第03話 好きなものと嫌いなもの
ここは……どこだ?
目が覚めると、辺り一面を青く茂った原っぱに囲まれていた。
葉先で煌めく滴が真上から降り注ぐ太陽の光に照らされ、空は雲一つない青が広がっていた。
昨晩は雨でも降っていたのだろう、澄み渡った空気を吸い込み、身長の三分の一をしめる周囲の雑草の大きさに思考を巡らせる。
雑草というには大きすぎるか、それにしてもこんな大きな草は見たことないけど……
いや見たことがあるな、それも頻繁に。
いつ、どこで見たんだっけか?
僕の家はコンクリートジャングルを少し離れた区域にあり植物が生い茂っている場所に心当たりはないし、最近プレイしたゲームでも見たことがない。
だというのに何年も前から見たことがある気がする。
なんでだろ?
身に覚えがないのに記憶にある景色を目の前に頭の中を整理していると、小学一、二年生ぐらいの少女に呼びかけられた。
「ミル、何してるの?」
「ちょっとね。雨が降った後でも相変わらずいい景色だなぁって思ってさ。リイシャは何してるの? おじさんの手伝いしなくてもいいの?」
「えー、だってめんど臭いんだもん」
僕の問いかけに少女は半目でため息をつき、不貞腐れた表情を作った。
そんな少女に僕は呆れを隠すことなく、心配を口にする。
「あとで怒られても知らないよ?」
しかし少女はニカっと悪戯な笑みをみせる。
「そのときはミルと一緒に遊んでたって言うから、ミルも怒られるよ~」
「う~ん。僕は怒られないと思うけど……日頃おじさんとおばさんにはお世話になってるし、リイシャが手伝わないなら僕が手伝いに行くよ」
「それじゃあ私が怒られちゃうじゃん」
代わりを買って出た僕に対して、リイシャは眉間に皺を寄せて不機嫌を露にしに僕を睨みつけた。
「まぁ、そうだね」
「嫌だ、怒られたくない!」
おじさんの手伝いをしたくないと言いつつ、代わりに僕が手伝って怒られるのは嫌。
頬を膨らませて眉を吊り上げご立腹の少女、そんな身勝手さもどこか愛くるしいものを感じるが手伝いをしないわけにもいかず、代替案を提示する。
「じゃあ一緒に手伝いに行こう?」
「え~」
「そ、じゃあ僕だけで行くよ」
「ま、待ってよ。行かないなんて言ってないじゃん」
これ以上の問答は無駄だと思い項垂れる少女を置いて歩を進めると、少女は肩を落とし早足で追いかける。
まったく、リイシャは本当に世話が焼ける。
僕よりも一歳ではあるが年上なのだから、もう少ししっかりしてもらいたいものだ。
おじさんの手伝いをするために家に帰ろうと思いリイシャの手を取ろうとして、僕はあることに気がついた。
僕の手が小さい。
いや手だけじゃない、頭も足も体の全てが小さいのだ。
やたら原っぱの草が大きいと思っていたが、僕が小さかっただけだったのだ。
というかリイシャと同じ目線で立っているのだから、自分が小さいことぐらい一目瞭然である。
思いもよらない出来事に困惑していると、リイシャが訝しげに僕の顔を覗き込んできた。
「どうしたの?」
「なんでもないよ、早くおじさんのところに帰ろっか」
顔に出ちゃってたか……
リイシャを心配させるつもりはなかったんだけどな……
あれ?
なんで僕はこんなこと思ってるんだ?
この子とは今会ったばかりだというのに、いや待て、なんで今会ったばかりのこの子の名前を僕は知ってるんだ?
名前だけじゃない、この子の家庭事情も知っている。
というか、僕はこの子とその家族と一緒に暮らしている。
今もおじさんのいるリイシャの家であり、僕の住まいでもある家への帰路に何の迷いもなく着くことができているし……
突拍子もないことの連続で頭がパンクしてしまいそうになり息を呑む。
僕は確かさっきまでゲームをしていたはずで。
やめ方がわからなくて、わかる人を探している途中に女の人に頭を殴られて……
それからがわからない、気がついたら原っぱにいた。
どういうことだ?
「ねぇ、本当に大丈夫? もしかしてお腹痛いの? だったら私がかんびょう? してあげる!」
「大丈夫、どこも痛くないから。おじさんの手伝い頑張ろうね」
「え~」
僕が急に足を止めたことに違和感を覚えたのかリイシャが体調を気にかけてくれた。
適当に返事をしてリイシャに視線を向けると、顔に見覚えがあることに気が付いた。
あれ?
この子、僕を殴った女の人に似てないか?
見れば見るほど同じ人にしか見えない。
紺色の髪に、宝石を彷彿とさせるほど綺麗な紫紺の瞳が特徴として一致する。
あの女性に比べれば身長はずいぶん縮んでおり、髪は長くなっているが面影を感じる。
「今度は何? 私の顔に何かついてる?」
脳裏に浮かぶ女性とリイシャを照合していたせいか、リイシャの顔を直視し続けてしまっていたようだ。
「あ、ごめん、なんでもない」
そう言って心境を悟られないように急いで顔を背ける。
道中何度もリイシャの顔を見てみたくなったが、我慢して歩を進めた。
多少整備された田舎道を進んでいると、木材がむき出しのこじんまりとした家に辿り着いた。
ここら一帯は日本のように技術が発展しておらず自然豊かな村であるため、木材がむき出しでも違和感は無い。
そんな僕らを、二十代後半で少しの顎鬚を整えた逆三角でガタイの良い男性が朗らかに出迎えてくれた。
「おうリイシャ、今日もサボると思ってたんだが、どういう風の吹き回しだ?」
「はあ? パパが手伝えって言うから手伝ってあげようと思ったのに、やっぱりやめる!」
せっかく手伝う気でいたリイシャのやる気を削いだ男はリイシャの父であり、僕の記憶にあるおじさんだ。
おじさんは冷や汗をかいて両手を合わせるとリイシャに許しを請う。
「す、すまん。今のはさすがにパパが悪いな。許してくれ、頼む」
「まぁ、そこまで言うなら許してあげる」
「ちょろいな……」
「何か言った?」
「いや、手伝ってくれてありがたいなぁって思ってな」
「でしょ~」
リイシャが鼻を鳴らし眉尻を上げたドヤ顔で腕を組む。
先刻まで駄々をこねていたとは思えないほどに清々しい顔つきである。
手伝いをする自身を誇らしく感じていそうなリイシャから視線を逸らさずに、僕にだけ聞こえるようにおじさんが話しかけてきた。
「ミルが説得してくれたんだろ、ありがとな」
「説得ってほどのことはしてませんけど……」
「それでもリイシャが手伝う気になったのはミルのおかげだろ?」
「かもしれないです」
「じゃあ、礼を言って正解だったってわけだ」
そう言っておじさんは僕の頭をくしゃくしゃに撫でまわした。
おっさん(というには少し若いが)にこんなことされても普通は嫌なだけだろうが、おじさんにされると心が温まる気がして寧ろ嬉しかった。
おじさんとも今日初めて会ったばかりのはずなのに、僕が幼少期のころから一緒に過ごした日々が記憶にある。
「じゃあミルはママを手伝ってくれ。リイシャはパパと畑仕事だ」
「え~、なんで! ミルだけズルい! 私もミルと一緒にママのこと手伝う!」
先ほどまでの清々しさを消してリイシャが再度駄々を捏ね始めるが、おじさんは首を横に振る。
「ダメだ。父さん一人じゃ今日中に終わらん」
「嫌だ! 汚れちゃうもん! あっ! それならミル交代して」
おじさんへの抗議が無意味だと気が付いたリイシャは僕に向き直り交代を願う。
しかし僕が口を開く前におじさんが割って入る。
「この前はミルが畑仕事を手伝ってくれたんだから、今日はリイシャの番だ。それにママはリイシャに甘いからな。またサボるだろ」
「そ、そんなことないし!」
「とにかく、今日は父さんと一緒だ」
嫌々と首を振るリイシャを肩に担ぎ、おじさんは畑へと歩を進めた。
その背中を微笑ましく思い見えなくなるまでリイシャに手を振って、おばさんの手伝いに行くことにした。
▽
家の中に入るとおばさんが食事の準備をしていた。
部屋のドアを開けて入って来た僕に、おばさんが視線をやる。
「どうしたのミルくん?」
「おばさん、手伝いに来ました。何すればいいですか?」
「あら、ありがとう。それならスープを作ってくれる? 私、作り忘れちゃってて、困ってたところなの」
「わかりました……トマトスープ、でいいですか?」
台所にはトマトが二個、玉ねぎ、人参が一個ずつ置いてあり、この食材なら野菜スープ? トマトスープかな? とは思ったが間違えたら迷惑をかけるかもしれないので、確認のためおばさんに聞いてみた。
「特に決めてなかったから、ミルくんにまかせるわ」
決めずに食材出してたんかい!
と思ったがおばさんは僕の記憶を遡る限りでは少し天然なところがあるし、今さらだ。
そう、おばさんも例外ではなく今日会ったばかりであるのにちゃんと記憶があるのだ。
おじさんの言うようにリイシャに少々甘い印象がある。
いや、甘いというよりは優しいと言った方が正しいかもしれない。
おばさんは自身の母、リイシャから見た祖母の形見である緑の宝石が埋まったペンダントを常に首から下げている。
手が空いた時間などはペンダントを優しい瞳で眺めている、おばさんの優しさは祖母譲りなのかもしれない。
そして、その優しさを血のつながりのない僕にも分け隔てなく注いでくれているのだ。
僕の探れる最も古い記憶は既にこの家で過ごしている日常からであり、幼児期の記憶はないものの血のつながりがないことは聞いている。
このことはおじさんはもちろん、リイシャも知っている。
おばさんだけでなく、おじさんとリイシャも本当の家族のように僕と接してくれており、とても暖かい家庭なのである。
だから僕は今あったばかりでも、できるだけこの家族に報いたい意志が強い。
料理は不得意だが、それでも頑張って役に立つ意志を固める。
トマトが二個もあるのは畑でよく取れるからだろう、せっかく出しているのだし贅沢に使うことにした。
「じゃあ、トマトスープにします」
「楽しみにしてるわ」
おばさんは僕に視線向け、満面の笑みで応える。
僕の料理下手はおばさんも承知のはずだが、本当に期待していそうでやりづらい。
僕の作るスープはとてもシンプルだ。
野菜を切って、煮込んで終わり。
野菜独特の臭みが味つけであり、素材を活かした料理である……という建前を掲げ料理をしている。
今日に限っては、隠し味に緊張という名のスパイスを少々入れているが……
スープを作り終えてもまだ食事時には早かったのでコンロの摘みを捻り火を消して、おばさんと家の掃除をある程度済ませた。
日が暮れ始めたタイミングを見計らって僕はスープを温め直し、おばさんは魚とパンを焼き終え一緒に食卓に食器を並べる。
さすがの手際に感嘆を零していると、ちょうどのタイミングでリイシャとおじさんが帰ってきた。
「「ただいまー」」
「おかえりなさい」
「おかえり」
おばさんと一緒に玄関へ出迎えに行くと、全身に泥を付けたリイシャが悪態をつきながら農作業着を脱いでいた。
「もう、私、畑仕事は一生したくない~」
隣で同じように農作業着を脱いでいるおじさんは大きなため息をついてリイシャを一瞥する。
「そうかぁ……そんなにしたくないなら仕方ない。明日からは父さん一人でやるよ」
「ホント!?」
「ああ、もちろん。でも、畑で採れたものは父さんのモノだから、リイシャは食べられなくなっちゃうなぁ」
「別に野菜なんて食べたくないし、むしろラッキーって感じ!」
畑仕事の手伝いと嫌いな野菜から解放された嬉しさで、ぴょんぴょん飛び跳ね洗面所へ手と顔を洗いに行くリイシャ。
おじさんは無言でリイシャの後を追い、おばさんは眉尻を下げているが口を開く様子はない。
畑仕事から帰って来て疲れていることは目に見えてわかっているが、リイシャが後になって泣かないように僕は現実を突きつけてあげることにした。
「リイシャ、畑で採れるモノってことは野菜だけじゃなくて、小麦も食べられなくなるんだよ?」
「それがどうしたの?」
僕の言葉を聞いても気掛かりになる部分はなかったようで、リイシャは手と顔を洗い手拭いで水気をふき取り始めた。
リイシャが事の重大さに気が付いていないように感じて、僕は再度問いかける。
「パンも食べられなくなるんだよ?」
リイシャは口をポカンと開けて目を点にする。
数秒して顔を赤らめると、腕組みをして気丈にふるまう。
「だ、だから何!」
強がりを吐いている。
そう、だれがどう見ても強がりなのだ。
きっと引き下がれなくなったのだろう、手を差し伸べるのが少し遅かったかもしれない。
どうしよう……
小麦も野菜も成長期の僕たちにとっては大切な栄養素の一つだし、リイシャの今後のためにも何とかしないと。
頭を悩ませている僕をよそに、おばさんが浮かない顔をリイシャに向ける。
「今日のトマトスープはミルくんが作ってくれたんだけど……畑仕事をしないリイシャの分は代わりに私たちで食べちゃうわね」
「え! あっ、ちょっ!」
おばさんの言葉がよほど効いたらしく、リイシャは腕組を解き目を泳がせて慌てふためき始めた。
僕の記憶にはなかったがリイシャはトマトスープが好きなのだろうか?
好物を目の前にして気が変わったのであろう可愛らしい一面にほっこりしていると、リイシャと目が合ったので軽く微笑み返す。
リイシャはさらに顔を赤らめ、頬を膨らませて早歩きで食卓へと向かう。
「しょ、しょうがないから明日からも手伝ってあげる! 何? みんなして変な顔しちゃって、冷めちゃうでしょ! 早く食べよ!」
変な顔をしているつもりはなかったので、一緒に食卓へと足を運ぶおじさんとおばさんの顔を見てみた。
すると、二人は迷子を見つけた不審者のように口角を限界まで上げてニヤついていた。
僕もあんな顔をしていたのだろうか?
確かに変な顔である。
リイシャがプンプン顔で席に着いたので、僕たちもリイシャに倣って席に着く。
僕の隣にはリイシャが、向かいにはおばさんが、その隣におじさんが座った。
みなが席に着いたことを確認して、気になっていたことをリイシャに聞いてみた。
「それにしてもびっくりした。リイシャってトマトスープそんなに好きだったんだね。じゃあ今度はおばさんに作ってもらおぉぉぉっっった!」
なぜかリイシャに頭を勢いよく殴られ、危うくスープの中に顔面からダイビングするところだった。
「ちょ、痛いじゃん。なんで殴るの?」
「ふん、知らない」
リイシャは顔を背けて頬を赤らめる。
殴られた理由がわからなかったのでおじさんとおばさんの顔に視線をやると、先ほどと同じようにニヤついた笑みを零していた。
不審者極まりない。
人が殴られたというのに……
二人には嗜虐趣味があるのではないかと密かに疑った。
疑いの目に気が付くことはなく、おばさんはカトラリーを手に持つ。
「はいはい、じゃあ食べましょ、ね?」
おばさんに促されて、モクモクと食べ始めるリイシャ。
トマトスープを食べるときだけ、口にスプーンを運ぶことを躊躇い嫌忌する物を見る目をしていた。
この表情は明らかに好きな物を食べているときの顔ではない。
ではなぜ今日の晩御飯にトマトスープがあると知って食べようとし始めたのかがわからない。
思考を巡らせる僕などお構いなしとでも言わんばかりに、僕の疑問をさらに増す爆弾がおばさんの口から飛び出た。
「ねぇミルくん。また今度トマトスープ作ってくれる?」
僕は一口トマトスープを飲んで、小さく頷き応える。
「おいしいとは思いませんけど、それでもいいんでしたら」
「じゃあ、お願いね」
おじさんもおばさんもまだニヤけている。
リイシャはおばさんが作った野菜料理を美味しいと言ったことがない。
加えて、僕の料理の腕前は圧倒的におばさんより劣っている。
おばさんの料理の方が絶対美味しいはずであるのにわざわざ頼む理由がなぜだかわからなかったが、すぐ答えにたどり着いた。
二人は野菜嫌いのリイシャに、僕の作った不味いトマトスープを食べさせて楽しんでいるのだ。
やはり、嗜虐趣味があるのだろう。
「今度からは頑張って、もっと美味しく作るから。リイシャも頑張って食べてね」
やっとトマトスープを食べ終えて、一息ついているリイシャに誓う。
同時に、おじさんとおばさんには一生逆らわないことを決意した。




