第12話 消えない苦痛
カーテンの隙間から朝日が差し込み、僕の視界を黒から赤へと変貌させる。
瞼を開け、両手を組んで伸びをする。
しばらく呆けていると洗面所の方から一つの人影が歩いて来た。
「起きてるー?」
「起きてるよー。ちょっと待っててー」
意外なことにリイシャは僕より朝が早い。
僕が寝坊助さんというわけではなく、単純にリイシャが朝に強いのだ。
待たせても怒りはしないが気が引けるので着替えをしつつ、歯磨きも済ませる。
「ごめん、ごめん」
僕の準備が終えるのを待って、リイシャがドアノブに手をかける。
「じゃあ、行こっか」
「うん……」
目を擦り、気だるげな僕の反応にリイシャが顔を覗いてくる。
「まだ眠いの?」
僕は重たい瞼を重力に任せて閉じると、リイシャの頬をツンツンと突いた。
「リイシャがおはようのチュウでもしてくれたら、目が覚めるんだけどなぁ」
リイシャが呆れたように半目でため息をつく。
「するわけないじゃん」
リイシャがまともに取り合ってくれないことはわかっているので、からかい交じりに悪戯な笑みを浮かべて見せた。
「でも、僕たち付き合ってるんだよね? それぐらい普通なんじゃない?」
リイシャは口を結び一拍置くと、頬を赤らめて僕の瞳を射抜かんばかりに見つめる。
「そ、それもそうかも……」
適当にあしらわれると考えていたため、リイシャの照れを帯びつつも凛とした表情にどこか艶やかさを感じて目が離せなくなる。
リイシャの手が僕の肩にそっと置かれる。
あっ、これガチのやつかも、やばいマジで緊張してきた。
歯磨きしたし口臭くないよね?
リイシャが目を閉じてゆっくりと顔を寄せてくる。
ヤバいヤバいヤバいどうしよ!
これってリイシャから来るのをこのまま待っておけばいいのか?
でもなんかそれって男としてどうなんだ?
なんかダサくないか?
告白だって本当はリイシャからしてくれたんだし、また僕は引っ張ってもらうだけなのか?
頼む誰か教えてくれ!
いや、違うだろ!
誰かに頼ってちゃダメだ!
リイシャの気持ちを汲み取り、僕の気持ちに嘘をつかないこと、それだけだ!
下の階にも響き渡っているのではないだろうか?
と思えるほど心臓の鼓動が叩き鳴らされている。
きっと顔の紅潮は目も当てられないことになっているだろう。
それでも僕はリイシャの横腹にそっと手を添え、少しだけ力を入れて軽く抱き寄せる。
唇と唇が触れ合うまで数センチ、僕は決意を胸に抱き――
ドスッ
上腹部を強い衝撃が襲った。
その場で呻き声を上げ膝から崩れ落ちる僕の傍らで、リイシャが顔を林檎のように赤くしている。
「な、なにしてんの!するわけないじゃん!……もう少しだけ、待ってて……」
そんなこと言われたら、みぞおちへの膝蹴りも許してしまう。
めちゃくちゃ痛いが……
「と、とにかく、朝ごはん食べよ。先下行ってるから」
「お……っけー……」
こういう甘酸っぱい青春も、また、一興か……
▽▽▽
お皿の上にあるステーキ擬きをナイフとフォークで綺麗に切り分けて、最後の一切れを口に入れる。
この肉は昨日狩ったバウファウの肉で、牛みたいな見た目だったし美味しいに違いないと思って頼んでみたのだが、少々甘ったるく、期待通りとはいかなかった。
甘ったるい理由が分からず材料を調理師に聞いたところ、肉を柔らかくし臭みを取るために蜂蜜を使っていることを教えてくれた。
村にいたころはイノシシ、熊、鹿などの肉を食べてきたが臭みは感じなかった気がする。
牛に見た目が近いバウファウは臭くないのだろうと勝手に勘違いをして、そのような下処理を施しているとは思わなかった。
僕は蜂蜜が嫌いなので顔を顰めながらの朝食となった。
リイシャは僕の苦手な食べ物を知ることができてご満悦に食事を楽しんでいたが、甘ったるさに胃もたれでもしたのだろう、食べるスピードが目に見えて落ちていた。
肉の臭み消しに蜂蜜が必要なのであれば、おばさんが焼いてくれた肉はなぜ臭くなかったのだろう?
僕が料理下手なだけだと思っていたが、おばさんが料理上手だったのかもしれない。
帰ったら料理をちゃんと教えてもらおう。
「ねぇ、今日はどんな依頼を受けるか決めてる?」
僕が肉を飲み込むのを見計らってか、同じタイミングでリイシャが少し顔を顰めて肉を頬張りながら聞いてくる。
「昨日から思ってたんだけど探索とか、採取系はどうかなぁって。報奨金はそこまで高くないけど昨日は疲れたでしょ? 少しでも楽な方がいいかなぁと思って」
「もう、大丈夫だけど。お金はあるし、それもいいかな」
リイシャから承諾を貰い、掲示板に書いてある依頼を遠目に確認する。
「じゃあ、どれにする? 鉄鉱石の採掘に森の生態調査、毒キノコの採取と薬草の採取ぐらいかなぁ」
「薬草の採取でいいんじゃない? 鉄鉱石は重そうだし、生態調査は面倒くさそうだし、毒キノコとか危ないし」
「それなら、依頼受けてくるから待ってて」
今度は野菜とにらめっこをしているリイシャを置いて席を立った。
掲示板に張り出されていた紙を一枚剥がして、受け付けに向かう。
「すみません。この薬草採取の依頼を受けたいんですが……」
あれ?
今さらだけど薬草とかあるんだ。
そんなこと全然考えてなかったな。
回復薬とか見たことなかったけど、あるなら買っておいた方が絶対いいよね。
効き目もわからないし、今の内に調べておかないと。
ってまるでゲームみたいだな、そんなこともあるものなのか……
じゃない!
この世界はゲームのはずだろ?
僕どんだけゲームやってんだよ!?
なんて思いも今となっては薄れてしまった。
さすがにおかしいとは思っている……
まるで本当にこの世界で生まれたみたいに、どうして……?
「……さん、ノルベルさん、ノルベルさん」
「あっ、はい」
「どうかされましたか?」
「あ、いえ、大丈夫です」
考え事に夢中で呼ばれていることに気がつかなかった。
そういえばリイシャと初めて会ったときも、こんなことがあったな。
気をつけないと。
お姉さんは眉尻を下げて薬草採取の依頼紙と僕へ交互に視線を移す。
「薬草採取ですがこれはGランクですよ? ノルベルさんたちならFランクの依頼でもこなせると思いますが?」
「昨日の疲れがまだ少しあるので、楽なものを選ぼうってことになって」
合点がいったようにお姉さんは大きく頷くと、依頼紙を受け取り何かを記載してバインダーのような物にしまって微笑みかけた。
「なるほど、それなら納得です。少々お待ちください…………はい、依頼の受注完了いたしました。明日までに薬草をギルドに持ってきてくださいね」
依頼によって受注の方法や承認の方法が違うのだろうか?
今回はギルドからの依頼だから依頼紙をそのまま引き取られたけど、昨日は依頼主が別だから依頼紙を持たされたのだろうか?
依頼について頭を巡らせていると、お姉さんが眉尻を上げたドヤ顔で胸を張った。
「ちなみに、薬草はポーションと呼ばれる液体の原材料になります。ポーションは傷口にかければ傷の回復や痛め止め、飲めば体力、病気の回復にもつながります。もちろん効力には限度がありますが、購入された方がいいですよ」
「わかりました。ありがとうございます」
お姉さんに軽く会釈をして、未だにお皿の上が片付いていないリイシャのところへ戻る。
にしても、向こうから薬草について教えてくれるなんて、お姉さんの評価を改めないとな……
いや、普通こういうことって初めて依頼を受けるときに教えてもうらうモノじゃないの?
冒険者なんて怪我は日常茶飯事、もし僕たちが昨日怪我をしていたらポーションの存在を知らず、もがき苦しんでいたかもしれない。
やはり、あのお姉さんはどこか抜けていそうだ。
▽▽▽
「それにしても、本当にこんな雑草が傷を治す薬になるの?」
「さぁ、知らないけど、そういうものなんじゃない?」
僕たちは薬草と思われる雑草の採取にバウファウ討伐とは真逆の方向にある森まで足を運んでいた。
町を出る前にいくつか買ったポーションと薬草を交互に見つめながら、リイシャが疑問を口にした。
ゲームではそれが当たり前だったので疑問なんて持ったことがなく、改めて考えてみると確かに不思議な気がする。
漢方なんかと同じ部類なのだろうか?
わからない。
考え事をして手を止める僕と同様に、リイシャは眉間に皺を寄せ地面に生える雑草に視線を落として手を止めた。
「それにこの依頼、地味にキツくない? 薬草がどれか見分けがつきにくいし、飽きてきたかも」
この依頼は草をむしるだけの単純作業の連続である。
草むしりを始めて一時間、やる気が削がれる気持ちはわかる。
しかし、せっかく受けた依頼を適当に終わらせるのは忍びない。
「もうちょっと頑張ろ? このままじゃ、よくて銀貨一枚分だし」
リイシャは溜息をつくと、止めていた手を動かして作業を再開する。
「はぁ、こんなんだったら、討伐依頼の方がよかったかも」
「明日からはそうしよっか」
僕がだらだらと草むしりに励みながらリイシャの案に賛同を示すと――
「キャッ!!」
後方数メートル先でリイシャが尻もちをついて悲鳴をあげた。
「どうしたの!!」
僕が急いでリイシャのところまで向かうと、そこには――
口から泡を吹き両耳を手で塞いでいる冒険者風の男が、白目を剥いて倒れていた。
「えっ、これ死体?」
「わかんない」
僕の問いに対してリイシャは青ざめた顔で首を横に振った。
人の死体を見たことがない僕たちには正確な判断がつかないが、死体の顔からは血の気が引いており呼吸をしている素振りもない。
確認のために死体の肩を小さく揺する。
「大丈夫ですか!」
しかし反応は返ってこなかった。
これが死体だと仮定すると、この付近に死に直結する要因があるのかもしれない……
「なんでこんなところに? 外傷はなさそうだけど……」
頭を悩ませているとリイシャがゆっくりと立ち上がり推測を口にする。
「毒キノコを食べたとか?」
僕は小さく頷き、ギルドにあった掲示板を思い返す。
「ありえるかも、依頼にも毒キノコの採取はあったしね。変なものは口に入れないようにしよう」
リイシャは僕の提案に同意すると、死体へと視線を落とした。
「だね。この死体どうする?」
「触らない方がいいと思う。いったん帰ってギルドに聞いてみよう」
「わかった」
死体の処理などやったことがない僕たちは、町に戻るべく来た道を振り返り違和感を覚える。
「ねぇ、リイシャ……帰り道、覚えてる?」
「はあ? 来た道を戻ればいいだけでしょ」
「じゃあさ、僕たちってどこから来たっけ?」
呆れたようにため息をつくリイシャだったが、道を振り返ると顔に影を射した。
「は? それは、どこだっけ……待って今思い出すから! えーっと……」
おかしい、僕たちは森の奥まで来たわけではないし、自分が来た道は覚えている。
それに加え、目の前の道には雑草が乱雑に毟り取られた跡もある。
明らかにこの道から来たことは明白なのだが自信がない。
この道ではない気がしてしまう。
表情を見る限り、リイシャも僕と同じことで頭を悩ませているのだろう。
危険な状況だ、早急に対処しなければ……
思考を麻痺させる作用にでも陥ってしまったのかもしれない。
だが、何がきっかけで起こっているのかが検討もつかない。
解決の糸口はないか辺りを見回していると、十数メートル後ろの木に人間と同じ大きさの蝙蝠が逆さまにぶら下がっていた。
僕と目が合うや否や口元を歪め、キチチッキチチッとネズミのような声で鳴き始める。
その瞬間、脳を抉らんとするほどの酷い不快感が頭を襲い、呼吸をすることすら辛くなってきた。
「あっ、あっ、あっ……あああ、あああああああ!!!!!!」
「ちょっ、ミル、大丈夫!?」
リイシャがすぐに駆けつけて声をかけてくれたが、心配から出たのであろうその大きな声量が僕の不快感をさらに増すこととなった。
結果、リイシャを勢いよく突き飛ばしてしまう。
僕に突き飛ばされることなど想像すらしたことがなかったリイシャは、目を点にして呆けてしまう。
しかしすぐに意識をはたと戻して立ち上がり、両耳を塞ぐ僕を横目に蝙蝠を射殺さんばかりに睨みつける。
「あんたがやったの?」
その問いに蝙蝠は先ほど同様口元を歪め、キチチッと鳴いて答える。
リイシャは蝙蝠の人を嘲笑うかのような表情で犯人を確信し、僕の様子を横目で観察する。
耳を塞いでいるのを見るに、音が原因なのだろうと自身の耳を風で覆い音を遮断した。
リイシャが背に担いでいた長剣に手をかけ、蝙蝠に向かって飛び出した。
一瞬の内に間隔を埋め、右上から左下へと袈裟斬りの要領で逆さ蝙蝠に対して抜刀する。
逆さ蝙蝠は木から羽ばたくが回避が半テンポ間に合わず、右横腹から左肩に赤い鮮血を迸らせる。
蝙蝠は順方向へと体を回転させキキーと鳴き声を上げながら空へ逃げようと試みるも、風の刃に襲われる。
「『キルウィンド』」
鋭利な爪を帯びた二本の足が血飛沫を上げて宙を舞い、蝙蝠はバランスを崩して地に落ちた。
直後、もう一度空への逃走を試みて翼を必死に動かしつつ、口を大きく開けて何かを叫ぶ。
しかし翼が空気を切る音も蝙蝠の鳴き声も聞こえず、辺り一帯は静寂に包まれていた。
否、辺りが静まり返ったのではなく、僕の耳が聞こえづらくなっていたのだ。
だというのに蝙蝠が発する音波が不快感を増し、耳を伝って脳を侵食して来ていることが嫌というほどわかる。
いつからかわからない上げ続けていた自分の叫び声が耳を劈く。
誰かが僕の体を揺すり耳元で声を上げ、不快感は一層増すばかりである。
僕はシェイクされた脳みそが口から吐き出そうなほどの不快感を生み出す音源を破壊すべく、力強く握りしめて血の滲んだ拳を勢いよく振り切る。
「うるさあああい!!!」
ボゴッ
鈍い音が骨を伝って体に響き渡る。
無意識的に後ろを振り返ると……
リイシャの頬が青く腫れ鼻口から手が真っ赤に染まるほどの血が流れており、その掌には一本の大きな歯が転がり落ちていた。
一瞬頭が真っ白になったが、瞬く間に心を蝕む悪感情が僕を襲った。
何より手に残る痛みと、その甲に付いた血がそれを物語っている。
空中でキチチと口角を上げる蝙蝠を睨みつけて、ただただ怒りのすべてを言葉に乗せた。
「『エレクトリック』!!」
地震でも起きたのかと思わせるほどの轟音が鳴り響き、閃光を浴びた蝙蝠は一瞬にして丸焦げになって一つの肉片も残さずに体を爆散させた。
「ミ、ミル……」
リイシャの消え入りそうなか細い声が、僕の頭に木霊する。
今の僕に怒りはなく、自身への嫌悪感だけが渦巻いていた。
僕は傷つけてしまった、守り抜くと心に決めた愛する人を……
「ご、ごめん…………」
そう言い残し、大地を蹴り上げて駈け出した。
森を包み込むリイシャの声を置き去りにして…………
▽▽▽▽▽
森から数キロ東
男は森を見据え、一人呟く、
「狂天鼠が死にましたか。駆け出しにやられるほど弱くはないのですが……いや、そんなことはどうでもよいですね。私のやるべきことはただ命に従うのみ。あのお方が望むのであれば、この世界を、幻想で塗り替えてみせましょう」
首から吊るされた、銀色に指を添えて。




