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スーサイド・レコード  作者: 日常の音ずれ
第1章 死後生前編

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第13話 スーサイド

 息を荒げてなりふり構わず走る僕の足は、大木の根に躓いて瞬きの間だけ空中に浮く。

 重力に引っ張られ、苔蒸しった地面に顔をぶつけることで動きを止めた。

 うつ伏せになった体を半回転させ、星の輝きが際立つ暗い空へと向き直る。


 あの蝙蝠はもういないというのに今も頭が痛い。

 常に誰かに殴られ続けられているみたいだ。

 頭痛の原因はリイシャを殴ったことも関係しているだろう。 


 人生において歯を折るほど思い切り人を殴ったのは初めてだった。

 それも相手は自分が愛した人……


 守ると誓っておきながら手を上げて、あまつさえ置き去りにした。

 加えて何も手当をせずに、逃げ出してしまったのだ。


 自分の不義理、不甲斐なさ、不誠実さに嫌悪してポツリと零す。


「最低だな、僕は……」


 先ほどまでとは打って変わって力が入らなくなった足でどうにか立ち上がるも、体がふらふらとぐらつく。

 とっさに大木に手を付いたが一連の動作が起因してか否か、何かが食道を逆流する感覚を覚え嘔吐する。

 

「おうぇっ」


 口の中には鼻をつくすっぱい臭いと、さらに吐き気を催す苦味が生暖かくこびりついて離れない。

 そんなことも相まってか食欲が湧かない、だというのに腹の虫が鳴り始めた。


 ぐう~


 体は正直だな。


 今日は朝食しか取ってないのだし至って普通のことなのだが、この普通が僕を苛立たせる。

 自分の行いなど知ったことではないと、自分自身に言っているようで……


 なにか妙案が浮かんだわけではないが、ただ歩を進めてみた。

 このままでは心を保てそうになかったから……


 足元がおぼつかない状態で彷徨っていると、川を見つけた。


 意味もなく水面に顔を近づけると、薄暗い森の中でも自分の顔色に生気がなく、やつれていることがはっきりと見て取れた。

 今誰かに見られたらゾンビと勘違いされてしまいそうだ。


 両手で水をすくい口を(すす)ぎ、顔を洗った。

 それでも口の中のこびりつきは取れず、顔も青白いままだ。

 そんな僕の姿を見て、初めて()()に帰りたいと思えた。


 なんで僕はまだゲームなんかを続けてるんだ。

 早く辞めたい。

 早く家のベッドでゆっくり寝たい。


 このゲーム世界での生活が日々充実していたせいで、初めての感情が渦を巻いた。


 いや、この世界がゲームだと思い込むのはもうやめよう。

 あれから十数年経っているのだ、ゲームの世界なわけがない。

 この世界に来たときから薄々思っていた、僕は別の世界に来てしまったのではないかと……

 俗に言う”異世界転生”なんじゃないかと……


 でも信じたくなかった。

 日本に居たころは大して良い思い出があったわけではないし、異世界転生だって何度も夢見たが、それでも本気で離れたいと思ったことは一度もなかった。


 それに心残りもいくつかある。

 大半はどうでもよいことだらけでアニメや漫画の続きが気になるとか、新作のゲームがしたいとか、だが一つだけ何よりも心配なことがある。


 それは妹についてだ。


 僕には四歳年下の大学二年生の妹がいる。

 僕も同じだったがこれといった得意がなく、能力が高いわけでも低いわけでもない普通の人。

 そのため生きていく上で様々な困難にぶつかることもあるだろう。


 実際、僕がそうだった。


 今あいつは何をしているのだろうか……

 この世界と同じだけ時間が流れているのなら、もう立派な大人だろう。


 妹との最後の記憶は他人から見れば仲良さ気に手を繋いで買い物をしていた場面だろう。

 だが日頃から手を繋いでいたわけではない。

 僕が就職を切っ掛けに家を出ることになったので買い物に付き合ってもらい、なんとなしに手を繋いだだけ。

 手を繋いだ理由は僕にはないし、妹にもなかっただろう。


 日常会話など二日に一回程度しかなかった。

 つまるところ仲が良くも悪くもなかったのだ。


 それでも妹には無事でいて欲しい。

 僕のように大切な人を裏切るような人にはなって欲しくない。


 こんなことを思うのは、自分で生み出した惨めな状況に立たされているせいなのだろうか……


 この手にあの時の温もりはもうないが今でも妹と繋がっている感覚を覚え、僕は左手を力強く握り締めた。




    ▽▽▽




 ドスッ


 腹部に何かとてつもなく重たい物がのしかかり、目を覚ました。

 見上げると腹部に大きな足を乗せて息を荒げている熊型の魔物がよだれを垂らして僕を見つめていた。


 いつのまにか眠っていたようだが、何時に眠りについたのか頭を巡らせる余裕はない。

 早くこの状況をどうにかしなければ、僕はすぐにでも殺されてしまうだろう。


 少し寝たおかげか昨日よりは頭が鮮明になり、僕は咄嗟に雷撃を放つことができた。


 ジュバッ


 掌から疾った雷撃は太い棒のように一直線に伸びると、熊型の魔物の腹に人一人がくぐれそうなほどの風穴を開ける。

 

 なんだこれ?


 今までの『エレクトリック』と性質の異なる魔術の発動に困惑を浮かべる。


 『エレクトリック』の電撃は魔物を焼き焦がす程度の威力だ。

 焼き焦がす程度といっても命を取ることはでき、魔力を膨大に籠めれば消し炭にすることもできる。


 だが今の雷撃は焼き焦がす性質と異なり、魔物の腹を焼き抉って穴を開けた。


 槍を伝って電撃を当てたのなら可能なのかもしれないが、僕は槍をリイシャと別れたところに置いて来てしまって持っていない。


 そのため、こんな貫通力のある雷撃なんて出せるわけがないのだ。


 何か『エレクトリック』に変化が起こった可能性が頭を過り、レコードカードを確かめる。

 するとマジックレコードの欄に『エレクトリックサンダー』という文字が追加記載されていた。


 名前は頭痛が痛いみたいな重複言葉のように感じるが、新しい魔術の発現は素直に喜ばしいことである。

 この気持ちをリイシャと共有したく辺りを見回すが、もちろんリイシャがいるなんてことはなく、昨日の苦痛で満ちた出来事を思い起こす……

 

 あれは事故のようなものだ、リイシャなら許してくれるだろう。

 頭ではわかっているが、前を向けない。

 どれだけ意気地なしなんだと、自分でも呆れてしまう。


 それに帰りたくても道がわからない。

 あれだけがむしゃらに走っていたのだ、当然である。

 だから仕方がないんだ。


 そう自分に言い聞かせている。

 そんな自分が情けない。

 

 ぐう~


 腹の虫も情けなく鳴いている。


 そういえば昨日からお腹を空かせていたのだった……

 僕は目の前に転がる熊型の魔物を食べることにした。

 何かに気を向けなければ昨日のことをまた思い出して心が蝕まれてしまう。

 そう思ったから。


 この日から僕はリイシャのことを忘れるために、目に入る全ての魔物を狩り続けた。

 毎日毎日、殺しては食って、殺しては食って、そんなことをしてもリイシャのことが頭から離れることはなかった。

 だが、目を閉じて眠っているときだけはリイシャのことを思い出さずにすんだ。

 


 そんな日々の中、もう何度目かわからない夜がやってきた。



 相変わらず顔色は悪いままだが、いつも通り魔物を狩って、食し、眠りにつく。

 ただいつも通りではないことが一つ、夢を見た。


 真っ白な世界でただ一人、紺色のミディアムショートの髪で僕と同じくらいの身長の美少女が、宝石を彷彿とさせる紫紺の瞳に涙を浮かべて立っていた。


「久しぶり……こんなに長い間、顔合わせなかったこと初めてだね。小さいころからいつも一緒にいたし。でもさ、ミルが私を殴ることなんて今までなかったよね。口では私のことを好きだなんて言ってたけど、やっぱり嘘だったんだ。だから私を殴ったんでしょ? って言うのは反則か……私はミルのことを何回もぶってきたんだし、たった一回殴られただけで……酷い女だよね。ミルが私のことを見捨てたのも納得しちゃう。私だってそうしてる……大人になってからはミルの足を引っ張らずに来れたと思ってたけど……ううん、わかってる。ミルは優しいからきっと後悔してるよね? でも、これがミルにとっての良い選択なんだと思うよ。今まで私の我がままに付き合ってくれてありがとう。これからは自分のために生きてね……」


 少女の悲愴な面持ちに胸を締め付けられる。

 僕は思いの丈を晒さんと口を開けるも、言葉が出ない。

 なぜ言葉が出ないのかわからず、首元を摩ると手は首をすり抜けた。

 手で首を触ることはできなくても、少女の止めどなく流れる涙を塞き止めたい。

 その一心でこの手を目尻に添える――


 ことはできず、僕の手は何物にも触れる事なく空を切った。



「リイシャ…………」



 気が付けば、先ほどの真っ白な世界は消えており僕は地面に倒れていた。

 仰向けで空を見上げる僕の視界は大きな黒雲で覆われており、目を開けることが苦しいほどの弾幕のような雨が降り注いでいた。


 目尻から流れ落ちる滴を天に向けられていた手で拭って立ち上がり、リイシャの顔を思い浮かべると目の前に夢で見たその人がいた。


 なぜそんなにも悲しそうな顔をするんだ、リイシャは何も悪くないじゃないか。

 僕がこの世界でまともにいられたのは、リイシャがいつも側で支えてくれていたから。

 リイシャの優しい思いが、リイシャの暖かな手が、リイシャの柔らかな目が……

 忘れられない、リイシャの笑顔が……僕の生きる糧なんだ。


 だからお願い。

 もう泣かないでよ。

 君のそんな顔は見たくない、思い出したくない、考えたくもない。

 僕の心から出て行ってくれ……


 蝕む心は何を思ったのか、雷撃が目の前を疾る。


 意図せず放ったその雷撃は目の前の少女を貫いた。

 そして少女はかすれ、霧のように姿を散らしていく。


 その光景から気の狂った僕が見ただけの幻影なのだとすぐに認識できた。

 同時に、僕はリイシャを殺す幻覚を見てしまうほどリイシャのことを嫌悪していた可能性の浮上に、胸が潰されるほどの苦痛を感じた。


 リイシャのことは今までもこれからも大切だ、そんなわけがない。


 そう自分に言い聞かせても、自身の無意識にある感情に体が恐怖する。


 幻覚とはいえリイシャを殺してしまったことに違いはなく、頭の中を殴られているような不快感が僕を襲う。


 その事実が、僕が僕であるために思いとどまらせていた感情を爆発させ、慟哭とともに豪雨をかき消すほどの雷鳴を空に散らせる。


「うあああああああああああああ!!!!」


 そこには雷撃を放ち、咆哮を上げる者が一人。

 その形相はまるで魔物のようで――

 目撃者曰く、

 雷を纏った怪物が闊歩している、

 人型の魔物が木々を焼き払っている、

 雄叫びを上げて魔物を屠る鬼がいるなど……


 ある者曰く、その叫びは悲痛にも聞こえたと……




     ▽▽▽




 三日三晩と続く長い長い雨が降りやむと、怪物は気力なく地に伏していた。


 頬はこけ、手足は細く、やつれきったそれは、残った力を振り絞り立ち上がる。

 一歩一歩と足を進め、いつのまにか高台にいたことに気が付き歩を休め、空を仰いだ。

 高台というよりも、崖と表現したほうがよいかもしれない。


 この晴天を目にするのはいったい何日ぶりになるだろうか。


 眼下を見渡せば木々が生い茂った自然豊かな緑が映える、森であった。

 高層マンションを軽く超える高さの断崖絶壁から見るその景色は絶景と言わざるを得ない。


 高所でそよ風に吹かれながら一人の少女を思い浮かべた。


 いや、彼女はもう大人だ。

 いつまでも少女と扱っては失礼にあたる、もう立派な女性なのだから。

 今度会ったら迷惑をかけたことについてちゃんと謝罪をしよう。

 彼女はいったいどんな反応をするだろうか?

 怒りながらも、僕の頭を殴りながらも、きっと快く迎え入れてくれるだろう。


 確信に近いものを感じながらも、そんな彼女の顔が思い浮かばない。

 先日までは嫌というほど目にこびりついていたというのに……


 瞳から涙が零れ落ちそうでもう一度空を仰いだが、それは杞憂に終わった。


「さすがにもう、枯れちゃったか……」


 大きなため息が一つ出た。

 それを皮切りにもう一度歩を進め、崖端で足を止め森を見下ろす。


「君の一番でありたかった。君のすべてを守りたかった。最後まで、君の隣に居たかった。けど、僕には相応しくなかったみたい……君が僕を許しても、僕は僕を許せない。だから、ごめんね。君にはきっと、素敵な出会いが待ってるよ。じゃあね、リイシャ……愛してるよ……」


 崖から落ちたそれは勢いよく風を切り重量を大地に叩きつけ、弾けた音を森に響き渡らせた。


 このとき、

 一つの狂気が、この世界に舞い降りた。

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