佚世.3
夕食時、血液検査をしていた佚世にミシェルが話しかけた。
「あの、佚世様? は、夕食は……」
「……あー食べてない! そういやお腹が減ってる!」
「でですよね……!?」
「お願いします!」
「は、はい……!」
佚世はそう言うとすぐに検査に戻った。
溶液に二、三滴垂らすと、青紫だった血液が赤紫へ変わる。
「あできた」
「さっきから何してるんだ……」
「魔力中和剤の調合」
皆がギョッとして、佚世は試験管に触れた。途端、勢いよく手を離す。
「熱っつッ……!」
「魔力は中和しようとすると拒絶反応で凍ったまま沸点越えますからねぇ」
「凍るのはなくなったんだけどさぁ、どうしても沸点は越えるんだよねぇ。やっぱ死ぬかな?」
「えぇ確実に」
「これはなしかぁ……」
ノエルと相談した末に、それでも手を止めない佚世に、エリックは顔を引きつらせながらヴァイオレットを見た。ヴァイオレットも、初めて見るような表情してるけど。
「何の話だ……?」
「さぁ……?」
「ねーご主人様これ入れてみない? 悪魔の血入ってんでしょ」
「嫌ですよ……!」
「つーかご主人様の血入れたらどうなんの?」
「その呼び方やめてくれません?」
「たぶん体が適応する前に魔力暴走で死ぬかと」
「体内の魔力枯渇させた状態でやったら?」
「生きている限り生命に必要な魔力は残っていますからね」
「死んだ直後に入れたら?」
「生き返ることはありませんよ」
「じゃ、翼を切断して魔力で補完させたら?」
ノエルの目が好奇心に駆られ、エリックがドン引きすると同時にノエルの頭が殴られた。
「お嬢様の血を穢すな」
「私のせいではないのでは……!?」
「飼い慣らされてんなぁ」
佚世はウィリアムの至極真面目な顔をケラケラ笑うと、沸騰し続ける血液に水分を入れた。瞬間、ジュウっと蒸発して水蒸気が上がるが、すぐに薄まって温度が下がった。
「……何入れたんですか」
「水」
「魔力は水には溶けませんよ」
「水分だよぉ? 俺が出した水分」
「龍と悪魔の魔力を混ぜないでください危険極まりない」
「爆発しなくてよかったねぇ」
佚世はそれを片付けると、ふと空の試験管の中を覗いた。
上に上げ、電気にかざす。
「お前の弟子奇行が多すぎないか」
「ほんっとに」
「ね〜ルアだっけ」
「まぁ」
「翼取るじゃん」
「えぇ」
「培養して植えたら戻ると思う?」
「また斬新というか奇っ怪というか……生えませんよ。どころか一度切り離された翼は体の魔力が受け付けないので移植しても腐って落ちるか、翼が自らよりも強い魔力の場合翼に生命力吸われて死にます。あと人格が変わるとか」
「え何それ面白そう」
「面白かったです」
あぁやったのね。
にこっと笑うノエルを皆が凝視していると、頭の中の構想が崩れた佚世は微かに首を傾げてからため息をついた。
「はぁ……癒しが欲しい」
「ミシェルは?」
「嫌だよ赤の他人とか。睦君に会いたい! 恋弥でもよし!」
「赤の他人どころか世界すら違う人間でしょう」
「でも先生がこっち連れてきたんでしょ?」
「まさか。私の管轄は今際の際の人間だけです」
「嘘つけ。恋弥はともかく睦君の親は君が殺したんでしょ」
「だってあの子自殺志願者ですよ? 背中を押すのが心優しき女神の務めでしょう?」
「きっしょ」
ヴァイオレットは佚世に向かって本を投げ飛ばし、佚世は顔を腕で庇った。
ヴァイオレットはブチギレて部屋を出て行く。
佚世は本を拾い上げると、折れたページを直して閉じた。
「佚世、何の話だ?」
「そのうち分かるよ。いや〜怒っちゃったな〜! 追い出されるかな〜!」
「……楽しそうだな」
「べっつにぃ?」
「公爵と性格そっくりだな……」
「そうでしょ? 苛立たせるのはセンセイから学んだからね」
佚世は本をウィリアムに持たせると、椅子にかかっていたマントを取った。
シワを払って、椅子に座ってから歪みがないかを確認する。
その間に、術の流れを頭の中で組み立てた。
翌朝、寝て忘れた佚世を恨みがましいヴァイオレットは殺意の篭った目で睨む。
佚世は、ほんっとに寝て忘れたんだろうな。ヴァイオレットの視線など気にも留めていない。
ずっと何かを描いているが、文字というより絵かな。
そんなこんなしていると、ルーメルウスとヴァイオレットが上に反応した。
ルーメルウスは飛び出していき、佚世は顔を上げると頬杖を突いた。来るまで描いとこう。
「なんで公爵の交友関係は全員顔がいいんだ……」
「自画自賛ですよ」
「俺は実際いいから」
「……まー悪くはないと思いますが。でも確かにウィリアムと佚世は異常ですね。ヴァイオレット様と横に並んで遜色ないのはあの二人ぐらいでしょう」
「ルーメルウスでさえ負けるよなぁ」
「……おや」
騒がしい扉の方を見ると、扉が開いてこれ以上にないほどにこやかなアーネストが顔を出した。ウィリアムは舌打ちする。
「死んでろよ……」
「おはようございますお嬢様!」
「アーネスト、寝ていてください」
「今日は調子がいいので」
「ちょっと主治医」
「医者は患者に元気でいてもらいたいからさ」
「元気だったらお役御免だろう?」
エリックが首を傾げると、佚世は顔を上げた。
とてもじゃないが、この世のものとは思えないほど、いやこの世のものじゃないな。美しくうっとりする笑顔を浮かべた。その後ろには嘲るような笑みが見え隠れしている。
「重症化してくれた方が金は取れるよ?」
「クソ医者……」
「つーか出稼ぎに来てるわけじゃないんだよ。重症化して倒れて死んでくれりゃ患者なしでさっさと帰れるからなんなら死んでくれた方が私的にはラッキー」
エリックは盛大に首を引きつらせ、さすがのノエルも薄ら笑みになった。
優しい人と誤解していたミシェルは愕然としてウィリアムの後ろに隠れ、ウィリアムはアーネストが死ぬ妄想でもしたのか楽しそうに笑っている。
ヴァイオレットは、いつもの女神の微笑みが消え至極不機嫌そう。もうほんっとに、お前消されるぞってぐらい。
「ただし重症化するなら死んでほしいんだよね。重症化するだけして手かけるのはやめてほしい。お代もゴミクズ程度しか貰えないし」
「相っ変わらず性格はひん曲がって醜い。というか悪化しましたね。あなた育てたの誰です? 相当なクズじゃありません?」
「先生のこと悪く言うのやめてくれる?」
「あなたの頭が悪いから師が恥をかくんですよ。もう少し言葉を選んだらどうです?」
「……メイドが将来腐れドクズにならないことを願うよ。可愛い主様に仕えてさ」
ヴァイオレットの額に青筋が浮かび、エリックもミシェルもルーメルウスも助っ人二人も、さすがのノエルも絶句し皆で佚世にやめろと縋っていると、アーネストが部屋の中に入って佚世の手元から紙を取った。
自分の術式に興味でもあったのだろうか。
「両翼とも取るんだろう?」
「取るよ」
「……お嬢様、お嬢様の片翼くださいません?」
「え?」
「あ!?」
「白の悪魔の片翼を取ってもいいんですがたぶんすぐ壊死してしまうので」
「あぁ?」
「お嬢様の翼に殺されるなら至福だと思うのです」
「待てッ! お前お嬢様にこんだけやらせて片翼貰うって図々しすぎるってかお嬢様の体に傷を付けるな俺のもんだッ!」
「ちっげぇよ! 離せガキ!」
「黙れヘタレドクズ! さっさとくたばれ死ぬようできた体でしぶとく生き延びやがって死ねるならさっさと死ね!」
エリックが目を丸くするミシェルの耳を塞ぎ、ヴァイオレットが二人の喧嘩を止めようとするとノエルが歩み出た。
ウィリアムに掴みかかられたアーネストの首根っこを掴んで、憤怒と憎悪の混ざる目でアーネストを見下ろす。
「口切り裂くぞ虚弱穀潰し。つーかお前死にたいから放置してたんだろ。死んどけよ」
「てか殺すぞ」
煽ったアーネストはノエルの変わりように少し驚いたが、すぐににこやかに笑った。
「負け犬の遠吠えか? 構ってちゃんかよ」
執事共の乱闘が始まり、ヴァイオレットとルーメルウスは慌てて止め始めた。
微塵も興味がない佚世は立ち上がると髪を払う。
「メイド、アーネストのベッド片付けといて。羽根は三枚置いといてあとは捨てていいから」
「わかった伝えとく」
佚世は外に出ると、本がある地下に向かった。




