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スーサイド・レコード  作者: 日常の音ずれ
第2章 大狼樹林編

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第22話 『赤』

 空中で一人の男が全身から赤く燃え盛る炎を滾らせて、胡坐をかいて浮かんでいた。

 男は周囲を見渡して、眉間に皺を寄せる。


「おいおい。俺が休んでる間に、あの羊何処行ったんだ? もしや、逃げちまったか!? まあ仕方ねえよなあ。なんせこの俺が相手なんだもんなあ! あっはっはっはっは――」


 ドゴオンッ


 男の笑い声は、遠くで光り輝き樹林内に響き渡った爆発にも似た轟音によってかき消された。

 片手をサンバイザーのようにして轟音のした方角へ目を凝らすと、顔を引き攣らせ文句を垂れる。


「ちっ、いるじゃねえか。てか戦ってる奴は誰だ? あ? もしかしてあいつ、俺より強いんじゃね? 任せて帰っちゃおっかなあ……つっても、罹災大陸から連れて来ちまったのは俺だしなあ……」


 現実逃避でもするかのように遠い大陸へ視線を向けると、大きな溜息をついてバブリビオススがいる方角へ向き直る。


「はあ、これ以上、緑を燃やしたらあいつに怒られちまうんだが、仕方ねえ!」


 男は左の掌を右拳で打ったあと、両手を引き体を大きく反らして、空を割らんとするほどの声を張り上げ空中から飛び降りる。


「んじゃま、人生に悔いがないよう。張り切っていくとするぜえええぇぇぇ!!!」


 その赤い髪を揺らして。




     ▽▽▽




 バブリビオススの拳が右、左、右、左と交互にフラナを襲うも、フラナはそれを難なく躱しつつ短槍(折れた槍)でその腕を切り裂く。

 が、バブリビオススの皮膚には相も変わらず、かすり傷一つすら付いていない。

 しかしフラナもまた、空中で投げ落とされたことを除けばバブリビオススの攻撃を一度もくらっておらず、激しい戦闘とは裏腹に拮抗状態が続いていた。


 クレーター野郎に押し付けるにしても、この硬てぇ皮膚に傷をつけることすらできねぇ状況で、どうすればいいんだよ……

 勝機はこいつが俺のことを舐めきってくれてるってことと、俺の奥の手が通用してくれるかどうかってとこだな。

 だがミスれば俺の勝機はゼロだ、確実に当てる瞬間を作らねぇと……


 そう、バブリビオススはフラナを舐めていた。

 まさに、まったくといっていいほど本気を出していないのである。

 確かにバブリビオススの一撃一撃は重く、まともに一発でも当たればひん死の重傷を負うことは間違いない。

 しかしその一撃はバブリビオススにとっては蚊を殺す程度であり、フラナはそれがよくわかっていた。

 根拠はいくつかある。

 賢帝(セリス)から元々聞いていたバブリビオススの特徴や、バブリビオススの見せた潜在能力の高さ、何より今までの自分の経験から推測される勘が告げていた。


 ホント嫌になるぜ。


 それでもフラナの顔から笑顔が消えることはなかった。

 今持てる自分の全力でもまったく歯が立たない、そのことに対して笑わずにはいられなかったことは否定できないが、それ以上に、


 こんな経験は初めてだ……

 楽しいじゃねぇかよ!!!


 ニヤつくフラナの顔面に放たれるバブリビオススのフックをしゃがむことで避け、フラナは頬を伝う汗を拭くことなく右手に持った短槍を逆手持ちに変え、バブリビオススの心臓めがけて全体重を乗せた渾身の一撃を繰り出す。

 そこに結果として残ったものは、ボロボロに砕けた穂先と、血の一滴すら流れない黒の皮膚のみだった。


 バブリビオススは何事もなかったかのように、目の前のフラナへ両手を組んだハンマーのような一撃を振り下ろす。

 が、フラナは直前に穂先のなくなった短槍をバブリビオススの顔に軽く投げ、『マジックボム』――自身の魔力を込めた物体を、込めた魔力量によって威力が比例する爆発物として爆発を巻き起こす魔術――によって顔面を爆発させる。

 爆発の勢いとともに腹部へエルボーをかまして押し倒すと同時に、『アクセルドライブ』を用いてバブリビオススの後方へ回り足を掬ってバブリビオススを転倒させる。


 バブリビオススが地面に背を着けた瞬間、『アクセルドライブ』によって加速されている両足を使って、バブリビオススの顔面に強打、起き上がろうとして地面に着いた手に強打、それならばと脚の力だけで起き上がろうとした足に強打。


 何か行動を起こそうとする度、その部位に強烈な蹴りを浴びせ、一切の自由すら与えぬ連撃がバブリビオススを襲う。

 フラナは百を超える蹴りを繰り出した後、バブリビオススの背中を噴火で吹き飛ばされた岩のような勢いで上空へ蹴り上げる。

 バブリビオススが空中で身動きが取れず落ちてくる数秒の間に、フラナは拳に自身の残った全魔力を込め二つの魔術を唱える。


「『ハードシェル』……」


 一つ目の魔術を唱え軽く息をつき、落ちてくるとバブリビオススの顔面目掛けて拳を繰り出しもう一つの魔術を腹いっぱいに力を込めて唱える。


「『バーーーストーーー』!!!」


 炸裂したストレートは寸分違わずバブリビオススの顔面を捉え、その一撃は体躯三メートルはある怪物を遥か彼方へ吹き飛ばした。


 『バースト』――

 自身の体の一部を犠牲にして、『バスター』以上の強力な一撃を放つことができる魔術である。


 腕から多量の血を流しながらも苦悶の表情を見せることなく、フラナは憐憫(れんびん)の眼差しでバブリビオススを吹き飛ばした方角を見据える。


「どうせこれでも無傷でピンピンしてんだろうがワリぃな、選手交代だ。さすがにもう戦えねぇや。でもよ、次は最後まで相手してやるから、首を洗って待っとけ……後は頼むぜ。責任持って連れ帰ってくれよ……」


 赤く染まる木々を、

 顔も名も知らぬ、誰かを思って。




     ▽▽▽




 見渡す限り、辺り一帯の木々が燃え盛る中、赤髪の男はただ立ち尽くしていた。

 そして彼方の方角を見て一言、


「来やがった……」


 呟いた赤髪の前に、空高くから一つの物体が落ちてきた。

 それは、体躯3メートルはあるだろう全身黒の筋骨隆々な肉体に目立たないほどの羊毛、頭には二本の湾曲した角を持つ、所々に返り血であろう赤い血が散布されている魔物。

 そう”惨羊 バブリビオスス・グラベラ・ドーラ”である。

 赤髪は指をパキパキと鳴らして口角を上げる。


「来ると思ってたぜえ! つっても、まさかぶっ飛ばされて来るとは思いもしなかったがなあ。こんだけ強ぇなら、どうにかしてもらいたかったもんだぜ。てーのは男らしくねえなあ! 散々逃げ続けて説得力ねえかもしれねえが、今回ばかりは逃げずに相手してやるから感謝しろよ! 羊やろう!!」


 声を上げて指を差してくる赤髪を尻目に、バブリビオススはゆっくりと立ち上がり赤髪と同じように指を鳴らす。

 赤髪は眉を吊り上げて鼓動を高鳴らすと、手を広げて周囲を囲む炎に目をやる。


「おっ! やる気か!? いいじゃねえか! やろうぜ! 俺も覚悟決めて来てんだ。見ろよこの景色、一面の赤! 何度も見せてんだし俺の狂癲(きょうてん)、『赤』がどんな能力(ちから)なのかは知ってるよなあ? 俺の視界に入ったすべての()が俺の手となり足となる。つまり、ここら一帯の炎すべてが、お前を焼き殺すための劫火だ!」


 赤髪が宣言し終わると燃え盛る炎がバブリビオススに収束し、何十メートルにもなる火柱が劫火となってその身を焦がす。


「つっても言葉が理解できてるとは思えねえが、お喋りが好きでよお。俺が死ぬまで付き合ってくれよな! オラァッ!」


 赤髪は攻撃の手を止めることなく、さらに劫火をバブリビオススにくべる。

 赤髪とバブリビオススの周りは劫火によって樹林の原型を留めておらず、第三者が見ればこの世の終わりと錯覚してしまうことだろう。

 そんな中、バブリビオススは火傷一つ負うことなく、火柱からゆったりと歩み出る。

 その姿は陽炎で揺れ、まるで地獄の門をこじ開けているようにすら見える。

 だがこの場に汗をかいているものはいない。

 能力の使用者である赤髪だけだなく、バブリビオススも汗をかいていなかった。

 それは二人にとって灼熱が何も意味をなさないことを意味していた。


 赤髪は笑顔を崩すことなく、ニヤリと口角を上げる。


「さすが世界最強。じゃあこれならどうだ!」


 赤髪は周りの劫火を空中に収束させ、細長い炎の槍を無数に生成する。

 バブリビオススが赤髪に向けて大地を踏みしめ駆けると同時に、多量の炎槍が次々とバブリビオススを襲う。

 その速度は音を置き去りにし、バブリビオススの右肩、左角、右脚、左手と体のいたる部位に次々と衝突しバブリビオススを押し返すが、それでもダメージは通らない。


 赤髪は僅かに顔を引き攣らせて、大きく息を吐く。


「おいおい、Aランクの魔物でも貫通するぐらいには、これ強いんだぜえ? 少しでいいから火傷の一つでもしてくれよ。まったくよお……」


 しかし、直ぐに瞳を輝かせて空を割らんとするほど声を張り上げる。


「熱いじゃねえか! いいね、いいね! もっともっともっともっと! 熱を上げるぞ! フルスロットルで行くぜええええ!!!!」


 男は周囲にあるすべての炎を自身の両手にそれぞれ収束させ、二つの小さな炎球をつくる。

 辺りは先ほどまでの大火が嘘のように一切の火種が消え、残ったのはただの広大な焦げ跡のみ。

 だがそれも束の間、男は両手にある炎球を胸の前で重ね合わせ、両手を開く。

 すると、合わさった炎球は瞬く間に広がり、半径五十メートルは超えるだろう巨大なドームとなって二人を囲んだ。

 このドームは徐々に規模を縮小しており中心にはバブリビオススと、いつの間に装着したのか、鎧のような高い剛性を持ち太陽のように燃えるライダースーツに身を包んだ赤髪が立っていた。


「んじゃま、一緒に燃えようや……」


 赤髪は瞬きする間にバブリビオススの懐まで接近し、炎槍以上の速度を持つ燃え盛る拳による連続の殴打を繰り出す。


「ウオオオオラアアアアァァァァ!!!!」


 男の連撃に対してバブリビオススはただただ打たれる続ける。


 だが相も変わらず、そのの体に痣の一つもできるようすはなく、男もそれは重々承知している。

 なんせ罹災大陸からこの地まで数週間もの間、寝る間も惜しんで鬼ごっこをしていたのだから。


 これほどバブリビオススから逃げ続けた者はいないだろう。


 しかしそれは最強が本気を出していなかったから、最強が暇を持て余したことによる遊び相手として生かされていたにすぎない。

 そして、バブリビオススはフラナという強者との出会いで満足しており、もうこの遊びに飽いていた。

 そんなことは露知らず、赤髪は攻撃の手を緩めない。


 左右の拳で腹部へ連撃を繰り出し、足裏から放たれる炎の噴射により、音速の何倍もの速さでバブリビオススの顎を蹴り上げる。

 さらに赤髪は蹴りの速度を上げて後方に回転した後、大地を踏みしめてバブリビオススの横腹に蹴りを入れぶっ飛ばす。


 いや、男はぶっ飛ばすつもりで蹴ったが、バブリビオススはその場で踏ん張りを利かせ、飛ばされることなく男の足を掴んでいた。

 赤髪は速さでは負けることがないだろうと高を括っていたため、足を捕まえられるとは思ってもおらず動揺を隠せず顔を引き攣らせる。

 実際に赤髪の最高速度は本気を出していないバブリビオススよりも速く、通常なら掴まることはない。


 赤髪が掴まえられた理由は三つ。

 蹴りでバブリビオススを吹き飛ばすつもりだったため、脚を引っ込める所作をする気がなく、回避がワンテンポ遅れたこと。

 蹴った部位がバブリビオススの手元付近で、すぐに捕まえられたこと。

 そしてバブリビオススがこの戦いを、終わらせようとしていたこと。


 赤髪は滝のような冷や汗を流して、静止を促す。


「ちょ、待て待て待て!」


 バブリビオススは聞く耳を持たず、拳を振り上げて無慈悲に振るった。

 赤髪は両手を胸の前に出して体を守るが、軽々と殴り飛ばされる。

 始めに比べ半分ほどの大きさまで縮小していた炎のドームの端に背を強打する。


「ガハッ」


 ドームは炎でできてはいるが壁となる部分は鋼鉄以上の強度をほこり、やすやすと壊れることはない。

 赤髪はそれほど硬さのある壁に勢いよくぶつけられたことで、口いっぱいの血を吐いた。

 赤髪の負傷はそれに留まらずガードした両手が上がらないほどボロボロになっており、バブリビオススに力強く握り締められていた脚は粉々に砕け、手足ともに多量の血を流す。


 ちっクソ、マジかよ……

 赤鎧を着てたってのにたった一発でこの様か、強すぎんだろ……

 本気ってわけでもなさそうだし。

 はあ、まったく、面白そうだからって理由で、あいつの食ってた肉を丸焦げにするんじゃなかったなあ。


 赤髪は徐々に小さくなるドームの壁に中心へと押されながら、自身の行った子どもじみた過ちを悔いていた。


「フフッ。ハハッ。アーハッハッハッハッハッハッハッハッハッ!!!! ゴホッゴホッ」


 そう、悔いていたはずだというのに赤髪は唐突に笑い声をあげ、笑い過ぎで吐血してしまった。


 改めて考えてみると俺バカすぎんだろ。


 赤髪は両足に劫火を纏わせゆっくりと立ち上がる。


「んじゃま、もうちょっとだけ頑張ってみるか」


 赤髪は柔らかな笑みを浮かべ、これまでの速度を軽く凌駕する速さでドーム内を駆け回る。


「気づいてるかどうか知らねえが一つ教えてやる。このドームが縮んでるのはな、俺に炎をどんどん吸い込まれてってるからなんだぜえ! そして使えば使うだけ炎は俺の許に集まる。今バカみたいに駆け回ってんのは、この炎すべてを回収するためだ。って言うと、自前の能力で一気に集めろよって思うだろうがよお。さすがにこの量を一気はキツイんだわ。その代わりドームの炎すべてが俺の許に集まったとき、俺は過去最強の俺となる。まあ、お前にこんなこと言っても無駄なんだけどよ……はあ、人生最後の会話がこんなやつになるとはなあ。っとそんなこと言ってる間に見ろよ、結構小さくなってんじゃねえか」


 赤髪の言葉通りドームはあっという間に約十畳ほどで学校の教室程度の大きさまで縮んでいた。


「あとこんだけならもう大丈夫だな」


 赤髪は脚を止め、ドームの炎すべてを体に取り込む。

 辺り一帯はドームを張る直前と同様、火種一つない真円の焼土が広がっていた。

 赤髪は変身を解きすべての劫火を拳に集め、バブリビオススを見据え言葉を紡ぐ。


「バブリビオスス。お前はこの数週間一度も俺の攻撃を避けなかったよなあ。避けれねぇんじゃなくて、避けるつもりがなかったんだろ? なら、これも避けてくれるなよ……」


 赤髪は酸素の薄くなった空気を大量に吸い込んで、声を張り上げる。


「すううぅぅぅ。いくぜぇぇぇぇ!!!!」


 対峙する赤髪と惨羊。


 動いたのは赤髪。

 対する惨羊、腰を落とし身構える。


 赤髪は動くはずのない脚を、上がるはずのない燃え盛る腕を狂癲の力で()色である血を操ることによって無理やり動かし、渾身の突きを放つ。


赤赫(セキカク)!!!!」


 すべての炎が収束した一撃はバブリビオススの腹部を捉え、この世の果てすら照らすほどの輝きが二人を包む。




 眩い光が消えたとき一つの背が地につき、一つの陰がその身を劫火で燃やしていた。

 その場にはチリチリとバブリビオススの毛先の一部が焦げる音だけが微かに響き渡っており、それを見て赤髪は一言、


「フッ……楽し、かったぜ…………」 


 体のいたるところから血を垂れ流すほど全霊で戦った結果が羊毛を僅かに燃やしただけ。

 第三者から見れば割に合わない末路だというのに、状況に似つかわしくないほどの満面の笑みを見せた。


 それを一瞥し惨羊は大地に片膝をつき、血に染まるそれを拳で砕いた。




     ▽▽▽




「オ、オーザ副団長どうしてまた樹林に入られるのですか! あのような化け物がいたと、城に戻って法王様にご報告をするべきではないのですか!」


 白銀に輝く鎧を着込んでいた男は冷や汗をかいて、上官であるオーザに帰還を促した。

 オーザは目尻を吊り上げて怒声を張り上げる。


「うるさいぞ貴様! なんの成果もなしに帰ってみろ! 俺様は地位も名誉もあるから大した罰は受けんだろうが、貴様らはどうだ! 俺様は貴様らの心配をしてやっているのだ、ありがたく思え!」


 対してオーザの部下であろう一人の男が緊張に顔を歪め、反抗的な意見を述べる。


「お言葉ですが、あなたは俺たちのことなど気にもかけていないでしょう」

「何が言いたい?」

「あの魔物から逃げるとき、俺たちを囮にしましたよね?」

「当たり前だろ! 俺様は法王軍副ぐ――」

「ああああああ!!!!!」


 オーザの言葉を遮るようにして、一人の部下がオーザの後方を指し叫び声を上げた。

 オーザはこれに憤慨し、声をより一層張り上げて、


「俺様の言葉をさえぎ――」


 その言葉を最後にオーザの頭部は首から上が消えており、血が噴水のように迸った。


 上官の頭が出鱈目に振りぬかれた拳で粉砕し、目の前で地面に倒れる無残な死体を目にした兵たちは、恐れ戦き足を竦ませ各々が腰を抜かす。


 ただの虐殺であった。

 まるで埃を払うかのごとく、乱雑な暴力が襲う。


 そして数秒も経たない内にその場で息をしているものはいなくなり、恐怖の象徴たる惨羊は人のいない北の大地へと足を運んだ。

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