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スーサイド・レコード  作者: 日常の音ずれ
第3章 百鬼迷宮編

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第39話 誓い

 目の前にある大きな壁は松明の光とフランネルの叫び声を遮ったあと、ピクリとも動かない。


 なんで?

 なんで、壁を下ろした?

 普通に今、間に合ってたよね?

 は?

 なんで?

 は?

 は??


 ゴソトが壁を下ろした理由が分からず疑問を自分なりに解釈するために頭をフル回転させるが、同じ疑問が何度も頭に浮かび考えがまとまらない。

 答えの出ない疑問に頭を空回りさせていると、怒りが火山の噴火の如く一瞬で噴き上がり、怒声を口から吐き出す。


「おおおおい!!!! 開けろおおおお!!!!」


 一声で喉が潰れ、声帯が燃えるように熱くなる。

 両の手で壁を壊す勢いで力いっぱいに叩く、まるで親の仇に向ける怒りをぶつけるように。

 だが件の壁はビクともしない。

 それでも壁を殴り続ける手は止まらず、掌外縁(しょうがいえん)の皮膚が剥がれ、手から血が滴る。


「おおおおい!!!!」


 一層に喉を燃やして声を荒げるも、壁を隔てた向こう側からは返事がない。

 血まみれになった手でもう一度壁を殴ろうと手を振り上げると、リイシャに手を取られ引っ張られる。


「オーガが来る。こっち!」


 リイシャは壁の横にある、人が縦になってやっと通ることができそうなほど細い脇道に向かって駆け出し、僕は手を取られるがまま後ろを行く。

 チラと後方に視線を移すと、オーガは『エレクトリック』の硬直から解けて走り出していた。

 今から壁を開けてもらっても間に合わないことは明々白々であり、走ることだけに意識を無理矢理切り替えた。


 オーガの体躯ではどうあっても通ることができないようで、僕たちが脇道に入ると逃がすまいと腕だけを伸ばしてくる。

 しかしオーガの指は僕に掠ることすらなく隙間につっかえ、僕たちは数メートルほど脇道を進み少し開けた道に出る。


「とりあえずは大丈夫っぽいね」


 リイシャが通り抜けた隙間を覗き、安堵の声を漏らす。

 隙間を覗けば、オーガは壁をガリガリと()いているが通り抜けることはできないことは火を見るよりも明らかだった。

 これでオーガに追われ続けることはなくなったが、安全が確保されたわけではない。

 僕たちは今いる場所すらまともに把握できておらず、またオーガの群れと遭遇する危険もあるのだ。


 僕は一言一言、心で平常を保つようにゆっくりと口を開く。


「うん、とりあえずは、ね。でも、早く、抜け道を、探さないと」


 対するリイシャは眉尻を下げて、気遣わし気な表情で僕の顔を覗き込む。


「ミル、少し休もう?」


 できるだけ怒気を抑えて発言したつもりだったが、リイシャには筒抜けだったようだ。

 だが一刻も早く外に出ることが最優先であり、これは譲れない条件である。


「オーガが脇道(このみち)を通れなくても、別のルートから来る可能性はあるし、早く出口を見つけないと」

「でもミル、今日たくさん戦ってくれたよね。私が足引っ張っちゃったから……何回も魔術を使わせちゃったし、槍だって折れてる、怪我もたくさんさせちゃった……少しだけでも、休もう?」


 血に濡れた僕の手を優しく両手で包み込んでくれたリイシャの顔には暗い影が落ちており、憂いを帯びた表情をしていた。


 ゴソトたちの行動を許す気など微塵もないが、怒っているだけで今の状況が解決できないことは、空回りしている頭でも明々白々であった。

 冷静さを少しずつ取り戻し考えを改める。

 思えば今日一日、オーガと戦い始めてから、ずっとリイシャには暗い顔をさせている気がする。

 僕は思い違いをしてしまっていたようだ。

 本当に譲れないモノは一刻も早く外に出ることではなく、"リイシャに笑顔でいてもらうこと"なのだ。

 僕の自己満足であったとしても、これは絶対に譲れない。


 バチンッ


 僕は血だらけの両手で両頬を勢いよく叩き、ゴムを弾いたような聞くだけ顔をしかめたくなる高い音を奏でる。


「痛ったあああ」


 自分で自分の頬を叩いているくせにちゃんと痛がっている僕を、リイシャは口を半開きにし呆けた顔で見つめてくる。


「いや、そりゃあ痛いでしょ。何してるの?」

「頭の中をリセットしようと思ってさ、でもめっちゃ痛い。ほら見て、手からもっと血が出てきた。うわぁ……痛そう……」


 僕は掌外縁(しょうがいえん)からドクドクと流れる血を痛々し気にリイシャに見せびらかす。

 リイシャは呆れた顔で信じられないモノでも見るかのように、目を細める。


「痛そうって、自分の手じゃん。しかも、自分で怪我広げてるし。馬鹿みたい」


 僕は痛みを堪えてリイシャに一つ質問を投げかける。


「馬鹿みたいな僕は嫌い?」

「急に何?」


 リイシャはあまり表情に変化を付けることなく、目だけで僕を訝しむように睨みつけて一歩引く。

 しかし僕はその一歩分を詰め、さらにもう一歩分寄ってリイシャの顔を覗き込む。


「いいから、馬鹿みたいな僕は、嫌い?」


 リイシャは僕と目線をずらし、頬をほんのりと赤らめて小さく口を開く。


「いや、別に……好き、だけど……」


 僕の問いに対してリイシャは「好き」だと発言した。

 質問は嫌いかどうかであり「嫌いじゃない」といえばよいところを、わざわざ「好き」と言ってくれたのだ。

 僕は喜びに身を任せ握りこぶしでガッツポーズを作る。


「よっしゃあ! てっっ痛ってぇぇ」


 握り締めた拳は手の傷を広げることになり、激痛に声を上げた。

 リイシャは僕の一連の動作に赤らめた頬を崩し、目尻に涙を浮かべて堪えきれないように笑いだす。


「もう、ほんと何してんの? 馬鹿じゃん……ふ、ふふ、あははは!」


 今、リイシャが笑ってくれている。

 その事実だけで僕も自然と笑みがこぼれた。


 一笑いしたあと、リイシャは涙を拭い僕の手に優しく包帯を巻きつける。


「ほら、手出して。まったく、ミルがこんな人だったなんて、十何年も一緒に居たのに初めて知ったんだけど」

「でも僕のこと、好きなんでしょ?」


 僕はおじさんとおばさんから見て学んだ不審者なりきりニヤつきモードでリイシャをおちょくる。

 リイシャは包帯を巻き終えると「はぁぁ」とため息を一つ吐いて、先ほどの赤みを帯びたモノがない、ただ呆れた顔だけが張り付いていた表情で僕の手をバシンっと叩く。


「痛ったぁぁ」


 僕の痛みに漏れ出た声を聞いて、リイシャはクスっと笑みを零し、もう一度優しく僕の手を取る。


「好きに決まってるでしょ」


 リイシャの場違いなほど燦爛とした笑顔に見とれて、僕は痛みなどなかったかのように目を和らげる。



 僕とリイシャはオーガとの死闘による疲れを少しでも回復させるため、壁を背に並んで腰を下ろし携帯食料とポーションを口にすることにした。

 携帯食料はパサパサしており無味無臭ではあったが、胃に何かを入れるだけでも不思議と体にエネルギーが溜まっていく気がした。

 ポーションに関しては雑草のような苦みがあるものの、贅沢を言っている場合ではないのでグイっと飲み干す。


「にしても、これからどうする? 誰かがあの壁を開けてくれるまで、ここで待つか、他に道を探すか……」


 リイシャが中身の無くなった携帯食料の袋とポーションの小瓶をポーチにしまい、僕の目を見据えて意見を問うてきた。

 僕は脇道に視線を移して考え込むように答える。


「僕はもうほとんど魔力が残ってないからなあ。あの脇道をオーガは通れないみたいだし、ここで休憩しつつ誰かが壁を開けてくれるのを待つのが理想かな……でも、あの人たちが助けを呼んでくれるのが前提条件だよね。フランネルさんなら戻って来てくれそうだけど、こっちの状況がわからないまま壁を開けることを、ギルドの人たちが許してくれるとは思えないかなあ……」

「あの壁が開けっぱなしになったら魔力子濃度が低いとは言え、上層にもオーガが出ちゃう可能性があるだろうしね。そうなると、私たちだけで新しく抜け道を探すしかないね……」

「うん、そうだね」


 後ろに戻ればオーガの群れと相対することになり、前には未知の暗がりが広がった世界。

 どちらに転んでも絶望が強く、僕とリイシャの微笑みは会話が進むにつれて次第に消えていった。


 絶望的な状況ではあるが、僕たちの命は首の皮一枚でギリギリ堪えられている。

 生き残る希望があるのだから暗い顔では気を逃してしまうかもしれない。

 どうにかもう一度、リイシャを笑わせたいが妙案が思いつかない。


 先のわからない道の攻略方法を模索するよりも、リイシャを笑わせることのためだけに必死に頭を回していると、隣に座るリイシャから鼻をすする音が聞こえた。

 気になってチラっと横へ視線を移せば、リイシャが目尻から一筋の涙を零れ落としていた。


 僕は心を締め付けられるような思いに駆られ、リイシャに問いかける。


「リイシャ、大丈夫?」


 僕の不安げな言葉に、リイシャがきょとんと首をかしげて向き直る。


「え? あっ……」


 リイシャは一言零すと、涙を流していたことに気が付いていなかったらしく、袖で涙を拭った。

 どうやら自身の意思とか関係なく涙を流すほど、リイシャの精神は参っていたようだ。


 エリアを隔てる壁を下ろされたあともリイシャは落ち着いていたので、大丈夫なんだと思っていた。

 しかし、あれは僕が取り乱していたから必死になって手を引いてくれていただけなのだろう。

 無意識下でリイシャに重荷を背負わせていたことに、僕は自身への軽蔑の気持ちが芽生える。

 それと同時に、リイシャの背負っているモノを少しでも減らせないかとリイシャの手に手を伸ばす。

 だがリイシャの手は僕の手に触れることなく、リイシャ自身の溢れ出る涙を拭った。


「ごめんね、泣いてる場合じゃないのにね」

「僕の方こそ、ごめんね。ずっとリイシャに頼りきりだった」

「ううん。ミルはずっと頑張ってた。最後の瞬間だって、ミルだけなら間に合ってたじゃん。わたしがドジ踏んだから、ミルまで巻き込んでさ……」


 リイシャは首を横に振り悪いのは自分だと、僕に負い目を感じ苦しそうに胸を押さえた。

 僕は眉尻を下げて小首をかしげる。


「いや、あれはドジを踏んだんじゃなくて、仲間を助けようとした結果でしょ? 僕はあのとき自分が生き残ることに必死だったからさ、何も言えないよ。けど、立ち止まって誰かを助けられたリイシャをおじさんが見てたら、たくさん褒めてくれたよ」


 僕は一度言葉を切り、村にいたころのおじさんを思い出して少し声を低くしおじさんの声マネをする。


「"よくやった! さすが父さんの娘だ!"って言って髪をくしゃくしゃって撫でてたよ」


 僕のモノマネには一切言及することなく、しかしリイシャは目を柔らかく細めて微笑む。


「そうだと、嬉しいな……」

「絶対そうだよ。だからさ、帰ってたくさん褒めてもらおう」


 リイシャは大きく頷くと白い歯をニカっと見せる。


「うん。でも、そのときはミルも一緒に褒めてもらおうね」

「僕も? なんで?」


 おじさんから褒めてもらえるようなことをした覚えがない僕は訝し気に首を傾げるが、リイシャは同じように首を傾げて暖かな笑みを作る。


「私を助けてくれたのはミルでしょ? だったらミルも褒めてもらえるじゃん」


 リイシャを助けることは当たり前であり特別なことをした感覚を持っていなかった。

 だが、人を助ける、命を大切に扱うというのはこういうことを言うのだろう。

 おじさんに狩りを教えてもらったとき、僕には理解できなかった何かが少しだけわかった気がした。


「そうだね、それなら。褒めてもらえるときに一つ、おじさんとおばさんに頼み事をしようかな」

「頼み?」


 少しずつではあるがフレイス家の一員として恥ずかしくない心構えを持つことができた僕は、心の中に秘めていた想いの蓋を取る。

 きっと僕の表情が変わったのだろう、今度はリイシャが何か思案するように眉を寄せて首を傾げる。

 今までリイシャもおじさんもおばさんも、その中身を知りながら中を覗こうとすることはなかった。

 しかしもうこの蓋はいらない。

 僕は蓋を捨てると、その箱から一つの誓いを取り出して、屈託のない笑みでリイシャに向き直る。


「うん。"リイシャと、結婚させてください"って」


 リイシャは刹那、呆けて僕の言葉を繰り返す。


「け、結婚……」


 僕は大きく頷き、そっとリイシャの手を取って瞳を見据える。


「そう、結婚、しよ?」


 リイシャは頬を真っ赤に染めた。

 共に汗水流して猛特訓した日々に見た赤赤しい夕焼けよりも赤く、普段なら伏せられていたであろうその瞳は僕の瞳だけを見据え続けていた。


「うん。嬉しい、ありがとう……」


 リイシャが首を小さく縦に振る。


 僕はリイシャと肌を触れ合わせ、腕をリイシャの腰に回して引き寄せる。

 体を少しだけリイシャの方へひねり、染まった赤いリイシャの頬に空いた手を添える。

 リイシャも僕に合わせて体をこちらへ少しだけひねり、僕とリイシャの顔が接触する寸でのところで止まる。


「リイシャ、愛してる」


 腰に回している手に少しだけ力を入れると、リイシャが唾を飲み込む音が微かに聞こえた。

 リイシャと視線を合わせて、力強く見つめ返す。


「私も」


 腰に回した手に入れた力はそのままに、顔を傾けて唇と唇を優しく重ね合わせた。

 お互いの気持ちを交わし合い、お互いに心を満たす。


 自ずと唇が離れると、頬に添えていた僕の手はリイシャの手に奪われて指が絡まる。


 視線が交差する中、僅かに染まった赤い頬と小さく上がる口角、柔らかく細められた瞳、はにかむような笑みが零れる。


 この時のリイシャの可愛らしい微笑みは、生涯を通して決して忘れることはない。

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