第20話 圧倒的な恐怖
大狼の許へと向かう最中、僕とリイシャは希少魔術を使用せずにアクアウルフの群れを二つ討伐し終えた。
しかし咆哮がした地点まで三百メートルを切ったあたりで、アクアウルフが姿を現さなくなった。
アルビウスは足を止めることなく疑問を口にする。
「アクアウルフが出てきませんね」
フラナは周囲へ目を配ると一瞬で状況を把握して、眉間に皺を寄せる。
「死体もねぇし、大狼の援護にでも行ってるのかもしれねぇな。もしくは、バブリビオススから逃げてるか……」
大狼はアクアウルフの長である、その長を守るためならありえない話ではないだろう。
だがバブリビオススから逃げているとなれば、この付近にバブリビオススがいるのかもしれない。
「交代だ」
フラナは前を走る僕とリイシャを追い抜き先頭に躍り出ると、チラッと僕たちへ視線を移した。
「バブリビオススがいたらお前ら直ぐに逃げろよ。大狼がいなけりゃ、アルビウスはミルとリイシャを守ってやってくれ。俺の助太刀をしようなんて思わなくていいからな?」
「師匠の邪魔はしませんから安心してください」
アルビウスが小さく頷くと、フラナは眉尻を僅かに下げる。
「邪魔っていうか、身の安全をだなぁ――」
フラナは言葉を切り何の前触れもなく足を止め、僕らに静止を促す。
「止まれ!」
僕たちはその場で足を止め、疑問を持ったリイシャが訝しげな顔を作る。
「どうしたんですか?」
「いる……」
「え?」
フラナの零すような言葉にリイシャが聞き返すも、フラナは声を張り上げた。
「逃げろ! 走れ!」
言葉の真意が掴めず僕とリイシャが呆気にとられるも、アルビウスは普段の淡々とした口調からは想像できないほどの声量で僕らに催促する。
「走れ!」
アルビウスの怒声にも近い声に当てられて、僕とリイシャは踵を返し全速力で走り出す。
が、既に遅かった……
ドスンッ
森の奥から、踵を返した僕たちの目の前に大きな物体が落ちてきたのだ。
それは地響きにも似た落下音を出し、木々を押しのけて砂埃を巻き上げる。
なんだ、これは……?
晴れた砂埃から姿を現したのは、体躯二十メートルは超えるだろう大きさの白色を基調とした狼だった。
腹には何かに貫かれたのであろう数十センチの大きな穴から赤い血が滝のように流れており、既に息をしていなかった。
これが大狼……なのだろうか?
となるとクランの面々は討伐に成功したのか?
だとすると、なぜ空から大狼が降ってきたのだ?
僕が目の前に落ちてきた息の無い大狼を目の当たりにして逡巡していると、大狼が飛んできた方角から聞き覚えのある声が悲鳴を上げて近づいて来た。
「「「うわあああああああ!!!」」」
「た、助けてくれ!! 頼む!!」
声に振り返ると、十人程度の冒険者が汗と涙に鼻水を流した必死の形相で、こちらに向かって走って来ていた。
その中には樹林に入る前に自己紹介をしていたクランのリーダー、オーザとその仲間、加えてギルドで見たスキンヘッドと取り巻きたち計十人程度がいた。
どうやら先ほど助けを求める声を出したのはオーザのようだ。
大狼を討伐し終えているのに、なぜ情けない声で叫んでいるのだろうか?
と疑問が頭を過ったのも束の間。
スキンヘッドたちが来た方向から放たれる、身の毛もよだつほどの圧に冷や汗が背中を滝のように流れる。
頭のてっぺんからゆっくりと押しつぶされているような感覚、今立っていること自体を奇跡と呼ばれても違和感のないほど圧倒的な恐怖が体を蝕む。
草木が生い茂りはっきりとは目視できないが、それは草を踏みしめてゆっくりと近づいて来ていることがわかる。
その足音が鼓膜を刺激した時間は数秒もないほど短い。
しかし、僕にはその数秒が永遠にも感じられた。
草木を掻き分け姿を現したモノは――
体躯3メートルはあるだろう全身黒の筋骨隆々な肉体に、目立たないほどの羊毛、頭には二本の湾曲した角を持つ、二足歩行の魔物であった。
全身には返り血が散布されており、右手は真っ赤に染まっていた。
魔物は手で自身の頭を傾け、ゴキッと首を鳴らす。
瞬間僕は、あれが”惨羊 バブリビオスス・グラベラ・ドーラ”なのだと確信した。
早く逃げなければ……
あれと目を合わせてはいけない……
今すぐこの場を離れなければ……
だが僕の思いとは裏腹に、足は言うことを聞いてくれない。
自分の膝が笑っていることが見て取れる。
そんな僕の手をリイシャが握った。
その手はひどく濡れており、悚然としていることがよくわかる。
守らなくては……
僕は震えているリイシャの手を力強く握り返し、空いた手で膝を勢いよく叩く。
「リイシャ、走るよ!」
僕は返事を待たずにリイシャの手を引いて走りだした。
強引に手を引かれたリイシャは、おぼつかない足でどうにか走り出す。
走り出した僕たちを一瞥し、フラナが背負っていた槍を構えて声を張る。
「アルビウス! 頼んだ!」
アルビウスは意を決したかのようにフラナの背中を見据え、場違いなほど小さく飄々とした声で応える。
「ギルドで待ってますよ」
そう言い残し、アルビウスは来た道を振り返り片膝つき地面に両手をつける。
刹那、アルビウスの目の前の大地がすべて灰と化した。
灰は波となり死体となった大狼や木々を横に退かし、コンクリートで舗装された道路のように綺麗な道を造り続ける。
あまりの出来事にこの場にいたフラナとアルビウス、バブリビオススを除く全員が呆気にとられる。
しかしバブリビオススは歩みを止めない。
バブリビオススの恐怖に当てられて、フラナを除く全員が一斉に灰道を走り出す。
先頭を走るのはオーザ、それに続くようにクランとスキンヘッドの取り巻き数人、スキンヘッド、僕、リイシャ、殿にアルビウス。
オーザは仲間のことなどお構いなしに、寧ろ見捨てる勢いで駈け出しているが、スキンヘッドは仲間の無事を確認しつつ走っているように見える。
取り巻きの数は減っているが、残った仲間だけでもどうにか助けようとする意志が見て取れる。
あんな化け物を前に仲間を思いやれるだけの度量があるとなると、スキンヘッドは見た目によらずリーダー気質なところがあるのかもしれない。
今朝、ギルドでのスキンヘッドの行動も加味すると根は良い人なのだろうか……
ではなぜ昨日、僕たちを煽ったのか気になるが、もちろん今はそれどころではない。
原因であるバブリビオススの様子を確認すべく後方を振り返ると、フラナの前で歩みを止めていた。
どうやらバブリビオススは僕らを追いかける気がないようだ。
その代わり、フラナを瞳に捉えている。
アルビウスも気が付いているようで、不安と焦燥に顔を歪ませていた。
フラナの提案とはいえ、一人残して来たことが気掛かりなのだろう。
もしかすると、一助にすらなれない自分の弱さを嘆いてるのかもしれない……
足を引っ張っることしかできない僕がかけられる言葉はない。
ただ邪魔にならないようにと前を向き、リイシャの手を引いて走り続けることしかできなかった。
▽▽▽
アルビウスの造った灰道のおかげで、行きの半分程度の時間で樹林を抜け出すことができた。
樹林内を走っていたときは後方から何度も戦闘音が響き、その度にアルビウスが顔を顰めていたのは印象に強い。
樹林を出た今、あの場所から遠ざかったせいか、戦闘音が届くことはない。
もしかすると既に戦闘が終わっているという可能性もある……
上手く逃げてくれていればいいが、あの化け物から逃げられるとは思えない。
戦わずともわかる、あれは異常だ。
いくつの命を犠牲にすれば倒せるのだろうか……
戦闘が終わっているとすると、フラナはもう……
樹林を見据えているアルビウスを尻目に、僕とリイシャを除くほかの冒険者たちは歓喜に溢れていた。
「頭ぁ! 俺はもうダメかと思いましたよ!」
「ああ、俺もだ」
猫背男がスキンヘッドに駆け寄り震えた声で喜びを表し、それにスキンヘッドが応える。
二人を尻目にオーザもまた地に足がついていない様子で喜びを露わにする。
「よくやったぞ! 貴様らのおかげで、この俺様の命が繋がった、礼を言う。これであの一人残った愚民も報われるだろう」
オーザの配慮に欠けた言葉を耳にして、スキンヘッドは拳を強く握りオーザの頬を勢いよく殴打する。
ゴッ
鈍い音だけが響き、オーザの口からは少量の血が流れる。
スキンヘッドは鬼のような剣幕でオーザに怒声を浴びせる。
「おい! 命の恩人に対して、その言いぐさはどういうつもりだ!」
オーザは口に付いた血を袖で拭い、スキンヘッドを睨み返す。
「くっ、貴様こそどういうつもりだ! 俺様は二十人しかいない法王軍副軍団長、Dランクのオーザ様だぞ! こんなことをしてただで済むと思っているのか!」
「アホを抜かせ。大狼との戦い見てたがお前にDランクの力はない、部下ありきのモノだろ。それに部下の命をなんとも思わんその姿勢。お前のようなクズを副軍団長に任命するとは、法王もお前と同じで大したことないんだろうな!」
「貴様! 俺様だけでなく、法王様をも侮辱するか!」
憤慨するオーザを余所にスキンヘッドはクランの生き残りたちに問いかける。
「お前ら、こんな奴の下につかず俺と来ないか? もう冒険者をする気はなが、どうだ?」
この言葉に驚愕を示し口を開いたのは、スキンヘッドの取り巻きの一人である猫背男だった。
「か、頭! 冒険者辞めるってどういうことですか!?」
スキンヘッドは目を伏せて、顔に暗い影を落とす。
「急ですまん。だが今回の件で俺は自分の無力さを知った。あんな化け物早々出くわすもんじゃないってのはわかっているが、たくさんの仲間を失った俺に冒険者をする資格はない。で、どうするよ?」
スキンヘッドの誘いに困惑の色を見せるクランの面々。
オーザよりスキンヘッドを上官として持ちたい気持ちはわかる。
しかし法王軍、クランと言われていたが一国の兵隊であることに変わりはないだろう。
もしスキンヘッドについて行くとなれば国を裏切ることになる。
今後を考えると、逆賊として国から追われる可能性がある。
だがこのままオーザの下にいれば、他の者たち同様いつ切り捨てられるかわからない。
答えに困るわけだ。
考えに頭を悩ませる部下を見て、オーザはスキンヘッドに対して怒声を浴びせる。
「ふざけるなよ貴様! 引き抜き行為など、法王軍と敵対すると断言しているようなものだぞ! 愚民ごときが国を相手に覚悟はできているんだろうな!!」
スキンヘッドは怯むことなく、オーザの現状を言い当てる。
「引き抜き以前にお前は部下を四十人以上失ってんだぞ? その法王様に何か手土産の一つでも用意した方がいいんじゃないのか? まぁ無理だろうが、あのバケモンの討伐でもすればミスの帳消しどころか、一気に昇格だろうな」
オーザは何も言い返せる言葉がないのだろう。
苦虫を噛みつぶしたような表情を隠すことなく、残った数人の部下たちに命令を下す。
「チッ、行くぞお前ら!」
「ど、どこに向かわれるのですか?」
「いいからついて来い!」
部下たちはやはり逆らえないのだろう。
速足でどこかしらへと向かうオーザ、皆不安に駆られるようにしてオーザの後を追った。
クランの面々の後ろ姿が消えるまでスキンヘッドは目で追うと、アルビウスへと視線を移して頭を下げる。
「改めて本当に助かった、ありがとう。何か俺にできることがあればなんでも言ってくれ」
「気にしないでください」
アルビウスが首を横に振り淡々と応えるも、スキンヘッドは眉をハの字に下げて言葉を続けた。
「そういうわけにはいかねぇ。あの残ってくれたあんちゃんはCランクだったろ? あのバケモンに勝てるとは思えねぇ。せめてもの償いだ何かさせてくれねぇか?」
スキンヘッドの発言はフラナが死んだということを示唆するものであり、アルビウスの表情を曇らせる。
スキンヘッドもそれに気がついたらしく再び謝罪に移る。
「す、すまねぇ。悪気があったわけじゃねぇんだ」
「わかっていますよ。それにあなたが気を病んで何かが変わる訳ではありません」
「だがよぉ」
「…………わかりました。とりあえず町まで帰りましょう。話はそれからで」
「ああ、わかった……」
アルビウスはフラナを残してきた樹林を一瞥すると、踵を返しエウィジスへの帰路についた。
凛々しくも哀愁のあるその背中に、僕らはかける言葉を見い出すことができなかった。




