第21話 惨羊
十人程度の冒険者たちを逃がし樹林内でただ一人、圧倒的な威圧感を醸し出す一体の化け物と対峙する男がいた。
男は黒髪軽装で槍を中段に構え、その化け物から目を離さずに逃がした冒険者たちを耳で追う。
どうやらあいつらを追うつもりはなさそうだし、ひとまず安心だな。
あとはこいつに、どうやって帰ってもらうかだが……
簡単にはいかねぇよなぁ。
さて、どうしたもんかねぇ。
唯一の救いは、俺のことを殺そうとしてないってこと。
というよりも俺のことは、そこらの羽虫程度にしか見えてねぇんだろうなぁ。
これは勘だが勘をバカにはできねぇ。
特に俺の勘はよく当たる。
きっとあのデカいクレーターを造った奴を探してるはずだ。
まったく、とんでもねぇバケモンを連れて来やがって……
まっ、どんだけ愚痴っても状況が変わるわけじゃねぇし、やるしかねぇよなぁ。
フラナは頬に冷や汗を流しつつも、飄々とした笑みを浮かべた。
「つーわけでバブリビオスス・グラベラ・ドーラ。ちゃんと手加減してくれよ? 俺は今、星槍を持ってねぇんだし」
持ってても勝てねぇだろうけどな。
フラナは構えた槍に力を入れ、地面を強く蹴り、一息に前進する。
すれ違いざまに振るった槍の穂先は、微動だにしないバブリビオススの体を斬り付けた。
いや、斬り付けていればいくらか希望はあったのだが、その体にはかすり傷一つ付けることすらできていなかった。
わかっていたとはいえさすがにキツイな、勝機が見えねぇ。
フラナは笑顔を崩すことなく、心の中で愚痴をこぼす。
当のバブリビオススはその表情を一切変えることなく、ただ振り返りフラナを見据える。
次の瞬間、バブリビオススの拳はフラナがいる大地を粉々に砕いた。
間一髪で拳から逃れることができたフラナ。
直撃していれば、目も当てられないほど粉々になっていただろう。
その一撃はフラナのことを、視界に入る目障りな羽虫のような扱いから、拳を振るうに値する存在に格上げしてくれたらしい。
遊び相手ぐらいにはなってやらねぇとなぁ。
ドクドクと心臓が警鐘を鳴らし、頬から冷や汗が滝のように流れる。
手から槍を放すわけにはいかないので、それを肩で軽く拭った。
戦いでこんなに緊張してんのは何年振りだ?
とりあえず、三傑驥って呼ばれてからは初めてだな。
ゴクリと音を立てて唾を飲み込むフラナとは対照的に、ゆったゆったと闊歩するバブリビオススからは貫禄すら感じられる。
あいつらを追う気がないとはいえ、少しでも離れておくにこしたことはねぇよなぁ。
フラナはアルビウスたちが逃げた方向とは真逆の方角へ駈け出した。
それに追随するようにバブリビオススも駈け出す。
フラナはバブリビオススがついて来ていることを横目で確認し、スピードを上げた。
バブリビオススはその体躯からは想像できないほどに身軽な身のこなしで、木々の間を縫うように走りフラナとの距離を徐々に縮める。
互いに十メートルは距離がある場所でバブリビオススは走り幅跳びの容量で軽く地を蹴り、勢いよくフラナの方へ前進した。
フラナとの間にある木々をものともせず、腕を振りかざしてラリアットを繰り出す。
その腕はまるで暴走機関車ばりの突進力で木々をなぎ倒していく。
一撃でも当たれば即死は免れないであろう攻撃に、フラナは目を見開いて魔術を唱える。
「おいおいおい! 手加減しろっていっただろ! クッソっ『オーバードライブ』!」
フラナは一息で真横へ跳躍しバブリビオススの攻撃を間一髪で避け切り、勢いそのままに地面を転がり木の後ろに身を隠し腰を下ろす。
バブリビオススは自身のラリアットによって起こった砂埃で視界を奪われ、フラナを見失い辺りを見回す。
しかしフラナの気配を隠す力が人類最強に恥じないほどに高く、バブリビオススは見つけられずにいた。
いや、もしかするとバブリビオススは索敵に力を入れずに遊んでいるだけかもしれない。
たとえそうだとしても、バブリビオススがフラナを探し切れていないことに変わりはない。
フラナはこのチャンスをモノにするべく、魔力を練り上げる。
ワンチャン、バブリビオススを殺れるんじゃねぇかって思ったが、一撃目で俺の攻撃が意味ねぇことが証明されちまった。
てなると、予定通りクレーター野郎を探してぶつけるしかねぇよなぁ。
はぁ、嫌になるぜ。
なんでこんなアホなこと引き受けちまったのかねぇ。
俺の勘はよく当たるって自分でわかってたじゃねぇか。
この依頼自体、受けるべきじゃなかったんだよなぁ。
どうしてこんなことになっちまったのかねぇ。
前会ったときは特に何もなかったから、調子に乗っちまったのかもしれねぇなぁ。
以前フラナは一人で罹災大陸を訪れた際に、腰を下ろし呆けたバブリビオススに出くわしたことがある。
そんな物思いに耽っているとフラナの背中を預けていた木が急に無くなり、フラナは背中を反らせ後ろを見る。
そこには木を軽々と片手で持ち上げているバブリビオススの姿があった。
フラナは大きなため息を一つつき、魔術を一つ唱える。
「はああぁ、『アクセルドライブ』」
『アクセルドライブ』――
体全体で跳躍する『オーバードライブ』とは異なり、足だけで高速移動をする魔術である。
慣れない者が使えば足が先行しバランスを崩してしまうため頻繁にこけてしまうが、長けた者が使えば自由度は『オーバードライブ』より高い。
また空中を高速で走ることもでき、消費魔力も足だけなため魔力効率も良く持続力が高い魔術である。
地べたに座っていたフラナは『アクセルドライブ』により空を駆け上がり、瞬く間にバブリビオススの死角へと移動していた。
ただクレーター野郎に押し付ける。
その予定だったのだが……
「やられっぱなしじゃ、人類最強としての矜持は保てねぇよなぁ。一泡ぐらい吹かせてやるぜぇ!」
フラナは空中で一回転し、バブリビオススの湾曲した両角を両手でギッシリと掴む。
継続している『アクセルドライブ』によって空を蹴り、目にも止まらぬ勢いで自身の体をフィギュアスケーターのスピンのように空中で大回転させた。
角を掴まれていたバブリビオススはフラナの回転に為すすべなく、その体躯を宙に浮かし、乱雑に回された独楽のように不規則な回転をした後、フラナによって地面に叩きつけられる。
周りには誰もいないというのに、なぜか意地を張ってしまうフラナ。
その表情はやってやったぞ!
という強かで逞しいものではなく。
や、やっちまったぁぁぁ!!!
世界最強の魔物を地面に叩きつけちまったぁ!!!
やばいやばい!
さすがにこれはキレちまってるかもしれねぇ。
あのままクレーター野郎を探しに行ってれば、こんなことになってなかったかもしれねぇってのに!!
どうする!?
矜持とかどうでもいいってのに!
はぁ、なんでこんなことしたかなぁ。
ホント自分が嫌になるわ!
フラナは地面に顔面から埋まっているバブリビオススを見て、自身がやったことの重大さに戦慄を覚え、身を強張らせる。
一瞬の動揺の後、プラナはバブリビオススがいつ起き上がっても対応できるように、落ちていた槍を蹴り上げ手に取り構える。
バブリビオススが起き上がるのを待つ間、一秒一秒が永遠にも感じる時を過ごすフラナ。
しばらくして、いや、感覚が狂ってしまったせいで長く感じただけで正確には十秒も時間が経っていないだろう時を経て、フラナの中でふと一つの疑問が浮かぶ。
あ、あれ?
なんで起きねぇの?
まぁ全力ではやったし、普通の魔物なら今ので死んでてもおかしくねぇけどよ。
こいつはあのバブリビオススだぞ?
この程度、屁でもねぇだろ。
どういうことだ?
もしかしてあれか!?
当たり所が悪かったから死んじまったとかか!?
さ、さすがにそれはねぇよなぁ?
フラナは確認のため、頭を埋め地面から生えるように飛び出しているバブリビオススのうなじを槍の穂先で一突きした。
が、反応はない。
念のため、もう一度うなじを突く。
それでも起きず、何度もツンツン、ツンツンと執拗に突いてしまう。
えっ!?
マジで!?
マジで死んでね?
う、嘘だろ? あのバブリビオススを倒したのか!?
ま、マジか……
「よっしゃ……よっしゃ……」
フラナは最強の魔物を倒したという事実に心が沸き上がり、眩しい笑顔と共に両手を握り締め、空へと突き上げた。
「よっしゃぁぁぁ!! ああぁああぁあぁあぁあぁ!?!?」
「グオオオオオオオオオオオオオォォォォォ!!!!!!!」
勝利に歓喜し声を張り上げるフラナと同時、バブリビオススが勢いよく立ち上がり両手を天高く掲げて雄叫びを上げた。
フラナは驚きを隠せず、つい声を上ずらせてしまう。
バブリビオススは雄叫びを上げ終えると、間髪入れずに豪速の蹴りをフラナに繰り出す。
フラナは腰が折れたのではないかというほど上半身を反らし、ブリッジの体勢で避け切る。
体を反らした勢いで槍を地面に刺し、槍を軸にバック転の要領で後方へと距離を取る。
しかしバブリビオススの攻撃は止まらず、蹴り上げたその足は雷の如き速度で振り下ろされ地面を砕き、大地を揺らす。
地震にも似た振動に足を取られ体勢を崩したフラナへ、バブリビオススが砕いた地面の土塊を掴み投擲する。
回避が間に合わないフラナは槍で土塊を捌きつつ、どうにかバブリビオススと距離を取る。
バブリビオススは逃がすまいと地面を砕いた足に力を入れ、足一本で自身の上背は超える高さまで軽々跳躍し、フラナの頭上から拳を叩きつける。
フラナはタイミングを合わせ拳が当たる寸前に、槍の石突で地面を突きバブリビオススの頭上へと跳躍、バブリビオススの肩を踏み台にバブリビオススの後方十数メートル先へと飛び退く。
バブリビオススの拳は地面を砕き、大地から根っこごと一本の木を抉り取り振り向きざまに、着地する瞬間のフラナへと投擲する。
木がフラナに衝突する直前、フラナは槍で木の根元を弾いて木の軌道を僅かに変え、軽く上体を横に反らすだけで避ける。
バブリビオススは投擲後すぐに走り始めており、フラナが木を捌き終える頃には目の前まで接近し、アッパーを放つ。
しかしフラナに前髪を掠る程度に避けられると同時に、槍の石突による突きを顎に受け天を仰ぐことになる。
バブリビオススは顎を突かれた勢いで後方へバック転しながら、フラナに蹴りをかます。
が、フラナも背中から倒れこむようにして体を大きく反らすことで蹴りを躱し、蹴り上げられたバブリビオススの足に自身の両足を巻き付け、勢いよく上空へと蹴り飛ばしてもらう。
上空へ蹴り飛ばしてもらったフラナは槍を左手に持ち替え、空いた右手でバブリビオススの頭上高くから魔術を唱える。
「『エレクトリックサンダー』!!」
雷が大地を砕くほどの轟音を響かせ、バブリビオススへ一直線に特大の電撃を浴びせる。
フラナは休まることなく『アクセルドライブ』で上空から急降下し、『ハードシェル』――自身の体の一部を硬質化させる魔術――によって硬質化した右手でバブリビオススの頭頂部を電光石火の勢いで殴りつけて地面に叩きつける。
バブリビオススはうつ伏せになって顔を地面に埋め込んでしまうも、何事もなかったかのように立ち上がり、フラナが地面に着地した瞬間にタックルをしかける。
フラナは長い脚を伸ばして爪先が地面に触れた瞬間、バブリビオススに向かって前進しつつ一つの魔術を唱え、槍を大きく薙ぎ払う。
「『バスター』!!!」
直後、腹部に強烈な一撃を受けたバブリビオススは、木々をなぎ倒し大きく後方二、三十メートルまで吹っ飛ばされてしまう。
『バスター』――
自身の放つ次の一撃を大幅強化する魔術である。
消費魔力が高く、修得適性に優れない者が多い希少魔術の一つである。
一般冒険者ならば拳で大岩を軽々砕くほどの魔術だが、人類最強の一人と呼ばれるフラナが使えばその威力は別格であり、フラナの『バスター』を受ければどんな魔物でも肉片すら残さずに命を絶つ。
はずだった……
「クッソ、わかっちゃいたが、『バスター』でも傷は付かねぇか」
遠くで起き上がるバブリビオススを見据え、フラナが一言零し大きなため息をつく。
「はああぁ。まぁ、アルビウスたちはもう樹林から出てくれてるよなぁ? だったらクレーター野郎を見つけに行くのもありか……もう戦ってる余裕なんてねぇしな」
フラナは独り頷くと槍を背中に担ぎ、膝に手を着いて軽く屈伸をし、『アクセルドライブ』で空へと駆け上がった。
たったの一、二秒で上空四、五十メートルまで到達したフラナはバブリビオススに別れを告げる。
「じゃあな、バブリビオスス・グラベラ・ドーラ。お前の飼い主、連れてくるわ」
一言告げ視線を落とすと、バブリビオススがフラナと同じように屈伸をしていいた。
その光景に嫌な予感が頭を過り、またもや冷や汗がダラダラと青ざめた頬を流れた。
「おいおい嘘だろ? まさかな? まさかやらねぇよな? いくらなんでも、そこからじゃさすがに届かねぇよな? やめろよ? また相手してやるからさ、今は見逃してくれるよな? 頼むぞ? 頼むからな! もうお前の相手したくねぇんだよ! 無理だから、マジで無理だから! 無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理無理!!!!!!!!!!!」
フラナの願いも虚しく、バブリビオススはその場で大きく腕を振って勢いをつけると――
立ち幅跳びでもするかのようにして、数十メートル上空のフラナの許まで一っ跳びで到達した。
フラナは慌てて空を蹴るも既に片足をバブリビオススに掴まれ逃げ切ることができない。
バブリビオススは弾速を超える速さでフラナを大地に向かって投げ飛ばす。
あまりの投擲速度によって空中でほぼ身動きが取れないフラナは、継続中の『アクセルドライブ』で出来得る限り降下速度を落とし、『ハードシェル』によって背中を硬質化した。
フラナは地面に勢いよく衝突し血を吐くも、重症を逃れることができた。
しかしバブリビオススの攻撃は休まること知らず、上空から落ちてくると同時に拳を大地に叩きつける。
フラナはすぐに瞬間速度の高い『オーバードライブ』でその場を離れる。
直後、バブリビオススの一撃が大地をカチ割り粉塵を巻き起こし、辺り一帯の木々が倒れこむ。
粉塵の中心で大きな影がゆらりと立ち上がりフラナは背中の槍を構えようと抜き取るも、その槍は穂先を含めて元の長さの四分の一程度に縮まっていた。
いや、正確には先ほど背中を地面に強打したときに、残りの四分の三が粉々に砕けてしまい穂先部分だけとなったのだ。
フラナは刹那の時でそれを理解し焦燥を見せること無く、折れた槍の穂先を前方に向け短剣のようにして構え、意を決してバブリビオススを見据える。
セリスから聞いた限りじゃ、こいつまだ本気じゃねぇよなぁ……
怒ってなさそうだし、このまま放置しても良い気がしてきたわ。
うん、そうしよう、そういうことにしよう。
俺はもう十分戦ったし、一泡吹かせてやったってことでいいだろ……
フラナが逃げる方針に心を決めると、樹林の奥で火柱が立ち上がった。
フラナは火柱を見て、クレーター野郎の所在に確信する。
「あーあ、折角逃げる気満々だったってのによぉ。これじゃぁ、逃げるわけにはいかねぇよなぁ……」
フラナは大きく息を吸って、深く息を吐く、
「すううぅぅぅぅ、はああぁぁぁぁぁぁぁ…………さあ、羊さんよぉ。第二ラウンドといこうかぁぁ!!」
その顔に歯茎を剥き出しにするほどの笑みを張り付けて。




