が付いたリイシャは、僕を庇うように風の刃を繰り出してオーガ数体の首を斬り飛ばす。


 前方と後方のオーガの群れに挟まれてなお風の刃は勢いを殺すことなく、死体の山は徐々に笠を増して血の海へと変貌した。


 猛り戦い続けるリイシャの瞳から光が消えることはなかった。



 オーガの金棒に横腹を捉えられるまでは……


 金棒は臓器が潰れる音と骨が砕ける音、肉が裂ける音を鳴らす。

 鈍く、低い不快な音が鼓膜を刺激し、リイシャの横腹を抉り取った。


 リイシャは腹部から大量の血を流すも目の前のオーガ数体を風の刃で一掃する。

 しかし、脚をガクガクと震わせてその場に倒れ、口端から血を垂れ流す。


 僕は動かない体を牛歩のようにほんの少しずつ這って、リイシャの許へ進む。


「リイシャ!!!!」


 リイシャが血の塊を口から吐き出して、這いずる僕の瞳を見据える。


「ごほっ」


 リイシャは場違いな微笑みを浮かべると、これまた場違いな言葉を口にする。


「ミル、まだ一つ、なんでも言うこと、聞いてくれる権利、残ってる、よね?」


 唐突なリイシャの問いかけに僕は一瞬困惑したが、村にいたころの約束を思い返す。

 しかし、そのようなことを話している余裕はない。

 僕は焦る想いを隠すことなく、早口で逃げるように催促する。


「残ってるけど、今はそんなこと言ってる場合じゃ――」


 だが僕の言葉はリイシャの絞り出すようで、温もりのある声音に遮られる。


「ミル……私のこと、ずっと、好きでいてね」

「当たり前じゃん。お願いは別の機会に……リイシャ?」


 リイシャは僕の言葉を聞き終える前に、物理的に立つことができない体を風で支えて立ち上がり、這いずる僕にちらっと視線を移す。

 視線が交差する中、僅かに染まった赤い頬と小さく上がる口角、柔らかく細められた瞳、はにかむような笑みが零れる。


「愛してる」


 リイシャは血を垂れ流しながら大地を踏みしめて長剣を肩に構え、勢いよくオーガの群れに突進し長剣を振りきりオーガを両断した。


 しかしオーガの一体が減ったところでオーガの猛撃が止まることはない。

 金棒の一撃を防ぎきるだけの余力が残っておらず、その重たい一撃は首から上を原型がわからなくなる剛力で粉砕した。


 大切で柔らかなモノでも包むかのように、冷え切った体に差す木漏れ日のような暖かな微笑みは、姿を変え――

 そこに残るのは、首と横腹のない人影であり、瞬く間に地に伏す。


「リイシャ……リイシャ!!!!!」


 這いずることしかできない男の慟哭も虚しく、振り下ろされた金棒は男の頭蓋を砕き、その心臓は鼓動を止めた。

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